その実力
構える。思えば、水界の魔王と万全に立ち会うのはこれが初めてだ。一度目は相手は遠隔操作の分身、二度目は雷の魔王がほぼ占めていたので、対峙したとは言い難い。だから憶測で、これだけの準備と助けを求めれば、対峙に値する戦力は整うのではないかと、そう思っていた。
甘かった、そう言わざるを得ない。戦闘態勢に入った水界の魔王の放つ気を浴びて、そう思ってしまった。右腕を引こうが、左足を出そうが、どんな初動を行おうが、先手を打たれる、そんな確信。迂闊じゃなくても動けない、全身に槍の切先を突き付けられているかのよう。
「行くぞ」
動かない俺にいつまでも付き合ってくれる相手ではない。警告のような一言と共に、水界の魔王が接近する。というか、言葉の後には、彼の拳がもう俺の胸元に命中していた。
「ぶはぁ!?」
衝撃で後ろに吹き飛ばされる。魔纏関係なしに入るダメージ、只の一突きが染みるように体に響く。
「取ッタ」
吹き飛ぶ俺をアドスが優しくキャッチしてくれた。見れば全員が駆け寄っている。
「合わせて」
「だぁってろ、勝手にやる」
先陣を切るリルとモルバが、水の槍と火の拳による挟撃を仕掛ける。しかしその両者ともに軌道を逸らされ、二人は勢い余って後ろに通り過ぎる。
「アドス、続くぞ!」
「任セロ」
俺を降ろしたアドスが巨拳を真正面から突き出す。その上からバストルは風の刃を腕に纏わせ斬りかかった。しかし、アドスの拳は蹴りで打ち上げられ、その軌道上にいたバストルは攻撃を中断し回避。すぐさま体制を立て直し再び攻撃へと転じる。
アドスは打ち上げられた拳を振り下ろし、バストルは次は横から。リルとモルバも、背後から再び攻撃を仕掛けている。俺も全員の軌道と被らない位置から、縫うように剣を突き出した。しかし。
「なっ!?」
一度に仕掛けたその全てを、水界の魔王は防ぎ切った。拳には肘で相殺し、武器は指先で摘み止め、攻撃を無力化した。
「同時攻撃とは言えども、命中までは差が生じる。先に迫る物を見極め、それから順次対応する。そうすれば、複数同時攻撃も単一攻撃と大差はない」
達人芸の種を明かされたが、そんな理想の塊のような芸当出来る訳がない。だが、現にこの男はそれをしてしまっている。否定のしようがない。
動くに動けない状態を、水界の魔王が打ち破った。一度の胴回し蹴りで、全員に距離を取らせる。
仕切り直し、もう一度仕掛ける! と意気込むのも束の間、今度は水界の魔王が距離を詰める。標的は俺。なんとか体制を立て直しはしたが、反撃に移れる程の時間はない。咄嗟の防御の構えを取るが、攻撃は飛んで来ない。明らかに間合いにも関わらず、相手はそこで構えているだけだ。
「来い」
罠か? 敵の一言に思考を乱される。なにか仕掛けでもあるのか、しかしそれを長々と考える余裕は無い。誘いに乗る形、剣で振りかかる。
しかしそれはまたもや容易く日本の指で挟み止められる。疾風の魔力を付与した一撃にも関わらずだ。
「眼を凝らせ、分かるか」
なんの話だ、とは思いつつ言われたように眼を凝らす。すると、水界の魔王の指先、俺の剣を掴むその指先に、濃い魔力が満ちている。全身の魔纏よりも厚く、堅牢で、その指先だけ分厚い鉄板が巻かれているような、ある種不自然な程に強固な魔纏が施されている。
「一点集中の魔纏。お前の持つ炎の籠手よりも、より局所に、より厚く。そうすれば魔力を纏った武器とて、素手で受け止める事は可能だ」
言いながら払うように武器を話す水界の魔王。なんとなくだが、こいつ、今俺にも見えるように魔纏をわざとらしく濃くしたような……
「指先に至るまでの精密な魔力操作を身に着けろ」
なんだ、何故アドバイスを。もしかしてと思う俺を他所に、リルフィリアが再度槍で突きかかる。水界の魔王は水の剣、少し反りのある片手剣を作り出し応戦、しかしリルの攻撃に対して盾、薙刀、ヌンチャクと目まぐるしく形を変え、それら全てをいなしていく。
「本質は違えど、水と名の付く魔力を持つ当方。水の扱いに多少の心得はある」
多少の心得、どころの水準ではない。鎖鎌や二対の棍棒など、多種多様な武器に水を変化させ、それを使いこなす。
「っ……ヴァダ・ヴィエ!」
水の刃を作り出し、それらを差し向けながら突撃するリルフィリア。しかし水の刃は相手の武器に触れたそばから、吸収されて無力化されてしまう。流石に踏み込めないと見たリルは足を止める。
「一つの形に押し留まる程、水は不自由ではない。もっと柔軟に使いこなすべきだ。それこそが水の魔力の真骨頂」
格の違い、どう見ても魔力を全開に使っていない相手にあしらわれている。その無力感は俺やリルのみならず、他の三人も同様に感じている。仕掛けることが出来ない、それを察知した水界の魔王は周囲を見渡し、アドスに支線を固めた。手で招くような動作、次はお前だと圧を放つ。
「オオオッ!」
舐められてなるものか。そう聞こえるような雄叫びと共に、アドスが殴り掛かった。以前より機敏に、的確に、力強く。何度も拳を振るうアドスだったが、そのどれもが命中には至らない。宙に舞う羽のように、捕らえどころの無い身のこなしで水界の魔王は避けていく。
「ナラバ!」
拳を地面に叩き付け、そこから土の触手をうねらせる。蛇を思わせる機敏な動作で敵に向かうが、そのどれもが手刀にて細切れと化した。
「純粋過ぎる、もっと悪意を持て。良い攻撃は悪意に満ちている。せっかく悪意をその身に秘めていても、それでは持ち腐れだ」
悪意を秘めている、アドスが? と思ったのも束の間、彼が言っているのはアドスの中のアイガの事だろうか。俺達には優しかったが、確かに悪意を持つ攻撃を得意とする印象を受ける。すると今の接触だけで、水界の魔王はアドスの中のアイガに気が付いたという事なのか。
「次はどちらだ」
「舐めてんじゃねぇぞ!」
水界の魔王の言葉に堪忍袋が持たなかったのか、モルバが突っかかった。
「炎人!」
巨大な炎の拳、それが彼の背後から掬い上げるようにアッパーカットを繰り出す。合わせるようにモルバ本人の蹴りが炸裂。一人で挟撃をやって見せたモルバだったが、そのどちらもが敵には届いていなかった。数歩下がり、的確に間合いを見切った所作で回避してのける水界の魔王。
「炎の魔王……、いや、その部下か。お前にも悪い事をした」
「いっちょ前に詫び入れてんじゃねぇぞドラァ!」
怒りの炎に油が注がれ、燃え上がるモルバ。渾身の拳を突き出すもそれを左手で受け止められる。
「逃がさねぇそゴラァ!」
だがそれはモルバの目論見だったようで、逆に相手の手首を掴むと、全身を燃え上がらせた。そのまま焼き尽くすまで止めないと言う気迫をひしひしと感じる。
だが当の水界の魔王は涼しい顔を崩していない。どれどころか、逆にモルバが苦悶の表情を浮かべ始めた。
「クソがあああああ!」
周囲に響くバチバチと言う音が、何が起きているのかを知らせてくれている。水界の魔王は、逆に雷の魔力を送り込んでいるのだ。それがモルバに強烈な電撃となり、襲い掛かっている。
やがて彼が全身焼け焦げ、息も絶え絶えの状態になってから、水界の魔王はようやく手を振りほどいた。
「心と体は良く出来ている。だが技が成っていない。強さは心技体が合わさって形となるもの。他を極めるとしても、疎かにしていい道理には至らん」
何か、何か言おうとしているのは、辛うじて分かる。しかし疲労困憊のモルバにそれだけの余力は今はない。
「最後だ。来い」
視線の先にはバストル。行くしかない、覚悟を決め斬りかかるバストル。両手に纏わせた風の刃で、双剣を振るうかのように舞う。その動きに狂いなく水界の魔王は対応している。だが、バストルの動きだけではなく、彼は別の何かにも対処しているかのような動きを見せている。
「……遠いな」
不意にバストルが呟いた。よく見れば、風の刃も水界の魔王へと飛んでいる。四方八方から、しかも魔力の気配を消した状態でだ。止まってよくよく眼を凝らして漸く分かる攻撃。目視も気配察知も一筋縄では行かない攻撃を、水界の魔王は完全に見切っていた。
「吹き荒れるばかりが風ではない。時には凪ぐ、それこそが風のあり方だ」
ここまで、という合図のような手の甲による一撃。腹部にもろに受けたバストルはよろめきながら距離を取る。
一対一は元より、一斉に掛かっても傷一つ通らない。ここまでとは、ここまでとは。確実に力を付けたと思ったのに、それが悉くに蹴散らされる。だが、こんな状況であるにも関わらず、俺の脳内に満ちるのは絶望ではなく、違和感に包まれた既視感だった。




