炎対雷
空気が割れる音がした。それ程の速度を持った拳が、俺の顔面にめり込む。そうしてやってきた腕を掴み、引き寄せ、俺の拳を撃ちだす。確実に捉えた相手の顔から、血飛沫が吐き出されていく。
「ぐはっ!」
「ぶふぅあっ」
お互いに仰け反ったが、すぐさま反撃に転ずる。炎と雷、それぞれを纏わせた蹴りが交差する。火花とも電撃とも取れる余波が、辺りを駆け巡った。
「ぉおらあ!」
「どぅああ!」
お互いの拳がお互いの顔、体、至る所に乱れ飛ぶ。口から鼻から血を散らし、それでも怯まず拳を交える。もうほとんど防御には気を回していない。ただ相手を打ち倒す事のみに集中し、攻めの一手をひたすらに打つ。以前の俺ならこいつとここまで殴り合うなんて出来なかった。明らかなフィジカルの違いに、炎の魔力の強力さを実感する。
「ぐぅうっ」
腹部に食らった一撃に、数歩ばかり後退する。追撃がくるかと考えたが、相手もなかなかに疲労していたらしい。
「見違えたじゃねぇか。オレと打ち合えるなんてよ」
「鍛えてもらったからな、ヤゴウさんに」
「ヤゴウ……ああ、炎のアイツか」
「そうだ、お前が殺したヤゴウさんだ」
「ああ。久々に良い喧嘩が出来たな。芯の入った良い奴だった」
「なんで殺した」
「魔力を奪うために決まってんだろ」
「なんで炎の魔力を狙った」
「氷を溶かすんだよ。氷の魔王のな」
「お前らか、氷の魔王を攫ったのは」
「なんだよ知り合いか」
疾風に乗り、蹴りを首に撃ちだす。が、見合った状態では雷の反応速度には敵わない。蹴りを弾かれ、逆に数発拳が飛び込んで来た。
「っ!!」
予め構えておいた腕の防御がどうにかそれを防ぐ。それでもダメージが無い訳じゃない。殺せなかった攻撃の勢いに乗せられ、大きく吹き飛ばされる。
「居場所でも知りたいか? 聞き出してみろよ、出来るもんならな」
「言われなくても!」
もう一度走り出そうとしたその時、突如リルフィリアが相手の横から奇襲をかける。首を狙った刺突を、的確に繰り出した。
「失せろ、邪魔だ」
三本指を向け、そこから閃光と共に雷撃が撃ち出される。防御する間もなく、水の障壁も間に合わず、雷は無惨に彼女の体を貫いた。
「……!?」
違和感がある。そう考えた時には奴は体を捻っていた。雷の魔王が潰した筈の彼女は水の様に蒸発し、反対から本物のリルフィリアが迫っていたのだ。それを察知した故の体の捻り、回避行動。狙いの首からは大きく逸れたものの、槍の切っ先は横腹を深く切り裂いた。
苦痛に顔を歪めながら、雷の魔王は大きく後退する。敵の反撃を警戒し留まったリルフィリアに、急いで駆け寄り、構えた。
「てめぇ……」
「貴方のお仲間から着想を得た、水人形。と言ったところね」
「リルフィリア、大丈夫!?」
「リュウヤこそ。正面から殴り合うなんて、無茶しないで」
「ごめん、そういえばモルバは?」
「遠くに逃がしたわ」
「ありがと」
視線は以前として敵に向いたまま。その敵は、わき腹から血を流しながら息を整えている。
相手と今殴り合って見てよく分かった。雷の魔王は今、この上ない程に疲弊している。先代顕現状態の俺、そしてヤゴウさんとの戦い。連戦による疲弊は確実に男の実力を削っている。速度も力も何もかもが劣る俺が打ち合えているのがその証拠。リルの槍だって、アイツの魔纏を深く貫けるかは怪しい。ダメージが蓄積している今、またとない千載一遇の好機。
「おおおおおっ!」
右手に電撃を集中させている! 何かが来る! 一瞬すら逃さないよう眼を凝らす。だが雷の魔王はこちらに攻撃せず、その溜まったエネルギーを勢いよく自分の腹に押し付けた。
「ぐぅううああああっ!」
なんだ!? 何をしている!? 自らの傷口を抉るような真似を、文字通りにやっている! 雄叫びを上げながらそうする事数十秒。呆気に取られる俺達を他所に、ぜぃぜぃと肩で息をする彼の傷は、すっかり焼き塞がっていた。
「電熱で焼いたのか!? 自分の傷を!」
「止血にゃ持って来いだからな……死ぬ程いてぇけどよ」
ふぅー。と息を整える雷の魔王。幾ら自分の魔力といえど、そんな事したら死ぬだろ普通。しかし、そんなの知った事かと言わんばかりに雷の魔王が迫る。ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
「わりぃな、止血の間待ってもらってよ」
「…………」
「待たせちまった詫びに、一つ教えてやる」
「……なんだ」
「毒の野郎が言ってたんだが、生き物ってのは、電気で体を動かしてるんだとよ」
「っ! まずい!」
相手の言いたい事が分かり、急いで殴りかかるが、もう遅い。雷の魔王はゆっくりと中指を立て、魔力を放った。
「エレキディテイン」
瞬間、体が言う事を聞かなくなった。両腕を真横に伸ばした、言わば磔の状態のままにしか出来ない。無理矢理その体勢になるように、意思に反して力が入っている。
「オレは細かい魔力操作とか苦手でよ、せいぜい体を動けないようにするので精一杯だ。そういうのは毒の野郎が得意だった。だが俺にはこれで十分。何故かは分かるだろ?」
その問いへの返答を待たずして、渾身の両拳が、俺達を襲う。雷の魔力が乗った一撃が、俺とリルの腹部に、メリメリと音を立てて食い込んだ。
「ぶぁはっ!」
「ぁっ……」
この上ない程のクリーンヒットは、彼方へと飛んだと錯覚する程に、俺達を吹き飛ばした。受け身も取れない二人は、水切り石の如く地面を跳ねる。やがて地面に落ち着いた頃には、リルは虫の様にか弱い息しかしていなかった。
「リ、リル……」
意識を失った彼女に這い寄り、ポーションを飲ませる。腹部にも掛けたが、これで効果が出るのを祈るばかりだ。彼女の名前を呼びながら、その息が整うのを見守る。やがてその息が落ち着き、少しばかり顔色が良くなったところで、ぬるりと視界が暗くなった。
「やるじゃねぇかお前。体は動かせねぇけど、魔力操作は出来るのを見抜きやがったな」
もう目の前まで迫っていた雷の魔王が、感心したように話しかけてくる。この男の言う通り、直前で魔力は操れる事を感じ取った俺は、リルに魔力を分け魔纏の質を上げていた。もし出来ていなかったら、胴体を貫かれていてもおかしくは無かった。
「ほら、お前もポーション飲め。褒美に待っててやるよ」
「…………」
「? どうした、飲めよ。不意打ちなんかしねぇって」
不思議そうに雷の魔王はそう告げる。恐らく彼の言う事は本当だ。声色や表情から本心だと感じられる。しかし、それを踏まえてもその提案には乗る事が出来ない。
「お前、もしかして今のが最後か」
図星だ。リルフィリアに飲ませたポーションが、正真正銘最後のポーション。回復の手立てが完全に無くなった状況で、未だ健在の雷の魔王がそこにいる。はっきり言って絶望的な状況だ。
「自分より他人優先か……毒の野郎も助けようとしてたな、そういや」
フン、と鼻で笑うような音を出し、雷の魔王は懐から一つ、革袋を取り出す。比較的小さなそれは、ちゃぷちゃぷと水音がした。それをこちらに差出し、彼は封を開ける。
「ほら、飲め。最低ランクのポーションだが、立てるくらいにはなるだろ」
「なんだ、どういうつもりだ!」
「このまま終わらすのはもったいねぇ。しっかりと決着を付けてやるって言ってんだよ」
「……礼は言わないぞ」
革袋を受け取り、中の液体を流し込む。すると緩やかに、しかし確実に傷が癒えて行くのがわかった。いつも使っているものより確かに効果は下のようだが、立てるくらいには回復した。
「にしても渡したオレが言うのもなんだが、よく敵から渡されたもん飲めるな」
「……お前は、そんなことしないだろ」
「知ったような事言うじゃねぇか。面白れぇ」
「始めるのはここから離れた場所でもいいか」
「そいつを巻き込みたくないんだろ、分かってらぁ。ついてこい」
雷の魔王が跳躍し、先行する。俺も疾風の魔力で飛び立ち、その後を追った。




