痛みなど
「随分と様変わりしたな」
「そうね。まるで貴方みたいよ、バロフ」
「ああ、まったくだ」
リュウヤを一瞥、構えこそ取らないものの戦闘態勢に二人は入る。
「漁夫の利でも得に来たか、バロフ」
「まだ居たのか。さっさと仲間を連れて去れ」
「見逃すというのか」
「二度も言わせるなよ」
相手の言う通りになるのは癪だが、仲間の命が危ない事も事実。水界の魔王は素直に従い、雷の魔王を抱え、姿を消した。
「さて、どうするか」
「そうね。久々の家族団欒と洒落込むのも面白いんじゃないかしら」
「キツイ冗談だな」
「真面目に言えば、気絶でもさせてみたら?」
「簡単に言うじゃないか」
軽口を叩き合う二人はもちろんのこと、リュウヤも水界の魔王の撤退を咎める事はしなかった。眼前の二人の方に不敵な笑みを向けたまま。二人の方がもっと楽しめる、そんな感情が隠される事無く溢れている。
「先ずは出方を窺うか」
「あまり時間をかけると戻らなくなるわよ」
「憶測だろそれは」
「十分にあり得る憶測よ」
「それはそうだがっ」
会話に文字通りに割って入るように、バロフの頭上に斧が降る。それを片手で止めるバロフと、笑みを浮かべながら押し込もうとするリュウヤ。両者一歩も引かぬ押し合いが火花を散らす。
「じゃ、あとは宜しく。私は物見遊山を楽しむわ」
「ああ、頼んだ、ぞっ!」
勢い良く斧をかち上げ、相手を蹴り飛ばすバロフ。プリフィチカはそれと同時に姿を消した。体制をすぐに立て直したリュウヤ、プリフィチカには眼もくれず、眼前のバロフに再び斧を振り下ろす。だが今度はそれを躱したバロフ、夜闇の如き黒をした、拳ほどの球体を放った。
「……?」
それの速度はそれほどでもなく、回避は今のリュウヤならなんなく行えるであろう攻撃。それを彼は避ける事が出来ずに直撃を許した。当たった球体はリュウヤの体に染み込むように消えていき、彼の体を恐ろしく鈍重なものに変えた。
「っ!?」
自分にかかる重力が何十倍にもなったような感覚に、流石に困惑の色を見せたリュウヤ。しかし膝は突かず、未だ力強く大地を踏みしめている。
「300年前にはなかった魔術だというのに、流石は先代。とでも言っておくか」
どこか自傷気味な声色を含ませながら、動けない敵に対して小さな火球を打ち出した。迫る火球に動きを取れないリュウヤに変わり、彼の持つ火炎の刃がその姿を蛇のように変え、あっさりと呑み込んでしまった。よほど密度のある火だったのか、斧に戻ると先ほどよりもさらに轟々と燃え盛っている。
「炎斧・天焼地灼……懐かしいな」
感傷に浸るバロフに、魔術の影響が残るはずのリュウヤが仕掛けた。変わらぬ神速で迫り横に炎斧を薙ぐ。
「おいやめろ、無理に動くな」
聞く耳など持たぬリュウヤ、避けたバロフへ追撃の手を緩めない。まるで斧が二本あるかのような速度の連撃、たまらずバロフは距離を取った。
間が空いた瞬間を狙い、リュウヤは無数の球体を自身の周りに生成した。燃えるような赤。透けるような緑。淡い光を放つ白。それら三色が彼の周りで漂っている。
リュウヤが手を振るえば、それらは一斉にバロフに向けて突進を始めた。赤は触れれば爆発を起こし、緑が振れれば風の刃が牙を向き、白は他と合わさりさらに強力な衝撃を起こす。三色三様の挙動を行う攻撃を、両腕で弾いていくバロフ。その数発が、バストル達の方へと流れていく。
「っ! …………!?」
防ぐ手立ては持ち合わせていないバストル、半ば諦め気味に眼を閉じた。しかしやけに遅い最後の時を訝しみ眼を開くと、そこにはプリフィチカ=デフィルネルの姿があった。
「なっ……貴女は!」
「挨拶なら結構よ。二人の具合は?」
「二人は、無事です。まだポーションを飲めてはいませんが、死ぬことはないかと」
「そう。よくやったわバストル=ベアレス。後はここでゆっくりしていなさい」
「あ、あの、リュウヤは一体?」
「そうね。どう説明したものかしら」
彼女が言葉を選んでいると、傍らの少女が一人、重い体をゆっくりと起こした。
「リルフィリア! 眼が覚めたか!」
「いま……どうなってるの」
「それを今から説明するところよ」
声の主に視線を向ければ、そこにはプリフィチカの姿。まさかの人物の返答にリルフィリアは息を詰まらせた。
「あれを御覧なさい」
「あれはバロフと……え? イリサキ!?」
「……今の彼がよくリュウヤだとわかったわね」
銀の髪色に赤の瞳。もはや全身を黒の鎧で覆うその姿は禍々しさをこれでもかと放っている。優に身の丈を超えた斧を振り回し、戦いを楽しむかのような表情でバロフに迫っている。
「なにが……イリサキは! 一体なにが起きてるの!?」
「あれは、先代魔王になりかけているのよ」
「先代の……300年も前の人物に!?」
「その300年前の人物の魔力は今でも残っているでしょう? ならこんな事態もなくはない話よ」
「そんな……なんでイリサキが」
「適合者としては彼は随一なの。それが一つの要因だけど……詳しいことはわからないわ」
「貴女達でもわからないのですか」
「初めて見る現象なのよ。いままで堕王は数見たけれど、ここまで色濃く先代を、お父様の気配を感じたことはないわ」
「では……このままだとリュウヤは」
「戻らなくなる可能性は大いにあるわ。今はバロフが気絶させようとしてはいるけど、それで解決する話かはわからないわね」
会話の最中も、リュウヤとバロフの激闘は続いている。リュウヤが斧を振るう度に、身を焼くような熱風があたりに吹き付ける。激突の度に火花が散る。その一つ一つが大地を焼き焦がしていく。飛び火はプリフィチカが防いでいるが、彼女がいなければ三人は焼け焦げていただろう。
「そんな……イリサキ、イリサキ!」
その場で見る事が耐えられなくなったリルフィリアが、堪らず駆け出す。
「ばっ、馬鹿! 戻れリルフィリア!」
「貴方はここにいなさいバストル=ベアレス。動かないことよ」
静止を促し、リルフィリアの後を追うプリフィチカ。彼女の行く末に降る火をプリフィチカが払っていく。
「私にここまでさせたのよ、貴女が彼をなんとかしてみなさい、リルフィリア」
その声すら届かぬ程に一心不乱に駆け抜けるリルフィリア。目まぐるしく変化する戦場に臆する事なく走り寄る。
そんなことは気にも止めず戦いを続けるリュウヤとバロフ。一度お互いに距離を取り、膠着状態に入っていた。状況を打開すべくリュウヤは全身に雷を纏わせる。纏う黒の鎧を這う雷電はけたたましく雄叫びを上げている。
「吸収しただけの雷の魔力でそこまで出来るか……んん!?」
眼前のリュウヤにふと眼を向けると、その背後から2つの人影が寄っている。後方には見知った顔。そして必死の顔色で迫っているのは、リュウヤと行動を共にする水の魔王、リルフィリア。
プリフィチカにむけ、何やってんの!? と視線を送れば、黙ってなさいと視線が返った。
なぜだか隙を見せた相手、好機と言わんばかりに斧を持つ手に力が入る。足に力を、腕に殺意を。全速力の一撃を繰り出そうとした瞬間。耳に小さな悲鳴が飛び込んできた。僅かに体が重くなる。振り返ると、そこには背中に抱きついた一人の少女の姿があった。
「あぁっ! ぐうぅ……」
雷を纏う自分に抱きつくなんて、どれだけの痛みを伴うかわかるだろうに。この炎斧を持つオレに近寄れば、どれだけ身を焼くかわかるだろうに。
「イリサキ……約束したでしょ? 貴方を頼りにさせてって! 姉を、私を助けてって! そんな誰かも知らない人にならないで! 貴方は、貴方のままでいて! リュウヤ! 私を一人にしないでよ!」
ああ、そうだ。オレは、俺は、みんなを、リルを助けたくて。なにも出来なかった自分が許せなくて、それで、怒りに身を任せて……何を、何をやってんだよ俺。早くこんな事やめないと、リルを、助けないと……




