天より地より
しかし修行はなかなか思うように進まなかった。魔纏をしては叩かれ、魔纏をしては叩かれ。二人の手が平手で打たれる音が延々と響いていく。思うようにいかない状況に、焦りと苛立ちだけが積み重なる。そんな時、誰かが俺の背中を優しく叩いた。
「バストル?」
「落ち着けリュウヤ。まずは深呼吸だ」
言われるがままに大きく息を吸い込み、そして吐き出す。ただそれだけの事だが、今の俺には随分と効果的だった。
「いいか、あまり難しく考える必要はない。確かに疾風の魔王様の仰ったことは間違いではない。が、少々理屈によった表現だ。魔法は感覚が重要、気を抜きながら、深呼吸をしながらやってみるんだ。意識はほぼ呼吸に向けながらな」
「呼吸に……わかった」
極めて単純に深く考えず、腕に火を纏わせる。小さな、風に吹かれ今にも消えてしまいそうな程の火が腕を覆った。それを精霊は疑り深く、のぞき込むようにして見る。腕を組み、うーんと唸るようなしぐさを見せたが、遂に俺の腕が叩かれる事は無かった。
「おぉ、やったぁいたぁ!?」
喜んだ瞬間に集中が途切れてしまったのだろう。魔力を感知した精霊がピシャリと俺の腕を叩く。
「えっ、ひどくない? 今のはなしでしょ」
「気を抜くなという忠告と心得るがよい。して、感覚は掴めたか」
「はい、まだぼんやりですけど」
濡れた薄皮を張り付けているかのように、体にぴったりと密着するような魔纏。これが気配を消す魔纏のおおまかな正体。まだ全様を掴めてはいないが、入りだけは辛うじて得られたか。
「それでよい。バストル、良い助言であった」
「ありがとうございます」
「そしてどうやら、伴侶も掴めたようだな」
言葉に釣られて見れば、リルは水を纏ったその腕を叩かれてはいない。
「だから伴侶じゃ、っつ……」
反論を出そうとした瞬間、精霊は容赦なくリルの腕を鳴らした。集中力を欠いた理由は怒りなのか動揺なのか。
「ほれ、集中が欠けておるぞ」
「……誰のせいだと」
「ふふ、何はともあれ最初の一本は踏めたようじゃな。悪いが、ここから先は各々で修練するのじゃ」
「分かりました、ありがとうございます」
「言っておくが、この身は弱い。大地の魔王は手練れであっただろうが、同じような援護は期待せぬ事だ」
「……え? 急になんです?」
脈絡のない急激な話題の切り替えに、思わず疑問符が浮かぶ。
「なるべくは戦うが、いざとなればこの疾風の魔力を奪うと良い。少年の方が戦いは上手だろう」
「ちょ、ちょっと待ってください。やっぱり敵が来てるんですか?」
話の内容からして、敵が迫っているのだろうか。いきなりの話題転換は、それだけ切羽詰まった状況である事の現れなのか。
「そうだ。武器を構えよ」
言われるがままに反射的に剣を抜く。リルフィリアも槍を構え、バストルも身構えている。疾風の魔王は、扇子だろうか、それらしき物を手に持ち、辺りを警戒していた。
「……何処から?」
敵が来る、そうは言われたが、気配が全くしない。大地の魔王に習った気配の察知。それを全力で尖らせてはいるが、何もセンサーにかかってはこない。
「来る気配がしな「下がれっ!」
疾風の魔王らしからぬ、焦ったような声の指示が飛ぶ。その次の瞬間、突風が俺を背後に突き飛ばした。リルフィリアとバストルも同じように飛ばされている。疾風の魔王だけは自らの足で後方に飛び退く。
俺たちが下がったとほぼ同時、ほんの一筋、針のように小さな気配がそこに落ちた。だがその大きさに似合わぬ程の濃厚な死の気配。そして次の瞬間には、けたたましい轟音と共に何かが地面に激突した。
「うわああああ!?」
至近距離の落雷のような衝撃、しかも質量を伴った落雷だ。地面が揺さぶられたような衝撃に狼狽てしまう。
「おぉ? 確かに直撃狙ったんだがな、勘がいいじゃねぇか」
落雷かと思ったそれは、一人の男だった。逆立つ黄色の髪に、破けた加工の目立つ服。荒々しい雰囲気を放つ男は、俺たち全員に一瞥を向け、最後に俺を見た。
「お、お前か。風火の魔王ってのは。オレは雷の魔王だ。水界の大将の部下ってとこだな。で、一応聞いとくが、お前オレ達の仲間になる気はあるか?」
雷の魔王、バロフ達から聞いていた魔王の一人!
「誰がなるか!」
「そうか。じゃあ、お別れだな」
素っ気なく男が言うと、彼の右腕に魔力が、雷が目に見えて溜まっていく。このままはまずい、そう思った矢先、リルはもう動いていた。
「はあああああ!」
槍を構え胸元を狙うリルフィリア。雷の魔王は人差し指をリルに向ける。そこから眩い程の雷が放たれた。
「くっ!」
ダメだと思ったが、リルフィリアは掌ほどの幅の水を帯状に作り、雷の軌道を読んで設置した。雷は水の通り道に従い抜けて行き、結果リルは雷を受ける事はなかった。
「う、上手い!」
思わずそんな声が出る。しかし雷の魔王は面倒くさそうににもう一度指を向ける。今度は中指も加えた二本、それがわかった時にはもう雷は打たれていた。
再び水で雷の通り道を作るリルフィリア。だが、雷は道には従わず。一直線の軌道を変える事なく雷はリルに直撃する。
「あああああああっ!」
「リルウゥ!」
一歩動きが遅れた。そんな自分を責めるより先に頭に血が昇る。剣を振りかぶり突撃。だがそれよりも速く、雷の魔王はこちらに接近していた。
「がふぁっ!」
「バ、バストル!?」
視線で追う事すらままならぬ速度で雷の魔王は、俺の横のバストルにラリアットをぶちかました。まるでゴムボールのように容易く吹き飛ぶバストル。そこで雷の魔王は止まらず、次は疾風の魔王に迫る。
「ぐっ、ぐぅっ」
そのまま繰り出された拳を彼女は扇子で受け止める。しかし完全には止まっておらず、腹部に衝撃が通ってしまっている。そこから男は一度拳を引き、もう一度繰り出した。二度目の攻撃を防ぎ切る事は出来ず、まともに食らってしまう。
「ぐっふぁあっ……」
堪えきれず、大きく吹き飛ばされる疾風の魔王。口から溢れた彼女の血が、数滴俺に飛び散った。
「おーし、最後だな」
1対4から瞬時に1対1。圧倒的な実力差。迫る男に斬りかかる隙を見出せない。
「あ、いけねぇいけねぇ」
雷の魔王は何かを思い出したかの様に人差し指を地面に向ける。そこから一滴の雫がポタリと落ちた。するとそこから鏡のような水溜りが生成され、続け様に一人の男が、浮き上がるように姿を見せた。
深い青の長髪に細身の体躯。同じく濃い青を基調にしたその服装、所々に龍をあしらった金の刺繍、どことなく男性用のチャイナ服を連想させる。忘れもしない。リマトさんの家族の命を奪った、その男。
「水界の、魔王!」
「あの村以来か。久方ぶりだな、風火の魔王」




