魔王との朝食
朝。昨日の疲れも完全に抜けきり、今にも走り出したくなるくらいに力が漲っている。今日からは一人で行動だが、不安すら飲み込む程に胸が高鳴っている。朝食が出来たとの声が聞こえたので降りてみると、そこにはアンさんの他に見知った顔があった。
「バロフさん!?」
「おはよう。しっかり眠れたか」
にこやかなアンさんの正面の席で、バロフは変わらず威圧を放っていた。
「どっどうしたんですかこんな朝から」
思わず言葉が詰まる。庶民的なこの宿屋に欠片も似つかわしくないバロフの風貌。魔王が一般家庭の食卓に加わる光景、寝起きの俺には衝撃が強すぎた。
「まあ座れ。食べながらでも出来る話だ」
言われるがままに俺は席に着いた。なんとなくバロフの横には座りたくなかったので、アンさんの横に座らせてもらった。朝食のパンを手に取りながら、バロフが口を開く。
「魔王の居場所を伝え忘れていた。許せ」
「ああ、確かにそうでした」
自分でも失念していた。今日俺は一体どうするつもりだったのか?
「この町から東に風、北に土、西に水の魔王がいる。明確な場所は分からんが、精霊達の数が増える方に行けば見つかるだろう」
「東西南北を囲まれてるじゃないですか! この町大丈夫なんですか?」
「俺がいる」
自分がいるこの場所に攻めて来るバカなどいるものか、バロフの不敵な笑みはそう語っていた。
「で、どいつからいくつもりだ?」
パンを飲み込み、少し考える。自分は火、相手は水、土、風、のどれか。そうなると……
「風からにします」
「何故だ?」
「消去法なんですが、水は相性が悪い。土も俺のイメージじゃ燃えにくい印象がある。ので風です」
「風で消されるとは考えないのか?」
「確かに消されるでしょうけど、風は空気ですから。うまく利用すれば俺の火に酸素が増えて威力が上がる……かもしれない。他の二つよりはやり様がある筈です」
自分で言ってて苦しい理論だ。こんなのは希望的観測でしかない。ないが、言った通り他よりは可能性があると思う。
「そうか、悪くない判断だ。相手は俺に大幅に劣ると言えど魔王。リスクを抑えた選択は賞賛すべきだな」
隣でアンさんも頷いてくれている。それにしても昨日から魔王の褒めっぷりが強い。ちょっとわざとらしく思えてくる程だ。悪い気はまったくしないが。
「あと、これを巻いておけ」
そう言って魔王は小さな輪っかを取り出し机に置く。動物の皮で作られたであろう茶色のそれは、手首に巻くのにちょうどいい大きさをしていた。
「ブレスレット……ですか?」
「そうだ。説明は省くが、これはお前が危機に陥った時に発動する。付けておいて損はない」
危機に陥った時、と言う事は俺を助けてくれるって事だろうか。しかしそれなら説明を省く必要性が分からない。何かしら代償があるのか、それともそもそもお助けアイテムではないという事なのか。
「何故説明をしてくれないんですか?」
「なんというか、特殊でな。実をいうと発動してどうなるかが分からん。ただ危機に陥った時に発動し、救いをもたらす物だそうだ。危険なものではないのは分かるんだが……」
うーん、と顔を傾ける魔王。あの威圧的なバロフの困り顔はなかなか珍しい光景なのかもしれない。助けにはなるだろうが、果たして渡しても大丈夫なものなのだろうか……そんな葛藤が表情に見え隠れしている。しかしその表情も、問い詰めたからこそ引き出せた物。俺が深く踏み込まねばなにも言わず付けさせていたのではないか?
考えれば考える程、ブレスレットが怪しい罠に思えてくる。だが魔引きを引き受けた俺を危険な眼に会わせるメリットも思いつかない。俺は魔王の真意を掴み損ねていた。
「不確定要素の追加、これを避ける判断は間違っていない。悪かったな、出発前に余計な世話をした」
申し訳なさそうな顔色を見せ、ブレスレットを手に取る魔王。待った、俺の口から咄嗟にその一言が出ていた。
「貰います。すいませんちょっと神経質になってたみたいで」
「気にするな。今のは神経質ではなく慎重というものだ。用心深いに越したことはない」
顔色を戻した魔王からブレスレットを受け取る。触った感触は革そのもので、特に変わった印象は見られない。色々と回してみるが、特別なところは何処にも見当たらなかった。
「さて、用事も済んだ、朝食も済ませた。俺は俺のやることをしよう」
言ってバロフは立ち上がる。御馳走様と言いつつ自分の食器を持ち、台所の方へと向かっていった。私がやりますよ、とアンさんが止めに入るが、いい、下げるぐらいはやれせてくれとバロフが拒む。彼は食器運びを気にしていない様子だが、アンさんの慌てようが凄い。言うなれば一国の王が民家の家事を手伝っているような感覚だろうか。それなら彼女の慌てようも納得だ。
「では失礼する。気を抜くなよリュウヤ」
別れの挨拶と共に黒く細長い楕円が出現した。人が一人通れるくらいの大きさのそれは、昨日の特訓でみたあれと同じ気配がする。そしてバロフが切り取られた夜に消えて行き、それもすぐに消え去った。
俺もアンさんにお礼を言って続くように宿を後にする。バロフにも話した通り、今日は風の魔王に向かう。その前に雑貨屋に立ち寄った。ポーションを補充するためだ。ゲラルドさんに話すとB級のポーションを3つくれた。これで合計4つが今ポーチに入っている。
「ありがとうございました! リュウヤ様、ご武運を!」
昼食も受け取った後、ゲラルドさんの見送りを背に雑貨屋を出る。剣と盾は特に損傷は見られない、武器屋に行く必要は無さそうだ。このまま東にいる風の魔王の元に向かうとしよう。
「……ん?」
移動中、ふとバロフの城の方を見た。特に何かを意識した視線運びではなく、本当にただ何となく見ただけだった。だがその視線の先には、俺の興味を引くものが歩いていた。
隣の人の肩を借りながら歩くその人物。遠目でしか見えないがとても衰弱しているように見える。吐き気を抑えているのだろうか、口を手で押さえている仕草が確認できた。しかし俺が興味を引く理由はそこではなかった。
「……俺によく似てるなぁ」
髪の色、服装、背丈、遠くから見た大雑把な感じしかわからないが、どれを取っても俺の特徴と似通った点ばかり。左手に小ぶりの盾を付けているのも、俺のデジャブを加速させた。
妙な不安が俺の中に生れ始めた頃、心配からかその人物の辺りに人が集まり始める。そしてあっと言う間に人の波に飲まれてしまった。近くに行って確認しようと2、3歩進んだところで、俺は足を止める。きっと気のせいだ。同じ人間がいるわけもない、他人の空似だ。
「まあいいや、行くか!」
足先を変え、当初の目的である風の魔王目指して歩き始める。あの時確認しておけば良かったと後悔する事になるとは、知る由もなく。