これからどうする
バロフを尋ね、炎の魔王に一撃KOを受けた翌日、俺は自室で特訓を重ねていた。特訓内容は、腹筋を鍛えるのみ。ただひたすらに腹筋を鍛え上げ、防御力を増す訓練だ。歯を食いしばって上体を起こす俺の足を、バストルが抑えてくれている。
「ペースが落ちているぞリュウヤ!」
「くぅっ! き、きつい!」
「頑張れリュウヤ! 負けるな!」
「くっ……これ、で、ひゃ、ひゃく!」
三桁の大台に乗った瞬間、後ろにバタリと倒れ込んだ。筋肉が悲鳴を上げているのがよく分かる。腹を誰かに抓られているような痛み。戦いで受ける痛みとはまた一味違った、鋭い痛みだ。
「よくやったなリュウヤ。ほら、水だ」
「あ、ありがと」
「しかし部屋に入った時は、何をしているのかと思ったぞ」
零すくらいの勢いで水を流し込み、口を拭う。
「俺もビックリする自信はあるよ。入ったら腹筋してるやつが居たら」
「それにしても、なかなか変わった奴のようだな、炎の魔王とやらは」
「やっぱり珍しいの?」
「魔法を使わず魔纏もせずの殴り合いなど、聞くことがない。そんなことする必要がないからな」
「普通はそうだよね。ヤンキーの美学みたいなものかな」
「さっきも聞いたが、その、やんきー、とはなんだ?」
「不良……って言えばいいのか、なんていえばいいのか……自分なりの信念を貫こうとする人達、かなぁ」
「ふーむ……悪いがよく分からん」
「俺もよくわからない」
「まあいい。それよりもう一度やるのか?」
「勿論。お願い出来る?」
「勿論だとも」
こうしてバストルの補助の元、再び腹筋を始める。思えば魔王の魔力を鍛えてばかりで、体そのものはあまり鍛えていなかったように感じる。魔力ありきの戦闘しかしてこなかった弊害というべきか、それとも炎の魔王が特別なんだと考えるべきか。なんにせよ、今できるのは体をしっかりと鍛えることくらいだ。
「イリサキ、入るわよ。これからの事だけ……ど」
俺が元気よく汗水を流しているその時、扉が開いた。そこにいたのはリルフィリア。俺達を見るなり、みるみる表情が怪訝な色に染まっていく。
「リュウヤ。私が入った時もあんな顔だったか?」
「ご名答だね、まさしくあんな感じだったよ」
特訓を中断し、事の経緯をリルに説明した。タイマンの辺りで何やってんだと言わんばかりの視線を向けられたが、一応は納得してもらえたようだ。
「まだやるの?」
「そのつもりだよ」
「そう、なら私が支えてあげる」
「えっ」
ほらさっさとなさいと、半ば強引に座らされた。折り曲げた足に圧し掛かるかのように、リルフィリアが抑え込む。部屋着なのか、少々緩く開いた胸元が眼前に現れた。
「ちょ、ちょっと、リル?」
「何、早くしなさい」
自分の恰好に気付いてないのだろうか、それを指摘するのは何だかちょっと気が引ける。仕方ない、眼を瞑ってやるしか……
「なんで眼を閉じるの? 開けないと危ないわよ、私に頭突きでもするつもり?」
「いや、そういう訳じゃ……」
なんて言いながら少しだけ眼を開ける。すると彼女は、明らかにニヤニヤとした表情を向けている。この娘、分かってやってる!
「バ、バストル……」
救いを求めるように視線をバストルに移す。すると彼は任せろと言わんばかりに親指を立て、俺の横のコップを取った。
「水のおかわりだろ? 分かってるさ」
「分かってない!」
俺の叫びなど気にも留めず、バストルはひらひらと手を振り部屋を出る。ごゆっくり、言わずとも彼の背中はそう言っていた。
「さ、特訓しないの?」
変わらずからかうような笑みを浮かべ、再開を提案するリルフィリア。思春期の男子には刺激の強い光景……
「! ちょっとまって」
真面目な声色になったのを察したのか、素直にリルフィリアは離れてくれる。手首に巻いたブレスレットが反応があった、アドスが話をしたいという合図だ。
「アドス、どうしたの」
「リュウヤ、アシタ、コレルカ」
「明日? 大丈夫だけど」
「ナラ、キテクレ、イツデモイイ」
「わかったけど、何があったの?」
「ダイチガ、アイタイ、イッテル」
「ダイチ、大地の魔王が?」
「ソウダ。マッテル」
その言葉が通話の終了合図となった。しかし向こうから会いたいと言ってくるなんて、意外というほか無い。一体何の用事があるのだろうか。
「今のは、アドス君?」
「そう。大地の魔王が会いたがってるから明日来てくれって」
「なら、私も行くわ」
「いいの?」
「なんにせよ炎の魔力が手に入るまで、姉さんを助ける事は出来ないもの。それまでは貴方と一緒に行動したほうがいいでしょう?」
「ありがとう、助かるよ。何があるかわからないからね」
「そうと決まれば、今日は体を休める事に集中しなさい」
「わかった。準備したらもう休むよ」
朝食を食べたら出発しましょう。そう言ってリルフィリアは部屋を後にする。俺も汗を拭き、準備をするべく部屋を出た。
バストルが一階へと降りた時、宿の主のアンは机を掃除しているところだった。しかしその表情はなぜか訝しげ。もっと言えば機嫌が悪そうにも見える。
「水のおかわりを貰いに来たのだが……何かあったか?」
「リルフィリアとか言ったあの娘、今リュウヤに色目を使ってるわね」
「分かるのか」
「母親はそういうのに敏感なのよ」
「そういうものか」
相手と対象的に、温和な笑みを浮かべながらバストルは台所に向かう。
「しかし案外いい方向に行ってるんじゃないか?」
「そう思うの?」
「始めはどうなることかと思ったが、あの娘もリュウヤに少しずつ心を開いているようにも見える。きっと新たな支えになってくれるだろう」
「……リュウヤの恋心を利用してるだけじゃないの? そういう女はいくらでもいるわ」
「当初はそうだったかもしれないがな。次第にリュウヤに惹かれていったように見えるぞ」
「なら、そうなら良いけど」
「母親の立場からすれば不安かもしれないが、見守ることも大事だろう」
「……そういうなら、そうしましょう」




