報告、腕試し
次の日。迎えに来た黒騎士と共に、俺はバロフの下に向かう。まだ腕に火傷が残る俺を、魔王は暖かく迎えてくれた。
「ご苦労だったリュウヤ。初の魔引きはどうだった?」
「なんというか……驚きの連続です。何もかもが想像外の戦いでした」
「まあ、そうだろうな。終わった後だから言うが、最初に4人の魔王を挙げただろ?」
「火、水、風、土ですよね」
「火の魔王はな、その中でも別格だった。これは自慢だが、俺の黒騎士は強い。その黒騎士と打ち合える奴は正しく規格外と言って良い。お前の選択はあらゆる面で正解だった訳だな」
「そうだったんですか……」
良かった、火を選んで本当に良かった。確かにあんなのと自力で戦うのは正直無理だ。黒騎士がいなければ最初の蹴りで死んでいただろう。
「黒騎士もご苦労だった。後は指示通り頼むぞ」
「承知しました」
一言答えた黒騎士は、またも蜃気楼のように消え去った。
「あの、黒騎士さんはどこへ?」
「鎮圧だ。この周囲は比較的穏やかだが、離れた地は魔王同士の争いが激しくてな。民草が巻き込まれ続けている。それを少しでも軽減するために魔王達を討伐してもらっている訳だ。また復活するから鼬ごっこなのは否めんがな」
武力での戦争鎮圧。個人でなんとも大きな仕事をしているんだなと、まるで他人事のように感心する。だが確かに黒騎士ならそれも出来そうだ。
「そういえば、黒騎士さんは人間なんですか?」
「素性を隠したいが故の甲冑だ。あまり詮索してやらないでくれ」
バロフの返答は、暗に黒騎士が人ではないことを認めているようにも聞こえた。そうでも考えないとあの光景に頭の整理が追い付かない。
「さて、今お前は火の魔力を宿している訳だが、使ってみたか?」
「まだです。というか、どうなるか怖くて使えませんでした」
「それでいい。誤って町が大火事になっても困るからな」
そう言いつつ、バロフはゆっくりとこちらに歩み寄る。
「では、ここで俺に向けてやってみろ」
「えぇ!?」
予想外の指示に困惑する。そんな事出来るわけがない。
「心配するな。お前の力では俺には及ばん」
そうは言われても、人に火を噴きつけるなんて俺には出来ない。
「黒騎士にも言われたとは思うが、魔法はイメージだ。火を出すイメージを強く描け」
違うんですよバロフさん。出来ないのは技術的なものではなく、精神的な原因なんですよ。
「ああ……人に危害を加えるのに慣れてないのか。なら」
途端に、俺に向けられたバロフの視線に殺意が籠る。全身に緊張が駆け抜ける。あたかも、ここで出来ないのなら切り捨てると言わんばかりだ。無我夢中で腕を構えて眼を瞑り、俺は火炎放射器をイメージした。
「おっ、良いぞ。その調子だ」
バロフの言葉につられて眼を開ける。すると俺の手の平から、火が勢いよくバロフへと放たれていた。規模で言えばホースから出る水程度しかないが、それでも自分にとっては脅威的な火力に違いない。
「おわっ!?」
熱いと錯覚した俺は慌てて手を振るう。幸いにも火はピタリと止んだ。過呼吸のようなリズムで俺の肺が動いている。
「大丈夫だ、落ち着け」
宥めるような優しいバロフの言葉に導かれるように深呼吸する。それでもなかなか息が整わない。そこでやっと俺は、疲れたから息が上がっているのだと理解した。
「疲れただろ。体が慣れない内はそんなものだ」
未だ息を整える俺に気遣って、魔王はゆっくりと話してくれた。でも今確かに直撃してたような……なんでこんなに平気なんだろうか。
「言っただろ、俺には及ばんと。むしろお前のようなへなちょこが俺に傷を付けれると思ったのか?」
「そりゃ思ってはいませんけど……」
「いいかリュウヤ、基本的に相手はお前の格上だ。躊躇う必要など欠片も無い。むしろ躊躇う資格はお前には無い」
そう言ってバロフは俺の腕を掴む、それとほぼ同時に俺の息が整った。体力も回復しているのがよく分かる。
「わかったら魔力に体を慣らす特訓だ。それと、遠慮なく人を攻撃できるよう慣れる特訓もだ。敵を倒す勇気を鍛えろ」
さあ来い! とバロフは再び俺の前に立つ。今度は殺気を放ってはいなかった。ええい、なるようになれ! 心でそう叫びながら再び構える。またもや俺の手から火が放たれたが、今度は広くてゆっくりな、疎らに拡散した放射になった。
「イメージを深く練っていないな? 雑にやると魔法もそうなる。さっきと同じように想像してみろ」
一旦手を止め、言われた通り最初と同じようにやってみる。今度は勢いのある火炎が噴き出していく。自分の想像一つでここまで変わるのかと好奇心を擽られた。
「良いぞ。基本は一点に勢いよく放つほうが威力は高い。未熟な魔力でもそれなりには戦えるだろう」
疲れて手を止めた俺の腕をまたバロフが掴み、また同じように体力が蘇る。まるであのポーションを飲んだ時と同じだ。
「さあ続きだ。魔力が体に馴染むまで続けるぞ」
またイメージを膨らませ俺は火炎放射を放つ。良いぞ、上出来だ! とバロフが声援を投げてくれる。火に包まれながらエールを送るその様は、正直申し訳ないがシュールに映った。
一体どれだけ火を放っただろうか。疲労と回復を短いサイクルでこなす修行に、精神がだんだんと摩耗しているのが分かる。放つ火に纏まりがなくなりつつあるのが良い証拠だ。攻撃が拡散する度にバロフが喝を飛ばしてはくるが、それがまた精神的なダメージになっていた。
「よし、そろそろいいだろう」
待望のセリフを彼が口にする。終わったと言うのに体力を回復させてくれなかったので、俺はへなへなと情けなく座り込んだ。
「気付いていたか? 回復に要する時間が伸びていた事に」
それは成長している、という事だろうか? 正直一心不乱と言うか、後半はまさしく虚無の心でやっていたので自覚は無かったが、成果が伴っていた事実は大きな心の救いとなった。
「正直こんなに成長が速いのはなかなかいないぞ。やはりお前には素質がある」
才能アリ。魔王にそうお墨付きを貰うのはとても喜ばしい。あんなに疲れた後なのに、次の修行があるなら早くやりたいと気持ちが逸る。育て上手な彼は正しく上に立つ人間としての資格があるように思えた。
「早速だが次に移るぞ」
言うが早いか、気付けば俺は外に座っていた。上には青空、下には瑞々しい草が広がっている。横を見れば巨大な城。多少の禍々しさを放っているそれは、さっきまでいた城だとすぐ理解出来る。
「取り合えず……この程度か?」
なにやらバロフが呟くと、人を覆うくらいの黒い円が離れた場所に現れた。夜空をくり抜いて張り付けたような、強烈な違和感を放つ異物。眼前にした俺を言いようのない不安が揺さぶった。
「今から実践訓練だ。さっきみたいに落ち着いた状態で出来ても、戦いの最中で出来なければ意味は無い」
「え? 実践?」
「心配するな、お前なら倒せる」
あれ? いい上司と思ったんだが、若干スパルタの傾向があるのかな?
「敵はあの穴から来る。一体一だ、気を引き締めろ」
バロフが指をパチンと鳴らす。するとそれを合図に、俺の相手が姿を見せた。
穴を窮屈そうに抜け出したそれは、肌が黒く、骨が見える程に痩せた体をしていた。人間のように手足に細長い指がそれぞれ五本あるが、四つん這いの姿勢は獣そのもの。背中に生えた二枚の羽は、向こうが透けるくらいに骨ばっている。俺を捉える赤き双眸、その下ではお前を噛み殺すと言わんばかりの鋭利な牙が覗いていた。
「ガーゴイルだ。強いのは強いが、魔王に比べればどうってことはない」
いや、そりゃ貴方からしたらどうって事ないでしょうけど、俺は一般人です、どうって事あるんです。
「あの……やりますけど、体力だけでもさっきみたいに回復してもらっても……」
「ダメだ。疲労した実践で出来てこそだ」
鬼だ、悪魔だ、正しく魔王だ。そんなふざけた事を思っていると、バロフが飛び退いた。戦闘圏内から離脱し、俺は関与しないと魔物に意思表示するためだろう。始めはバロフを警戒し寄ってこなかったガーゴイルだが、彼が離れた瞬間眼に力が籠った。姿勢を這うように低く構えたその構えは、戦闘態勢に入った合図ということか。
「ちょっ、バロフさん!?」
慌てふためき後ろにいるであろうバロフを見る。彼は腕を組み不動の姿勢を崩さない。視線だけは俺に向いたままだ。あの視線は記憶に新しい。さっきの基礎練習で感じた、出来なければ切り捨てると刻み付けるかのような、非情の視線だ。
「くそっ、やるしか、おわっ!?」
視線を元に戻した時には、ガーゴイルは犬のように迫り来ていた。俺を射程圏内に捉え、その牙を武器に飛びかかってくる。咄嗟に剣を抜き、牙を盾で防いだはいいが、そのまま組み倒されてしまった。
「このっ! やめっろっ!」
敵は執拗に俺の首を狙ってくる。幸いにも警戒すべきは牙のみなので何とかなっているが、近すぎて碌に剣を振れないのが痛い。柄で必死に殴打するも、退くどころか勢いが増すばかりだ。
「っ退け!」
両足を縮め、ジャンプするようにガーゴイルを蹴り飛ばす。耐えようとする素振りはあったが、相手はそのまま後方に飛んでいく。思ったよりも軽い、そんな手応えを感じた。ガーゴイルは受け身も取れず地面に落ちるが、バタバタとした動きで再び四つん這いになる。そしてそのまま、また飛びかかって来た。
「くらえっ!」
手に持つ剣を飛び込んでくる顔目掛けて振り下ろす。脳天を叩き割るくらいの気持ちでやったのだが、結果は表面を少し切るだけに留まった。
「硬っ!?」
顔面で受けたガーゴイルは少し押されるようにしてその場で耐えている。相手の方が大きさは勝っているが、軽いせいなのか力ではこちらに分がある。そのまま押し込んでやろうと思ったが、それを察知したのか上手く飛び退かれてしまった。
仕切り直し、とでも言わんばかりに両者は睨みあう。俺は元より、ガーゴイルも一筋縄ではいかない相手だと思ってくれたのだろう、警戒した様子でこちらを見続けている。俺は相手をどう攻略しようか思案し、汗を拭った。……いやに汗がべたついている、汗というより涎のような粘り気だ。まさかと思い、再びガーゴイルを観察した。
骨ばった外見に、薄い羽根。犬のように下を出し涎を垂らしている、息は乱れっぱなしだ。そして四つん這いのままこちらを見据える。極力動こうとはしない、じっと力を溜めているのかと思ったが、体力の消耗を避けているようにも見える。なるほど分かった、こいつは飢えている。細い体躯は生来のものではなく、飢餓による変化の結果だった。
「飢えた獣……俺には最悪のコンディションじゃないか」
より凶暴性が増す飢えた奴を持ってくるとは、バロフはやっぱりスパルタの傾向がある。恨みを込めてバロフを見ようと思ったが、戦いの最中によそ見するべきではない。するべきはいかにしてガーゴイルを打ち倒すか、その方法の模索である。
剣がうまく通らない、物理攻撃が効かないのであれば魔法で攻めるしかない。問題は自分の魔法が通用するかだが……さっきバロフにやったのを見るに、あまり自信は持てない。だが試すしかないのが現状だ。相手の出方を伺いつつ、集中力を高めていく。そしてイメージを保ちつつ、俺は勢いよく火を放った。
「ギギャッ!」
俺の出した魔法に驚いたのか、ガーゴイルは急いで横に飛び退く。すかさず追跡し、火炎放射をお見舞いしてやる。苦しそうな声を上げ、両腕で必死に攻撃を防ぐガーゴイル。このままいけるか? なんて甘い考えを見通したかのように、敵は決死のダイブを仕掛けてきた。だが、勢いも乗っていない苦し紛れの攻撃を捌くのは簡単だった。横に逃げつつ払いのけるように剣を振る。火傷の上から切り付けた斬撃は敵に深い傷を負わせる事となった。
致命傷とまではいかないが、深手に変わりない損傷にガーゴイルはのたうつ。混乱しているであろう相手に対し、俺は自分でも意外な程、冷静に敵を観察していた。最初に全力で切り付けた時は表面を傷付ける程度だったが、軽く払った今の攻撃は思いの他ダメージを与えている。一体何故なのか?
「……焼いたからか?」
一度魔法を当てたのが良かったのだろうか。反撃に気を付けつつ剣を振ってみる。今度は右腕で弾かれてしまった。傷も浅くしか付けれていない、力を込めて振ったのにだ。今当てたのは火傷を負っていない部分。どうやら予想通り、火でダメージを与える事で皮膚を切れるようになるらしい。詳しい原理はよく分からないが、突破口を見いだせたのは幸いだ。希望が見え、剣を持つ力も自然と強くなる。
しかし一度焼いてから斬りつけるという、一呼吸置いたような方法に不安が拭えない。さっきのようにまた火炎放射の最中に反撃が来るかもしれない。手負いと空腹で、敵は文字通りの死に物狂いだ。焼いてダメージを与えて斬り倒す、ではなく。焼きながら斬り倒す。こうしないと反撃なしには倒せない。魔法はイメージが大事、バロフの言葉を反芻しながらイメージを固めていく。
右手から剣へと、火が伝わっていくような感覚を想像する。熱を帯び、焼き切る為の攻撃性を溜めていく。そして気付いたころには、俺の剣は燃え盛る火を身に着けていた。
「おぉ、やるな」
後ろから賞賛の声が聴こえたが、喜ぶのはあと回し。この剣を前に、心なしか怯えた表情の相手を倒すのが先決だ。近くにあるのに不思議と熱を感じない、この火の剣を振り被る。ガーゴイルは一瞬怯んだ様子を見せたがすぐ眼に闘争心を蘇らせ、両腕を交差して顔前に構える。受けて立つと言わんばかりの体制に、渾身の力を込めて振り下ろした。
「ギッ!? ガッ、ガアァ」
垂直に振った火の斬撃は、相手の無傷の両腕を切り落とし、顔面を両断し、胴体を真っ二つにして見せた。離れ離れになったガーゴイルの遺体は、血を噴く事もなく塵のように消えていった。
「やはり見込みがある。武器に魔力を纏わせる技をもう習得するとはな」
いつの間にか横にいたバロフが、拍手を俺に送っている。
「本当にイメージで何とでも出来るんですね、驚きです」
「お前の成長速度に俺は驚きだがな」
「ありがとうございます。でもわざわざ飢えた奴を用意するなんて酷いですよ」
「ああ、確かに凶暴性は増すがな、戦闘力は大幅に落ちている。本来は空を飛び回り安全圏から火を吐き散らしてくる。相手が弱るのを待ち、積極的に攻めて来るような事はしない狡猾な奴らだ。そんなのはまだ厳しいだろ」
さっきの奴が空から遠距離攻撃をしてくる……どう想像しても今の俺に勝てるビジョンが浮かばない。逃げ惑うか剣をイチかバチかでぶん投げるのが関の山だろう。
「そうだったんですか……そうとは知らず」
「いい。あいつらは固い皮膚が特徴でな、物理攻撃は通り辛いが魔法はてき面だ。知っての通り魔法による傷跡は硬さも落ちる」
「魔法の訓練に最適だったんですね。あ、そういえば魔物ってあんな感じで消えるんですか?」
俺はガーゴイルが消えていった場所を指さした。まだほんの少しだけ、奴の残骸であろう塵が残っている。本来なら真っ二つの死体が転がっている場所だ。あまり想像したくはないが。
「アレは俺が魔力で作った疑似的な魔物だからな。本来は普通に死体が残るぞ」
彼はさらっと言ってのけたが、それがどれだけの偉業なのか素人の俺ですら想像できてしまう。魔物を事も無げに作り出すその有り様に、改めて目の前の人物は別格なのだと認識させられた。
「それだけ出来れば上出来だ。明日からは一人で済まないが、魔引きをよろしく頼むぞ」
その一言でハッと我に返る。そうか、明日から一人なのか。途端に昨日の光景が蘇る。黒騎士と火の魔王の、想像を超える戦い。今の俺があの場にいたとしても何一つ出来はしないだろう。
「心配するな。言っただろ、火の魔王が別格だっただけだと。今のお前なら大丈夫だ」
励ましの言葉と共に、バロフが俺の腕を掴む。すると途端に体力が蘇った。あの魔法の基礎練習の時と同じだ。
「今日は十分に英気を養え。無事魔引きが出来たら報告を頼むぞ」
バロフが俺の背中をポンと叩く。瞬きする程の一瞬のうちに、俺は宿屋の前に立っていた。日はまだ落ちてはいないが、夜はすぐそこだ。宿屋の玄関に手をかける、いつの間にか火傷は治っていた。