託された力
大ぶりな拳の振り、見え見えの動きで繰り出される蹴り。どれを取ってもリマトさんらしからぬ動きしかない。幼子が駄々をこねるかのような戦い方が、見ているだけで痛々しい。
「正気に戻ってくださいリマトさん!」
「うるせぇえええ! お前らさえ! お前らさえ来なかったら! こんなことにはならなかった! みんなで仲良く暮らせてた!」
「……落ち着いてリマト。このままだと貴方を手にかけないといけなくなる」
「手をかけるぅ? みんなのようにか! やってみやがれ! オレは殺されねぇからなぁ!」
会話は出来る、けど、届かない。今はきっとどんな言葉を言ってもねじ曲がって受け取られてしまう。でもこうしている間にも、リマトさんを覆う黒いモヤは徐々に色濃くなっている。はやく、はやく何か手を打たないと。
「あああああああああ!」
キレの無い単調な攻撃。避ける事は容易い、それが悲しい。
「お願いですから話を聞いてくださいリマトさん!」
そう何度も話しかけても、血走った目のままに攻撃を続けるリマトさん。避け続けてはいるものの、解決の糸口が見つからない。見れば、リルフィリアも攻撃を躊躇っているのがわかる。殺すしか無いとは言っていたが、そうはしたくないのは彼女も同じだ。
「うぁああああああぁああ!」
もはや悲鳴にも似た声を上げながら突進するリマトさん。その進行方向には俺と、壊れた住居。
「待っ、くっ!」
見えていないのか、どうでも良くなってしまっているのか。リマトさんはそのまま住居に突っ込んでいった。見るも無残に止めを刺された残骸の中から、悲痛な表情の彼が飛び出して来た。今度はリルフィリアが狙いなのがわかる。
「リマトさん! そっちは駄目です!」
「がああああああ!」
とうとうマトモな会話すら出来なくなっている、しかし今はそれよりも、なんとしても彼を止めないといけない。
「ヴァダ・コピヨル」
リルフィリアはその場に留まり、リマトさんに生成した水の槍を数本差し向けた。その攻撃を何も意に介さず、彼はそのまま突撃を敢行する。
「……くっ」
彼女はギリギリまでその場に耐えてくれたが、目前のところで回避する。なぜ彼女がそこまで耐えてくれたのか、理由は彼女の後ろにあった。
「だめ、リマト!」
俺も止めるために全力で後を追ったが、間に合わなかった。攻撃をかわされた彼は、そのまま少し進んだところで何かを跳ね飛ばしてようやく反転した。彼が跳ね飛ばしたのは、マバラさんの遺体。首の曲がってしまった彼の体は、まるで放り投げられた玩具のように宙を舞った。そのことに全く気づいてない様子でリマトさんは俺を見る。もう一度突撃をしようとしていたようだが、先に俺の拳が彼の頬を打ち抜いた。
「がぁっ!?」
「お前ぇえええええ! なにしてんだバカ野郎がぁあああ!」
怯んだ彼にそのまま追撃で二度三度と拳を叩き込んでいく。火の魔纏に風で勢いを増した全力を数発だ。これだけ全力を込めた拳も本来の彼には通用しないんだと思うと、余計に腹立たしい。
「お前ッ、お前ぇ! 自分が何したかわかってんのかぁ! 家族を! 家族を足蹴にしたんだぞ!」
「ぎ、ぁがあああああ!」
黒い靄が、色濃くリマトさんから溢れている。目も血走っているというより赤に染まっているような印象がある。はやく、はやくなんとかしないと!
「眼を覚ませバカ野郎!」
「ぶぁあああ!?」
先の攻撃でよろけた彼の頬を再び打ち貫く。フラフラとした足取りになり、そのまま倒れるかと思ったが、力強く大地を踏み付け留まった。反撃を警戒し、一旦距離を取る。
「イリサキ! 大丈夫!?」
「大丈夫。……ひとまず、彼を気絶させる。他に方法が分からないけど、もしかしたら堕王の進行が止まるかも知れない」
「まだそんなことを……言ったはずよ、堕王になったら殺すしかないって!」
「でも、まだリルフィリアは彼を殺してない」
「それは、彼が実力者だから……」
「嘘だ。あんなに弱くなってしまった彼なら、もう殺せてるはずだ。リルフィリアだって殺したくないんでしょ? それに、俺は一回堕王から元に戻ってる、可能性は0じゃない!」
そう言って俺は彼に距離を詰める。もう一度、魔纏を施した拳を顔に叩きつける。倒れてくれ、気絶してくれ、元に戻ってくれ、そう願いながら、ひたすら拳を振る。
「眼を、覚まして、くれぇええ!」
殴る拳が痛む。堕王の影響なのか、彼の魔纏が徐々に固くなっている。間に合え、間に合え!
「……え?」
不意に拳を掴まれた。手の主はリマトさんだ。そのまま理解が及ばぬうちに宙に浮かされ、拳を数発叩き込まれた。大ぶりではなく、直線的な洗練された突きだった。
「ぐぁあっ!?」
「イリサキ!?」
リルフィリアの横まで大きく吹き飛ばされた。この痛み、技。初めて会った時の感覚を思い出す。長年の鍛錬が生み出す熟練の拳だ。
「ぐぅう、リマト、さん!?」
技が戻った。子供の喧嘩のような動きではなく、本来の彼の動きが戻った! という事は、彼自身も!
「リ、リマトさ……あ」
痛みを我慢しリマトさんに視線を戻した時には、彼の背後にはっきりと、黒いオーラのようなものが見えた。眼は完全に、血のような赤に染まりきっている。声を、何か声をかけなければ、しかし声が出ない。なにか、何か手は。そんな考えをする間もなく、彼はそのまま俺達にゆっくりと近寄ってくる。そしてすぐ目の前で止まり、拳を振り上げる。
「っ! リマト!」
「ど、どけ」
リルフィリアが咄嗟に槍を突き出したが、簡単に取られ、そのまま彼女ごと放り投げられてしまった。
「きゃぁああ!」
「リルフィリア!」
一瞬彼女に視線を向け、すぐにリマトさんに戻す。その一瞬の間に、彼の拳は手刀となって迫っていた。
「……死、死、死ねぇ!」
防御も、回避も間に合わない。心臓までその手刀が切り貫くビジョンが脳裏に鮮明に描かれる。
「……すまない、君に、託す」
「え?」
一瞬、あの穏やかな声が聞こえた。そう思った次の時には、彼の手刀は彼自身の心臓を刺し貫いていた。声を上げず、うめき声も漏らさず、そのまま仰向けに倒れ込むリマトさん。急いで起き上がり声をかけた時には、既に絶命していた。
「あ、あぁ、ぁあああ!」
涙すら出ず、情けのない声を上げながら遺体を揺らす。心臓からはジワジワと血が漏れ出ている。いくら揺すっても、声をかけても、彼が起き上がる事はない。それはわかっている、けど、そうするほか出来なかった。
その時、俺の中に一つの光が入り込んで来た。暖かくて、優しい、とても安心出来る優しい光。これがリマトさんの持っていた強化の魔力で有ることはすぐに分かった。分かったと同時に、止めどない涙が溢れ出す。
「リマトさん……リマトさん……!」
俺の中にある火とも風とも争わない、優しい魔力。こんな魔力を持つ彼がこんなことになるなんて、理不尽すぎる。こんな優しい人の、優しい家族が、こんなことになるなんて、悲しすぎる。なんで、なんでこんなことにならなくちゃいけないんだ。あまりにも、あんまりだ。
「……イリサキ」
いつの間にか側にいたリルフィリアが、涙を拭いてくれた。そうしてくれた彼女も、とても悲しい顔をしていた。
悲しみに打ちひしがれるしか出来ない、無力さを噛みしめるしか出来ない。己の無力さを痛い程に実感している俺は、背後に現れた別の人影に、直ぐに気づく事が出来なかった。




