惨劇
「では急ぐとしよう。行けるかイリサキ君」
「大丈夫です、いけます」
わかった。そう言ってリマトさんは魔力を強化してくれる。そうして帰りと変わらぬ速度で帰路を進み始めた。そうして進み続ける事数十分、先程の堕物となった熊が見えた。2つに分かたれたその体は未だに黒いままだ。ああなった魔物からは魔力が抜ける事はないのか? それを聞こうとリマトさんに視線を向けたが、そのリマトさんの表情が険しい物に変わっていた。
「イリサキ君。風の魔纏を頼めるか」
「良いですけど、何があったんですか?」
「嫌な予感がする」
「え?」
「堕物は普通の場合、死んだら魔力が抜けて元の状態に戻るの」
「……リルフィリア、それってもしかして」
「そうよ、あの状態のままってことは、人為的に作られた堕物ってこと」
「つまり、魔王が近くにいるってこと!?」
「そう。わかったら魔纏に集中しなさい」
事の重大さを理解した俺は、言われた通り魔纏に意識を向ける。それがリマトさんによって増幅され、速度を劇的に速めていく。途中で昨日戦った熊が見えた。背中の傷でそうだとわかったが、どうやら俺たちと同じ方向に進んでいるようだ。しかし今はそれに構っている暇はない。一刻も早く村に戻らないと。
「…………え」
行きよりもかなり早く村には戻った。時間で言えば4時間も経っていないはずだ。それなのに、村の様子は出発した時とはかけ離れていた。住居は壊され、崩され、見るも無残な状態になっている。それは離れた場所からでも視認できるほどにあからさまだ。そして、離れた場所でもわかる程に、血の匂いがする。考えたくはないが、嫌でも、嫌でも最悪の事態が脳裏に浮かぶ。思わず三人ともが、離れた場所で足を止めた。
「み……皆…………」
空気の漏れたようにそう呟き、リマトさんがフラフラとした足取りで村に入っていく。呆然としていた俺は、リルフィリアに引っ張られてようやく村に入った。
村に入った瞬間、むせ返るような血の匂いに混じって、吐き気を催す酸っぱい匂いを感じた。その組み合わせに思わず吐いてしまいそうだった。吐き気を我慢してなんとか歩き出す。リマトさんが奥に進んで行くのに着いていこうとした時、ふと住居の裏に、一つの人影を見つけた。
「…………サルド、さん?」
横たわった彼の腹が、サルドさんの腹が裂けている。無理やり引き裂いたような、無残な裂け方。仕舞ってあったはずの臓物が無造作に散らばっている。
「ぅ……ぅあ、あ、ぁあ!?」
あまりの光景に、逃げるように走り始める俺の体。しかし何かに躓き盛大に転んでしまった。何に躓いたのかと振り向けば、マバラさんがそこにあった。一見正常に見えるその体だが、首が真反対を向いていた。口から垂れた血と、光のない瞳が命の光が消えた事実を突き付けてくる。
「そん、な、マバラ、さん……う、お、ぅえええええ」
とうとう決壊した俺の口から、胃液が飛び出した。胃が、内蔵が震えている。眼が回る。考えがまとまらない。嘘だと、嘘だと、夢だと、言ってほしい。誰かそうだと言ってほしい。
「イリサキ、しっかりしなさい。生存者を探すわ、出来る事をしましょう」
「……わかった」
背中を擦られ、深呼吸を促される。無理やりに気を落ち着かせ、立ち上がる。リルフィリアの言う通りだ。まだ残った希望を捨ててはいけない。
ひとまず建物の外を探したが、生存者はいなかった。途中、一匹だけの狼の死体が見つかったのが気に止まったが、とりあえず後回しにし、まだ形を保った住居の中に入る。
「誰か! 誰かいません、か……」
呼びかけながら住居に入ったが、中の光景に声が止まる。三人の子供が、白目を向き、泡を吹いた状態で横たわっている。トバルとニーシャ、そしてレタラの三人。年長者のレタラは二人に覆いかぶさった状態で息を引き取っている。きっと、二人を守ろうとしたのだろう。悲痛な光景に固まっていると、誰かが俺の横を通っていく。
「リル……フィリア」
彼女はその光景を目にし、そのまま子供たちに近寄ると、目を閉じさせ、口を拭いてやった。
「……涙を流してる、首も掻きむしった跡があるわ。よほど、苦しまされたのね」
「…………」
「イリサキ。詳しく調べましょう。なんとしてでも、仇を取るわ」
「うん……取ろう」
こんな惨状で随分冷静な判断をする、なんて一瞬でも考えた自分が馬鹿だった。彼女の手から滴る血がその根拠だ。自分を傷つける程に握られた拳。俺がそれを指摘するまで、彼女はそれに気づいていなかった。
子供たちを見つけた後、もう一つ、かろうじて形を保った住居を見つけた。外にいなかったリマトさんはきっとこの中だ。
「……リマトさん?」
予想どうりに彼はいた。しかしこちらに背を向けたまま、両膝を付いた状態のまま動かない。恐らく、最悪の事態が起きている、しかしこのまま放っておくわけにもいかない。改めて声をかけるために彼の正面に回ろうとした時、その最悪の事態を目撃した。彼は、一人の女性の遺体を、震える手で抱きかかえていた。その遺体には首から上がない。凄まじい力で引き裂かれたような断面だ。その、首があったであろう虚空を、リマトさんは見つめている。光を失った目で、ただただ見ている。
「……ナターシャ」
蚊の泣くような声で、リマトさんは呟く。彼には直感でわかったのだろう、首がなくとも、その遺体がナターシャさんであることが。遺体を見つめる、まるでさっきまでとは違うその弱々しい彼の姿、俺はなんて声をかけたら良いかがわからなかった。
「イリサキ。外を調べましょう。……リマトは、今は、声をかけないほうがいいわ」
そういう彼女に連れられ、俺達は外に出た。外を調べよう。なんて言ったが、二人とも足を動かす気にはならなかった。
「どうして……どうして!?」
「落ち着きましょう、イリサキ。落ち着きましょう」
彼女の言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「……なにかの魔王が、やったのかな」
「そう考えるのが自然ね、あの二人なら魔物程度は倒せるはず」
「魔王がやったとして、なんで?」
「わからないわ。こんな事をする理由なんて、考えたくもない」
「原因はわかる」
住居から声がした。驚き振り返ると、リマトさんがいる。
「リマト、さん」
「……原因って?」
「ああ。原因はお前らだ」
「……え?」
冷たい視線をこちらに向けられる。とても冷酷な、冷たい目。黒いモヤのようなものも見える。なんだかわからないが、良くないものであることは直感でわかった。
「今まで村はオレが守ってきた。そうしてれば安泰だったんだ。なのに、なのに、お前らがオレを連れ出しやがったから、皆は殺された」
「……リマト、落ち着いて。お願いだから」
「お前ら、これが目的だったんだろ? オレを連れ出して、皆を殺すのが、それが目的だったんだろ?」
「な、何を言うんですリマトさん、そんなわけないじゃないですか」
「とぼけるなぁ! お前らグルだったんだろ! オレの家族を殺したやつと、グルだったんだろ!」
「違います! 違いますリマトさん! お願いだから話を聞いてください!」
「黙れ人殺し共ぉ! 返せぇ! オレの家族を返せぇえ!」
その慟哭の勢いままに、大ぶりにリマトさんは殴りかかってくる。
「うわっ! っ! 待ってくださいリマトさん!」
「お前らのせいだぁああああ! 返せぇええええ!」
声を荒げながら腕をがむしゃらに振り回し、リマトさんは襲いかかってくる。血走った目と、全身を覆い始めた黒いモヤと共に襲いくる。あの技に精通した戦い方など、最早影もない。
「……武器を出しなさい、イリサキ」
「なっ!? そんな事必要ない!」
「黒い魔力が漏れているのが見えるでしょう。もう、リマトは堕ちてしまった。堕王になってしまったのよ」
「な、なら元に戻せば!」
「そんな術は無い。堕物と同じで、殺すしかないの」
「そんな訳が、うわっ!?」
「返せぇええええ! 返せぇええええ!」
躊躇う俺とは対象的に、リマトさんの攻撃は微塵の躊躇もなく俺たちに迫っていた。




