渡り鳥達の夜
「おー! リュウヤ! こっち座れよ!」
案内されたダルタに入るとすぐさまマバラさんに声を掛けられた。左手で手を振り、右手で空いた座布団を叩いている。その横にはサルドさん。全体を見れば真ん中に囲炉裏のようなものがあり、そこで鍋が暖められている。それを円形にみんなで囲んで座っていた。二人の対面にはソフィアと子供たちの姿が見える。ナターシャさんは器にスープを注いでみんなに配っている。どうやら他の人は他のダルタにいるらしい。
「ありがとうございます、失礼します」
「どうしたんです? なにも失礼はないですよ?」
「え? ああ。今のは俺の国で使う、座る時の挨拶のようなものです。人の家でお世話になる時とかに使うんですよ」
「そんなんがあんのか」
「異世界の文化ですか、興味深いですね。他の事も教えて頂けませんか?」
「いいですよ。そうですね例えば……」
「はい、おまちどうさま」
「ありがとうございます」
何から話そうかと思い悩んだ時、ナターシャさんが器に入ったスープと木のスプーンを渡してくれた。少し色味のあるスープに、野菜や肉であろう具材が沢山入っている。そうだ、この話をしてみよう。
「みなさんは食べる前の挨拶はありますか?」
「ないですね」
「言わねぇな」
「俺の国ではいただきます、と言うんです。命や恵、作ってくれた人への感謝を込めた言葉です」
「ほーん、そんなのがあるのか」
「いい心がけの習慣だな。私達も取り入れてみるか」
「賛成ですリマトさん」
「イリサキ君、その挨拶の作法はあるのか?」
「両手をこう合わせて、感謝を込めて言うんです」
自分の手で実演してみると、皆が注目しながら手を合わせている。ソフィアも子供たちと一緒にやってくれている。
「なるほど、ではみんなで合わせてやってみるか。イリサキ君、合図を頼む」
「じゃあ、みなさん一緒に、いただきます!」
「「「いただきます!」」」
この空間にいる人達みんなが、声を合わせてくれた。なんだかその光景が、雰囲気が、懐かしくて。元の世界の光景がフラッシュバックし、少し眼に涙が浮かぶ。
「おいどうした、泣いてんのか? どっか痛むか?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと故郷を思い出しちゃって……」
「いいんですよリュウヤ君。むしろ君はその年でよくやっている方です」
「ああ。君は立派なものだ。もし君にその気があるなら、いつでもこの村に来ると良い。家族として迎え入れよう」
「ありがとうございます……」
リマトさんの言葉に心が揺らぐ。元の世界に戻りたいという気持ちはある。でももう死んでしまったのだから、帰る事は出来ない。ならいっそ、このままこの村で暮らした方がいいんじゃないか。そうでなくとも、バロフの城下町で平和に暮らしてもいいんじゃないか。
「……お気持ちだけありがたく受け取ります。俺はやるべき事があるので」
「そうか、残念だが、仕方ない。君の行く末が幸せであることを、願っている」
揺らぐ気持ちを必死に抑える。自分が世界を平和に出来るというのなら、やらねばならない。
「……ま、取り合えず食え! 食って力付けとけ!」
「はい! いただきます!」
マバラさんの言葉を皮切りに料理を口に入れる。肉、野菜のうま味に、程よく効かせた塩味が手を進ませる。暖かさも相まって、全身に力が漲るのがよく分かった。
「美味しいですね、これなんの肉なんですか?」
「熊ですね」
「……え? 熊がでるんですか?」
「その様子だとそちらの世界にも熊はいるようですね。姿形は?」
「毛むくじゃらの大きな図体で、四足歩行。大抵は山に住んでいると思います」
「概ね相違ないですね。ただこの近辺では雪の影響で餌が取れてないのか、平地のこのあたりでも活動的になっている傾向があります。道中は用心した方が賢明です」
「わかりました、ありがとうございます」
「ま、俺とサルドで狩れるくらいだ、どうってことねぇよ」
「じゃあ、この肉も?」
「おおよ、俺の斧でズバッとな」
「彼はこう言ってますが油断は禁物ですよ。魔物の一種ですから、手強い事に変わりはないです」
「肝に銘じておきます」
熊がいるのか、しかも魔物扱いされている熊が出るのか。少し元の世界との親近感を覚えたが、それが油断に繋がってしまいそうだ。明日はなるべく戦わないよう、用心して進もう。
「ソフィアねーちゃん! このお野菜ニーシャが切ったんだよ! 食べて!」
「うまく切れてるじゃない。……うん、とても美味しいわ。将来は一流の料理人ね」
「ねーちゃん! このくまのちぬき、トバルがしたんだぜ!」
「完璧な仕上がりよ。大人でもこうはいかないわ」
「あの、ご迷惑ではないですか? 疲れてらっしゃるのに」
「気にする事ないわ。レタラも傍にいらっしゃい」
ふとソフィアを見ると、あの短時間で驚く程に距離を縮めている。幼子二人を両脇に、年長の子も傍にいる。和気あいあいとした様子を見るにとてもなついているようだ。子供の世話には慣れているんだろう。水の魔王の意外な一面を垣間見た。
「イリサキ君。今晩の寝床なんだが、二人で一つのダルタを使ってもらってもいいか」
「俺は大丈夫ですけど、ソフィアは……」
「私も大丈夫よ」
「だそうだ。その方が二人も気兼ねなく休めるだろう」
「お気遣いありがとうございます」
てっきり水の魔王が拒否するかと思ったが、案外すんなりと受け入れてくれた。むしろ周りの子供たちが一緒に寝ると駄々をこねている。たった一日であの好かれよう、それこそなにか魔法でも使ったんじゃないかと思ってしまう。
その後夕食を食べ終わり、談笑しながら夜を更かした。子供たちが欠伸と共に眼に涙を貯め始めた頃、リマトさんが俺に口を開く。
「イリサキ君、明日は早くに出るのか」
「そうですね。何があるか分からないので、余裕を持っておきたいですから」
「わかった。ところで、用事を済ませたらその後はどうする予定なんだ?」
「引き返してバロフの元に戻る予定です」
「なら帰りもここに寄るといい。少なくともあと二日か三日はここにいる」
「ありがとうございます、助かります」
「では、そろそろ寝床を案内しよう。明日に障るといけないからな」
「お願いします」
リマトさんが立ち上がり、俺とソフィアも続いて立つ。子供たちが寝ぼけまなこでソフィアに手を振ると、彼女も柔らかな笑みで振り返していた。
「用意した寝具で足りなければ、声を掛けてくれ」
案内された先のダルタには、寝袋が二つ用意されていた。革で出来たそれはゴツゴツとした印象があるが、触ってみると思いの他柔らかい。この分なら暖かさも申し分ないだろう。
「ありがとうございます。十分すぎる程です」
「それはなによりだ。明日、日が登ったら声を掛けよう」
「お願いします」
ではまた明日。そういってリマトさんはダルタを出た。入口が閉められ、薄暗い部屋に二人となる。
「分かってるとは思うけど、変な気は起こさないこと。指一本でも触れたら削ぐわよ」
「何を!?」
脅迫じみたセリフの後、水の魔王はさっさと寝袋に入って行った。俺も続いて入っていく。柔らかさと密封性が相まって思った以上に暖かい。洞窟で寝た時とは雲泥の差だ。
寝袋でまどろみに落ちる前に、先の会話を思い出す。この村の人達はいただきますを知らなかった。でもバロフの城下町の人達は知っている。ここの人達が遠くから来たと考えると、俺と同じ異世界人は城下町周辺にいるのか、それとも城下町の中にいるのか……考えては見たが、判断材料が少ない。このまま考えていても結論は出ないか。
「ねぇ」
「ん? なに?」
そろそろ寝るか、そう思っていた頃合いで水の魔王から声が掛かる。少し神妙な声色だった。
「今日のことだけど」
「えっと、どれ?」
「リマト達との戦いよ。お前が横やりを入れたあれ」
「ああ、ごめん」
「違う。お礼を言いたいの」
「へ?」
「正直、リマトと戦ってたら負けていたわ。私が彼らを殺した後なら、多分そのまま殺されてた」
水の魔王がここまで言うなんて、強いとは思っていたがそんなにとは。
「戦わなくてすんで命拾いした。そう事を運んだのはお前。礼を言うわ」
「いや、お礼なんて、そんな……」
「村の中でも、お前のお陰でこうしてもてなしを受けてる。私だけならこうはいかなかった」
「それはわからないよ。みんないい人だし」
「リマトは常に私の動向を警戒していたわ。お前には警戒を解いていたようだけど」
「え? そうなの?」
「ええ、そうよ」
全然気づかなかった。そんな攻防が水面下であったなんて。
「なにはともあれお前がいて助かったわ。お前のお人よしも存外活かせるのね」
「結果オーライなとこはあるけれどね」
「結果が全てよ。さ、もう寝ましょう。明日は一層頑張ってもらうわよ」
「わかった。おやすみ」
「……リルフィリア」
「え?」
なんの単語? 思わず聞き返す。まさかという期待が鼓動を速めた。
「私の名前。他に誰もいない時だけ、呼んでもいいわ」
「……! ありがとう!」
「いつまでも名前を知らないと不便だから教えるの。妙な期待はしない事よ」
「うん! わかった!」
「……おやすみ、イリサキ」
「おやすみ、リルフィリア!」




