雪原の戦い
雪。元の世界でもそこまで見る事のなかった雪が、こんこんと降っている。森を抜けてから暫く歩いたくらいでちらほらと見えていたそれは、今や地面を覆う程に降り積もっていた。氷の魔力による気候変動、改めて魔王の魔力の影響力を思い知る。森を抜けてすぐに防寒着を纏ったが、これが無ければ進むどころではなかっただろう。
「随分寒くなって来たね」
「これでも序の口よ。寒冷対策ポーションはまだ温存しておきなさい」
つまりはまだ寒さが厳しくなるという事。ここからまだ寒くなるなんて、正直嫌になりそうだ。
景色が白一色に変わり果てて暫く後、とうとうすねの辺りまで雪が降り積もってきた。歩くたびに足を取られ、体力の消耗が激しくなる。ただでさえ寒さで体力を奪われるというのに、この調子だと凍え死んでしまいかねない。
「先を歩いて。火の魔纏をしながらよ」
「わかった、任せて」
暫く前を歩いていた彼女がそう言った。なるほど、火の魔力で溶かしながら進んでいくという事か。このままだと大変なことになり兼ねないし、俺は快く承諾した。
魔纏を行い、そのまま進んでいく。思った通りに触れる前に雪は溶け、感じる寒さも大分和らいできた。雪が解ける事で格段に足取りが軽くなる。これならペースを落とす事無く行けそうだ。
「張り切るなとは言わないけれど、ペース配分は考えなさい。魔力切れで動けないなんて言おうものなら、身ぐるみ剥いで棄てて行くわ」
「……はい」
どうやら自分が思った以上に魔力を出していたらしい。冷たい言い方ではあるが、俺を案じての発言なのはよく分かる。彼女の親切を無駄にしないためにも、魔力を調整しながら進んでいこう。
……まあ贅沢を言うなら、もう少し手心というか、優しい言い方をしてくれてもって感じはする。お願いしたら聞いてくれるかな? 多分凄い冷たい眼で呆れた顔をされそうだな、やめとこう。
「そういえば方向は合ってる?」
「雪が強くなる方向よ。それに私なら姉の居場所を大まかに把握できる、間違ってたら教えるわ」
「了か、い!?」
いきなり首根っこを掴まれて放り投げられた。突然の出来事に対応できず、顔から雪にダイブする。
「ぶえっへ、なにがあったぁああ!?」
すぐさま起き上がり振り返れば、凄まじい程の突風が元いた場所を突き抜ける。雪を豪快に掻き上げ進む横で、俺は豪快に雪を被った。水の魔王はと言うと、いつの間にか持っていた槍で雪を払い退けていた。
「敵襲よ、構えなさい」
「てっ敵!?」
その単語に反応した俺は急いで飛び起きる。そして目を凝らし、遥か先に三つの人影を何とか捉える事が出来た。あんな遠くから今の攻撃が来たのか!? 索敵の範囲、攻撃の威力、何を取っても俺の上を行っているのがもう分かってしまう。せめて水の魔王の足手まといにならないようにしないと。
「サルド、マバラ、二人はあの少女を頼む。私は手早く少年を無力化し加勢する」
「了解です」
「遠くからでも分かるくらいの可愛い子ちゃん! おっしゃやる気出て来たぁ!」
「油断するなマバラ。あの洗練された魔力、魔王の中でも上位の実力と見て良い。あくまでも時間稼ぎに徹し、私が行くまで持ちこたえてくれ」
「わーってますって! っしゃ行くぜサルド!」
「もう少し落ち着きを持てないんですかマバラ。尻拭いをする身にもなってください」
二人はいつもの調子だが、今回はいつものようにはいかないだろう。今まで追い払ってきた奴らとは明らかに違う、修羅場を潜り抜けた過去が少女の構えから見て取れる。少年の方はまだ未熟さが見え隠れしているが、魔力の気配が異質で読めない。無力化ないし撃退を優先はするが、場合によっては命を奪わなければならない。
「いくぜおらぁ!」
「ふっ!」
マバラの斧による一閃とサルドの這う様な剣撃、少女は事も無げに一本の槍で凌いで見せた。二人が追い打ちをかけるもその表情は崩れない。やはり手練れ、急がねば。
お前たちは何者だ、なんて聞く間もなく、敵影は俺達に接近してきた。武器を持った二人は水の魔王に、素手の男は俺を標的にしているらしい。盾を構え、攻撃に備える。
「覚悟」
「えっ、ぐぁっ!?」
いつの間にやら死角に回り込まれ、掌底を脇腹に叩きこまれた。予想外の軌道に対応は出来ておらず、魔纏の意識が薄いところを的確に狙い打たれてしまった。
「っく、なっ!?」
少しばかり飛ばされ、着地した時にはもう次の攻撃が迫っていた。この雪が降り積もった中で恐ろしい身のこなし、熟練の技量を嫌でも感じてしまう。
再び迫る掌底に、今度はどうにか盾を合わせる事が出来た。が、優しく盾に触れたかと思うと、さっきよりも強烈な衝撃が腕全体に走る。苦痛の呻きと共に、思わずガードが外れてしまった。
「悪く思うな」
その呟きが耳に入ると同時のタイミングで、両腕による掌底連打が無防備な体に次々と打ち込まれていく。一撃一撃が確かな破壊力を持つそれらをまともにくらい、魔纏を凌駕するダメージが蓄積されていくのが分かる。
「ぐはっ……」
血を吐き散らし、大きく後退。体の骨が何本か折れている。単純な体術だけでこの力量差、俺の勝利は無いと言っても過言じゃない。だからこそ、時間を作らないといけない。戦うではなく、時間を作る。それが俺のするべきことだ。
「おいおいおいマジかよ!」
「油断するなと言われた筈です、気を引き締めて!」
サルドとマバラ、この二人は決して弱い訳ではない。武器を用いた二人のコンビネーションは、ある程度の魔物にも通用する規格外の一般人。加えて魔王の魔力を持たないながらも、とある理由で魔纏を習得している彼ら。総合的に見て相当の実力者であることは疑いようもない。しかしその二人の攻撃は水の魔王には一切当たらない。槍でいなし、躱し、寄せ付けない。舞う様な美しい動きで、二人の猛攻を彼女は翻弄する。
「くそっ! いやつえぇのは分かるが、なんだってそんな身軽に動けんだ! こんな雪の中だぞ!」
「口を開く暇があったら集中しなさい!」
現時点で彼らの攻撃は当たっていない。しかし彼らにも攻撃は当たっていない。何故なら水の魔王が攻勢に出ていないからに他ならない。決して攻めあぐねている訳ではない。相手の魔力がどんな性質か分からない以上、無闇に動くべきではない。多くの戦いを経験した彼女の思考は慎重かつ合理的である。幸か不幸か、彼女が見定めている内は、サルドとマバラの命は保証され続ける。しかし、その様子見の時間も終わりを迎えようとしていた。
「……もういいわね」
「えっ?」
その呟きは二人の耳に断片的に届いた。その全容を疑問に思った声が漏れる、と同時に二人の足元から水が勢いよく打ちあがった。
「ごあっ!?」
「ぐぁ!?」
雪を死角に足元に忍び寄っていた水は、液体とは思えぬ硬度を保って二人を突きあげる。柱が突き出たような現象に二人は耐え切れず空へと放り出された。
「ヴァダ・ヴィエ」
水の魔王がそう唱えた瞬間、降り注いでいた雪は水へと戻り、瞬時に刃へと姿を変える。標的は空中で身動き出来ない無防備な二人。鈍い光沢を見せるそれらは正しく刃と言うに相応しい圧を持っている。
「ま、待った」
聞こえない。そう言わんばかりに水の魔王は軽く腕を払う。それを合図に刃は一斉に獲物へと飛びかかった。
「ぎゃあああああ!」
「ぐぁあああああ!」
彼女の作る水の刃は鋭利ではない。錆びた刃物で切るような、鈍い切れ味しか持っていない。あくまで形だけの刃であるが、それ故に残酷極まりない。いっそ一思いに斬られた方が苦しみは幾分か少ないだろう。それは彼らの痛々しい悲鳴がこれでもかと訴えていた。
空中で継続して刃を浴び続ける二人。地面に落ちる事を許されない彼らは、どうにかして防ごうという気力すら奪われていく。その傍ら、水の魔王は槍の先端に魔力を込めた水を集中させていく。始めは薙刀程度の大きさだったそれは次第に大きくなり、遂には巨大なハンマーと呼べる程に成長する。それを豪快に三度振り回し、勢いを集中させていく。
「ダスヴィダーニャ」
別れの挨拶と共に二人に対してその塊を振りかぶる水の魔王。その大きさはサルドとマバラを絶命させるには、いささか過ぎた大きさをしていた。
「……っく!」
先程の連打、骨を何本か折った手応えを感じたが、まだ立てるとは。恐らく気力だけで立っているに近いだろうが、侮れん。彼を無力化するには命を奪う必要があるかも知れん。
……しかし何から何まで不思議な少年だ。先ず魔力の気配が不可思議だ。雪を溶かし進んでいたのを見るに火の系統の魔王と見て良いだろう。しかしどうも火だけに留まらない気配を感じる、油断は許されない。そして彼から一切反撃が来ないのも不思議だ。今来ないのは呼吸を整えるのに専念しているからと言えるが、その前から攻めの気配を感じられない。努めて守りに専念している印象を受ける。そしてなにより黒髪とは。長らく渡り鳥として生活しているが、完全な黒髪とは会った事がない。魔力の影響でそうなったのだろうか、それとも生まれつきなのか。……まあいい。今考えるべきではない事だ。
「ぎゃあああああ!」
「ぐぁあああああ!」
「なに!?」
「っ!! サルド! マバラ!」
二人の悲鳴が響く、もう凶刃がすぐそこまで迫っているのが見える。時間をかけ過ぎた! 急いで向かわなくては!
「エア、ブーストォォォ!」
「なっ!?」
二人に気を取られたその隙を少年は見逃さなかった。凄まじい速度の突進、まさか風系統の魔力も持っていたとは! 二つの魔力持ち。これが異質な雰囲気の正体か! 反撃は間に合わん、防御の姿勢を取らなければ!
「……っ!?」
私が遅れを取る程の速度を持って、少年は私の横を駆け抜けて行った。呆気に取られてしまい気付きが遅れたが、彼の行先にはサルド達と少女。何故? いや、私も向かわなくては!
「ストオオオオップ!」
「なっ!?」
「!? なんだ!?」
そのままの勢いを保ったまま、少年は少女に体当たりをかましてしまった。何故攻撃を? 仲間ではなかったのか? ……攻撃したというより、トドメを刺すのを止めたのか? それこそ何故?
「のっ、邪魔をするなっ馬鹿!」
「ご、ごめん! でもちょっと待って!」
少女から殴られた少年は謝罪をしながら、サルドとマバラの元に向かう。懐のポーチから何か出しているが……あれは回復のポーションか。
「大丈夫ですか! これを飲んで!」
「……か、回復ポーション、ですか」
「へへっ……ありがてぇ……」
一人に一つ、その手で飲ませている。それが喉を通るにつれ、二人の顔色が改善されているのが良く分かる。毒かとも思ったが、れっきとした回復ポーションのようだ。
「……どういうつもり?」
怒りの色を隠さず少女は少年に刃を向けている。彼の行動に納得いってないのは私も同じだ、私もきっとそうするだろう。
「何となく分かったんだけど、戦う必要ないと思うんだ、俺達」
「……どうして」
「さっきのオオカミ達と同じだよ。俺達が縄張りに入っただ、ぐへっ」
会話の途中で少年が血を吐いた。さっきの攻撃が内臓まで行っていたようだ。
「もういいから……先にポーションを飲んだら?」
「そ、そうだね」
そう言って少年は思い出したかのようにポーションを飲んだ。自分の治療を後回しにして、彼は二人を助けてくれたのか……。
「で? どういうつもりなの?」
「多分、この先に村か何かがあるんだと思う。そこに俺達が不用意に近づいたから、攻撃されたんじゃないかなって」
「……その通りだ少年。しかしそれがいつ分かった?」
「立ち回りが、いつも同じ方向を背にしてたのに気が付いたんです。その先に近寄られたくない物がある。それに、本気でやってたら、最初の一撃で俺殺せてましたよね? あくまで追い払う程度に留めたいから、手加減してくれてたのもなんとなくわかりました。」
「よく、見ていたんだな」
「あんな遠距離からあれだけのものを撃てる人が、俺に手こずるとは思えなくて」
「……どういう精神構造してるの。普通殺されると思って戦うものよ」
「いやぁ……まあそこは個性って事で……」
「お前のくだらない個性に私を巻き込まないで」
「はい……」
……なんだこの少年は。この二人とも魔王であるのは間違いないが、少年は魔王として異質過ぎる。しかしその異質の方向性が無害である事は、感謝しなくてはならないだろう。
「確認なんだが、二人は私達の村が目的ではないんだな?」
「そうです。この先に用事があって、その途中村があるとはつい知らず……」
「二人ともすまなかった。真意も確かめず攻撃してしまった事を、心から詫びさせてもらいたい」
「いえいえそんな……」
「詫びたいというなら、暖かい寝床を用意して」
「寝床か。しかし少年の方は無害なのはよく分かったが……」
「私は別に戦いに飢えてる訳じゃないの。手を出して来なければ私も出さないわ」
「わかった。村に案内しよう。サルド、マバラ。立てるか」
「なんとか」
「ばっちりよ!」
「大丈夫そうだな。では私に着いて来てくれ。村までそう遠くはない」
正直、私達の村に他の魔王を入れるのは初めてだ。しかしこの少年なら、きっと大丈夫だと言える。




