野生との対峙
俺達は洞窟で夜を過ごし、日の出と共に再び歩き始めた。出発から二日目、硬い地面での睡眠は疲れを完全に取ってはくれなかったが、それでも歩みに問題はない。この世界に来てから鍛えた成果がしっかりと出ているのを実感する。
「ここから暫く歩いて、夜になったら野宿。次の日には姉さんのところに着くわ」
「あと二日か、往復六日、予備で一週間って事か」
「ここからどんどん険しくなる、まだ甘い気持ちがあるならさっさと捨てなさい」
「そういえばさ、飛んで行っちゃダメかな」
「無駄な魔力の消費は命取りよ」
「じゃあ……」
「……何?」
「ごめん、なんでもない」
アドスを呼ぶのはどうか、そう言おうとしてやめた。何度も呼ぶのは気が引けるし、何より目立ってしまう。今まで会った四人の魔王より確実に強い魔王がいるかもしれないのに、そんな行動をとるのはかなりリスキーだ。自分でこの結論に至ったのだから、きっと彼女もそう言うに違いない。
「気になるわね、言いなさいよ」
「実は友達の土の魔王がいてね、何時でも来てくれるんだけど、今その力を借りるのは良くないかなって」
「……どんな奴なの?」
「俺が五人分でも足らないくらいの大きな土の巨人」
「目立つ」
「だよね」
短い返答だが、意図は十分に伝わった。やっぱり彼女も俺と同じ考えのようだ。
暫く進んでいると、森に差し掛かった。アドスの所とは違い、木々に弱々しい印象を受ける。心なしか肌寒い。氷の魔力に近づいている影響なのだろうか。
「寒くなってきたね」
「まだまだ遠い。防寒着をここで着るようじゃ持たないわ」
「分かった。大丈夫」
俺が答えた時、水の魔王はふと立ち止まる。
「何かあった?」
「剣を抜きなさい」
どうしたのかと前を見れば、二つの見知らぬ小さな影がある。薄暗さによく目を凝らすと、それが四足歩行の動物であるのが分かった。細身の体を毛で覆い、威嚇するような体勢でこちらを睨んでいる。唸り声を上げる口から、鋭利な牙がこちらを覗いているのが見えた。これは見覚えがある。犬よりもより戦いに特化した野生の動物。
「オオカミ!?」
「……呼び方はどうでもいいわ。知っているなら早く臨戦態勢に移りなさい。左の一匹はやれるでしょ?」
うろたえ気味の俺を他所に、彼女は既に槍を手に持っている。オオカミの方は威嚇するように唸りながら、俺達を睨んでいる。俺以外はもう戦闘態勢だ。戦うしかないのか? 殺してしまうしか、ないのか? 必死に考えを巡らせる俺の視界に、遠くの別の影が入る。その正体に気付いた俺は、急いで水の魔王を止めることにした。
「待った!」
「なに!? 今更怖気づいたの!?」
苛立ちを露にした表情を俺に向ける水の魔王。その瞬間をオオカミは見逃さなかった。大きく口を開いたかと思えば、そこに黒い煙のようなものが集まり始める。やがてそれは球体となり、勢い良く撃ち出された。それはほとんど一瞬の動作だった。水の魔王が攻撃に気が付いた時には、もう球体はすぐそこだった。
「あぶないっ!」
「なっ!?」
弾かれたように体が動く。水の魔王に飛びかかり、抱き着き、その勢いで攻撃を回避する。地面に二人して転がったが、自分が下敷きになるようになんとか体勢を整えた。黒い球が飛んだ後を見れば、木々を何本もなぎ倒しているのが見える。当たれば無傷は有り得なかった。
「ごめん、怪我はぶぁっ!?」
「邪魔をするなこの馬鹿!」
圧し掛かられている状態のままに顔面に拳が飛んでくる。しっかりと魔纏を施したそれを避けられよう筈もなく、キィーンとした痛みと鉄の味が口に広がる。いったい。多分鼻血が出てる。でも、それよりはまず事態の説明をしなくては。幸いにも俺達の仲違いを見て、オオカミ達は手を止めてくれている。
「ご、ごめん、でも待って。あれを見て」
「……もう一匹でしょ。私が気付いてないとでも?」
視線を俺から外す事無く彼女は答える。確かに俺が指さしたのはそう、もう一匹のオオカミだ。でも大事なのはそこじゃない。知って欲しいのはそれだけじゃない。
「あの一匹、多分妊娠してる」
その俺の言葉で漸く、魔王は指差した方を見てくれた。膨らんだ腹、それを気遣うように横になった体勢、そして荒い息遣い。よく観察すればそれがわかり、そこから妊娠したという事実も分かる。
「妊娠したお母さんと、その家族だ。彼らの縄張りに俺たちが入ってしまっただけだ。悪いのは俺達なんだよ」
ちょっと避けてくれる? そんな俺の言葉に、水の魔王は怪訝な顔をしながらも応えてくれた。俺はポーチから干し肉を6つ取り出し、包みの葉を剥いでいく。そして土で汚れないように葉を下敷きにして干し肉を置いた。
「ごめんね。いきなり縄張りに入ったりして。お詫びになるか分からないけど、これを置いとくね」
そのまま敵意が無い事が伝わるように念じながら、俺と水の魔王はゆっくりとその場を後にする。しばらくして後方から彼らの鳴き声がした。ワンと短いその鳴き声からは、不思議と敵意を感じなかった。
「勝手なことし……て……」
危機を抜けたと思いながら水の魔王に話しかける、その俺の首元には魔王の槍の切っ先があった。
「甘い気持ちがあるならさっさと捨てなさい、私は確かにそう言ったわ」
「そう、だね」
「結果的にどちらも傷付かずに済んだから、一番いい方法だった。なんて考えてる?」
「それは……」
「さっきのなんてあいつらが手を止めてくれなかったら、最悪二人とも死んでたわ」
彼女の言葉に、喉奥が詰まるような苦しさを覚える。
「お前の世界がどうかは知らないし興味もない。でもこの世界ではお前の甘い考えはそうそう通用しない。後の最高の結果を得るんじゃなくて、今の最適な選択を取る。この世界で生きると決めたなら、そうしなさい」
そう言って彼女は槍を引いてくれた。思えば確かに軽率な行動だった。
「次似たような事で足を引っ張ったら殺すわ。鼻血で済むとは思わないで」
俺に一瞥をくれる事もなく、水の魔王は歩き出す。そこから森を抜けるまで、幸いなことに魔物には出会わなかった。俺はあそこに妊娠した母親がいなくとも、きっと戦わない口実を探してた。そして二度目三度目と遭遇しても、同じように戦わないように、殺さないように言い訳を重ねるに違いない。そんな弱さもきっと、水の魔王は見抜いているんだろう。




