人の上
「おはようございますリュウヤ君、お邪魔してますよぉ」
朝。階段を降りると、そこにはシルベオラさんがいた。バストルももう起きていたらしい。机には朝食が並んでいる。
「歩くのも大変でしょうから、迎えに来たんですよ。ご飯を食べたら出ましょうか」
「ありがとうございます、シルベオラさん」
「お安い御用ですよ」
シルベオラさんの食べ方は、なんとも品のある食べ方だった。物を取り口に運ぶ所作。飲み物を口にする動作。一挙一動が洗礼された美しい動作だった。食事を共にしただけで、彼女の育ちの良さが伺える。……姉妹という事は、モナムさんもそうなんだろうか。正直考え難い。失礼だとは思うが、ワハハと笑いながら肉に齧り付くのが容易に浮かぶ。姉妹でこうも差がでるものだろうか。
食事を終え、それでは行きましょうかというシルベオラさんの言葉に続いて、視界が瞬時に切り替わった。目の前には重厚な雰囲気を漂わせる扉。施された装飾の一つ一つが禍々しい。これにはバロフの部屋で見覚えがある。この向こうにバロフがいると見て違いないだろう。少し見回したが、近くにはバストルの姿しかない。シルベオラさんは別の場所にいったようだ。
「初めて入ったが、なるほど。これは誰も逆らおうともしない筈だ」
バストルが俺の横でそんな事を言っている。注意して見ると僅かに震えているのが分かる。自分の立場では分からないが、やはりバロフは恐ろしい存在と言う事なのか。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。……入る前にリュウヤ、一つだけ話がある」
「話?」
「君が私を友として受け入れてくれたのは感謝するが、やはり表向きは配下という扱いを頼みたい」
「……改めて言うって事は、それが必要なんだね」
「そうだ。この世界は実力が物をいう世界。従う者と従える者という関係性は、力を示すのに効果が高い。真の関係性は君に委ねるが、表向きには必要な事だ」
「分かった。じゃあバロフにも、そう言っておくよ」
「頼んだ」
「じゃあ、行こうか」
そう言って俺は扉を開けた。思えば、こうやって扉から入るのは初めてだ。いつも部屋の中にポンと呼び出されてばかりだったから。なんだか新鮮だ、なんて呑気な事を考えつつ、俺は扉を開けた。
「ッ!」
瞬間、全身に電気が走ったような感覚を覚えた。正面の玉座にバロフが座している。その横には黒騎士、モナムさん、シルベオラさんも見える。しかしその誰もが険しい表情をしている。どこか温もりのあった優しい視線は消え失せ、威圧をもって押しつぶさんとする恐ろしい存在になっていた。一体なんで? その疑問を感じて直ぐに答えは浮かんだ。
彼らの視線は皆バストルに向いている。当のバストルは冷や汗を大量に流し、今にも死にそうな蒼白の顔色だ。自分が直接視線を向けられてなくても十分に恐怖を感じているのに、直に視線を注がれた彼の恐怖、想像を超える事は容易に分かってしまう。最早視線だけで恐怖に捕り殺されてしまうかも知れない。
圧倒的な威圧に押しつぶされていると、バロフはゆっくりとした動きで右腕を前に突き出した。緩慢な動きでありながら、次の瞬間にはバストルの命を奪うであろうことは容易に想像できる。
一体何故? 彼が元風の魔王だから? 部外者だから? シルベオラさんは話を通してくれてないのか? そんな疑問が目まぐるしく頭を巡る中、体の方は思考を他所に動き出していた。
「やめろぉおおお!」
両手を突き出し、そこから後先考えない最高火力を放射する。通用するなんて思っちゃいなかったが、そうだとしてもそうぜずにはいられなかった。
絞りつくす程に放った炎が消え失せた後、無傷の魔王達は視線を俺に注ぐ。バストルが受けた重圧を直に感じる。それでも俺は気圧される事無く、口を開いた。
「彼は俺の友人だ! 敵意を向けるな! 彼に手を出す事は俺が許さない!」
「リュ、リュウヤ、待て」
俺の身を案じてか、バストルの心配そうな声が聞こえる。そのお陰か次第に思考が冷静になり、そして自分のしでかした事の重大さが這い上って来た。
圧倒的な実力者達に対して牙を剝く愚かな行為。自分の未熟さを棚上げした自殺行為。俺がやったのはそういう行為だ。だが、それでも後悔はない。
バロフは俺を貫きかねない程の視線を向けたまま、ゆっくりと口を開いた。
「ほら、俺達の勝ち」
「やっぱりそうくると思ったぜ」
なんだ?……なんだか様子がおかしい。
「……もう少し慎重かとおもったが」
「アテが外れましたねぇ」
雰囲気が一転したバロフとモナムさんは喜びをぶつけ合うかのようにハイタッチをしている。対照的に黒騎士とシルベオラさんは浮かない顔だ。なんだ? さっきとの空気の温度差に思考が纏まらない。
「わるいなリュウヤ。ちょっと試させてもらった」
「……試す?」
「お前が人の上に立てるかどうかをな、見させて貰ったよ」
「……意地が悪いですね」
「そう言うな、必要な事だ。この世界で魔引きの役目を担うならば、そういう素質も必要だからな」
「はぁ……一応聞きますが、結果は?」
「文句なしだ。バストル……だったか。彼の様子からしても、リュウヤなら大丈夫だろう」
「なんか良い事を言った風にしてますけど、賭けてませんでしたか?」
「ソンナコトナイヨ」
白々しいなぁチクショウ。
「さて、本題に入ろう。大体の説明はシルベオラから聞いているが、これから風の魔力を譲渡するのか?」
「そうですね。練習もすぐにしたいのであの広場を貸してもらえると嬉しいんですけど」
「もちろんだ。好きに使うといい」
バロフがパチンと指を鳴らせば、禍々しい穴が空間に浮かぶ。ここに入れば、あの広場に直通というわけだ。
「ありがとう。じゃあ行こうかバストル」
「悪いがリュウヤ、先に行っててくれ」
思わぬ申し出に、必然的に足を止めた。振り向いた俺の顔はなんとも間抜けだったに違いない。
「なんで?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだ。すぐ済む」
そんなことなら待つよ、そう言おうとして開きかけた口を閉じた。わざわざそう提案するからには、俺が居ない方が都合の良いことなのだろう。
「わかった、待ってるよ」
「すまないな」
どこかもの悲しさを感じさせる彼の言い方に不安を覚えつつも、俺は一足先に城を後にした。
「さて……と」
一人城内に残ったバストル。リュウヤが側から離れた彼に対して、魔王達が素直に歓迎の意を示す筈もなく。彼らが部屋に入った時よりも苛烈な視線が降り注ぐ。しかし切り刻まれるような殺意を浴びているにも関わらず、彼の眼には燃え滾るような怒りが、静かに灯っていた。
「聞きたいことというのは何だ、風の魔王」
「バストルだ。……リュウヤをこの世界に呼んでどのくらい経つ」
「三ヶ月、は最低でも経つな」
「それだけの期間がありながら、彼は魔王の魔力を使うに当って必要不可欠な知識が欠けていた」
「言ってみろ」
「堕王。この言葉、そしてその意味。知らぬバロフではないだろう」
「無論知っているとも」
「リュウヤに教えていないのは、わざとか」
「そうだ」
「何故だ」
「知らずとも克服する、それだけの精神力が魔引きの役目には必要だからな。それを試したまで」
「もし失敗し、彼が彼でなくなった時は?」
「その時はまた次を探すだけだ」
その返答が出るが早いか、バストルは宙を飛び、右拳をバロフの頬に凄まじい速度で打ち出していた。
(……速いですねぇバストルさん。リュウヤ君と戦った時よりも数段速いじゃないですか。しかも遠距離主体だったのに拳で殴りかかるなんてらしくもない。リュウヤ君との戦いでは本気を出していなかったのか、それとも怒りが成長の糧になったのか。何にせよ、昨日の彼とは大違いの力を感じますねぇ)
そんなことを思っていたシルベオラであったが、彼の攻撃にはしっかりと反応していた。杖を手に、バロフを守る障壁を出す準備は整っていた。他の二人も例外ではなく、黒騎士は剣、モナムは拳で受け止める体制を既に整えていた。それをしなかったのは、他でもないバロフの指示故だった。
右腕を軽く上げ、部下に静止を促す。何の防御も取らぬままにバストルの拳を受ける。そして顔色を変えずにそのまま鎮座する。拳を受けてなお彼には魔王としての威厳を崩していなかった。
「……随分と素直に受けてくれたじゃないか。魔纏の防御もしないとは」
「お前には殴る権利があり、俺には受ける義務がある。それだけの話だ」
「…………気に食わん」
ゆっくりと拳を引くバストル。言葉の通り、その顔には不満の影が見える。
「お前がリュウヤをどうしたいのかは知らんが、もしまた害なすようなことをすれば、私は再び牙を向く。私程度どうということはないと思うだろうが、窮鼠の牙を甘く見ないことだ」
「肝に命じておこう」
怒りの視線を残しつつも、彼は空間の中へと姿を消した。
「……バロフ、大丈夫か」
「いってぇ」
「しかし驚いたな。アイツ結構やるじゃんか」
「それもそうだが、見るべきはリュウヤの為に怒り、その力を発揮したという点だ」
「リュウヤ君のおかげて、バストルの力が上がったと?」
「端的に言えばな。やはりリュウヤは、人の上に立つ素質がある」




