魔王の頼み事
「……ん?」
次に眼を覚ました瞬間は、まるで熟睡後のように爽やかな目覚めだった。あんな事になったのに、体のどこも痛くない。傷もなさそうだ。何か奇跡でも起きたのか、それとももう死後の世界なのだろうか。そう思い上半身を起こした瞬間。
「おはよう」
聴き慣れない、低く威厳のある声が俺の耳を突いた。思わず体が固まる。それほどの迫力が声にはあった。
「気分はどうだ。ちゃんと聞こえているか」
声の方に眼を向ける。そこには立派な玉座と、それに座す一人の男がいた。背丈は俺と同じくらいだろうけど、外見の迫力が俺とは違いすぎる。
紅の眼は視線を合わせるだけでも泣ける程威圧的で、つい眼を逸らしたくなる。怪しく揺らめく銀の髪は、今にも伸びて俺を刺してきそうな危うさを感じる。黒を基調とした服装は、なんだかゲームのコスプレのようなデザインではあったが、その男が着る分には恐ろしく似合っていた。
玉座の男を一言で表せと言われれば、俺はまず間違いなく魔王と答えるだろう。
「言葉は分かるか。分かるなら返事をしろ」
「……はい」
「よし」
俺の短い返事に満足したのか、男は立ち上がり、こちらに近づいて来る。そして傍までくると、上半身を起こしたままの俺に合わせるようにして、胡坐をかいて座り込んだ。
「訳あってお前をここに召喚した、バロフだ。人は俺を魔王バロフと呼ぶ」
魔王、自分が感じた通りの呼び名だった。しかし魔王とは。他にも召喚したなどと言ったり、なんとも現実離れした話をする男だ、と普通なら言えるだろう。だが、男の真に迫る迫力を目の当たりにした今、その話すら真実に思える説得力があった。
「名を教えろ」
「……圦埼 柳埜です」
「リュウヤ、ここはお前が元いた場所とは違う世界だ。ここは魔法や魔物が蔓延する世界。お前がいた世界に魔法はあったか?」
俺は首を横に振る。
「そうか。そこは適応していけ。お前が選ばれた理由は四つ。一つは健康体でありながら今にも死にそうな奴。次に運動能力、頭脳共に劣っていない奴。次に思慮深い奴。そして最後に適合する奴。これにお前が当てはまったという訳だ」
四つの条件。一つ目は事故で死ぬとかそういうのだろう。まさに俺だ。二つめは、まあどちらも平均よりは少し上と言った俺なら当てはまるのかも知れない。三つ目はよく分からない。俺が思慮深いならあんな事をしていない筈だ。そして何も分からないのが最後の適合。一体何に俺が適合したというのだろうか。
「で、お前を召喚した理由だが。お前には魔引きをしてもらうべく呼んだ」
「……間引き?」
間引きってあの、増えすぎた野菜とかを減らす、あの間引きのこと? わざわざ魔王が俺を呼んだ理由が、農作業って事?
「その顔は勘違いをしている顔だな。いいか、魔法の魔を引くと書いて魔引きだ、間違えるな。」
魔を、引く? 間違いを訂正されても依然分からないまま。具体的にはどうすればいいのかが全く理解出来ない。
「この世界にはな、魔王が複数いる。それも2や3程度ではない。少なくとも30はいる。今やこの世界は魔王だらけだ」
「30の魔王!? なんでそんなに魔王が?」
「この世界には元々、魔王は俺の先代一人だけだった。先代は恐怖で世界を支配していた。そして先代を倒すべく勇者が現れた。二人の戦いは長きに渡り、お互いが命を散らす程の激闘だった。そして戦いの末先代は破れた。その時、先代の魔力は世界各地に散らばって行った」
ここまではファンタジーでよく聞く話だ。似たような話のゲームをやったこともある。
「問題はここからだ。飛び散った先代の魔力と適合した者が現れ始めた。適合した者は他とは一線を画す存在になった。強力な力を持った彼らは魔王と呼ばれるようになり、複数現れた魔王は他の魔王の魔力を求めて争いを始めた。彼方此方で魔王同士の戦争が絶えず、この世界はもう滅茶苦茶だ」
「魔王達の戦国時代か……」
「先代の息子であり正式な魔王である俺としては、現状は看過出来ん。そこでお前に不要な魔王の魔引きを頼むべく呼んだという訳だ」
「それって、かなりの大役なんじゃ……第一、その話だと数々の魔王と戦えって事ですよね? 俺、そんな戦いとか出来ないですよ」
「そう構えるな。必要最低限の力は与える」
言うが早いか、魔王は俺の頭に手を添えた。青白い光と共に、何かが体を流れてくるのが分かる。水のようでもあり、風のようでもあり、火のようでもある。でもそのどれにも似つかない感覚だ。それでいて不快じゃない、心地いい。
「今、お前の体に無かった魔力と、魔引きに必要な魔法を送り込んだ」
「魔引きに必要な魔法?」
「俺自作の魔法でな。【ルベルシブ】と名付けた。魔王を消耗させるか、殺すか、その魔王から許可を受けた時、その魔法を使えば魔力を引き剥がし、自分の物に出来る」
「魔力を自分の物に?」
「そう。ただ、お前の身の丈にあったスケールで手に入る事は覚えておけ。例えば今、隕石すら降らせる魔王の力を手に入れても、お前が出来るのは精々石ころを浮かせるくらいのものだ。その代わり鍛えれば鍛えた分だけ魔法も威力を増していく。本来の力にどこまで近づけるかはお前次第という訳だ」
「はぁ……なるほど」
「これで大まかな説明は終えたが、他に聞きたい事はあるか?」
「えっと、俺達はなんで会話出来るんですか? まさか日本語で喋ってるとか?」
「ニホンゴとやらは知らんが、話せるのは魔法の力だ。召喚する際に言語に関する魔法をかけた。聞いた言葉はお前の言語に。お前が話す言葉は俺達の言語になる魔法だ」
「へぇー」
魔法って便利だな。
「じゃあもう一つ。何故その魔引きを貴方がしないのですか?」
「意味が無いからだ。他の魔王を殺しても、魔力はそのまま世界を漂いまた新たな魔王を生む種となる。俺は先代魔王の魔力に適合していない、ルベルシブを使っても俺のものにはならない」
「……さっきの四つ目の条件、もしかしてこの魔力に適合するかどうかって話だったんですか」
「そういう事だ。他には何かあるか?」
「あー、えっと、じゃあ最後に。今の俺だとどんな魔王も倒せそうにないと思うんですが」
「最初の一人は俺の部下をつける、だが手助けはそこまでだ。俺も部下も別でやることがある。本来なら最後まで面倒見るのが正しいんだろうが、悪いな」
「あ、いえ」
なんだか威圧的な雰囲気でつい見落としそうになっていたが、この魔王は案外親切なのか?
「あと、倒した魔王の処遇は任せる。殺しても、魔力を奪った状態で放置しても、そもそも魔力を奪わずにおいても、どうやってもいい。お前が一番良いと思う選択をしろ」
「……本当にそれを俺に任せていいんですか? それに俺、途中で逃げ出したりするかも知れないですよ?」
「魔王バロフから逃げられると思っているなら、それは愚かな間違いだ。まあ、お前ならやってくれるさ、きっとな」
そう言うとバロフは立ち上がり、玉座へと戻って行った。いつの間にか玉座の横に一人立っている。ほんとにいつから居たんだあの人。
「最初の一人はこの黒騎士を就ける。実力は保証しよう」
魔王の紹介を受けた黒騎士は、返事をすることなくそこに佇んでいる。呼び名の通り黒の甲冑に身を包んだ黒騎士、彼のフルフェイスの兜の隙間から視線を感じる。腰には一振りの剣が見えるが、逆に言えばその剣しか武器は見当たらない。余程腕に自信があるのだろう。
あんな西洋風の甲冑初めて見た。そんな事を考えて兜を見るとまた視線を感じる。さっきとは違う、立てと命令されるような威圧的な視線。俺は首を糸で引かれるように立ち上がった。
「さて、その最初の一人だが、この近辺にいる魔王にしてもらう。悪いが、これもこちらの都合だ」
「わかりました、大丈夫です」
「助かる。で、この近辺には今、火の魔王、水の魔王、風の魔王、土の魔王。この四人がいる。最初はまずこの四人にするといい」
「火、水、風、土か……」
「参考になるか分からんが、一番活動的なのは水の魔王、次に火、風、土の順番だ」
「活動的っていうのは、積極的に戦いを挑んでいるって事ですよね」
「そうだな。で、決めたか? 時間が必要か?」
「……火の魔王から行きます」
「火か。そうした理由を聞かせてくれ、興味がある」
「貴方の言う事が確かなら、俺は今規模の小さな魔法しか使えない。そう考えた時、一番戦闘に使えると思ったのが火だから、火の魔王を選びました」
俺の返答に、魔王バロフは満足そうに頷いた。どうやら彼にとって正解の答えだったらしい。
「よし、では行ってこい。記念すべき最初の魔引きは、火の魔王だ」