風の魔王
誰だ? 知らない、聞いたこともない声。反射的に声の方を振り向いた。すると一人の女性が視界に入る。修道服に身を包み、先端に水晶玉を付けた長めの杖を持っていた。金髪のその人は、にっこりと朗らかな笑みを携え、俺達に視線を向けている。こっちがこんな状況だというのに、そんな表情を見せる彼女。正直、気味の悪い恐怖を感じて気圧される。だが今は一刻を争っている。得体の知れない女性だが、なりふり構える場合ではない。
「なっ、何か傷を治す物はありませんか!? このままだと彼が死んでしまう!」
「良いんじゃないですか? 死んじゃっても」
……は? この人、何を言っているんだこいつ?
あんまりにも予想外だったものだから、顔を引きつらせたまま固まってしまった。そんな俺とは対照的に、女性は笑みを崩さぬまま言葉を繋げる。
「彼は自分で死のうとしてたじゃないですか。ほっときましょうよ」
「あんた、何言ってんだ!」
「それに。リュウヤ君、貴方の役目は魔王の魔引き。魔王を減らす事。丁度いいじゃありませんか」
俺を知っている? バロフの部下か? いや、それは後だ。
「魔王を減らすのは、命を奪うに限らない!」
「生かすか殺すか。確かに、その辺りは貴方に一任してありますね。でも考えた事はあるんですか? 疑問を抱いていないんですか? 相手は一度貴方を殺した相手ですよ? 生かしておく意味はあるんですか?」
「そ、それは……いや、でも、死ぬ必要は……」
「もしかして、色々親切に教えてくれたし、ポーションもくれたからいい人だと思ってるんですか? その行いが全部霞むほどの極悪人かもしれませんよ?」
「そ、そうかもしれない、けど、そうと決まった訳じゃない!」
微笑みを崩さず、悪魔のような囁きを繰り返す相手に思わずたじろいでしまう。でも、彼女の言う事が正しかったとしても、それを確かめてからでも遅くはない。
俺の苦し紛れの反論を聞き、それに納得したのか、彼女はゆっくりと歩み寄る。
「わかりました。理由はともかく、命を見殺しには出来ない。助けられるなら敵でさえ。そこまでの頑固さを見せられては、手を貸さないわけには行きませんね」
手にした杖の先端、そこにある水晶玉を、バストルの首元に近づける。すると彼の開いた後ろ首がみるみる内に塞がっていく。映像の逆再生のように驚異的な速度で治癒が行われ、遂に傷跡一つない状態にまで回復した。
「ガハッ!」
「バ、バストル!」
治療が終わった筈のバストルが血を勢いよく噴き出した。間に合わなかったのかと絶望しかけたが、その後の息が先程よりも力強い。どうやら口に溜まった血を吐きだしただけのようだ。眼に宿る力も戻っている。
治癒を施してくれた女性は変わらず微笑んでいる。手にした杖の水晶玉がさっきより輝いて見えるのはきのせいだろうか。それにしても、ポーションも使わずここまでの治癒が行えるなんて、只者ではない。今のが魔法によるものなのかなんなのかは分からないが、今は感謝するばかりだ。
「あ、ありがとうございます! もうだめかと思いました……」
「いえいえ、助けたのはリュウヤ君の意志です。貴方がそうしろと願うからそうしただけですよ」
「いや、それでも、ありがとうございます」
「……ねぇ、リュウヤ君。貴方は目の前の命を救う事を選びました。それは正しい行いなのかも知れません。ですが当の本人は、それを望んでいたんですかね?」
「それは……どういう……」
微笑みが発する意味深な言葉に、思わず怪訝な表情を返してしまう。詳しく聞きただそうとしたその時、バストルが立ち上がった。
「バストル! 大丈「なぜ邪魔をしたぁ!!」
「え……」
起き上がった彼の第一声は、天を衝くような恐ろしい怒号だった。戦いの最中でも見せなかった鬼の形相に、全身が強張っている。
「余計な真似を……」
はち切れんばかりの怒りを抑えるが如く、小さく震えるバストル。きっと彼には、俺が力の譲渡を拒んだように見えたんだろう。基本的には死ななければ魔王の魔力は放出されないらしい。だが俺は命を奪わずにすむ魔法を持っている。それを伝えればきっと納得する筈だ。
「死ぬ必要はないんだバストル。俺は殺さずに魔王の魔力を受け取る魔法を持っている。今みたいに死ぬ事はないんだ」
「そんな事は知っている!」
知っている? まだバストルにはこの魔法の事を言ってないのに?
困惑する表情の俺を見て、多少なりバストルは冷静さを取り戻した顔色になる。
「いや、知っていると言うより、分かっていると言うべきだった。君の性格を考えれば、殺して力を奪う事を拒むのは予想出来る。そしてバロフが君の性格を考えて、何かしらの手段を編み出す事も予想の範疇だ」
「だったら! なんで!」
「贖罪なんだよ、リュウヤ」
「……贖罪?」
「何故か君は生きているが、私は君の首を刎ねた。覚えているか」
「……覚えている」
「君にそうしたように、私は多くの命を奪った。私は魔王となって日は浅いが、それでも奪った数はいくら指を折っても数え切れない。その命に償うべく、ここで死ぬべきなんだよ、私は」
「なんで……命を奪ったんだ?」
「この風の魔力を狙う者。化け物として討伐に来た者。復讐を目的とした彼らの家族。その連鎖が終わることなく、殺めた命は重なり続けた」
語る口調は弱々しく、先の気迫など微塵も感じさせない。過去を語るその顔には、疲れの色がにじみ出ている。そうか……魔力に適合するのは、望んだ者に限らない。望まない力を手に入れてしまった人もいるんだ。バストルはその一人なんだ。
「リュウヤ。きっと君は魔王を減らし、優しい世界を作ってくれるだろう。君がいたような争いのない世界を。その世界に私がいてはダメなんだ。私の様な罪人が、いてはいけないんだ」
それは、それは間違ってる。罪を償おうと、不可抗力で被った罪を償おうとしている人が、生きていてダメなわけがない。そんな優しい人が、死ぬ必要がある訳がない。
「出来れば君に幕を引いてもらいたいところだが、そんな重荷を背負わせる事はしたくない。リュウヤ、今度は邪魔をしないでくれよ?」
そう言って彼は、再び自刃の体勢を構える。眼を閉じたのは覚悟の現れ。駄目だ、そんなのは許されない。
「待て!」
咄嗟に声が突き抜けた。自分でも驚く程の声量だった。
「……まだ何かあるのか? 簡単そうに見えるかもしれないが、かなり覚悟がいるんだ。何度も止めるのはよしてくれないか」
「死ぬのは許さない!」
手を降ろし、こちらを見据えるバストル。怪訝さと僅かな怒りが感じられる。
「許さない、か。勝ったから生殺与奪は自分の物だというつもりか? それに従いこの場が納まったとしても、君の目の届かない場所で私は死ぬよ。まさか一生監視するとでも?」
「死んで許されるとおもってるのか!」
「……どういう意味だ?」
「死んだらそこで終わりだ、もう何も出来ない、一人分の命の価値しかない! お前が奪った多くの命と、お前一人の命で釣り合いが取れると思うな!」
「随分と虚仮にしてくれる……ならば、死をもって償う以外に道があると?」
「生きろ! 生きて多くの人の助けになれ! 奪った命よりも、多くの命を救え!」
間違ってる、彼が死ぬのは間違っている。自分の命を投げてまで、罰を受けようとする彼が死ぬのはおかしい。頼む、頼むから思い止まってくれ。
「救う、その資格が私にあるとは思えないな」
「資格なんかいるか! 実行すればいいんだ!」
「私の力を君に託す。それで、その力を使って、君が多くの命を助けるんだ。私は、もう……」
最後まで言葉にはしなかったが、言いたい言葉は痛い程に伝わった。
疲れた。口から出さず飲み込んだその言葉が、彼の本心なのはもう明らかだ。こんな場所にいるから想像が及ばなかったが、彼もまた、過酷な時を経験してきたのだろう。そんなバストルを助けたのは、助けてしまったのは、間違いだったのだろうか……
いや! 違う! 原因は魔王の魔力で引き起こされた争いだ! 間違いじゃない! 彼が死ぬ必要なんてない!
でもどうする? それを伝えたところで、今の彼が素直に応じるとは思えない……どう声を掛ければ……こうなりゃ一か八かだ!
「真っ当に罪を償おうとせず、死んで終わりにしようだなんて、逃げるのと同じだ! 逃げるだなんて、美しくないと思わないのか!」
俺の言葉を受けた彼は眼を丸くする。驚きなのか、それとも他の感情なのか、分からない。失敗したか、そう思った矢先、バストルは堰を切ったように破顔を見せた。
「フハハハハハハハ! そうか! 美しくないか! フハハハ!」
さっきまでの弱々しい雰囲気が嘘のように、高笑いを響かせるバストル。その落差に思わずたじろいでしまう。
「いやはや、確かにそうだ。そう言われるとな、ハハハ! その言葉にはどうも弱い!」
「えっと……あの……」
激しい落差に言葉を失ってしまう。どういう反応なんだろうか、いい方向に転んだのだろうか。
「安心しろリュウヤ。もう自殺なんてしない、約束しよう」
「あ、あぁ……よかった……」
安堵の溜息が零れ出る。よかった……一先ずは安心だ。
「だが、この力を渡す事に変わりはない。君の、その、魔法かなにかは知らないが、それで譲り受けてくれ」
「……いいんですか?」
「いいとも。風の魔力無しで人々を救う手立てを考えるさ。差し当たっては、この魔力の使い方を君に教えよう」
「あ、ありがとうございます」
「ちょっといいですかぁ?」
うわっ、忘れてた。バストルの説得に夢中になり過ぎてた。
「魔力の譲渡は結構ですが、明日に回して、落ち着いてからにしませんか?」
「そうだな、傷こそ癒えたが色々疲れた。その提案には賛成だ」
「そうですね、そうしましょう」
「それじゃあ町に行きましょうか。それと、遅くなりましたが、私はシルベオラ=セスリウィットと申します、どうぞ、よろしくお願い致しますね」
「セスリウィット……てことは、モナムさんの姉妹?」
「ええ、姉です」
そうだったのか、雰囲気が正反対だから気付かなかった。という事は、やっぱりバロフの仲間でもあるのか。
「リュウヤ、改めて君には感謝する。私の命を見捨てなかった事を、心からな」
「え? いや、まあ」
なんだ? 感謝を口にしているが、なんだかおかしな雰囲気がする。
「そしてそして! 私に見事な手腕で治療を施してくれた親愛なる貴女にも! 感謝しなくては!」
「あらあら、いいですのに」
「今この場では語りつくせぬこの思い、今夜、じっくりと語りたいのだが、如何かな?」
おーこいつマジか。さっきまで死ぬ死ぬ言ってたのに、もう口説きにいってやがる。落差激しッ。
「貴方がバロフとの命のやり取りを恐れない度胸があるなら、いくらでもお相手致しますよ」
「……そうか、残念だがやめておこう。せっかく拾って貰った命、無駄にするのは美しくない」
ちょっと、余りの温度差に付いて行けない。なんだか腑に落ちない感情を抱きながら、俺達は町へと向かっていった。
「あー、あー、リュウヤ君、聞こえますかー」
反応なし、空間遮音に問題なし。
「風の魔王、ちょっといいですか」
「風の魔王はもう死んだ。私はバストル=ベアレスだ」
「そうですか。ではバストルさん」
「何かな、心変わりをして頂けたかな?」
「てっきり貴方は、リュウヤ君が何を言おうと死ぬと思っていましたが」
「そうだな、私もそのつもりだった」
「ではどうしてです?」
「どうやっても、なんとしてでも命を見捨てようとしない。自分を殺した相手でも。正直あんな人物は初めて見る」
「それだけ?」
「彼は美しさの是非を問いて来た。私を私たらしめた女性がいるんだが、彼女を現す言葉として私はよく美しいという言葉を使う。そして私もそうあるべきと、その言葉を信条にしている」
「そうだったんですか、只のナルシストかと思いましたよ」
「これは手厳しい。まあ、そんな私を彼はよく見ていた。助けるのは自己満足ではなく、相手を思ってのことだった。それが理解出来た時、彼にならば、と思っただけさ」
「なるほど。じゃあ貴方は、リュウヤ君に死ねと言われたらそうするんですか?」
「勿論だ」
即答。リュウヤ君の説得は思った以上に彼に響いたんですね。仮にも魔王を名乗っていた男にこうまで言わせるとは。正直私には甘ちゃんの戯言にしか聞こえませんでしたけど。まあ、当事者にしか伝わらない何かがあったんでしょう。
しかしまあリュウヤ君の無防備な事。名乗ったとは言えど、得体の知れない相手と、さっきまで殺し合いをしていた男。その二人に背中を向けて無警戒に歩いている。やっぱり異世界人、平和に慣れ過ぎている。それが強みでもあって弱みでもある。今はまだ大丈夫ですが、いつか同じ轍を踏みかねないですね……やはり同行者が必要、この世界に慣れた同行者が。誰が適任でしょう……リュウヤ君が自分で見つけてくれれば、楽なんですけど。




