魔王の片鱗
グリグリと徐々に足に力を込めていく。骨が軋むような感触が直に足に伝わるのが心地いい。もし声を上げようとしても、圧迫された肺ではそれもままならない。いま踏みつけているこいつもそれを身をもって感じているようだ。蚊の鳴くような音がこいつの口から零れているのがその証拠。その姿がなんとも無様で、戦いの最中だというのに笑いを堪えるのが大変だ。
「図に乗るな!」
そう微かに聞こえた気がした。オレが乗ってるのはお前なんだが、そんな冗談でもかましてやろうと思ったが、それよりも先にこいつから突風が発生した。踏んでいた体勢のせいで飛ばされはしたが、一回転して難なく着地してやった。
「おいおい、そりゃズルいだろ」
見上げれば、かなりの上空に奴がいる。15、いや30メートル、もしかしたらまだあるかもしれない。暫く待っても落ちて来る気配はない、奴の魔法で浮遊しているらしい。あんな高くまで逃げちまって、憶病なことだ。
「許さぬ!」
遠くてよく聞こえなかった、何か言ったのは分かったが。何を言ったのかと見ていれば、風の刃が降り注いで来る。一心不乱といった形相で腕を振り続ける男、その動作で刃を飛ばしているらしい。躱すのは大した問題にならないが、避けた上にはもう刃が迫っている。いくら避けても的確に次が来る。出鱈目に攻撃しているように見えて、その実オレの逃げ場を潰すように刃が飛んでいる。抜け目ない戦略、というよりまだそんなことをする余裕があるのに怒りを覚える。
「ぁぁあああ鬱陶しいなぁああ」
右腕に魔力を込め、そのままあいつに向かって腕を払う。すると砂や塩でも撒き散らすように、火が放射状に広がっていく。そして火は風の刃を飲み込み、その体を徐々に巨大なものへと変えていく。そしてすべての刃を取り入れ、メインディッシュと言わんばかりに奴目掛けて巨体と化した体を迫らせる。
「こ、のぉ!」
奴は大きく両腕を広げたかと思えば、勢いよく前へと突き出す。離れたここでもよく分かる程の突風が引き起こされた。見えなくとも分かる程の風の塊は俺の火とぶつかり合い、僅かなせめぎ合いの後に両者消滅した。暫くして、俺の頬を柔らかな風が撫でた。恐らく奴の攻撃の余波、余りにも弱弱しくて同情する。
「いぃーそよ風だぜ、なぁ?」
聞こえているかなんてどーでもいい。肩で息をしている相手に比べて、俺の方は余裕たっぷり。追い詰められているのがどちらかなんて火を見るより明らかだ。やっぱりさっき感じた事は正しかった。オレの火は奴の攻撃を吸収して強くなる。あまりにも相手がでかいと取り込めないが、それでも有利な事に変わりはない。火は空気が燃料だ、その燃料を運んでくれるんだからそりゃ当然の話だな。ということは、相手からしたら俺は天敵って事になるのか。こりゃあ良い、楽しくなってきた。
「おのれ……ならば!」
なんとなく奴を見れば、腕を振り被っているのが見える。そこから振り下ろすでもなく、どうするでもなく、野球ボールを投げる前のような振り被り方のまま。恐らく、さっき食らったあの強烈なやつだな。何かを投げたようなアレ。落ち着いて観察すればあの攻撃の正体がよく分かる。自分の背後に魔力の塊を作り、それをぶん投げる、ただそれだけ。奴の背後に見える魔力の塊と、投げるような体勢が答えそのもの。さっきは面食らったがなんの変哲もないシンプルな攻撃。だが、それが一番厄介だ。
「あー……落とすかぁ」
オレの予想が正しければ、あの攻撃はまだ上がある。さっきは三本指で引き投げていた。つまり指の数を変えたバージョンがあると見るのが自然。さっきより強力なのが来るとなると、癪に障るが無事じゃ済まない。だがああも高いところだと流石に俺の火も届かない。じゃあどうするか……直接いくか。
足の魔纏に意識を集中させ、無理やりに身体能力を向上させる。足が燃え上がるような感覚に包まれ、今すぐ駆け出したくなるような高揚感が沸き上がる。その昂ぶりの全てを足の踏ん張りに変え、奴目掛けて跳躍した。
「ッ!? バカな!?」
眼を見開いた、正しく仰天と言った表情。こんな顔のこいつを至近距離で見れたのは嬉しい限りだ。それにしてもこの驚き様、まあ、こんなに驚くのも無理はない、飛べないと高を括った相手が目の間まで飛んでくればそうもなる。まあ正確には飛んだというか跳ねたというか、なんにせよこいつみたいに長い間飛ぶことは出来ない、ようは只のジャンプだからな。まあそんな単純な事だったとしても
「ハエを落とすにゃ十分ってなぁ!」
魔纏を存分に含んだ右足を、叩きつけるように相手に繰り出す。火の魔力がオーバーフローしたのか、足を火が包み込んだ。が、まったくもって熱さを感じない。それどころか力が漲って来るかのようだ。
「ぐっ! ぐうぅ……ぐわああぁぁぁぁぁ!」
相手はオレの浴びせ蹴りを、構えを解いて受け止めた。だがこの火はオレ以外には敵意があるようで、苦悶の表情を浮かべている。そして遂に耐えられなくなったのか、男は地面へと墜落していった。ドスン、という痛々しい音が心地いい。
さて、どうしたものか。蹴り落した反動で少しばかり浮きはしたが、このまま落下するのは確実の出来事。正直この後の事はノープランだった、魔纏でどうにかなんねぇかな、無理かな。
なんてことを考えていたら、魔力をすぐ傍に感じた。オレのではない、この感じは風の魔力、奴の魔力だ。さっきの攻撃で放たれようとした魔力が、主を失って漂っている。魔王の魔力の特性の一つ、その場に残り続ける性質。なるほどこんな感じで残るのか、ありがたく活用させてもらうか。
「あーっと、そうだな、ファイアー……ブースター!」
即席の命名と共に両の手の平を付け合わせ、勢いよく下に向けて突き出した。図らずして、地面に向けてかめはめ波でも撃つような体勢を取っている。そしてその両手からは、自分でも驚く程の凄まじい熱量が放たれた。周りの風の魔力を吸収して生まれだした火は、一直線に地面に向かって降り注ぐ。拡散することなく進む火はまるで火柱、天から降り注ぐ慈悲なき火柱だ。この柱の先端にはさっき叩き落した奴がいる、まあ順当に考えて直撃コースだな、ご愁傷様。
まあ下にいるのはどうでもいい。この火柱はその為に立てたんじゃない、着地の為に立てたんだ。風の魔力を含んだ火柱は、目論見通りに俺を空中に留めてくれている。無理やり浮いている感じだが、落ちてないなら文句はない。火の勢いに慣れたところで、少しずつ火力を抑えていく。すると俺は徐々に地面へと接近していく。飛ぶというには余りにも暴力的なやり方だが、それでも成果は十分だ。
「おし、このあたりでいいか」
手ごろな高さになったところで火柱を解除する。支えがなくなり落下していくが、もう着地に問題ない。と、思ったら、着地地点に奴がいるじゃないか、しかもしっかり原型を保っている。何でだ? 仰向けに地面に倒れた状態のままであるのを見るに、落ちてから動いてないらしい。ということは当然火柱の真下にいた筈。まあいい、ちょうどよくクッションが用意されたと考えれば、むしろ得した気分だ。
「おじゃましまー」
「ごぐぇ!?」
寝っ転がる奴のどてっ腹に的確に着地をかましてやる。その時に吐いた血が顔に掛かった、最悪だ。きたねぇな畜生。まったくどうしてくれようかと足元を見たら、奴の両腕が焼け焦げているのが分かる。所々炭のように黒くなっているのが眼に優しい。よく見れば、腕の先から魔力の残り香が漏れている。何かバリアとかそういうのでも張っていたのか、そして防ぎ切れず腕にダメージが腕に入った。そんなとこだろう。視線こそ敵意の塊のような色をしているが、もはや虫の息なのは明らか。良い様だ。
「おら起きろ、よっ!」
「ぐうっ、が!?」
寝っ転がるこいつの髪を引っ張り起こし、無防備な腹部に一発入れてやった。もう碌に動かないのか、両腕を力なく下げたまま、男は膝をついて軽くうずくまった。そのポーズに俺は唐突に既視感を覚えた。正座のように地べたに座り、首を差し出すように前に屈んだ体勢。何時ぞやに見た時代劇、打ち首に処される罪人の体勢、それが既視感の正体だ。丁度いい、このまま首を落としてお終いだ。
それじゃあ早速、と思ったところで剣が手元に無い。いつ落としたのか全然分からん、どこに行った? ……あった、離れたところに無造作に転がっている。ただ、それはもう剣だった物に変わり果てていた。柄は消し炭になっており、刀身も溶けてドロドロになっている。さっきの火柱の余波に耐え切れなかったらしい。まあいいか、どうせナマクラだろ。あんなものより俺の手刀の方がよく斬れる。
善は急げだ、右手を高く掲げ、手刀の形を作る。宿した魔纏が火を生み、燃え盛る刀が出来上がる。まるでたいまつの様な見た目ではあるが、こいつの首を落とすのには何の問題もない、何故かその確信がオレの中で渦巻いている。
「じゃあな」
相手の返事など待つことなく、オレは脱力するかのように腕を振るい落した。 どかっ となんとも重く、にぶい音がした。……どかっ? 普通、斬った音ってスパっとかそんなとこだろ? なんだ、どかって。てか首落ちてないじゃん、なんでだ? あ、わかった、やっと見えた。盾だ。盾がある、この盾がオレの手刀を防ぎやがった。誰だ? 防ぎやがったのは誰だ? オレとこいつしかいない筈だ、誰なんだ? ……それにしてもこの盾、見覚えがある。というか在りすぎる。まあ、でも、それもそうだ。だってこの盾は、俺の盾なんだから。
なんで俺がオレを邪魔してんだ? いや何でって、殺すのはダメだからだろ。いやでも、こいつは曲がりなりにも魔王なんだから、殺してもいいだろ? いや殺しちゃだめだろ、まだ悪いやつと決まったわけじゃないし。いや、殺していいだろ、それが使命だろ? ん? 殺すだけが役目じゃないだろ。生かしても良い筈だ。でも後々争いの種になるかも知れないし、殺しとくのが正解だろ。いや殺すのが正解だなんてそんな奴そうそういないだろ。殺しはダメだ。いや、こいつは殺しとくのがやっぱり正か
「あああああああうるせぇ!」
雄叫びのような声をあげながら、頭の中の混乱の渦を振り払うかのように右腕を上げる。手刀の形をもって再度振り上げた手の平は、徐々に握りこぶしを形どる。そして完全に握りしめられた右手を、俺は自分の胸に風穴を開けるつもりで叩きつけた。
「ぐうっ……くそっ……俺は俺だ! 俺で好き勝手すんじゃねぇ!」




