魔王の真価
「……ダメだ! 全然見つからん!」
苛立ち混じりの声を上げながら俺は仰向けに倒れ込む。基礎知識を学んでからもう五日目に突入していた。モナムさんは初日以来来ていない。帰り際、今はまだオレの番じゃないと言っていた。
「そんな精神状態で見つかるものではない、そのまま少し休め」
地面から黒騎士の声。彼……彼女は初日からずっと見ていてくれてるようだ。地面の中だからいつも居るのかは分からないが。
この修行を始めて二日目、黒騎士に貴女の魔力はどんなものなのかと聞いてみた。余計な雑念が入るから聞かない方がいいと返されてしまった。雑念がなかろうが見つかる気配は未だない。火の塊をイメージしてはいるが、感じるのは魔力ばかりで肝心の核を掴むことは出来ていない。
「ホントにあるのか?」
愚痴を零しながら眼を閉じる。そのまま寝てしまおうかと思ったが、刺すような強い視線に気づき眼を開けた。
「バロフさん!?」
「行き詰っているようだな」
いつから居たのか、俺を覗き込むようにバロフが立っていた。弾かれるように上半身が起きる。
「見つからないか」
魔王の問いに無言で頷く。この修行に入って早五日。報告を受けたか、監視をしていたか。何れにせよ痺れを切らしたのだろう。
「何をイメージして探している?」
「えっと、火の塊を」
「それでは見つからんな」
バロフはしゃがみ込み、俺の頭を右手で鷲掴んだ。その瞬間に俺の頭に鮮明な映像が流れ込む。風の魔王と相対したあの日の記憶。成す術なく殺された、恐怖の記憶。まるであの日に戻ったと錯覚する程の臨場感のある映像に、俺の胃は激しく脈動する。また吐くかと思ったが、今度は堪えきった。
「今度は吐かないか」
笑いながら魔王が言う。冗談じゃない、何を考えているんだこいつは。
「風の魔王、恐ろしいだろう」
「……そりゃそうですよ」
「火の魔王は?」
「火の魔王は……怖かったですよ」
火の魔王とは直接戦ってはいない。傍観者席で戦いを見ていたので、怖いよりも凄いの感情が俺の中で勝っている。しかし一度火の魔王に標的として定められた時、酷く恐怖した事を思い出した。
「お前の中にあるのは恐怖の根源。それを理解したか?」
「……はい」
恐怖の根源。自分の中に取り込んだ事でその意識が薄らいでいた。どのような形でも魔王の力であることに変わりはない。この世界を恐怖で包む魔王の魔力、その一つが今俺の中にある。そう考えると自分が酷く恐ろしい存在なのではないかと思え始めた。
「では引き続き励めよ」
バロフは俺にそう言うと、瞬きの間に姿を消した。
恐怖の根源が自分の中にある。即ち俺自身も魔王の一人である事を自覚しろ、そういう事なのか?
眼を閉じ、火の魔王を思い出す。現段階で圧倒的に格上な彼の敵意。触れただけで肉体が弾けるであろう打撃。近づくだけで溶けるような火炎。行動の一つ一つが死に繋がる災害じみた強さ。その彼を魔王足らしめた力が今、俺の中にある。忘れかけていた火の魔王の恐怖を思い出した時、体の内に何か悍ましい塊がある事に気が付いた。
微かに熱を感じるそれは、血液のように体内を徘徊している。通った場所の体が一瞬強張っているのが分かる。形はよく分からないが、鋭利な棘の塊にも感じ、蠢く滑らかな触手の塊のようにも感じる。拳よりも一回り小さいであろうそれが目の前にあったなら、恐怖と嫌悪で目を逸らす事は断言出来る。とにかく、とにかくそれが、得体の知れない恐怖で出来た代物という事だけが、今確かな事実だった。
ここでバロフの話が脳裏を過る。かつて世界を恐怖で支配した初代魔王、その魔力の欠片が散らばり、今その一つが俺の中にある。その話を鑑みれば、この塊から来る言いようのない不安と恐怖も頷けると言える。頷きたい事実ではないが。
「見つけたか」
核を発見した実感に浸る俺に声が掛かる、黒騎士の物だ。相変わらず地面からの発声。
「今の状態で魔法を使ってみろ」
指示された通りに、腕を構え火炎放射を放ってみる。腕から以前と同じように火炎放射が……何かおかしい。出るには出たが、腕から出ていく筈の魔力が、なんだか別の方向から抜けていくような感覚がある。穴が開いたホースのような、全てが出口に向かっていないような、肩透かしを受けている気分だ。
「今外に意識を向けてみろ」
火炎を放った方向に意識を向けてみる、核を見つけた時のように恐怖を忘れず。すると今まで見えなかった光景が目の前に広がった。蜃気楼のようなもやもやとした透明の何かが辺り一面に広がっている。その量が途轍もなく多い。色がついていたなら何も見えなくなっていた所だ。
「感じるか。それが無駄にしている魔力の量だ」
「これが!?」
思わず声が大きくなる。黒騎士の言う通りこれが魔力だとすれば恐ろしい程の無駄撃ちじゃないか。今撃った火炎とこのモヤを合わせて100%だとすれば、火炎10%、モヤ90%。それ程に膨大な量を無駄にしている。
「前に教えた魔力の独立性、それが無駄な魔力を放つ原因だ」
「魔王の魔力の特性が?」
「そうだ。お前の体から出たいが、それが出来ない魔力達は渋々体内に留まっている。だがお前が魔法を使う事で出口が出来る。すると魔力は我先に勝手に外に出ようとし、結果魔力の無駄使いになる」
「じゃあ、今俺が出せてるこの火炎は?」
「お前に従っている魔力の量だ」
従っているのがたった10%、泣けてくる。というか魔力に自我があるのか?
「お前の体から作られた魔力ではない、あくまでお前のエネルギーを使って核が生み出したものだ。故に従わせる必要がある」
ああ、産みの親が違うのか。厳密には他人の、初代魔王の魔力だからか。
「100%とは言わん。せめて30%従わせたら次のステップだ」
「30……わかりました」
てっきり100%と思ったが、30とは。それ程に難しいのだろうか。
―――――――――――
「むっず!」
魔力を従わせる修行に入ってから翌日、進捗は芳しくない。何度も魔力を撃ってはいるが、無駄撃ちが消える気配がない。それどころか疲れで増える一方だ。目の前にはあのモヤモヤが溢れている、お前如きに従うものかと嘲笑っているかのようだ。こうも上手くいかないと腹が立ってくる。
「ちょっとは従え!」
その心理状態のまま火炎を放つ。すると少しではあるが、火の威力が上がった。何故? 不思議に思いつつもう一度撃ってみる、威力は元に戻った。
「もしかしたら……」
怒り。怒りが魔力を従わせるカギなのかもしれない。思い返せば風の魔王に挑んだ際、過去最高の火力を出せた。その時は相手に対して怒りを持っていた。元火の魔王も基本怒りっぽい性格に思える、となれば彼があれだけの火力を出せるのも辻褄が合う。
そうなれば早速実践だ。眼を閉じ、自分にされた理不尽を思い、そして人々が受けた理不尽を思う。火の魔王に風の魔王、そしてまだ見ぬ魔王達。奴らを悉く燃やし尽くせと体が叫んでいる。
「うぉおおおお!」
風の魔王にやった時と同じように雄叫びが自然と漏れた。手から放たれる火が勢いを増す。地面すら焦げ付く程の威力になり火は猛威を振るう。まだまだ、まだ怒れ、もっと怒れと脳が猛る。そして遂にはあの時すら超える火を噴きだした時、俺は意識を失い倒れ込んだ。
「…………はっ!?」
眠りから覚醒へと突き飛ばされるような目覚め。空がもう暗い、半日も眠っていたらしい。だがなんだか頭の辺りがとても寝心地がいい。柔らかいクッション、いや、ゼリーの上に寝ているような心地よさだ。肌ざわりもヒンヤリとして、まるであのスライム達のような……
「……あ」
時間の経過でハッキリとした視界は、クロッシーをしっかりと捉えた。目線が合い、彼女は顔を赤らめすぐさま地面の中へと滑り込む。預ける相手が居なくなった俺の頭は、重力に逆らう暇なく地に落ちた。
「いっで!」
突然の衝撃、後頭部を押さえ痛みを堪える。しかしこの痛みより衝撃なのは彼女の行動だ。起きた時の頭の高さ、見上げる形で合う彼女の視線。どうやら膝枕をしてくれていたらしい。恥ずかしがり屋と聞いていたが、そんな事をしてくれるとは。
「……スライムの体は触れ続けると徐々に魔力を回復する効果がある。他意はない」
照れ隠しかな? なんて生意気な事を思ったが、確かに魔力が回復している。しかし気絶するまで魔力を使い果たすなんて……基本は疲れて止まると思ったが、何故か先程のは疲れを感じなかった。いきなり限界が来た感じだ。
「今の使い方は危険だ。今のはお前に従っている訳ではない、怒りに同調しただけだ。そしてそれを利用し、疲れを感じさせないままに魔力を使い切らせ、気絶させて抜け出そうとする。実際は死なないと抜け出しはしないが、危険に身を晒す事に変わりはない」
「……こわっ!」
じゃあ今のは半分操られたって事!? この魔力とか核に!? 魔力ってそんなに自由に行動するものなんですか!?
「従わせる為に強い感情が必要な事に気づいたのは上出来だ。その感情を核にぶつけろ。従わせればその分、自在に魔力が使えるようになる」
「なるほど……」
なんて分かったような口振りをしてみたが、正直なところ怖くてしょうがない。完全に意識があるような行動をする塊が自分の中で蠢き、脱出の機会を図っていると考えてしまうと、それも当然だと主張したい。
「一先ず今日は帰って休め。魔力を回復はさせたが疲れまで取れ切ったとは言えん」
「分かりました……」
改めて聞くと恐ろしいものが自分の中にいるのだと痛感する。これを使いこなせるのか正直不安だ。だが使いこなせなければまた…………生き残る為には必要な力、従わせなければならない力。死に物狂いで身に付けなければ、そう思った時にはもう宿の前だった。
――――――――――――
「はぁあああああ!」
俺の右手から放たれる業火、以前とは比べ物にならない威力となったそれは、触れていない地面すら溶かしている。十分に水を吸った木材であろうとも、今なら一瞬で消し炭に変える事が出来るだろう。
「上出来だ。無駄な魔力の気配が大分減った、目標の30%は優に越しただろう、よくやった」
「上出来……ここまで来るのにもう半月を越しましたけど、そんなものですかね」
「言っただろう上出来だと。比較的速いペースだ」
そうは言われても、なかなか上手くいかない修行に苛立ちを隠せない。怒りで従えようとするのはなるべく控え、他の強い感情で行えと言われてはいる。言われてはいるが怒りが一番従えるのに効率が良いので、ついそうしてしまう。
「次に移る。これが出来れば一先ずは合格だ」
「はい」
「モナム」
黒騎士がその名を呼んだ瞬間、背後に気配を感じた。振り向けばそこにはモナムさんが立っている。何時からいたのか、それとも今来たのか、どちらもあり得る。
「やーっとか、待ちくたびれたぜ」
背伸びをしながらモナムさんが口を開く。やっと、と言う事はやはり遅いのだろう。黒騎士のは気休めの言葉に過ぎなかった訳だ。
「次にやるのは魔纏だ。モナム、手本を」
「おう」
応えたモナムさんは豪快にローブを脱ぎ捨てた。ショートパンツにノースリーブの、肌面積の多い姿が露になる。そして右腕をピシッと地面に平行に伸ばして見せた。
「イリュー、剣でこの腕斬ってみな」
「ええっ!?」
いきなり何を言うんだこの人は! そんな事出来るものか!
「良いからやってみろって」
ほら早くしろよと俺を急かすモナムさん。しょうがないので剣を抜き、そーっとゆっくり振り下ろしてみる。
「ちゃんと振れ」
突然背後から衝撃が来た。勢いよく押された俺は急な出来事に対応できず、倒れるように剣を振ってしまった。勿論剣はしっかりと彼女の腕を捉えて振り下ろされている。
「うぁあああ! あ!?」
叫ぶ中、俺は頭で切り落とされたモナムさんの腕を描いていた。しかし現実の光景には、まるで金属に当たったかのように弾かれた剣と、無傷の状態を保つ彼女の腕があった。
「え? なんで?」
「最初に会った火の魔力を思い出せ。私の剣を奴は肉体で弾いていただろう」
「……そうですね、弾いてましたね」
「今のも火の魔王も、魔纏の成せる技だ」
「魔纏……ですか」
「魔王の魔力は暫く残り続ける、その性質を利用した技だ。空気中に出した魔力を固め、体の表面に纏う。故に魔纏と呼んでいる」
身を守る技、魔纏。これが出来るか出来ないかで生存率が格段に変わりそうだ。
「まず魔力を体外に放出する。その次にそれを体の表面に移動させる、そして固める。やる事自体は単純だ」
確かに単純。だがわざわざそんな言い方をするって事は、難しい技術だと遠回しに言っているのだろう。
「見てな」
言われて視線を向けると、モナムさんから少量のもやもやが出た。彼女の魔力であろうそれからは少量とは思えない濃い気配がする。すると魔力は彼女の体に纏わりついて行き、遂には姿を消した。だがよく見ると彼女の体の表面に魔力を感じる。だが注意して見ないと分からない程には薄い。
「わかったか?」
「まあ、なんとなくは……」
言葉だけよりかはいくらかイメージが付きやすい。だが簡単そうにやってはいたが、実際はとても難しいのだろう。ただ放射していた今までに比べ段違いの難易度なのが伺える。
「この魔纏に効果的なのは魔王の魔力による攻撃だ。以前ガーゴイルを相手にした時、魔力を纏わせた剣でないと攻撃が通らなかったのは覚えているか?」
「ああ、あれはそういう事だったんですか……ん?」
「どうした」
「魔物って魔王の魔力を持っているんですか?」
「持っているのもいる。だが魔物は核を持っていないからな、適合者に比べれば微々たるものだ」
バロフが作ったから持っていたのかと思ったが、そういう訳でもないのか。しかし微々たるものとは言うが、その微量であれだけ手ごわくなるのは恐ろしいの一言だ。俺が適合者でなかったら太刀打ち出来ない相手って事じゃないか。
「イリュー、今からやることは分かったか?」
「魔纏の習得と、魔纏に通じる攻撃の習得ですね」
「よし! じゃあ目標は、オレのコブシで壊れない魔纏作りと、オレに傷を付けられる攻撃を身に付ける。そんでもってそれがケンカの中で出来るまで、だな!」
「はい!」




