魔王の魔力
「……どこだここ」
俺が突然放り出されたのは、だだっ広い原っぱだった。辺り一面見渡す限りの地平線。前のように城の横とかではなく、どこか遠くに放られたのは理解できた。だがそれだけしか分からない。教育係は外と言っていたが、見回しても姿はない。
「一体どうしろって……」
途方に暮れた俺の肩を、ポンと何者かが叩いた。
「うわっ!?」
払いのけるように距離を取り、相手がいるであろう方向を見据える。そこには一人の女性が立っていた。
ツバの広い大きなトンガリ帽子に、暗い緑色をした長いローブ。これだけ見ればいつか絵本で見たような魔法使いそのものだったが、彼女はそうではなかった。ローブの正面、首元から足周りまでが一直線に引き裂かれていた。裂け目からは黒地に白の模様が入ったショートパンツと、赤一色のノースリーブが姿を覗かせている。俺の対応を見て不敵に笑う女性。ローブが風になびき、最早マントと言うべき状態になっていた。
「よぉリュウヤ、もう体は万全か?」
気さくに右手をあげ、久しぶりとでも言いたげに親しげな様子を見せる女性。だが俺からすれば、貴女は誰だと聞きたくなる相手だ。目の前の人物を俺は知らない、どこかで会ったのだろうか。
「ああそうか、お前ぐったりだったもんな。吐きまくってたお前を宿まで連れてったのがオレだぜ」
そういう事か。道理で俺に見覚えがない筈だ。言われて見れば彼女の声はどことなく聴き覚えがある。
「モナム=セスリウィットだ。よろしくな」
「圦埼 柳埜です。よろしくお願いします。その節はお世話になりました」
名乗りと共に差し出された手を、同じように名乗りながら握る。小さく柔らかな女性らしい手だったが、返ってきた握力は女性らしからぬ力強さがあった。
背丈は俺より低いが、豪気な言葉使いと振る舞いにどこか年上の余裕を感じる。顔立ちも美しいと言うべき整った造形だが、眼の丸みや顔の小ささなどに多少の幼さを感じさせる。首より少し長めの赤い髪は、見つめていたくなる火のような不思議な魅力があった。
「ここに来たって事は、決心したんだな」
「……はい」
決心、と言うべきものなのか、自分ではよくわからない。だがその道を進むべきと決めた事に違いはない。
「よぉーし! オレがきっちり鍛え上げてやるからな!」
「お願いします!」
「じゃあまず基礎だがな、魔法撃つとバーって出るのとブァーってなるのがあるだろ?」
「ん? え?」
おや? 雲行きが怪しいぞ?
「ブァーってなるのもバーってやるんだ」
「ちょっ、え? ブァー?」
「次にブァーってやってピシっとやれれば合格だな」
これでわかったろ? と言わんばかりに自信に満ちた表情のモナム。バロフさん、貴方人選を間違えたんじゃないですか?
「ほら、やってみな」
何を?
「あの……モナムさん、もう少し分かりやすく……」
「んぁ? 大分分かりやすいようにかみ砕いたんだげどな、難しかったか?」
かみ砕き過ぎです、原型が何も残ってないです。
「まずな、グァアアってなるやつと……なに? なんだ?」
また擬音が飛んできたと思ったら、急にモナムさんが右下の辺りを見て、そのまましゃがみ込み耳を傾け始めた。ああ、おお、ふんふん、と何かを聞いている様子だが、俺からすれば何をしているのかと言いたくなる光景だ。余りにも不可解な様子にそろそろ口を挟もうと思った時、任せろ! とモナムさんが勢いよく立ち上がった。
「まず初めに基礎知識からな。えー、イリューが自分で使う魔力が、どういうものかを、知っておく必要がある」
「あ、はい」
言葉の途中で急に教え方が理知的になった。そして先程に比べて口調の棒読み感が強い。まるで暗記した言葉を思い出しながら言っているみたいだ。
「普通の魔力は生き物の体内で独自に作られる。魔法を使えばその分魔力が体力のように減る。魔法として出た魔力は効果を発揮した後、そのまま消える。これが通常の魔力の特性だ」
思えば魔力について俺はほとんど知らない。確かに自分の持つ力がどういったものなのかを知るのは重要であり、基礎でもある。
「イリューも持つ魔王の魔力には、通常の魔力とは違う特性がある」
違う特性、そこが今回の特訓のカギになりそうだ。というか……
「イリューって、もしかして俺のことですか?」
「そうだぜ? イリサキ=リュウヤで頭取ってイリューだ、ダメか?」
「ダメではないです、ちょっとびっくりしただけです」
そんな呼ばれ方は初めてだったので、自分だと理解するのに少し手間取った。そういえばそんなタイトルのドラマがあったようななかったような。まさかこんなタイミングで故郷を思い出す事になるなんて。一度で二度びっくりだ。
「んじゃ続き……なんだっけ」
首を傾げた彼女は再びしゃがみ込む。そしてさっきと同じように耳を傾け、分かったぜ! と勢いよく立ち上がった。
「んーっと、魔王の魔力には独立性がある。そこが大きな違いだ」
「独立性?」
「さっき話した通り、普通の魔力は使えば消える。だが魔王の魔力は使った後でも暫く残り続ける。それだけじゃなく、使わなくても持ち主から出て離れようとする性質もある」
「勝手に抜けて、そのまま残り続ける……」
なるほど、独立性とはそういう事か。
「ただ、イリューのように適合した者の体からは勝手に抜ける事はない」
魔王の魔力が抜けない体、それが適合者。適合者に渡るまで世界を彷徨い続ける、バロフが言っていた通りだ。だが一つ気がかりなのは、魔王の魔力は使った分がまた体内で生成されるのかどうかだ。取り込んだだけだから使った分は減ったまま、なんてことは十分にあり得る。
「魔王の魔力は体内で生成されるんですか?」
「されるぜ。んーっとなぁ、なんでだっけな」
首を傾げ、彼女はまたもその場にしゃがみ込む。ふんふん、と頷きながら聞いていた。
「めんどくせ」
モナムがボソッとそう呟くと、まるでそれが水であるかのように滑らかに地面に手を突っ込んだ。
「直接話せよ」
そう言いながら彼女は何かを引きずり上げた。ズルズルと姿を現したそれは半透明の薄い水色。あのスライム達を思わせる色合いだが、大きさはかなり異なっていた。それは人間ほどのサイズ、と言うよりももう人間の女の子のような形をしていた。
半透明で分かり難いが、可愛い顔をしている。愛嬌というか、幼さと言うか、そこは人が分かれるかもしれない。体はこれまた分かり難いが、フリルの付いた服を着ているようにも見える。所謂ゴスロリファッションだ。髪、に当たる部分はどうやらツインテールのよう。足の先までありそうな長い長い髪も、もれなく半透明。
「ぇ? ……あわわわわわ!?」
引き上げられたスライムのような女の子、始めはキョトンとした表情をしていたがみるみるうちに顔が赤らみ、水が染みるように再び地面の中に潜り込んでいってしまった。しかし何だかあの声、どこかで聞き覚えがあるような気がしてならない。
「え、なんですか今の」
「クロッシーだ。見ての通りの恥ずかしがり屋だぜ」
「……そのクロッシーというのは本名ですか? あだ名ですか?」
俺にも早速あだ名をつけた彼女の事だ、クロッシーもあだ名の可能性がある。
「あだ名、黒騎士のクロッシーだぜ」
「ああ、黒騎士のクロッシー……ぇえ!? 黒騎士!?」
うっそ、あの中身この子だったの!? おっさんとかじゃなかったの!?
「恥ずかしいけど威厳が出るようにって、わざと渋い声に変えてるんだぜ」
声を変えて……言われて思い出した、一瞬だけ黒騎士が発したあの女の子の声、今の子と同じだ。
「何となく分かっただろ? オレは実戦派だからな、教えるのはクロッシーの方が得意なんだよ。だから知識とかはクロッシーに頼んでくれ」
そう言ってモナムはその場で倒れ込んだ。何事かと慌てたが、見れば寝息を立てている。恐ろしい寝つきの良さだ、ちょっと羨ましい。
「えっと……」
モナムが寝てしまった事で、俺は一人になってしまった。まあ地面の中に黒騎……クロッシーがいるんだろうけど。
「こう、でいいのかな」
今は熟睡中のモナムがやっていたように、地面に耳を傾けてみる。
「……立ったままでいい」
土から声がした。低く威厳のある声、俺が馴染みのある方の黒騎士の声だ。取り合えず、言われるがままに立ってみる。
「魔王の魔力には核がある。取り込む事はすなわち核を取り込むことだ。その核から体力などを消費して通常の魔力に代わり魔王の魔力が生成されていく」
立ちあがった状態でも問題なく声は聞こえた。取り込んだ核から……変換する機械を取り付けたとか、そんな感じで考えておこう。
「体内の核を感じ取る事、それが魔王の魔力を自在に操る第一歩だ。意識を体内に集中させてみろ」
言われた通り、体内に意識を集中させる。幾度となく使った火の魔力が、体を巡っているのが分かる。そして黒騎士の言っていた核が……
「ない」
あれ、全然見当たらないぞ? どこだ? 何もそれらしきものは感じないぞ?
「えーっと、核ってどこにあるんですかね」
「それはわからん。魔力と同じで体内を移動し続けているからな」
「じゃ、じゃあどんな形かとかは……」
「それも分からん。みな違う形をしているらしい。何はともあれ、その核を感じない事には何も進まん。しっかり励むことだ」
もう一度意識を向けてみたが、結果は変わらず。これが出来ないと先には進めないのか……はたして俺は本当に進む事が出来るのだろうか?




