第六話
「こ、こう!」
「それはやりすぎ!」
「とおう!」
「それじゃ硬すぎ!」
「えええい!」
「力み過ぎ!」
新しい靴を得て魔法を初めて使えたアイリスではあったが、一つ問題があった。
「ぜ、全然上手くできない……!」
「アイリスはあれね! 魔法を使うことにもっと慣れないとねえ」
「うう……すみません」
「いやあ誰だって知らないことは最初からはできないって。旧文明の人たちはそうだったって資料に書いてあったよ」
「……普通カヒトなら生まれたときからひととおり必要なことはできるものなんですよね」
「そりゃエーテルツリーにそう設計されてるもの!」
それはつまり、エーテルツリーを介さずに生まれてきたアイリスには人並みのことができるようになるまでの道のりは険しいという意味ではなかろうか。溝は簡単には埋まらなさそうだ。
アイリスは今、壁の再建作業の傍ら、魔法を使う訓練をしている。風を操る魔法だ。折角魔法を得たのだから、壁の再建のためにも役立てられないかと、バンクシアが指導をしてくれているのだ。してくれるのだが、どうにもアイリスは上手く魔法を制御できないでいる。具体的には、風を起こして大きな資材を運ぼうにも魔法の出力を調整できずに壊してしまったり、思った場所まで持っていけずに散らかしてしまったりする。惨憺たる結果である。
その間にもイキシオリリオンやオダマキは作業を進めているというのに、アイリスは何の役にも立てていない。どころか、むしろ邪魔をしているくらいではなかろうか。イキシオリリオンは覚えれば役に立つだろうと言ってこの訓練を許可してくれているが、捗っていないことを想うと自己嫌悪が募る。
「うう……やっぱりわたし、足を引っ張ってばっかりですね……」
「もう、暗い顔しなーいの! 人の個性はそれぞれよ。アイリスの魔法はあたしのとは違うでしょ。違うものを比べたってどうにもならないわ。そういうの比較しようがないってやつよー?」
バンクシアが慰めに肩を叩いてくる。確かに彼の言うとおりだ。アイリスの魔法は風を起こすことで、仲間内の誰もそんな魔法は使わない――というより、そう設計されていないというべきか。不得意なことを補うより長所を伸ばして、苦手なことは他の仲間と協力するほうが効率的という話だ。過去、エーテルツリーが正しく機能していたころは、必要に応じて仲間を作っていたという。
そういった過程とは無縁のアイリスは、いくら性質が異なるとはいえ魔法という大きなくくりで言えば、ようやくスタートラインに立ったような状態だ。一朝一夕でどうこう変化があるものでもない。わかってはいても焦る。他のカヒトたちがあまりにも遠く感じられる。
「やっと魔法が使えるようになれたと思ったんですけど……」
「充分進歩してるじゃないの」
「でも……」
あくまでスイッチを入れられるようになっただけだ。ある程度方向性は決められるものの、細やかな制御は全く感覚が掴めていない。
「んー、あんまり細かいコントロールが効かないような性質なのかもだけど。ほら、あたしのは自分の体を強化するだけだし、イキシオリリオンだって触ったものの熱をどうこうって話だから。アイリスのはなんだろ、加減がいまいちできてないのかな。もっとでっかく動かしてる感じはするわね」
「でっかく動かしてる……」
バンクシアは頷いた。
「きっと一生懸命すぎるのよ。肩の力抜いて、もうちょっと魔力の使い方ミニマムにならない? こう、重たいのは持つの大変だけど軽いのは簡単でしょ。そんな感じに魔法で干渉する範囲をせまーくすんの。きゅっとすんの」
「きゅっとする」
「あたしだって強化のとき、速く動かせるようにとか、パワフルにとか……その都度必要に応じてやること変えてるわよ。やりたいことをはっきりさせとくの。力を一点に集中する分局所的な出力? ってやつ? が上がるみたいな? きゅっとしてぎゅーんってなってパワーがどかーん的な?」
途中からだいぶふわふわした説明になってきたものの、言いたいことは伝わってきた。要するに、今のアイリスには傍から見てもわかりやすいくらいに無駄が多すぎるのだろう。
一点に集中する。なるほど、漠然としたイメージではいけないらしい。明確に、望む結果を一つに絞り込む。瓦礫を運ぶのだって、ただ持ち上げればいいのではない。壊さないように繊細に。飛び散らせないように丁寧に。
魔力を通しやすく作ってもらった新しい靴によって、世界を動かす神秘へと接続する。空気を揺らす。深呼吸。目の前のことだけを考える。壁を修繕するために必要なこと。支えること。運ぶこと。目的たる結果は決まっているのだ。ならばそれに沿うように、魔力に祈りを込めればいい。集中。靴が力を引き出してくれるのだから、力を発揮しようと意識しすぎることはない。むしろ今必要なことは、暴走させないように気を配ることだ。
足に力が流れていく。靴がそれに形を与える。踏み出した一歩が風を生む。柔らかく頬を撫でる風に、方向性を足す。空気のうねりを束にする。
――資材が浮いた。
「お、おお、おおおおう……!」
「その調子よアイリス! 高さ維持してこっちまで持ってくるのよー!」
バンクシアの誘導に従って、壁の修繕用の資材を運ぶ。資材といっても壊れた壁の破片の中で再利用できそうなものというだけだが、それでも細かな石を積み上げていくよりは、ある程度形を保った破片を部品にするほうが効率もいい。
「そーっとおろして、そーっとよ!」
「そー……っと!」
風の力で持ち上げたそれを、いよいよ目的地へと下ろそうとしていたそのとき、横から割って入る声があった。
「やっほー若造ども~。元気にやってるー?」
「うおわァッ」
驚いて集中が途切れる。瞬間、大きな音がすると共に砂埃が舞った。
「アチャーもう一歩だったのに」
丁寧に置くはずだった資材は乱暴に地面に投げ出され、ある程度形を保っていた瓦礫も最早塵芥に等しい。派手に失敗したことは少し離れた場所で作業していたイキシオリリオンたちにも伝わったようだが、何事もなかったかのように目を逸らされた。それはそれでつらいものがある。
「いやあごめんごめーん。驚かせちった?」
「はかせ……あ、いえ、その、驚きはしましたけど……わたしの未熟ですから。もっと上手くできるようにならなきゃ……!」
「まあまあ。そんなに慌てなくたってゆっくり覚えていけばいいよ。今日だけでもすごい進歩してるし――」
バンクシアがそう言ったのを、ガーベラはいやいやと遮った。
「邪魔しといて言うのもなんだが、そこは急いでほしいな~申し訳ないけれど」
「……んんー? なんかあるの? ってかはかせ、今日は姿見ないなーって思ってたけど何してたのよ? なんかすっごい疲れた顔してるけど」
「ナッちゃんと古のラップバトルしてただけだよ」
「つまり、その……喧嘩したんですか?」
「議論だよ~。ちょーっとヒートアップはしたけども」
ガーベラは頭の橙色の花と同じように柔らかく微笑んだ。にこにことしているが、アイリスは何か誤魔化すような笑顔だと感じた。先日もナデシコの事情聴取という名の追及があったはずだが、それに引き続き言い合いになったということは、相応の何かがあるに違いないのだ。
「アイリス。きみには即戦力になってもらいたいんだ」
「即戦力……ですか?」
「そうとも。我々カヒトには、文字通りの戦える人材が必要なのさ。アイリスだって折角新しい靴に替えたんだし、それならそれで活躍の機会が必要だろう?」
それは――壁の再建ではない、他の何かということだろうか。バンクシアと顔を見合わせるが、特に彼も何か聞いているわけではないようだ。戸惑うアイリスをよそに、ガーベラは他のカヒトにも「作業中断、お話しがありますー」と声をかけている。ひとまず話を聞くしかない。