第四話
先の鉄蛇襲撃騒動から一週間が経った。
鉄蛇はそもそもが遺跡に存在するもので、遺跡から出てくること自体そう多くはないことだ。次に鉄蛇が現れるまでの間に、少しでも壁の建て直しを進めなければならない。
「はかせー、これこっちで良いのー?」
「ああ、待て待て待ちたまえ。折角だからこの鉄蛇の装甲を壁に使おう。溶接はイキシオリリオンが魔法でやってくれるから。だからまずこれをこう、全部叩いて真っ直ぐにしてだな……して……し……できない。バンクシアやってー」
「はいよー」
「オレの魔法をなんだと思ってるんだ、ガーベラのやつめ……まあいい。オダマキ、次の漆喰と土をもってこい。アイリスは水汲みだ」
「かしこまったぞおにいさま」
「は、はいっただいま!」
オダマキに頼んだ靴の完成を待つ間、アイリスははかせ――ガーベラの監督、およびその補佐であるイキシオリリオンの指示に従って壁の建設を手伝っていた。とはいえ、特別何か力があるわけでも、魔法を使えるわけでもないので、できることはせいぜい雑用くらいで、あまり役に立てている気はしない。いないよりはマシという程度だ。
当のオダマキもまた労働力として駆り出されているのだが、ならば靴の制作は休んでいるのかと思えば、どうも夜も寝ずに制作を進めているらしい。日が暮れて作業を終えた際にその話を聞いて、アイリスは驚いた。
「あの、健康第一といいますか、眠れるときにはきちんと寝ていただいたほうが良いのでは……」
「おれからいきがいをうばってはいけない」
「それで死にそうな顔をしていらっしゃるのに……!?」
オダマキは随分と疲弊しているようだったが、それでも靴づくりは休みたくないらしい。執念であった。靴を頼んでいる側としては、それだけやる気を持って取り組んでもらえることはありがたいが、自分のせいで負担をかけてしまっていることはやはり気がかりであった。
本当ならばナデシコに相談すべきところなのではないか、とも考えた。だがオダマキは「いってはいけない」とどうにもぼんやりした声をしていながら繰り返し念を押してくるので、結局は言い出せずにそのままずるずると日数だけが経過していく。ナデシコは万が一のときの医療担当であるため、手を傷つける可能性がある作業はせずに、治療に必要な道具の揃っている自宅から出てきていないため、オダマキの姿は見ていないままだ。
壁の修繕はなかなか進まない。魔法の得意なバンクシアとイキシオリリオンが中心となって、外敵に警戒しながら作業を進めているが、それにしても限界はある。作業に終わりはなかなか見えない。壁を直すまでは、バンクシアも探索へは行かないらしい。
ある種の停滞がそこにあった。全く何も進まないわけではないが、先が長すぎて、そう感じてしまうような緩やかさ。
「今日の作業はここまで!」
陽が暮れ始めた頃、イキシオリリオンの凛々しい号令があった。
「壁はまだ穴が開いているので、今日はオレが見張りをしておく。お前たちは速やかに寝床に戻るように!」
しっかり休息を取れということだ。それにそうしたほうが彼にとっても都合がいい。足手まといを庇いながら敵と戦うよりは身軽に動けるという理屈だ。
確かに光合成もできない夜になろうとしているのに、いつまでも居座る理由もない。ひとまず今日は帰ろうと居住区のほうに足を向けたとき、アイリスを呼び止める声があった。
「アイリス、アイリスや」
「オダマキさん?」
「ちょいと」
オダマキが手招きしている。恐らく寝不足なのだろう、随分と隈がひどい。話し方までどこかおかしくなっていていっそ不審な様子だが、いつの間にやら何か袋を持っている。近づくと、袋の中を見せてくれる。
「わ、これ……」
そこには、靴があった。
白いショートブーツ。甲とかかとの部分に金に輝く装飾が施されている、真新しい特製の靴――カヒトにとっての、魔法の杖。
「完成した。素材はエーテルツリーを用いて合成した特殊繊維に、エーテルシードの殻を溶かして加工したものを使った。これなら魔力を通しやすい、はずだ」
「オダマキさん、これ、本当に私が履いていいんですか!?」
「きみのために作ったものだ。作業も終わったことだしぜひ履いてほしい。今ここで。するっと。ずるっと。しゃっきりと。きっときみの魔法を引き出せる。ゆえに履け。それを見るまで眠れない」
「寝てください!?」
オダマキはただ靴を押し出してくる。疲労によって様子がおかしいオダマキのためにも、ありがたく履くことにする。
それまで履いていた、かかとのすり減った旧い靴を脱いで、新しいブーツに恐る恐る足を入れる。
かかとの高さが違うので、少しだけ視界も変わる。けれど安定感があり、決して苦になるものではなかった。歩いてみる。重さはそう変わらないはずなのに、随分と足が軽く感じられる。きつくもなく緩くもない。ちょうどぴったり、自分の足と合った靴。
これは――とても、良い靴だ。
「オダマキさんっ、この靴……!」
彼が自分のためにあつらえてくれた靴。彼のほうを向くと、満足げに微笑んでこちらを見ていた。
「ああ。よく似合っている……まさに、なんだ、あれだ。芍薬もかくや。本物は見たことないが」
「あ、ありがとうございます……オダマキさんが良い靴を作ってくださったから」
「趣味には全力投球するものだ。歩くのは問題がなさそうだから、次はそれに魔力を通してみるといい」
「まりょく……」
そこが一番の課題である。アイリスは以前の靴では魔法を使えたことがない。
ごくり、と唾を呑む。果たして上手くできるだろうか。魔力とは即ち、特定の現象を引き起こすエネルギーであり、元々生まれ持った肉体に備わっている神秘だ。伝承に残る妖精ほど自在にはいかずとも、妖精に由来するカヒトであれば、適切な補助――靴があれば、魔法を使えるはずなのだ。
いざ、魔法を――そうやって身構えたとき、ふと、聞き覚えのある音を聞いた。砂を削るような、なにか大きな物が近づいてくる気配。
「この音――?」
遠いように聞こえたが、しかしそれはどんどん近づいてきている。硬いもの同士が擦れる音。空気を震わす何か――それは急速に近づいてきている。地面が揺れる!
「わわっ」
「アイリス!」
意識していなければまともに立っていられないほどの揺れ。すぐ傍にいたオダマキが支えてくれたおかげで、アイリスはかろうじて転ばずに済んだ。
だが脅威は止まるわけではない。金属の巨体が大地の砂を削りながら壁の内側へ入りこんでくる――!
「やだ、鉄蛇が二体も!?」
「下がれガーベラ! バンクシア、左をやれ! こいつらも破壊して壁の材料にするぞ!」
「はいよっ、任せてお兄さまっ!」
イキシオリリオンの指示に、帰路につこうとしていたバンクシアも踵を返す。魔法による身体強化があれば、十分に間に合う距離だ。
「進ませてなるものか!」
イキシオリリオンは一足先に、より近くにいた鉄蛇へ向かう。彼が暴れる巨体をヒールの高い碧い靴で蹴りつけると、即座に金属の体は動きを止めた。彼が踏んだ場所はやがて溶けて捻じ曲がり、一瞬にして完全に破壊された。
バンクシアもまたしなやかな足が地面を蹴って宙へ飛ぶ。軽やかに舞うように鉄蛇にとびかかり、魔法で強化された足で装甲を踏み抜く。そのまま関節を力任せに折ってしまえば終わりだ。
「よっし、一丁上がり! っと、え、ウソ!」
止まったはずの鉄蛇が、二つに割れて――割れたところから、小さな鉄蛇がもう一体飛び出してくる。頭から刃が飛び出ている。バンクシアが驚いて声を上げる――小さな鉄蛇は、巨大な体躯のそれよりはるかに速く、次の目標を定めて移動している。その先には、アイリスとオダマキがいる。
「逃げてアイリス、オダマキ!」
バンクシアの声がする。されど既に鉄蛇はアイリスたちの眼前へと迫っていた。ここから逃げ延びようなどというのは到底無理な話だ。鋼鉄の蛇は振動する刃をもってアイリスたちを刈り取ろうとする。
アイリスを支えていたオダマキは、背中を押すようにして囁いた。
「アイリス、靴に魔力を」
「――ッ! わ、わたし……!」
逃げるには時間がない。たとえ逃げても逃げおおせる自信がない。バンクシアもこちらへ向かっているが、きっと魔法で加速しても間に合わない。ならばやることは一つだけだ。一か八かであっても、そうするしかない!
「お願い……上手くいって……!」
足に意識を集中する。体中を巡る力を、一点に注ぎ込むように――靴を履いたこの足は、魔法の杖そのものだ。
ならば可能だ。たとえ即興であっても、妖精の因子を持つカヒトであるのなら、願いはそのまま現実へ干渉する力とできる。世界を動かす神秘は本能が知っている。足先から、靴を通して溢れる魔力が空気を揺り動かし、祈りの風を呼ぶ。
吹き荒れる強風。鋼鉄の獣が、止まる――未だ淡く脆い幻想、アイリスが願った反発は風となって鉄蛇に纏わりつき、その行く手を阻んでいる。
「わ、わたし、魔法、できました……!?」
「今だ、やれバンクシア!」
「今度こそ逃がさないから――うおおおおおおッ! 天誅ッ!」
逆風によって動きの鈍った鉄蛇に、バンクシアが追いついた。彼の魔法によって強化されたしなやかな足が鉄蛇の頭部を貫く。それによって制御基板が破損したようで、小型の鉄蛇は完全に停止した。
「ふうっ、あっぶな〜……アイリス、アンタとっても偉いわ、やればできる子!」
「あ、ありがとうございます。新しい靴のおかげで……」
魔法というにはあまりにも稚拙であったけれど、何とか形にはできた。少しは――役に立てた、のだろうか。無我夢中であったので、自分でもあまり実感が伴っていないけれど。アイリスは傍にいたオダマキに被害がなかったことを確認して、胸を撫で下ろす。
「アイリス、オダマキ、無事かい!?」
「ガーベラはかせ! はい、大丈夫です」
「問題なし」
鉄蛇の脅威がなくなったので、ガーベラやイキシオリリオンも様子を確認しにアイリスたちのほうへ向かってくる。終わったのだ、と実感すると、アイリスは気が抜けてしまったのか、上手く立っていられずふらついてしまう。それをオダマキが再び支えてくれた。
「よくやった。俺の見込んだとおりだ」
「えへ……おかげさま、です」
本当に――上手くいってよかった。予想外の出来事であったが、大きな問題もなく済んだというのは奇跡的だ。よくよく考えてみれば、この場には現状動けるカヒトのほとんどが集まっていて、この先には帰るべき居住区がある。この場で鉄蛇の侵入を防げたのは重要だ。
「つーかオダマキ、アタシの迂闊も悪かったけど、アンタもちょっとは抵抗とかしときなさいよ! 肝が冷えるっつーの!」
「俺は非戦闘員なのでそういう対策は不得手。俺の魔法はもっと細かい作業用だ。裁縫とかの。それにいざというときはお前が助けに来る」
「オダマキそういうところ!!」
アイリスがバンクシアとオダマキのやりとりをぼんやりと眺めていると、ふと、オダマキのほうと目が合った。バンクシアの非難にも動じず、いつもと同じように落ち着いた顔をしているが――ほんの僅か、目を細めて笑ったように見えた。