第三話
採寸が終わり、あれこれとオダマキから希望を聞かれて、それに答える。ひととおり調べることが終わると、靴を作るのにしばらく日数がかかるというので、この日はそこで帰路につくことにした。
「そうだ。このことはナッちゃんには内緒にしておけ」
去り際に、オダマキはそんなことを言ってきた。
「質問です。なぜですか」
「回答する。なぜでもだ。……折角良い靴を作れるチャンスを無駄にはできない」
「……反対されるような靴なんですか?」
「安心するがいい。きみの足に似合う至高の靴にしてみせる。だから安心して俺の、そう、なんだ――あれだ。シンデレラになってくれ」
「なぜでしょう。なんだかふんわり会話が成り立ってないような気がするのですが……?」
いまひとつ噛み合っていない気はしなくもないが、オダマキは既に型紙を用意し始めている。恐らくもう止まらない。
実際のところ、今の靴はオダマキが言うにはぼちぼち寿命がきているという話なので、替えの靴を頼んだという意味では隠すほどのことでもない――とアイリスは思うのだが、どうもひけらかすのはよくないらしい。
魔法を使えるようになりたい。新しいことに挑戦しようというのは、その分何かしらのリスクもついて回る――ナデシコを心配させないためにも、黙っておいたほうがいいのかもしれない。
そこまで考えていながら、アイリスは重要なことを忘れていた。そもそも自分は今日、鉄蛇に襲われて、そのことをバンクシアが既にほかの仲間たちに報告しているということを。
◆◆◆
すっかり夜になっていた。
かつての家の残骸が立ち並ぶカヒトの町で、実際に使われている建物はそう多くはない。何せ現状生き延びているカヒトが少ないので、すべては管理しきれないからだ。それができるだけの人員的な余裕がない。
アイリスはナデシコによって育てられ、独り立ちにはまだ早いとして、白い屋根の家に一緒に暮らしている。ナデシコはいわゆるところの保護者であり、だからといってアイリスの行動を制限するようなことはしないのだが、流石に今日は帰宅するのが遅すぎたらしい。
「アイリス!!」
「わぶっ」
家の扉を開けた瞬間、ナデシコの怒声が飛んできた――そのまま勢いよくアイリスのほうへ向かってきて、肩をがっちりと掴んでくる。加減が一切ないので少しばかり痛いくらいだ。
「な、ナデシコさん、ただいま戻りました」
「こんな時間までどこをほっつき歩いてたんだ、このバカ! 光合成が捗る時間はとっくに終わってるぞ!」
「す、すみません」
「聞いたぞ、鉄蛇に襲われたんだってな! そのまま真っ直ぐ連れ戻さないバンクシアのバカもバカだが、真っ直ぐ帰ってこないお前さんもどうなんだ、ええ!? その様子だと怪我も特になさそうだがな! そうだよな、ピンピンしてんだから薬臭い医者のところに戻る理由はないよなあ! ナデシコさん知ってる!!」
「遅くなってごめんなさい!」
随分と心配をかけてしまったようだ。確かに今日は色々あったが、それでもナデシコに何の連絡もせずにいたことはまずかった。アイリスの謝罪が届いたのか、ナデシコは黙った。黙って顔を俯かせると、彼のほうが背が低いので表情が全く見えなくなる。
「あの、ナデシコさん……?」
「……お前さんがどこで何をしてようが、お前さんのことだから、ボクから文句を言えたことじゃあないがね。自分より若いやつが危ない目に遭ったってのは、やっぱり心穏やかにはいられないんだよ。無事だって聞いたって、自分の目で見なきゃ信じられない」
肩を掴んでいた手は少しだけ下へ回って、抱き着くような形になった。彼の頭に咲く桃色の花だけが視界を埋める。
「ちゃんと無事でよかった」
「ご心配、おかけしました。本当にごめんなさい」
「……いいよ。しょうがないから許す。ボクは心が広いんだ」
ナデシコが言った。表情はやはり見えないままだったが、すん、と鼻水をすするような音がしたのは確かに聞こえた。言葉で言うよりずっと不安にさせてしまったようだ。反省せねばなるまい。
「お前さんも今日は疲れているだろうから、今夜は早く休みなさい。明日あたり、はかせがあれこれ注文をつけてくるだろうからな。ひとまず今晩はイキシオリリオンが見張りをすると言っていた」
「そうだ、貯水池の壁……」
アイリスが襲われた際に、貯水池を囲っていた壁は破壊された。あれは貯水池、そして居住区に住まうカヒトたちを守るためのものだった。防護壁が崩れてしまったということは、これまで壁が侵入を阻んでいた鉄蛇たちが、今後は何かの拍子に居住区まで入り込んでくるかもしれないということだ。
「まあ、鉄蛇なんてほとんど遺跡から出てこないし、今回のはレアケースだったんだろうがね。どうせカヒトも先細るだけの種だ。それが少し早くなるかもしれないってだけさ」
「ナデシコさん……」
「さあ、明日に備えて寝よう。折角光合成で得たエネルギーを無駄にするわけにもいかん」
確かに一理ある話だった。ナデシコに促されて、アイリスは自分の寝床で横になった。明日のために眠らなければ。気にかかることは数多くあれど、それを落ち着いて考えられるほど、今のアイリスに気力は残っていない。
そういえば靴の話はしなかったな、と目を閉じてから気がついたが、それよりも疲労が勝った。
◆◆◆
天高く上る月が、貯水池を照らしている。満月の光は影の色を濃くしたが、明かりとしては充分に役割を果たしてもいる。夜が深くなったとはいえ、それなりにものも見える。
「それで何か見つかったのか、ガーベラ。それともはかせと呼ぶべきか? こんな夜更けに調べものなんざ、オレからすれば非効率的だと言わざるを得んが」
崩れた壁の上から、髪の長いカヒトが声をかける。目線の先には、バンクシアによって破壊された鉄蛇の残骸を調べる白いコートを着たカヒト、ガーベラがいる――尤も服装に関しては多少の差異はあれど、服飾担当のオダマキが全てを制作しているため、どれもこれも雰囲気が似通っているのだが。
「明日まで待つなんてそれこそ非効率的と呼ぶべきさ、イキシオリリオン。こういうものは早々の対処が必須。そりゃあ詳しいことはエーテルツリーの機能を使わなくちゃ解析できないけど、使えそうなものがあるかどうかくらいは今のうちにね。それに、私が調べるのを後回しにして新しい鉄蛇への対処が遅れる、なんてことになったら目も当てられないだろ?」
月明かりでは足りない部分をランタンで照らしながら、ガーベラは鉄蛇の残骸から工具で装甲を外していく。上辺の鎧が剥がれると、中から電子回路の基盤と、それを繋ぐコードが零れ落ちた。
「そうかい。お前がそう言うならそういうことにしておいてやる」
「あっひどーい。建前だと決めつけないでくれたまえ。確かに建前だけど! ほんとは新しいおもちゃにわくわくしてました! 旧文明の遺産を詳細に調べられる機会は少ないからね! いつ頃作られたのかなあこれ! あまり劣化している感じがしないんだよね、何の素材だと思う? チタンとか? イキシオリリオンはどう思う?」
「知らん」
「冷たくない? 長年の相棒の仕事にもうちょっと興味もってくれてもよくない?」
「オレはそういうのは向いていない」
イキシオリリオンの冷めた返答に、ガーベラはやれやれと肩をすくめた。
「まあいいさ、考えるのは私の仕事。というか、ネオネバーランド再興のために私ができることもそれくらいしかないしね。それが本当に可能なのかどうかもわからないけどさ」
鉄蛇から取り出した基盤を鞄の中へ片付けながら、少しずつ解体を進めていく。
「……そのために過去の遺産を調べているんだろう。エーテルツリーの機能を回復させる手段があれば、新しい仲間も作れると聞いたが」
「そう。半有機生命演算器エーテルツリー。その機能で新しい仲間を作って、エネルギーを回収して、街を建て直す。それが理想……だけど」
ネオネバーランドにおける尤も重要な存在。光合成によって成長する機械、エーテルツリー。記録に残っている多くの植物と同じように枝を伸ばし、花を咲かせ、エーテルシードと呼ばれる膨大なエネルギーを有する実をつける。
現在では水質浄化とエネルギー生産くらいにしか使われていないが、本来はもっと多くの機能を有している。その中で、現在のカヒトにとって最も重要なのが生命の生産だ。ツリーに必要な情報を入力すれば、シードが新しい生命の揺り籠となる。
ネオネバーランドに町が作られた当初は、他の土地から複数の動物も連れてこられたという記録が残っているが、それも時代を経るにつれて数を減らしていった。エーテルツリーに生命生産機能があったために、旧い時代に行われていたという交配もその技術が失われた。そして、寒波による被害で、ネオネバーランドの生命はほとんどが死に絶え、エーテルツリーも損傷して以前ほどのエネルギー生産ができない状況に陥ってしまった。
かろうじて生き延びたカヒトたちは、利用できるリソースを考慮して、一部が魔法による眠りについた。そうして現在、ガーベラを初めとするわずか六名のみが活動状態にある。それがカヒトの生活環境を保てるぎりぎりのラインであり、新たな生命生産に使えるほどの余裕はない。
だからこそ、エーテルツリーの修繕はカヒトたちの悲願とも言えた。それがなければ、眠った仲間は呼び起せず、新しい仲間も増やせない。時折遺跡からやってくる鉄蛇がカヒトを襲い続けている以上、このままではただ消耗するだけなのだ。
「こういう鉄蛇を調べるのも、鉄蛇対策だけじゃなくて、人間の技術のかたち全般を知るためだ。エーテルツリーは妖精の魔法と人間の科学によって作られたもの。これがエーテルツリー復旧の手がかりになればいいけどねえ」
「大昔にはエーテルツリーを使わないカヒトの作り方もあったらしいが。アイリスのような」
「あの子結局どうやって生まれてきたんだろうね? 肝心の先代のアイリスが死んでしまったから調べようがないんだけど……ほんとどこで知ったんだろう。死んだ仲間たちには他にも知ってるやつがいたのかね。謎すぎる……」
「謎も何も、確認しようがないことを気にするだけ無駄だ。これから先何か過去の文献でも見つけられるとすれば、遺跡しかあるまい」
「やっぱり?」
「ナデシコがそのあたりを研究しているとはいえ、捗っているようには見えん。何か新しい資料でも見つかれば好転するかもしれんぞ。尤も探索の人手が足りていない今、目当てのものを探れるかどうかは運次第だが」
「それなー。バンクシアに任せきりってのも限界があるよねえ〜。どうしたもんかな。ここの壁も修繕しないといけないけど、そうなると探索のほうがおろそかになるし……ぐぬぬ案件」
「オレやバンクシアのように戦力として数えられるものが他にもいれば、択べる手段も変わりそうなんだがな」
「……私が一緒に行くとか? 軽いのしかできないけど、モノをふわっと動かす魔法ならできるよ!」
「駄目に決まっているだろう。お前に万が一のことがあればエーテルツリー復旧の可能性はほぼ潰える。どうせ体力もないんだから大人しく留守番してろ」
「ふつうに論破された」
行き詰っている。ガーベラが唸るのを横目で見ながら、イキシオリリオンもひっそりと溜息をついた。あまり良い状況ではないことだけは、確かだった。