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花人  作者: 味醂味林檎
第四章 星が降り注ぐ夜

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第十九話

 アイリスたちの魔力を吸い上げ、ガーベラの操作に従ってエーテルツリーが周囲の電波を探し出す。間もなくして、遺跡からの連絡を受信する。エーテルツリーの出力装置から、聞き慣れた仲間たちの声が届く。

『……えるか。聞こえたら応答しろ。こちら遺跡攻略班。聞こえていたら応答をよこせ』

『でえやッ! ほら、ほらあー! お兄さま、やっぱ自立型残ってたじゃんかー! アタシがいてよかったでしょ!』

『通信中だ、少し黙ってろ』

『あああー! お兄さまが冷たいー!』

 あくまで平静を保ったイキシオリリオンの声の後ろで、何やら金属音や悲鳴のようなものが聞こえている。

「おお繋がった……!」

『その声はガーベラか?』

『あっはかせー!? はかせー! 元気ー!? あっこのっこいつまだ動いてんの止まれ、止まれー!』

 ガシャン、と派手な音がしている。鉄蛇への対処が終わっていなかったのは間違いなさそうだが、イキシオリリオンはバンクシアの主張を全く無視しているので、実際のところ本当に危険なのかそれほど脅威はないのか区別がつきにくい。エーテルツリーの操作を担うガーベラは後者と判断したようだ。エーテルツリーへ魔力を回すだけで手一杯のアイリスは、ぼんやりとその会話を聞いていた。

「うんうん、こちらガーベラその他だよ~。イキシオリリオン、今どういう状況かな?」

『第七メインランド遺跡は概ね攻略した。エーテルツリーと遺跡の同期が終わり次第、標的の座標を変更する命令を出す』

「墜落自体は止めらんないの?」

『それができていたら前のアイリスが既にそうしている。できない。単純に遺跡のシステム自体にエラーがある。自己修繕システムでは修復しきれないものもあったらしい』

「なんでーいとんだ欠陥品じゃんかよー。ファッキンポンコツマシンだ! まあ、人間が滅んでから何世紀も経ってるからなあ……適切なメンテナンスがされていない遺跡が何かしらのエラーを起こすのも致し方ないといえばそうだけど。全く迷惑な話だねえ」

『通信の間エーテルツリーはもつか』

「やってみないとそればっかりは。同期終わったよ。さっさとやって」

『もうやってる』

 遺跡から送られてくる情報が、宇宙へ向けて発信されていく。あっという間だった。人間が旧い時代に使っていた高速通信システムについては、物理的なハードウェア――エーテルツリーというアンテナさえ用意すれば容易く解決する話だった。その間、無理矢理に構築したエーテルツリーの不足部分を補うために、アイリスは身を削るような痛みには襲われたが、それだけで済んだのだから、幸運であったともいえる。

『座標を島から離れた沖に変更した。それが変更のきく射程距離だった。何事もなければ、居住区には落ちないはずだ』

 そう、イキシオリリオンから通信が入る。落下の際の衝撃で大きな波が発生する可能性があるため、岸辺には近づかないようにとも注意される。

「これで必要な作業は終わったな? 接続を切るぞ。これ以上アイリスたちをエーテルツリーと繋げておくと神秘で存在を上書きされかねん」

 ナデシコが何か言っている、とアイリスは思った。苦痛の中にあったとはいえ、先程まではそれなりに認識できていた外の世界、自分以外のものが、どうにもぼやけていく。手を繋いでくれていたオダマキの顔を見ようとして、上手く体を動かせないことに気がつく。

「アイリス、おい、アイリス?」

 ――誰だろう。たぶん、オダマキさんの声。

 まずい、と思ったときには、アイリスの体はその場に倒れていた。意識が薄れる。その足元には、エーテルツリーの根が巻きついている。




◆◆◆




 地に足をつけている気がしなかった。夢見心地とでもいうのだろうか。現実感がない。肌を撫でる風の感覚がない。ネオネバーランドに僅かに残る植物や土の匂いがしない。

「ここは……」

 瞼を開く。自分が立っている、という自信はないのに、ここにいるという感覚だけはあった。

 意識が鮮明になる。光に包まれているような眩しさを感じるのに、空も地面も、天井も床も見えない。知らない場所だ。居住区ではない、はずだ。辺りを見回そうとしても体が重い。全く動けないわけではなく、実際息はできている――と認識している。一体、今自分はどうなっているのか。

 次第に慣れてくると、手足も動かせるようになってきた。だが、やはり感覚は曖昧で、強いて言えば水の中で泳いでいるときに近い気分がする。

「こんにちは、次のアイリス。一体どうしてこんなところに迷いこんでしまったのかしら」

 状況がわからず困惑するアイリスに、声をかけてくるものがあった。

「あなた、は……前の、アイリス……?」

 葉緑素を含んだ長い緑の髪。頭の上に咲く紫の花。何より、自分とよく似たその顔は、ナデシコから教えられたとおりのそれだ。

 ――アイリス。先代の。

「どうして、あなたは、死んだはずでは……?」

 おかしな話だ。死んだものはたとえ妖精由来の魔法があっても生き返ることはない。そのはずなのに、目の前には確かに、自分と瓜二つの顔がある。

 先代は「体はとうに朽ちました」と言った。

「死んだカヒトに大昔の人間が使っていたような墓所はありません。次のカヒトたちのために、エーテルツリーの養分となるのが定め。一生を生きた思い出は記録として残り、新しいカヒトを生産するときの素材となる。ここにあるのは心だけ。魂の輪郭だけです」

 魂の輪郭。要は、ツリーの中で分解されて再利用されるはずのカヒトの残滓がまだあったという話だ。彼が肉体を失ってから十五年も経つというのに、今もまだ。

「わたしがまだ心を保っているのは、エーテルツリーの処理能力が落ちているからですね。全ての記憶が完全に保持されているわけではありませんが、溶けていくのがあまりにも緩やかすぎる。あの時の寒波の影響は、本当に大きかったようだわ」

 先代は、溜息をつくような仕草をした。

 十五年前の寒波について、アイリスは記憶していない。記憶はないが、記録はある。ナデシコをはじめとした他のカヒトたちが当時の苦労を話してくれたからだ。町は雪に押しつぶされ、エーテルツリーは冷たい風に凍り付き、多くのカヒトが死に絶えたか、あるいは魔法による眠りについた。

 未だエーテルツリーは万全ではない。当時の傷跡はほとんど褪せることなくそのままに残っている。それが完全に修復されたなら、アイリスの知らない、寒波より以前の賑やかだった都市が蘇るのだろうけれど。

 先代はそのことについては、詳しいことは知らないようだった。ただ、エーテルツリーが損傷していることは把握していたようで、納得したように頷いた。

「エーテルツリーを動かすのに、あなたの魔力も使ったのね。波長の似ているわたしの亡霊がここにいたから、あなただけ引き寄せられてしまったのかしら」

 言いながら、先代の彼は今のアイリスに答えを求めているふうではなかった。彼の中で考察を始めて、勝手に結論を出している。尤も、それが正しいのか間違っているのかはアイリスには判別不能であり、訂正するような言葉が出てくるわけでもないのだが。

 先代はにこにこと微笑んでいた。自分とは別人でありながらよく似た顔、よく似た体格のカヒトがいるというのは、背筋がざわりとするような、奇妙な感覚がする。恐ろしいわけではない。ただ不思議だ。人生何が起きるかわからないとはよく言ったものだ。死んだはずのカヒトと――自分を作り出した存在と、こうして邂逅することになろうとは。

「あの……質問をしても、いいですか」

「どうぞ。今のわたしに回答できることは少ないけれど」

 不思議ついでに頼んでみれば、快く了承された。

 聞きたいことは山とある。上手く考えがまとまらないが、黙ったままでいるよりはましだ。アイリスは、最初に思いついた疑問を投げかけた。

「あなたは……随分長い間、居住区を留守にしていたと聞きました。遺跡も、あなたが既に踏破していた。一体どこで何をしていたんですか?」

 聞くところによれば、彼は長らく行方知れずで、戻ってきたときにはすっかりぼろぼろになっていたという。だが、第七メインランドに記録があったことは事実だ。間違いなく、遺跡には赴いている。

「さあ……どうだったかしら。何か思いがあって旅に出たことは覚えているけれど、何が理由だったか、どこを巡っていたのか、今となってはわたし自身何一つわからない」

 得られたのは、望むほどの答えではなかった。

「そう、ですか……わたしを、作ったことも?」

 先代は、首を横に振った。

「ええ。わからない。思い出せない。ただ、今のわたしが覚えているのは、わたしはあなたを必要としていたということ。そして、カヒトの他にも、まだ人の名残りはあったということ」

「人の、名残り……」

「それが何だったのか、生きて自由に動ける体があった頃に、どこかに記録に残していたかもしれないけれど」

 未だその形を残してはいると言っても、長年エーテルツリーに分解され続けてきた先代には、積年の謎を解明できるだけのものはもう残っていなかった。もしかすればエーテルツリーの記録を検索すれば答えが得られるかもしれないが、ツリーを現状維持以上に使用するためには容易くはいかない。

 先代の回答に、気にかかるところはある。あるが、追及したところでそれ以上どうにもならないことは、アイリスにも察せられた。結局そこにいるのは生前のことを僅かながらかろうじて把握しているだけの亡霊で、完全な彼の記録というものは現状引き出せるものではないのだ。

「さあ、あまり長居するものではありません。生きているあなたまで分解されてしまったら大変だわ。エーテルツリーも万全ではないのだし、他に問題が起きないとも限りません。そろそろ帰る時です。目を覚ますお手伝いくらいならできるから」

 にこにこと愛想よく微笑んで、先代が新しいアイリスの背中を押してくる。体が浮上するような感覚があるのは、彼が言うところのお手伝い、というものなのだろうか。浮き上がると同時に、意識が遠のいていく。先代の手が離れていく――自分の体が、先代から離れていく。

「そうだわ、ナデシコさんのことをよろしくお願いしますね。彼は優しくて繊細なカヒトだから、わたしの代わりに……彼の、心を埋めるものを見つけられるまで。どうか見守ってあげてね、アイリス」

 別れ際、そんな言葉を聞いた――気がした。

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