第一話
花人――カヒト。頭から花が咲き、髪が葉緑素で緑色に染まっている人間と妖精の混ぜ物。荒廃した世界で生き延びられるように、人間と妖精が科学と魔法を駆使して作り上げた新人類。人間のように逞しく、妖精のように魔法を使える、性別の区別のない生き物。そんなことは誰でも生まれたときから知っていて、誰だって自分が何が得意で何のために生まれてきたかを知っている。
――ただ一人、齢十五のアイリスという例外を除いては。
「見つかりませんねえ……」
ついつい呟いた独り言は、思ったよりも大きな声になってしまって、アイリスは思わず口を押さえた。誰が聞いている、というわけではないにせよ、何だか気恥ずかしいものがある。
光合成にはちょうどいい、よく晴れた日だった。晴れの日はできるだけ外に出るように、というのは育て親のナデシコから口を酸っぱくして言われていることだ。居住区からあまり離れすぎず、危ないところへは近づかず、陽の光をしっかりと浴びるように。限られた資源をやりくりして生きていくためには必要なことだ。
折角外へ出るのだからと、アイリスはついでとばかりに貯水池の傍で動物を探していた。昆虫でも獣でもいい。可能であれば番であるのがいい。それが見つかれば、きっとナデシコの研究の役に立つ――尤も、生まれてこのかたカヒト以外の動物は図鑑でしか見たことがないけれど。
「どこかに隠れてるのを、わたしが見落としてるだけ……と思いたいのですが。記録ではいろいろ連れてきてたみたいですし、それならどこかに何かしら生き残りもいる……ハズ……?」
口ではそう言いつつも、それが現実的な考えではないことは、彼自身気がついていた。過去の資料も全てが揃っているわけではなく、どこをどう探せばいいのかもわからず手探りだ。アイリスより長く生きているナデシコさえ発見できていないものを、そんな状態で探そうとしている。諦めたくはないが、あると信じて探し続けるのも難しいことには違いなかった。
空はただ、抜けるように青く晴れている。
――人工島ネオネバーランドは、その昔人間と妖精たちが戦争から逃れるために作り上げた場所だという。
科学の発展によってすべての神秘が解明されたように思われていた時代。しかし実際には、人間たちが信じていた科学的な説明というのは、大部分が神秘そのものである妖精たちが社会の混乱を避けるために作り上げたカバーストーリーだった。自然というのは大抵が魔法の力で成り立っていて、人間たちはその上辺だけを認識していた――させられていた。人間社会に紛れ込んだ、人間に擬態していた妖精の手によって。
しかしながら、科学の発展が行き着くところまで到達すれば、その上辺の殻を剥がした真実も見えてくる。そこで人間は異質な隣人、即ち妖精を見つけ出し、それを脅威であると判断して戦争を起こした。ついには核兵器が持ち出され妖精の暮らす土地は焦土と化し、一方の妖精も魔法によって地殻変動を引き起こして反撃したが――激化した戦争も終わるときはあっさりと終わった。巨大な隕石が地球に衝突したことで、文明は容易く崩壊したのである。
戦争の傷跡が色濃く残る汚染された土地、隕石によって破壊し尽されたメトロポリス。何もかも失われた世界でかろうじて生き残ったのは、ネオネバーランドに逃げ込んだ僅かな穏健派だけであった。そうして彼らは、限られた資源を上手く活用していけるように、少しでも元の大地を取り戻せるように、人間の科学と妖精の魔法をかけ合わせて浄化のためのシステムを作り上げた。即ち半有機生命演算器エーテルツリー、並びにその管理役としての新人類、カヒトである。
以上がアイリスが学んだ歴史である。伝承に残っているだけで人間も妖精もすでに絶滅したので、そうらしいという程度にしかわからないのだが。人々が移り住む際に外から連れてきたという動物も見当たらない――かろうじていくつかの植物が根付いているくらいだ。
実際のところ、カヒトの生活においてエーテルツリーは欠かせないものとなっている。十五年前――アイリスが生まれた頃の寒波で大部分が損傷し、一部の機能は使えなくなっているが、それでも生きている部分で汚れた水の浄化やエネルギーの生産は行える。他にほとんど使える資源のないネオネバーランドにおいては最も重要な存在だ。居住区のエネルギーもそれで賄っている――生き残ったカヒトたちはツリーの恩恵のもとで生きている。
ゆえにこそ、仲間たちはエーテルツリーを回復させたがっている。あるいは、エーテルツリーに頼らずとも生きていける手段を獲得したい――それが、ツリーに頼って暮らしてきたカヒトの抱える一番の課題だった。
「間引かれずに育ててもらったけど、いい加減わたしも何かの役に立たないと、ほんとにただの無駄水喰らいだわ……」
アイリスは溜息をつく。そうしたからといって何かが解決するわけではないことは重々承知しているので、猶更虚しさが募るが、それでも止められないものもある。
カヒト、というのは通常、何かしらの役割を望まれて生まれてくる。
生命の生産――カヒトの生産もまたエーテルツリーの機能だ。ツリーには地球上に存在した多くの生物の遺伝子情報が記録されていて、それをもとに新たな生物を作り出すことができる。現在ネオネバーランドで暮らしているカヒトたちは、アイリス以外の全員がツリーによって作られた者たちだ。
膨大なエネルギーを消費するものの、ツリーによって生産される者たちは、きちんと完成した状態で生まれてくる。生まれたときから完成された大人なのだ。仲間たちは皆大人だ。今は亡き先代、同じ花を頭に咲かせていたカヒトもそうだったという。
今のアイリスだけが、そうではなかった。ナデシコが言うには、先代のアイリスがどこかから連れてきたという話で、厳密にはどうやって生まれてきたのかもわからないのだが――少なくともアイリスが生まれたその当時に、ツリーが使用された形跡はなかった、らしい。
「わたしには何ができるんでしょう……」
エーテルツリーを使わずに生まれてきたがゆえの、不十分な知識。少女のように細い体。アイリスは未だ、成長の過程にある。
他のカヒトの仲間と違い、アイリスは常識といわれるようなことも学ばなければわからない。妖精由来の魔法もろくに使えない。何をしていいのかもわからない。せめてナデシコの手伝いくらいはと思っても、特にそれらしい成果もないのだ。
決められた役割もなく、これといった強みもない。仲間の負担にしかなっていない――そう思うと、ひどく気が滅入る。
ツリーが浄化した水を貯める貯水池。その水面には、可愛げの欠片もない陰鬱そうな顔と、頭の上に咲く紫の花が映っていた。気落ちしていても、健康は健康だ。
「……そろそろ戻らないと。ナデシコさんに心配かけちゃう――あれ?」
日が暮れ始めている。光合成はもう充分――居住区へ戻ろうとしたとき、何か耳慣れない音を聞いた。
ざりざりと砂を削るような、地面の上で何か重たいものを引きずっているような音が近づいてきている。貯水池を囲う防護壁の、外側から――だろうか。風が吹いているのではなく、カヒトが歩いているのとも違った。それに加えて、硬いもの同士が擦れるような奇妙な音も混じっている。古い機械を動かすときの音に少し似ている。
――いやな予感がする。
壁の外の音が聞こえてくるというのはまずい。いかにもまずい。それはつまり、分厚い壁のどこかが損傷しているかもしれないということであり、その壊れた
:壁たった一枚を挟んだ向こう側に、歓迎できない何かが迫っているということだ。
本能が警鐘を鳴らす――逃げなければ!
アイリスが駆け出して間もなく、轟音とともに壁が破壊される。
「わぶッ」
衝撃で地面が大きく揺れ、バランスが取れずに派手に転ぶ。だが痛がっている暇はなかった。脅威は去ったわけではなく、まだすぐ傍にあるのだから!
砂埃が舞う中、振り返ればそこには、地を這う鋼鉄の黒い装甲がある。
「鉄蛇……!」
巨大な機械仕掛けの黒い獣。鉄蛇――複数の関節で繋がった体躯が、記録に残っている蛇に似ているのでそのように呼んでいる。かつて戦争があった時代に、人間が妖精を亡ぼすために作り出した無人兵器だ。妖精そのものではないにせよ、混ざりものであるカヒトは鉄蛇の攻撃対象となる。
「な、なんでこんなとこにいるんです……?」
本来ならこの近くにはいないものだ。古い遺跡の中にまだ稼働しているものが残っている、とは聞いたことがあるが――居住区のすぐ傍に現れるのはアイリスが知る限りでは初めてだ。
どこから現れたのかは不明だが、壁を破壊して進んできた鉄蛇は、硝子の目でぐるりと周囲を見渡した。そこにははっきりとアイリスの姿が映っている――頭部に搭載された火炎放射器が照準を定めている!
「ひ、ひえ」
高熱の炎がアイリスを焼き尽くそうと襲い掛かってくる。悠長にしていられるはずもなく、アイリスは急いで立ち上がり、再び駆け出した。
鋼鉄の黒い蛇は、一度認識した妖精の因子を逃さない。その巨体をうねらせて逃げようとするアイリスを、炎を吐きながら追いかけてくる。それが前へ進むだけで地面が削れて砂が舞い、かつて壁だったものの残骸を撒き散らす。
石材の破片がアイリスの背中を襲う。細かなものが当たるだけでも痛みが走る。攻撃を避けなければ走っていられないほどだが、少しでも足を止めてしまっては高熱の炎の餌食になってしまう。
逃げなければ。逃げなければ。逃げなければ。心臓が跳ねる。鉄蛇は怖い。痛いのは怖い。逃げなければ。だがどこへ。仲間にも知らせなければ。しかしどうやって。焦燥が思考を支配する。一つでも間違えれば命はない。一つでも間違えれば、自分だけでなく居住区の仲間にも被害が及ぶことになる――。
「きゃっ……!?」
鉄蛇の移動で削られた地面から石が弾き飛ばされた。それがアイリスの右足を強く打つ。流石に立っていられず倒れ伏したアイリスに、火炎放射器の恐怖が迫る。
「ひッ」
声を上げようとしても、上手く言葉にならなかった。そこにあるのはただ恐怖で、息が詰まる。まだ何もできていないのに。まだ何もしていない。仲間の役にも立っていないし、鉄蛇がいるという報せさえもできていない。
――まだ死にたくない。死にたくないのに!
「アタシの仲間に手ェ出すんじゃないよッ!」
一瞬のことだった。
頭上から飛び降りてきたカヒトが、鉄蛇の頭を蹴った。しなやかな引き締まった足は炎をものともせず、いっそ鮮やかなほどに的確に鉄蛇の脆い関節部分を砕く。
「まったくもー、アタシたちは妖精の混ぜ物かもしれないけど妖精そのものじゃないっつーの。そーゆー区別もつかないとか、旧文明の機械ってのも大概ポンコツよね」
動きを止めた鉄蛇を追い打ちとばかりに踏みつけると、黒い装甲がひしゃげた。純粋な筋力ではなく、カヒトの魔法の力だ。
彼の頭には赤い花が咲いている。枝先に密集して小花が咲き球状になっているのはブラシのようにも見える。めりはりのきいた体つきは、人間でいえば女性らしいとでもいうのだろうか。両性であるカヒトに男も女もないけれど。
「バンクシアさん……!」
「よっ、アイリス。大丈夫? 怪我してない?」
窮地を救ってくれたのは、遺跡探索から帰ってきたバンクシア――カヒトの仲間であった。