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花人  作者: 味醂味林檎
第四章 星が降り注ぐ夜

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第十八話

 遥か彼方天空より上に、これから落ちてくる人工衛星がある。それを防ぐために、遺跡から新たに通信を送る。遺跡の通信はハードウェアのほうが破損してしまっているため、その代替をエーテルツリーで行う。

 かつての人間と妖精が遺した叡智。魔力のエネルギーを溜め込んだエーテルシードを実らせておきながらも、それでもエネルギー不足で機能が大幅に制限されている大樹。本来なら大切に保護していかなければならないこの演算装置を、今、単に道具として使おうとしている。それも、天敵たる鉄蛇の居城、旧文明の人間たちが遺した機械と繋いで使おうというのだ。少し前までは考えられないことだったが、今はそれしかない。

 ガーベラがエーテルツリーの準備をしている間に、オダマキに靴の調整をしてもらう。靴に関しては、彼ほどの職人は他にいない。

「だいぶ履き慣れたな」

 オダマキが言った。

「すごく歩きやすくて」

「それは良かった。……魔力の通り道を太くする。少し重く感じるようになるかもしれない」

「わ、わかりました」

 アイリスの前に跪いて、オダマキが至高と呼んだ白いショートブーツに手をかざしながら、自身の靴のつま先を地面に擦った。途端、オダマキの魔力が彼の全身を駆け巡り、アイリスの靴に変異をもたらす。

「う……」

「つらい、か?」

「いえ……大丈夫、です。大丈夫」

 見た目には大きな変化はないが、魔力を通したときの感覚はやはり違った。足が重い。通り道が太くなるということは、その分多くの魔力を使うという意味だ。当然疲労感も大きくなる。

 緊張でどきどきと心臓が煩い。だが、本番はこれからだ。深く息を吸って気を落ち着け、エーテルツリーの足場に乗って、ガーベラとナデシコの準備ができるのを待機する。

「……あの」

「どうした」

「その、手を……もう一回、繋いでもらっても、いいですか」

「手を」

「あの、えっと、その」

 アイリスは自分でもどうしてそんなことを言い出したのかわからず、口からは上手く言葉が出てこない。ただ、彼の優しい手の温もりがあれば、平気になると思ったのだ。そこに明確に説明できる理由はなく、全く論理的な話でもなかったが。

 オダマキはそんなアイリスに文句を言うこともなく、アイリスの手を取った。やはり少し硬いが、安心する手だった。

「ありがとうございます……」

「これくらいお安い御用」

 アイリスが遠慮がちに触れるのを、オダマキはぐっと力を入れて握った。それが当然とでも言うような自然さだった。頼っても良いと言ってくれているようで、アイリスもその手を握り返した。

 そんなやり取りをしているうちに、ガーベラの準備も終わったらしい。生きた演算装置であるエーテルツリーが、にわかに光合成によって溜め込んだ魔力エネルギーを循環させ始める。

「よし……まずはエーテルツリーの演算機能を拡張する。ナッちゃ――じゃねえや、ナデシコ、調整のほうを頼む」

「了解だ」

 アイリスたちがいる足場の下から、ナデシコが声をかけてくる。

「今からおまえさんたちの魔力を通す神経を開き、エーテルツリーと接続する。準備はいいな」

「はい、お願いします」

「俺も大丈夫だ」

「……よし。やるぞ」

 ナデシコの言い方は、アイリスたちへの合図というよりは、自分へ言い聞かせるような響きがあった。彼も緊張があるらしい。

 エーテルツリーとカヒトの接続。それは、日常的には行われない、緊急時にのみ許された使用方法だ。エーテルツリーが万全であったときは、新たなカヒトの製造を目的とした遺伝子情報の複製や、鉄蛇への対抗手段の演算のために使われていた。十五年前の寒波で健康的な生存状態を維持できず眠ることを選択したカヒトたちも、長期的に睡眠状態を維持する魔法を使うためにエーテルツリーと繋がったという。

 下でガーベラとナデシコがエーテルツリーの入力端末を操作するのを眺めながら、アイリスはごくり、と唾を呑む。覚悟はしている。していた。そのはずだった。だが――。

「ぐ、うっ……! あ、あ、あああ――」

 痛い。痛い。痛い。あまりにも痛い。痛くて、痛くて、体中が針に刺されているような、ひどい苦痛だ。魔力の穴をこじ開けられる。体中が引き裂かれてしまいそうな錯覚を覚える。全身を刺し貫かれて、自分を構成する全てが揺らがされるような感覚がする。

 ――エーテルツリーとの接続は、これほどまでに激しい苦痛を伴うものなのか。

 最早自我を保っていることすら危うい。自分が、エーテルツリーの部品として使われている。エーテルツリーの不足するエネルギーを補うための接続なのだから当たり前だが、莫大な情報量を持つツリーの存在に押しつぶされてしまいそうだ。周りの音が拾えない。周りのことを見ていられない。自分というものを保つために必死で、他の何もわからなくなる。

「……リス。アイリス」

 あらゆる感覚がかき消されてしまいそうになる中で、すぐ隣から聞こえてくる声だけが、アイリスの耳に届いた。ぎゅっと手を握っている彼の声だけは、どうにか聴きとれる。判別できる。

「オダマキ、さん」

「ナッちゃんが、手伝って、くれている」

「あ、あ……ナデシコさ、ん……!」

 足場の下では、ガーベラとナデシコがエーテルツリーの操作を行っている。特にナデシコの作業は、アイリスたちの魔力の出力調整――即ち命に関わる重要なものだ。

 アイリスたちはエーテルツリーを動かすためのエネルギー源となる。肉体をツリーと接続する技法は、果たして科学的というべきか、あるいは神秘的と呼ぶのが適切か。区別がつかない技術を呼び分ける必要などないのかもしれないが、調整を受けてこれほどまでの苦痛だというのなら、ナデシコの尽力がなければアイリスの自我などとうに吹き飛んでいる。

「おまえさんたちは魔力を直接吸い上げられているようなものだ。痛いだろう。痛いに決まっている。だから叫んでいい。少しは気も紛れる」

 つまり、それ以上にできることはもう手を尽くした後だということだ。ナデシコは実に悲しそうだった。これ以上どうしようもない、どうにもできないという自らの能力の限界と、アイリスとオダマキが負う苦痛を嘆いている。

 そんな顔をする必要はない。ナデシコがいなければ何も――特にアイリスは――できないままだった。こちらはただ痛いだけだ。痛みを伴って、結果を待つだけだ。だから、ある意味では責任を負わない立場である。そういったものを、ガーベラとナデシコに押し付けてしまっている。だからそんなふうに悲しい顔をする必要はないのだ。ナデシコは正しく役目を果たしている。

 伝えたい言葉はあった。どうにか返事をしようとしたが、上手くできない。せめて今は耐えなければ。耐えなければならない。ここで折れてしまっては仲間の未来もない。ナデシコも、きっと泣いてしまう。言葉は厳しいことも多いが、彼は本来優しいカヒトなのだ。

「う、ぐうう、うあああ、ああああああ!」

「くっ……う、ぐ……」

 苦しいのは自分だけではない。隣には、アイリスの我が儘を聞いて手を握ってくれたオダマキもいる。それに遺跡に残してきたバンクシアやイキシオリリオン。彼らは安全な領域の外で作業をしなければならないのだ。

 ――甘えたことは、言っていられない。

「あぐ、う、う、ああ――」

 魔力を生産する。それだけが今のアイリスにできることだ。立派な靴を得て、頼れる仲間がいて、退路もないこの状況で、泣き言を喚いて縮こまっているわけにはいかない。

 この靴で、この足で、真っ直ぐに胸を張って立つと決めたのは、他でもないアイリス自身なのだから。

「……よし、仮想演算領域を確保。これより遺跡の周波数を検索する」

 アイリスたちの魔力を吸い上げて、エーテルツリーが機能を拡張する。過去の災害で失われたものを、強引に蘇らせる。まずは一つ目の難関は突破できたらしい――問題はこの次だ。この次もまだ、耐え抜かなければならない。

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