第十七話
半有機生命演算器エーテルツリー。新人類たるカヒトにとって、何よりも重要なネオネバーランドの象徴。旧い時代の人間と妖精が残した叡智の結晶。
移動の間に改めてアイリスが仲間たちに事情を話すと、それぞれ思い切り顔をしかめた。
「人工衛星って、あれか。宇宙にまだ残っている、大昔の人間が作ったという機械の星か」
「そんなものが本当にエーテルツリーに落ちてきたら、いよいよ……カヒトも終わりだな」
「まじかー。隕石で旧文明が滅んで、次は人工の星で滅ぶとか。そんなバカな話があるかよ! こいつは傑作だ、全く笑えないね」
「あったんです……ほんとなんです皆さん、はかせ……」
気持ちはわからないではないが、ここで協力してもらえなければ困る。何が困るといえば、アイリスはカヒトの仲間たちの中では特定の仕事を持たない――いわば権限を持たない存在だ。家族同然の仲間たちの間で権威や権力を振りかざすことはないにせよ、できることが限られてしまうのは事実である。
「ハハ、なに。信じないとは言ってないさ。イキシオリリオンがわざわざ急ぎでアイリスを戻してきた。そこに意味がないはずがないからね」
ガーベラはそう言ってアイリスの肩を叩く。
「エーテルツリーが必要というなら使うほかあるまいよ。使えるものは何でも使わなくては。選り好みできる余裕があるわけでなし。しかし、それにも問題があるんだなあ」
「問題……」
「そう、問題だ。とはいえ選択肢は我々には残されていない以上、多少の無理は承知で行動しなければならないね」
ガーベラの案内を受けて、居住区のさらに奥、エーテルツリーの根でできた壁を伝って進んでいく。
アイリスの後ろを歩くナデシコは、ずっと不満そうな顔をしていた。どこか青ざめた顔をしているようにも見えるのは、単純にカヒトに滅びが迫っていると聞かされた不安感だけではないのかもしれない。
きっと混乱している。前のアイリスが引き延ばした時間を、新しいアイリスを育てるのに費やしてきたナデシコにとっては、持ち帰られた情報量は多すぎる。
そして何より、彼はアイリスを案じている。今の、アイリスを。ずっと一緒に暮らしてきたからわかる。動かすのに問題があるエーテルツリーを使うのに、アイリスはできることは何でもするつもりでいるが、それがナデシコの不安を煽っているに違いなかった。
だが、たとえ何があるにせよ、アイリスも引けない。これを乗り越えなければ、アイリスだけでなく、仲間のカヒトも皆危険な目に遭う。高い確率で滅びが訪れる。それをナデシコもわかっているから、強く反対する言葉を言えないでいる。
オダマキもまた、わかりにくいが、深刻な顔をしているようだった。歩いている最中に、彼が拳を握りしめているのを見た。顔には出なくとも、態度には多少なりとも現れる。緊張しているのだ――彼も。
アイリスより長く生きている者たちでも緊張するのだ。当然といえば当然かもしれないが、そう思うとあまり動揺している様子のないガーベラは流石の精神力だ。カヒトのまとめ役をしているだけはある。
ともかく、アイリスには目の前にある課題を片付けていくだけしかできない。エーテルツリーの根元には、樹と繋がる形で機械が取り付けられている。ガーベラがそれを操作すると、ツリーの根が動き出して、アイリスの前に足場を作った。
「よっこいせっと。さて、アイリスにはエーテルツリーの燃料をやってもらおう。操作は私がするからね」
「は、はい! えっと……燃料、ですか?」
ガーベラが頷いた。
「十五年前の寒波で傷ついてしまったエーテルツリーは、自前で生成できるエネルギー量が随分減ってしまったからね。演算機能の大部分はエネルギー不足によって動かせなくなっている状態だ。勿論、単純に損傷してしまって動かなくなった部分も大きいが……それを魔力で補完しなければならないのだよ」
ガーベラがツリーの根を撫でながら淡々と言う。ツリーが損傷していることはアイリスも承知している事実だ。
「現在動かしている以上にエーテルツリーを使うことになるから、エネルギーの不足分はもちろん、使えなくなっている演算機能も魔力で疑似的な回路を作ってシステムを再現しなければならないわけだ。その辺りの操作は流石に専門的な知識を持つ私でなければできないだろうが、そうなるとエネルギー源が別に必要になる。それがきみのお仕事」
「なるほど……」
「そこそこ大変な作業にはなりそうだが……アイリスは覚悟はあるかい?」
「や、やります! だって、やらないと、やらなくちゃ」
折角、前のアイリスが遺したチャンスだ。カヒトが生き延びるためには、やるしかない。アイリスにできることといったら、それくらいしかないのだ。少しばかり恐ろしい気持ちがするのも否定はできなかったが。
緊張するアイリスの手を、オダマキが握った。
「お、オダマキさん」
「……靴も多少調整する必要がある。アイリスに靴を与えた、俺の仕事だ。そのあとは……俺の魔力も使うといい。予備電源くらいにはなる……ハズだ」
温かい手だった。少し硬いのは、彼の手が仕事をする手だからだ。決して柔らかくはない。けれど握ってくる手の優しさは、アイリスの心を落ち着かせてくれた。
「アイリスは独りじゃない……ぞ」
「……はい!」
――そうだ。自分には、彼が作ってくれた靴もある。
オダマキの靴のおかげで、自分は魔法を使えるようになった。魔力を体の外へ出すことを覚えた。魔力を操って世界に干渉する術をようやく得たのだ。震えている場合ではない。この靴に相応しいカヒトになると誓ったではないか。
「ま、参加者が増えるに越したことはないね。では早速出力調整を……」
いざガーベラがエーテルツリー起動の準備を始めたとき、それまでほとんど発言せずに見守っていたナデシコが声を上げた。
「ガーベラ!」
「なんだいナッちゃんや。まさか邪魔をしようってんじゃあないだろうね?」
ガーベラが普段の穏やかな視線を少しだけ鋭くした。体の小さなナデシコだが、睨まれたところで怯むことはしなかった。ただ、不満そうな表情だけはそのままだ。
「ナッちゃんじゃない。……邪魔は、しない。しないとも。だがアイリスは魔力の制御にはまだ慣れていないはずだ。それにオダマキも参加するとなると、二人の出力のバランスが崩れたときにそのままシステムがダウンしてしまうことになりかねない。二人の命も危険に晒されることになる。エーテルツリーに接続するというなら猶更慎重に行わなければならない――神経を繋げるようなものだからな」
「まあ確かに。それで?」
「魔力の出力調整はボクが中継をする……そうでないと、アイリスとオダマキのエーテルツリーの接続は医者として許さない」
桃色の愛らしい頭の花に反して、ナデシコの態度は頑なだ。それだけ真剣なのだ。エーテルツリーに魔力を供給することが神経を繋げるようなものということは、失敗したときにただ苦痛を味わうだけとなってしまう。無用な苦しみは避けるべきだ、という主張だ。
「この作戦が上手くいってもいかなくても、肉体を粗雑に扱えばボクに治療しきれるかどうかわからない。成功を目指すなら、それこそ不安要素は無視できない」
それを聞いて、オダマキがガーベラに視線をやった。
「ということだそうだはかせ」
「は、はかせ……」
アイリスも彼を見る。ガーベラは肩をすくめた。
「わかったよ。名医の言うことは聞いておかないとね。リスクは減らすものだ。それは同意するよ」
「はかせ……よかった。素直が一番」
「えっなにオダマキ? 私はいつでも素直だけど?」
「あとは可愛げがもう少しあれば平穏。ナッちゃんもそう思ってる」
「ナッちゃんと言うな。だがオダマキ、よくわかってるじゃないか……こいつはそこが一番ダメなところなんだ」
「何なの? みんな私にアタリきつくない?」
「あの、はかせ。始めてもらっていいですか?」
人工衛星が落下してくるまでの時間は限られている。アイリスが急かすと、ガーベラは「みんなして……」などとぶつぶつ文句を言いながら、改めてエーテルツリーを操作し始めた。




