第十五話
バンクシアが多くの鉄蛇を引きつけて破壊してくれているおかげで、アイリスとイキシオリリオンのほうへ向かってくるものはそう多くはない。想定の範囲内の数字に収まっている。アイリスの魔法でも対応可能な範囲だ。こちら側から攻撃を仕掛けるほどの余裕がないので、いずれ限界が訪れるのは目に見えている――だがまだ大丈夫だ。アイリスは、まだやれる。
「あっクソ」
「ひゃう!? な、なんですか!?」
急にイキシオリリオンの口から暴言が飛び出して、アイリスは驚いて跳ね上がってしまった。恐る恐る振り返ると「生体認証を要求された」と返事があった。
「そんなものまであるんですか?」
「そんなものまであったな」
「なんと……」
鉄蛇の生産ラインを止めるには、この認証を突破しなければならない。工場を壊しても自己修繕システムがあればいずれ再び稼働し始めるに違いないからだ。
しかし、生体認証。人間の施設であるからには、人間の指紋や瞳孔を鍵として使用していたのだろう。そればかりは探してもきっと痕跡すら見つからない。
旧い人間はとうに滅んだ。絶滅したのだ。だから遺跡の中には人間の作った機械しか残っていない。それなのに、生体認証が鍵だというのか。
「他の突破口を探してみるが、さて」
果たして見つかるものだろうか。そう簡単に部外者に触らせないためのセキュリティだ。解除の方法が、カヒトにあるのか?
風の壁を維持しつつも、少しばかり不安を覚えたところで、聞きなれた声が聞こえてきた。
「ほらほら邪魔邪魔、散った散った鉄蛇のクズたち!」
壁の周りに集まっていた鉄蛇を、魔力を纏う足で一体一体丁寧に潰していくカヒト。バンクシアだ。
「バンクシアさん!」
「お前囮はどうした?」
「こっちついてきたやつはあらかたぶっ壊しましたァー。ってかそれより優先度高そうな情報拾ったからこっち来たの! これ!」
ほら! とバンクシアが見せてきたのは、旧い記録再生装置だ。人間がまだ文明を持っていた頃に使っていた技術である。それが映し出しているのは、カヒトの立体映像だ。
『――……年――日……可能な限り、わたしは遺跡の――を改竄したけれど、これがわたしの限界だった。先延ばしはもってせいぜ……十五年――……が落ちるより先に、対処法が見つか……を祈っている』
「あっ切れちゃった」
音声も映像も一部記録が損傷しているのか、途切れているところはあったが、そこに写っていたのはアイリスだった。正確に言うなら、先代のアイリスだ。
――急に情報が増えた。
「まっ、……てください、前のアイリスがここに来ていたんです?」
「これがここにあるってことはそーなんでしょーよ。彼ったらアタシたちがここに来るより先に遺跡を攻略してたんだわ。てか重要なのはそこじゃないの! いやそこも重要なんだけど!」
「落ち着けバンクシア。お前は一体そいつから何を聞いた? 端的に言え」
「このままだと明日明後日にはネオネバーランドに宇宙の遺跡が落ちてきて何とかしなきゃマジヤバ!」
一息に言った。なるほど端的でわかりやすいまとめ方だ。
「宇宙の遺跡って……まさか、人工衛星ですか? 大昔の? それがネオネバーランドに直撃する?」
はるか遠い昔の文明ではごく当たり前のように研究開発がなされていた宇宙技術。地球の周りには今も旧い時代に建造された人工衛星がいくつも廻っている。中には宇宙開発の拠点として作られた第二の月と呼ぶにふさわしいようなものもある。そんなものが落下してきたら、大気圏でいくらか燃えたとしても、地上に与える影響は計り知れない。そもそも旧文明は隕石によって崩壊したのだ。過去のときのような充分な資源も人員も持たない今のネオネバーランドのカヒトでは、身を守ることすらままならない。いずれ来たる滅びどころか、もう目前まで迫っている滅亡だ。
「そうそれ! 十五年前の寒波で遺跡の機械が故障したみたいで、そのせいで大昔の人工衛星を兵器転用する命令が発信されちゃってたみたいなの! それに前のアイリスが気づいて、衛星の落下予定日を遅らせたまでは良かったけど……」
「そんなことを今更言われたところでな。まずオレたちはここの生体認証すら突破できていないんだが」
そうだ。元々鉄蛇に襲われる脅威に対抗するために遺跡にやってきて、その本来の目的すら達成できていないのに、そのうえ宇宙に漂う旧文明の遺跡にまで手を出す必要があるといわれてもどうにもならない。
「……アイリスならそれ突破できるんじゃない?」
バンクシアはごくごく自然なアイデアのように言った。
「一応聞くが、どういう理屈でそう思った?」
「だって、前のアイリスは記録じゃなくてアイリスを持ち帰ってきたのよ。記録はここに置いてったって鉄蛇は壊さないけど、新しいアイリスは違う」
鉄蛇はあくまで生体反応を感知して、それが人間ではないと見ると襲ってくる。戦争をしていた当時、科学技術を扱うのは人間だけで、妖精たちは魔法を武器にしていたためだ。だから人間側としては、生物にのみ対応すればよかった。人間が作った機械もそのような仕様になっている。
恐らく、前のアイリスが記録を遺跡の中に隠していくのは簡単な話だった。機械の記録であれば、鉄蛇は見つけられない。探さないからだ。しかし、新しいアイリスは生物だ――鉄蛇の標的になる。どうやってアイリスを作ったかについてはわからないのでその謎は置いておくにしても、連れ帰ってくるのに相応にリスクがあったはずだ。それでも前のアイリスは、新しいアイリスを選んだ。
「新しいアイリスを失ったら終わりだって思ってたのよ。前の彼には時間が足りなくて最低限のことしかできなかったけど、チャンスだけは将来また訪れるかもしれない。その時に必要な鍵を守ろうとしたのよ!」
バンクシアの主張はなるほど尤もらしい意見のようだった。機械のことは詳しくないが、イキシオリリオンの誘導に従ってアイリスがパネルを触ると、機械は動き出した。
「ほ、ほんとだ……! 動きました!」
生体認証は既に前にここを訪れたアイリスが書き換えていたようだ。絶滅した人間を探さなくてよかったぶん幸運だ。それと同時に、アイリスは自分がここへ来なかったらと想像して身震いした。
「アイリス、そのまま前のアイリスがアクセスした履歴を探すんだ」
「えっと……これですね。人工衛星が落ちてくる時間は……明日の、夜七時です。座標は……エーテルツリーのある、ネオネバーランドのど真ん中……!」
遺跡の機械の計算が正しければ、ネオネバーランドは間違いなく滅びる。もし落下地点に多少の誤差があったとしても、旧文明の人工衛星がそのまま降ってくれば隕石が落ちるのと大差はない。
前のアイリスは十五年の時間稼ぎをして、最後にネオネバーランドに戻り、力尽きた。今のアイリスは、もしかしたらこの対処のためだけに生まれてきたのかもしれない。この遺跡の鍵となるために。
詳しい機械の操作はわからないので、イキシオリリオンと交代する。だが、彼は渋い顔をした。
「だめだ、この遺跡の電波塔は使えない」
「ええー!?」
「前のアイリスがハッキングを試みたのが十五年前。ちょうど寒波でひどいめにあった時期だ。そのときにここのアンテナも破損したんだろう。むしろ、十五年もそれを先延ばしできただけ幸運だったと言っていい。この遺跡の中の鉄蛇を停止させるのが関の山だ」
「じゃあどうすんの? このままだと宇宙の遺跡が降ってきちゃう」
遺跡の機材自体は生きているが、通信を届けるための手段がない。宇宙まで電波を飛ばすために、何か方法はないものか。
「……エーテルツリーを」
アイリスは、その思い付きこそが現状選べる有効な回答ではないかと思った。あれなら高さがある。機能は制限されているが、折れてもいない。
「エーテルツリーを使うのはどうでしょう。大幅に損傷しているとはいっても、完全に機能停止しているわけではありません。エーテルツリーなら高さだって十分にありますし、エーテルツリーの魔力なら、人間の使っていた通信の周波数くらい模倣できるはず。それで、この遺跡とツリーを同期すれば、アンテナの代わりにできるんじゃないかしら……」
荒唐無稽と言われればそうかもしれないが、可能性はあるはずだ。エーテルツリーは妖精の魔法がかかった生命演算装置だが、同時に人間の機械技術が用いられたものでもある。上手くすれば繋げられるかもしれない。
バンクシアは「面白そう」と言った。
「技術顧問お兄さまー」
「変な呼び方をするな。不可能ではない……はずだ。エーテルツリーの演算機能があれば大抵のことは実現する」
たとえ一部の機能が損傷して使い物にならなくなっていたとしても、それくらいは可能だ。イキシオリリオンができると言うのは、つまりそういうことだ。
「無線通信の周波数を合わせる必要がある。エーテルツリー側での操作が必要だ」
まだ、未来はある。




