第十四話
「ようっし、まずはアタシの出番ネ!」
バンクシアは両足のかかと同士を叩くように合わせた。彼の足から魔力が溢れ出る。カヒトの持つ妖精の因子が、人間に近い肉体を神秘で覆っていく。この地球上に残された文明の残り香。妖精と人間の境目が曖昧なカヒトという新人類の中で、彼がいっとう、この手のことは上手かった。
しなやかな体で足場を伝い、高所から飛びかかるようにして鉄蛇たちの頭を蹴る。当然それで蹴られたものは壊れるが、鋼鉄の部品が辺りに散乱すると周りの敵もバンクシアを認識した。監視の目が一斉に彼に向く。
バンクシアがにやりと挑発的に笑う。
「ほうらオバカな蛇さんたち! こっちよこっち!」
短いスカートを翻しながら、鉄蛇を蹴り、周囲の機械を蹴って跳ねる。軽やかに、舞うように。
「アタシの足に追いつけるかしら!」
充分にバンクシアが敵を引き付けているのを見届けて、イキシオリリオンがアイリスを手招きする。
「来い、アイリス」
細い足場を急いで下りて、目的の機械の箱まで駆け抜ける。箱の周りにはまだ警備のための鉄蛇が残っていたが、アイリスが前に出るより先にイキシオリリオンはそれらの機械を速やかに魔法の足をもって溶かし尽くした。
未だ熱の冷めぬ鉄屑を尻目に、イキシオリリオンは機械に触り始める。モニターには、古代の人間が使っていた言語で何か表示されていた。アイリスは「周りを見ていてくれ」と言われて、その指示のとおりに見張りに徹する。バンクシアが基本的に引きつけておいてくれているとはいえ、どこかでこちらに気づかれないとは限らない。
「動かせそうですか?」
「エーテルツリーと似たようなものだ」
「そういえば、お兄さまもエーテルツリーを使えるんですね……」
「オレは本来ツリーの守護者だからな。ツリーの管理者に万が一のことが起こった場合には最低限のバックアップとして動けるよう必要なことは頭に入っている」
イキシオリリオンは淡々と答える。カヒトなら当然の答えではあった。アイリスが持たない、あるいはまだしっくりくる答えを見つけられていない、生きる意味を最初から持っている者の答えだった。
先代のアイリスなら、答えを知っていたのだろうか、とふと思う。前のアイリスはエーテルツリーによって生まれたのだ。彼にはきちんと望まれた理由があり、役割があったから、今もナデシコがその面影を偲んでいる。
――いけない、今は与えられた任務の最中だ。たとえ自分があまり役に立てていないと感じても、意識をよそへやっていていい場面ではない。オダマキにだって、せっかく作ってもらった靴が似合うカヒトになると約束したのだから、今はまだ気を抜くわけにはいかない。何より囮を引き受けてくれたバンクシアや、真剣に機械と向き合うイキシオリリオンに失礼だ。
「――バンクシアの読みが当たったな。ロックがかかっている。この鍵だけでどうにかなるかな」
「突破できそうですか」
「やれるだけはやってみるが」
イキシオリリオンは機械に熱中している。しばらくすると、鉄蛇が近づいてきた。バンクシアが囮になるのでは限界があった。
やることは決まっている。倒すことは考えなくていい。ただイキシオリリオンを守ればいい。かかとを鳴らす。本来室内にはあり得ざる風が渦を巻くのに、イキシオリリオンは見向きもせず、機械に集中している。これは彼の信頼だ。ならば応えなければ嘘だ。アイリスのすぐ目の前で機械の蛇が牙を剥くのを、風の壁で押し返す。
「こ、ないで……っ!」
あくまでも空気の壁を作るくらいだが、それを維持することが重要だ。問題ない、問題ない――今の自分には良い靴がある。それにやることはたった一つだけだ。それくらいできないでどうする。
ここで怯んでいてはいけない。イキシオリリオンが作業をする時間を稼ぐのだ。
◆◆◆
もう何体目になるか、ろくに数えてもいなかった。鋼鉄の頭を踏み砕く。自分の足なら問題ない。こういった肉体労働に、自分の体は適している――。
「ふいー、やっぱ数多いなアー! 囮とか気軽に引き受けるんじゃなかったなー!」
バンクシアは床に深く突き刺さった棚の上で息をついた。周囲には壊した鉄蛇や、資料の残骸が散らばっている。自己修繕システムがあるとはいえ、これらが復活するには相応に時間を要するはずだ。機械の獣たちも、壊してしまえば恐れることはない。
自分が暴れたことで近づいてきたものは概ね倒した。取りこぼしはしていないはずだが、ここには数えきれないほどの鉄蛇がいる。引きつけておけなかったものがイキシオリリオンたちのほうへ向かっているかもしれない。何せこの地下施設は広く、様々な機械が置かれていることもあって、視界はあまり広くない。上から見ている分には良かったが、いざ床に降り立つと周囲のあらゆるものが圧迫感を与えてくる。
足に通す魔力を増やすと、周囲の鉄蛇の気配を察知できる。こちらへ向かってくるものもまだいる。
「お兄さまたちのところ戻ってもいいけど、この辺の資料って後からはかせたちが欲しがりそうだよね。守っとかないと怒られるかな。どうしたもんかしら」
高所からの落下の影響で、大部分は破損してしまっているが、回収できそうなものも残されてはいる。バンクシア自身にその正確な価値を測ることはできないが、それはいつものことだ。いつもの探索と同じで、持ち帰ったときにこそ価値が発生する。全て都合よくいけば、だが。
ふと、足元に落ちていた物体を視認する。正しくそのとき認識した、という具合だった。何も価値のわからない資料の中で、バンクシアの目を引くものがあったのだ。
「これって……」
なんの変哲もない――と言っていいのかはわからないが、旧時代の記録再生装置のはずだった。確か、専用のガラス板に記録を書き込めるようになっているはずだ。掌に収まるくらいの大きさでも記録容量は凄まじく、また長期間の記録保存ができる。情報の密度こそ違えど、旧文明の人間がさらに古代と呼んでいたような頃に作った石板が長期に渡りその形を保ってきたのと同じようなものだ。
それが、落下したときか、それともバンクシアが鉄蛇たちを蹴散らしたときの衝撃か起動したらしい。まだ動いている遺物とあらば、持ち帰らない理由はないが――手を伸ばそうとして、思わず、バンクシアは息を呑んだ。
小さな機械は光を放ち、記録に従った立体映像を映し出す。
『――これは………――記録――……ている者が――……』
音声記録には損傷があるようでノイズ交じりだ。記録された発言は完全には聞き取れないが、そこに映る姿に、バンクシアは見覚えがあった。
「アイリス……?」
頭に紫の花を咲かせ、長い緑の髪を二つに結った、乙女のように柔らかくほっそりとした印象を与えるカヒト。間違いなく、アイリスだ。
――いや、そんなはずはない。アイリスは今日初めて遺跡へ来たのだ。であれば、そこに写っているのはただ一人。
「前のアイリス……」
十五年前、新しいアイリスを連れて帰ってくる前の、まだ生きていた頃の――そして、行方知れずになっていた頃の。彼がここに来ていたのか。誰かの協力があったのか、一人でかは知らないが、行方をくらませている間にここへきていた。
『現在――……は、不安定な状態に――この遺跡は……しているため――』
わざわざ彼がこうして遺跡の中に記録を残し、隠していたということは、相応に重要な情報ということに他ならない。そして、彼はその記録より、今のアイリスを連れ帰ることを優先した。
「アイリスが大事ってこと?」
情報は当然重要だ。寒波の影響を受けた今は切羽詰まっているが、それ以前も旧文明の遺産を求めて遺跡の探索は行われていた。新しい情報があるのなら、仲間のために持ち帰るのが普通だ。少なくとも、もっと仲間が多くいた頃は、それが普通だった。
しかし先代のアイリスはそうしなかった。あえて得た情報を記録しておきながら、命を懸けてまで居住区へ持ち帰ったのは、どうやってかエーテルツリーを使わずに生み出したカヒト。知恵も知識も与えられれば持たなかった子供。一見して無駄なようで、けれどそこに意味がないはずがない。きっと、それはバンクシアが想像していたよりずっと大きな意味だ。
先代のアイリスは明確にエーテルツリーによって生産されたカヒトだ。バンクシアとは管轄が違ったので交流が少なかったが、それでも同じツリーから生まれた兄弟だった。だからわかる。彼は彼なりに合理的と判断したがゆえにそうしたのだ。それが役割を果たすということだ。
『……によって――……を変更する……が限界だった――』
「ほおーう……?」
遺跡に残したままにした記録。そうしておくほうが、最終的に失われる可能性が低いと想定されていたであろう記録。人でも妖精でも、ましてカヒトですらないちっぽけな記録媒体であれば、大雑把な兵器でしかない鉄蛇は見つけ出すことはないだろうから。誰かが再び遺跡の探索に訪れて、幸運にもそれを見つけ出すことを期待した記録の断片――。
記録された過去のアイリスの言葉に耳を傾けていたかったが、魔力によって感覚を研ぎ澄まされたバンクシアの肉体は、自分のほうへ向かってくる鉄蛇の気配を察知した。
「おっとと、連中ものんびりさせてくれないネー」
バンクシアは軽く屈伸をして、改めて手を伸ばして前のアイリスの記録が残された再生装置を拾い上げる。これは一旦イキシオリリオンたちと合流して情報共有が必要だ。




