第十三話
果たしてどれほどの時間だったか。そう長い時間ではないはずだが、体感としてはひどく印象深いものだった。
ともかく自分の身を守ることだけしか考えていられず、無我夢中で魔法を使う。落ちてもダメージを緩和できるように周りの空気をかき集めて風を作り出し、それを鎧の代わりにした。一緒に落下した資料室の棚や記録媒体までは手が回りきらず、それらは落下するときの衝撃で、二階も一階の床をも貫いて大きく穴を開け、さらにその下まで届いて深く突き刺さった。
アイリスも高所から落下したが、どうにか真下にあった階段に引っかかったので無事に済んだ。家の屋根から飛び降りたときと同じ要領だ。
「た、助かった……魔法があってよかった……! あだッ」
頭上から何かが降ってきたのは避けられず、思い切り直撃した。ばさりと音を立てて床に落ちたそれは、紙を綴ったもののようだった。
「これは……えっと、本ってやつですね……?」
ぶつかったところをさすりながら、それを拾う。表紙も中の頁も擦り切れているが、まだ形を保っている。タイトルの文字も一部削れてしまって読みづらいが、かろうじて読み取れる部分には『医学』と書いてあるように見えた。
「ナデシコさんが必要なやつ、かな……」
内容に関しては旧い文字で専門的なことが書かれているようで、アイリスには理解が及ばないが、挿絵もいくつかある。旧時代の失われた医学知識があるかもしれない。下に落ちたものの中にも重要な資料があるだろうか。
「おーい、アイリスーっ」
周囲の状況を把握しようとしていると、上から聞きなれた声がする。穴の開いた床を飛び移りながら、バンクシアがイキシオリリオンを抱えて降りてきたのだ。そのまま彼は階段と繋がる鉄板の足場に片膝をつく形で着地した。
「すごいとてもかっこよい着地!」
「膝に負担がかかるからやめたほうがいいぞ」
「強化してるから平気!」
上のほうでは鉄蛇がまだうろついているようだったが、飛行能力はないようで、下までは追ってくる様子はない。
「二階一階の探索すっ飛ばして地下まで来ちゃったね。つーか地下とかあったんだ。広いー」
「バンクシアの地図では五階建て、という話だったが。地下室は隠された場所というわけだ。さっきの資料室以上にな」
「ほんほーん。……それ危ないやつ?」
「危なくないやつなんてあるはずないだろ」
探索が終わっていない階はあるが、それ以上に未知の空間だ。事前に情報を得ていない階層である。
ひとまず上からの落下物に注意しつつ、周囲の状況を確認する。アイリスたちがいる足場の下には大型の機械が床を埋め尽くすように鎮座している。厳密にいえば通路は設けられているが、機械そのものが非常に大きいのだ。幾つかの大きな機械がレーンで繋がっており、何かの金属がパーツごとに形成されて組み立てられていくのが見える。
「動いてる……」
遺跡自体は、確かに自己修繕システムがある。だが、ここに暮らしていた人間はとうの昔にいなくなってしまった。だというのに、人間が生産していたはずのものが、引き続き生産され続けている。
「わたし、今まで鉄蛇って修理したものを再利用してるんだと思ってましたけど……」
「アタシもそう思ってた。けどこれアレだね、直してるだけじゃないね、作ってるね! モロに稼働してんじゃんかよ!」
「いくら倒してもキリがないはずだ……」
扱う人間がいなくなっても、機械は組み込まれたプログラムに従って稼働し続けている。恐らく材料は外部から調達してきているのだろう。ネオネバーランドにも時折鉄蛇が現れるが、あれは単純に妖精への攻撃という意味だけではなく、鉄蛇の材料調達の意味もあったのかもしれない。それこそ、アイリスたちがこの遺跡を調べに来たのと同じように。
組み立てられた鉄蛇は、昇降機に乗せられて上の階へと運ばれていく。あれらが他の階層のセキュリティとして使用されたり、周辺の探索を行ったりするのだろう。
「んー、あれ位置的に上のやつとそのまま繋がってそうねえ。地下が製造工場だから、一階は修理工場って感じかな」
「そんなところだろうな。あれを見ろ」
「機械のハコ?」
「さっき見た資料を覚えていないのか」
「そんな細かいとこまで覚えてないよ!」
「逆にお前どこを見ていたんだ」
あれは工場を動かすメインシステムの箱だ、とイキシオリリオンは言った。上から覗いているだけでも、随分大きな箱のように見える――人間の規格に合わせた造りだからだろうか。
件の箱の周りには、やはり鉄蛇たちが配置されている。これも緊急時を想定してあらかじめ設定されている仕様に違いなかった。外部からの敵の侵入、あるいは同族での裏切りも警戒していたのか、今となっては真実は歴史の闇に消えてしまったが――現実問題として、アイリスたちの前に立ちはだかっている。
「あんなに沢山……」
数えられる限りでも、大型の鉄蛇が三体、小型の鉄蛇が五体は見える。その他にも、機械の周りをうろついているものがある。下に落ちた棚には鉄蛇が近づいている。まだそれがアイリスたちカヒトの存在とは結び付いていないのか、上のほうへ登ってくる様子はない。
「オレが確認できた資料を信じるなら、この遺跡では全体の鉄蛇の数を管理したうえで製造していた――今も製造している、か。つまり、あの箱に入っているメインシステムを上手く弄れば、遺跡中の鉄蛇を止められるはずだ」
「数を管理しているんですから、何かしらの信号を送受信しているってことですね。合理的です。彼らは無駄を省きつつ、作られたときに定められた使命を果たそうとしている……」
「アタシたちと似たようなもんネ。あいつらのほうがだーいぶ余裕ありそうだけど。こういうのなんていうんだっけ、人海戦術? あ、ヒトじゃないから物量攻めかな?」
互いに求められる役割を果たそうとしている点は共通している。人に作られた、という意味においても。
とはいえ、あの機械たちを作った神――もとい、人間は既に存在しないのだ。カヒトたちのように先祖の意思を受け継いだわけではない。結局は、あの機械の蛇たちの存在は、今となっては無意味なものとなってしまった。ただ、新人類として生き延びたカヒトの邪魔になるだけの。
「お兄さまはその辺りの資料どのくらい覚えてる?」
「見たものは全部」
「じゃ、テキトーにアタシが囮やるかー。下に集まってるやつ壊して、あのハコのところまで道を開ければいいのよね。よしよし、おっけおっけ了解。あ、そうだこれ、鍵渡しとくね」
「ドアの鍵だろ」
「でもそれでどこでも行けるってことは、他の機械のセキュリティにも使ってるかもだし。念のためよ念のため。それに帰り道で無くすとヤバいじゃん? アタシがうっかりしない保証もないじゃん? お兄さまが持ってるほうが安心っしょ」
「……わかった、オレが預かろう」
「話のわかるお兄さまで何より!」
バンクシアはすっかりやる気になって、あのカード形式の鍵をイキシオリリオンに預けて軽いストレッチを始めている。失敗したときのことも勘定には入れているだろうが、あの機械の箱を対処しなければ話は終わらないのだから、やらないという選択肢もないのだ。
「わ、わたしは、えっと」
とんとん拍子に話が進んでいく中、アイリスは緊張で上手く言葉が出てこない。できることをしたい。けれど自分には、果たして何ができようか。
イキシオリリオンがアイリスの肩を抱いて、目を合わせるようにした。
「アイリスはオレと来い。バンクシアが敵の気を引いている間、オレが機械の作業をするが、オレのほうに敵が向かってきたら風の盾を作れ。オレも自衛はするが、お前が手を貸してくれれば少しは楽ができる」
「は、はいっ」
「攻撃することは考えなくていい、ただオレを守れ。お前のやることは一つだけだ。できるな?」
一つだけ。たった一つだけに集中すればいい。攻撃することや反撃することは慣れていないアイリスでも、身を守ることについては、それなりにどうにかなるようにはなったのだ。壁の修繕のときも、屋根から飛び降りたときも、ついさっき高所から落下したときも。それと同じことをするだけだ、と思うと緊張も多少はましにはなる。




