第十二話
一晩、というのが実際のところどれくらいの時間だったのかは時計が近くになかったためはっきりしないが、ともかく休憩を取った翌朝、アイリスはバンクシアの声で目覚めた。
「たぶん朝だよー! ものども、起きるがいいわー!」
「げ、元気ですね……」
「愛と勇気と元気が取り柄よ!」
自信たっぷりに胸を張って言われてしまえば、なるほどそういうものかという気持ちになる。少しばかり頭には響くけれども。
イキシオリリオンは気にしたふうもなく、寝ている間に少し乱れた髪を手櫛で整えていた。何をしていてもさまになるカヒトだ。彼に倣ってアイリスも自分の髪の絡まったところを直す。準備ができれば、鉄蛇が襲ってくる前に出発だ。
通路に出ると、分厚いガラス張りの壁の向こうに、下の階と繋がっている巨大な空間が見える。遺跡の鉄蛇はそこで修繕されているのだろうか。停止した鉄蛇や、それ以外の機械が動いている様子が下のほうに見える。
「昇降機があるね」
「昇降機?」
「荷物を上とか下とかに運ぶやつ。あれで鉄蛇を運び出してるんじゃない?」
「ということは、あの機械を止めればいいんですよね、きっと……」
「そうだな。手っ取り早くこの壁をぶち抜きたいところだが、壁を破って建物自体が崩れるのはまずい。オレたちの脱出経路を確保してからでないと」
「アタシのこと蛮族扱いしておきながらお兄さまも発言が大概じゃんかよー」
「少なくともお前よりは冷静だ」
無事帰還できなければ意味がない。壁を破壊すれば当然鉄蛇も駆けつけてくるだろう。大元を解決しなければならないのだから、基本は慎重に行くべきだ。
そうアイリスも思ってはいたのだが――。
「うおわあえ!?」
ほんの一瞬のことだった。足元に妙な違和感を覚えて歩みを止めたのが幸運を呼んだ。目の前に光の矢が飛んだ――レーザーだ。触れたものを炭化させる有害光線。たった一歩でも体が前に出ていたら、命も危なかったかもしれない。
罠の作動スイッチを踏まずに前に進んでいたバンクシアとイキシオリリオンは、アイリスの無様な悲鳴を聞きつけて歩みを止め、罠そのものを破壊してくれた。
「おい、大丈夫か」
「び、びっくり、しましたあ……」
「いやーアタシもうっかりさんだったわ。ごめんね、罠が残ってるの気づかなかった」
「い、いえ……」
「生きててよかった! この先も結構罠とかあるかもしれないね。歩くときマジ気を付けていこう」
「ひゃい……」
まだ心臓がどきどきしている。
間一髪のところで避けることはできたが、鉄蛇以外にも危険はあるのだ。ここは旧文明の遺跡――第七メインランド。普段穏やかに暮らしている居住区とは、別の世界なのだ。現在は大部分が土に埋まってはいるものの、ここが建設された当初は下の階のほうが入り口だったはずだ。つまり――罠はこれから増える一方である。
(無事に帰らないといけないもの)
アイリスは深呼吸した。
やるべきことをやり遂げて、成果を持ち帰る。ナデシコともオダマキとも約束したことだ。約束というよりは、一方的な宣言のようなものだったが、自分でそうすると決めたことだ。
「でもある意味ラッキーかもね。罠があるってことは、ここは大事なモノがあるところかも!」
「寄り道している場合か?」
「見落としちゃいけないものがあるかもじゃん?」
アイリスが努めて冷静に注意深く行動しようと気合を入れ直している間に、バンクシアとイキシオリリオンの協議はいつの間にか終わっていた。一応、この罠のすぐ傍にある部屋を探索していくことに決まったらしい。
扉は固く閉ざされていたが、それはバンクシアの鍵で開いた。
内部はアイリスたちがキャンプに使った部屋とそう変わらない。無機質な金属製の壁はどこも似たようなものだ。だが、圧倒的に広い。そして大きな機械と棚が並んでいる。
棚の中には歴史で習ったような旧い記録媒体が並んでいる。規格が統一されているわけではないようで、遺跡ができた当時のことを考慮しても古めかしいものもある。それが人間たちにとってどのような価値があったのか、アイリスには想像することしかできないが――わざわざ情報管理の手間を増やしていたということは、それだけ慎重に扱われていた記録があったのかもしれない。
「資料室、なんでしょうか……」
「っぽいね。お宝探ししないとネ!」
「全部見ているほど悠長にはしていられないからな。見るのは必要そうなところだけだぞ」
イキシオリリオンに念押しされる。細かなところまでじっくり調べるのは遺跡を停止させた後だ。バンクシアは「わかってるわよ~」と先に進んでいく。アイリスも新しい罠がないか気をつけつつ、その背を追いかける。
「バンクシアさん、熱心ですね」
「あたぼうよー! 旧文明の人間って色んな娯楽があったのよ。そういうのアタシだって楽しみたいもん、心の潤いよ! たまーにそういうのも見つかるの」
「娯楽ですか……」
言われてみれば、ネオネバーランドにはそういったものは少ない。というより、娯楽に割けるリソースが足りていないのだ。十五年前の寒波より以前は、ネオネバーランドも多少は豊かだったというが、それでも旧い人間たちの街と比べれば質素な生活であったらしい。カヒトというものは妖精の末裔でもある――必ずしも人間と同様の生活は必要としないからだ。
「たとえばこのスカートとかもそうよ。好きなものを着るの。オダマキったら靴にしか興味ないから、アタシのほうからこういうの作ってーってお願いしないと全部同じお揃いにされちゃうわ」
「お揃いだとダメなんですか?」
「昔の人みたいに色々着たいのよ! アイリスも色んな服似合いそうよね……そういう資料とかもないかな? 持って帰ってオダマキに見せる。あいつにこう、靴が映えるには服もきちんとしなきゃダメだって言って丸め込んで作ってもらうの」
「手慣れてますね……」
「欲しいものを手に入れるためには手段を択ばないおねいさんよ、アタシ! オダマキは謝礼さえちゃんとしとけばわりとお願い聞いてくれるのよ。オダマキは欲しいものをゲット。アタシも欲しいものをゲット。これが経済よ!」
「バンクシアさん、オトナです……!」
「そこ、話半分に聞いておけよ」
イキシオリリオンは至って平常通りで、雑談で盛り上がるアイリスたちには目もくれず、何かのモニターを見ていた。
「そっちは何かあった~?」
「見ろ、地図だ」
大きな箱のような機械に繋がれたモニターに、回転する地球の姿が映し出されている。その映像上の地球儀には、いくつかの赤いマークが示されていた。
「ここが軍事基地だったことを考えると、あれが敵か味方かは知らんが、戦略的に重要な場所なんだろうな。そこが遺跡として残っているのかもしれん。ここと同じように、旧文明の機能もまだ壊れていない可能性がある」
「うへえマジかー。でもとりあえずここをどうにかしたら目の前の課題は解決するよね」
「そうだな。鉄蛇についての資料もあるな……これは確認して行くか……」
イキシオリリオンとバンクシアが熱心に鉄蛇の資料を開いているのを、アイリスも横から覗き込む。居住区にやってきたものもそうだが、遺跡の中の鉄蛇はいくつか種類があるようだ。
ふと、頬を撫でる風を感じる。ほんの僅かな温度変化であったが、ここは遺跡の奥深くだ。風を感じる、などということがあれば、それは何かしらの機械が動いている以外にない。
だが、感覚を鋭敏にできるバンクシアとて常時魔法を使っているわけではなく、彼も、イキシオリリオンも鉄蛇の資料に熱中していてほんの僅かな異変にはまだ気がついていない。
アイリスが感じた異変について話そうとした次の瞬間、キイ、と金属同士が擦れる音がした。
アイリスは咄嗟にバンクシアとイキシオリリオンを突き飛ばした。二人がいた場所に向かって、近くにあった棚がドミノを崩すように倒れてくる。棚から零れ落ちた記録媒体が頭上から降り注ぐ。
「か、風さん……!」
ともかく行動だ。今の自分にできることといったら、もうそれくらいしかない。靴のかかとで床を叩くと、足から魔力が溢れ出る。周囲の空気をかき集めて風の壁を作るのだ。
「アイリスっ」
「わ、わたしは平気です! それより、敵! 敵がきてますっ」
警告音が辺りに鳴り響く。鉄の擦れる音が近づいてくる――鉄蛇だ!
「見つかっちゃったかァ」
「逃げるには間に合わんな。迎撃するぞ!」
気づかぬうちにどこかでセキュリティに引っかかっていたのだろう。小型の――とはいってもカヒトからすれば自分と同じくらいには大きい――鉄蛇が複数、周りを取り囲んでいる。それらの視界には数多の記録媒体に押し潰されかけているアイリスは入っていないようであった。
バンクシアとイキシオリリオンはそれぞれ自身の魔法を駆使して、次々と集まってくる鉄蛇たちを文字通り蹴散らしていく。バンクシアが何体目かの鉄蛇の頭を蹴り飛ばしたとき、異変は起こった。
ピシリ、とひびが入る音がする。
激しい戦闘は想定を超えた規模であったのか、床に亀裂が入り、それはどんどんと広がっていく。そして当然といえば当然だが、重みの偏ったところまで亀裂が届けばどうなるか――。
「おっ……おわああああああー!?」
床は耐えきれず割れた。割れて大きな穴が開き、もろともアイリスは悲鳴を上げながら落下する。
「あ、アイリスー! ど、どうしよお兄さま、追っかけないと! 帰り道確保できてないけどッ、でもキリないし!」
「鉄蛇どもも高所から落下すれば制御装置が壊れる。上の連中は下まで追ってこられない……はずだ」
「わかった、とりあえず今は下行くほうがマシっぽい! お兄さま、掴まって!」
いかに旧文明の兵器といえど、この高さから落ちればひとたまりもない。自壊に繋がる行動は避けるはずだと信じて、バンクシアは魔法で足を強化する。ぎりぎりまで熱で鉄蛇を溶かしていたイキシオリリオンを抱きかかえ、二人でアイリスが落ちていった穴へと飛び込んだ。




