第十一話
三階はどうやら建物の半分近くが研究棟になっていて、もう半分は下の階と繋がった巨大なホールのような空間になっているらしかった。
この先は効率よく進める道もほとんど判明していないため、上と繋がる階段と近い場所にあった部屋を拠点として使うことになった。居住区からここへ辿り着くまで、それなりに時間もかかっている。休息できるときにはきちんと休むべきだとバンクシアは主張した。
「人間が使ってた建物っておっきいのよ、ほんと! 居住区に残ってる家とかもそうだけど。ここでキャンプよ、キャンプ! 鉄蛇がどっから湧いてんのかもよくわかんないんだし」
そこは扉のない、廊下と直接繋がっている部屋だった。
幸いと言っていいのか、バンクシアが指定した部屋の電気系統は無事らしく、太陽光ほどの輝きこそないものの、最低限必要な光は確保できている。
自分たちが休憩している間に壁のない居住区が襲われたら、と思わないでもないが、自分たちの体力も限界がある。休めるときには休んでおかなければ、鉄蛇との戦闘にも耐えられなくなっていく。
「この部屋の中に鉄蛇は出るか?」
「対策しとけば来ないわよ。確かこの辺に……あったあったァ、これこれ」
バンクシアはドアの辺りを探って、足元の辺りの突起をガツンと蹴りつけた。警告音が鳴るのを無視してさらに蹴り潰すと、配線がショートしたのか火花を散らして音も止んだ。
「自己修繕システムもすぐ直るわけじゃないから、センサーのところ壊しとけば一晩くらいもつわよ。ドアがないところってこういう違うタイプの侵入者対策があるから面倒なんだけど、壊しさえすれば簡単な話ってやつよ」
「その調子でよくガーベラのことを蛮族なんて言えたな……」
「効率的じゃん?」
その言葉はアイリスも否定しないが、イキシオリリオンが呆れたような顔をしたのにも何も言えなかった。何というか、バンクシアの場合は、勢いと筋力で全てを解決しているように見える。全く止める間もない俊敏さであった。
さて、この部屋は会議室か何かだったのだろう、机と椅子がいくつか並んでいて、アイリスが見たこともないような機械もある。それらは今は稼働していないようで、何のために使うものかさっぱり見当もつかない。ひとまず動いていないということは、今は危険ではないはずだ。
そんな止まった機械の上に腰かけながら、バンクシアは遺跡の事情について話す。
「多分、重たそうな資材は下の階だと思うのよ。鉄蛇も下のほうから出てきてるから、機械の巣みたいなのがあると思うの。でも資料室ってのがこの階にもあるっぽくて。はかせとかナッちゃんが欲しがりそうなモノはこの近く探すほうが見つかりそうな気がするんだけど」
イキシオリリオンは首を横に振った。
「自己修繕システムの大元さえ止めてしまえば、あとはどうとでもなるだろう。一番の目当てはそれだ。調べものは後にするぞ」
「ハイ、お兄さま!」
アイリスが挙手すると、イキシオリリオンは目線をくれたので、そのまま質問を続ける。
「もし途中でどうしても気になるものがあったら拾っても良いですか?」
「……荷物にならない程度ならな。探索の邪魔になるほどのものは全部後からだ」
「お兄さまお兄さまアタシはー?」
「肉体強化したら持っていける、という基準はなしだ」
「あーん先手打たれたァ」
バンクシアは大げさに肩を落としつつ、かといって本気で寄り道を考えていたわけでもないようで、机を動かしながら寝るスペースを作り始めた。
「ま、とにもかくにもお話は遺跡を停止させてからってことね。じゃ、とにかく深く潜ること優先したほうがいっか。やっぱり体力いりそうだから、早いとこ休も!」
そして自分の使う場所を確保した彼は、にこやかに「おやすみ!」と宣言して寝た。間もなくしてすやすやと健康的な寝息が聞こえてきたので、完全に眠りに入ったらしい。普段からこの調子で探索を繰り返してきたのだろう、一連の流れには彼の慣れを感じずにはいられない。というか肝が太い。いくらセンサーを破壊したとはいえ、ここは鉄蛇の潜む遺跡の中には変わりないのだが。
ずっと起きていたところで何かできることがあるわけでもない。イキシオリリオンも壁にもたれかかって目を閉じたので、アイリスも彼らに倣って空いた場所で横になる。
――横になったは良いが、全く眠れる気がしない。
万が一の時のための明かりを確保できるように、と懐中電灯を用意してきたが、電気系統が生きている場所はどこも明るいのだ。この部屋もそうだった。夜というのに煌々と明るい。
一晩くらいは問題ないとは言われても、やはり鉄蛇のことも考えてしまう。旧い時代のものとはいえ長年カヒトを脅かしてきたものがすぐ近くにいるかもしれない――いざというとき、果たして自分は上手く動けるか。上手くやるためにも休まなければいけないのはわかっているけれど――。
どうにか眠ろうと意識すればするほど逆に頭が冴えてくる。上手く休息が取れずに苦心しているアイリスに、イキシオリリオンが声をかけてきた。
「なんだ、眠れないのか」
「お兄さま……」
「遺跡の中は昼も夜もないからな。ずっと明かりがついているから、体が慣れないんだろう。横になっておくだけでも幾分かましだから、無理に眠ろうと意識しなくていい」
かくいう彼もまた眠っていない。イキシオリリオンはきちんと休めているのだろうか。
「オレは慣れているからな」
壁の再建作業を進めている間は、特に彼が中心となって夜の見張りをしていた。その時と変わりないということらしい。それは決して明るい夜でも眠れるという意味ではないのだが、そうハッキリと言い切られると議論の苦手なアイリスからは何の反論もできない。
適切な休み方を知っているのかもしれないが、それにしてもアイリスにはなかなか真似ができないことだ。長く生きている経験からか、イキシオリリオンはいつでも落ち着いていて、何事にも迷いがないように見える。
「……お兄さまみたいに、強くなりたいな」
心のうちに秘めておくだけのつもりが、思わず口に出して呟いてしまったのを、イキシオリリオンは聞き逃しはしなかった。
「比較は無駄なことだ。オレたちカヒトは基本的に、生まれつき才能の伸び代が決められている。お前はまあ……細かいところは違うが、同じカヒトはカヒトだ。似たようなものだろう」
「はい……」
「であれば、オレと同じようになろうとするな。お前がいくら修練を積んだとしても、決して同じになることはない。わかるな?」
アイリスは寝転がったままの体勢で頷いた。
そもそもイキシオリリオンというのは、戦闘に向いた性質を持たされて生まれてきて、長い年月をその目的のために費やしてきたカヒトだ。長い髪はより多くの光を吸収して魔力へと変えるためのもの。無駄な肉のないすらりとした体は、鉄蛇という脅威に柔軟に対応するためのもの。彼は生まれた時から完璧なのだ。何も知らずに生まれ落ちて甘やかされてきたアイリスとは、まったく違う。髪の長さだけなら似たようなものだが、どんなに憧れたところで、イキシオリリオンの言うとおり、彼のようになるというのはアイリスには難しいことだ。そもそも、魔法の性質も全く違っている。
今のところ、アイリスはただ二人に着いていっているだけだ。せめてまともに着いていくくらいはできるように、しっかり休まなければならない。明日はきっと、今日より大変な道行になる。
迷わないように、間違えないようにと意識するほどに緊張してしまうアイリスに、イキシオリリオンは最後に一つだけ囁いた。
「必要だと思ったらオレが指図してやる」
目を閉じたままにしていたので表情こそ見えないが、その声色は随分と優しく聞こえた。どうにか穏やかな気持ちで休めそうだ。




