第九話
時間が経つのは早いもので、あっという間にその日は来た。オダマキによる靴の調整が終われば、あとはもう遺跡に向かうだけだ。
「よーっし、準備はいーい? 靴の履き心地はオッケー? 水と懐中電灯は持った?」
バンクシア曰く、遺跡の中は複雑で、完全に電気系統が壊れて真っ暗闇になっている場所もあるらしい。万が一に備えて、光合成のための明かりは確保しておかなければならないというわけだ。あとは単純に、視界の確保という意味もある。エーテルツリーから供給されるエネルギーは少ないとはいえ、懐中電灯程度であれば、充電に支障はない。
「遺跡へ行くのは久方ぶりだな」
「お兄さまはほとんどずーっと防衛のほうばっかりだったもんね」
「探索は重要だが、留守番も必要だ。それにエーテルツリーの世話係もな。前の寒波でその辺りが足りなくなったから、事情を一番知っていたオレが手元に置かれていただけだ」
カヒトは寿命こそあれ、肉体の老いは非常にゆるやかだ。イキシオリリオンは今活動しているカヒトたちの中でも特に年長の部類で、アイリスよりも何倍も長く生きているだけあって、経験したこと、学習したことも多い。
バンクシアは当然、何度も探索している遺跡には詳しい。アイリスは二人の手伝いをする形になる――足を引っ張らないようにしなければ。
「アイリス、ついてきてるか」
「はいっ」
遺跡への道は、海を歩いていく。遠い昔には核戦争のために汚染されていたが、エーテルツリーが健在だった頃に浄化された。ネオネバーランドの西側から長く浅瀬が続いていて、その先に、旧い時代の人間の遺産がある。
「海に生き物はいるんでしょうか。わたしたちみたいな動くやつ」
「さあ……どうだろうねえ。海って広いし、どこかにはいるのかもねえ。アタシは浜辺に打ちあがる海藻くらいしか見たことないけど」
「人間と妖精の戦争以前には魚とかいうのがいたと聞いているが、今も生きているかどうかは知らん」
普段、まず見ることのない、居住区の壁の外の世界――水平線の見える潮水の海。アイリスにとっては、何もかもが目新しく、どれもこれもがナデシコに教えられたとおりのかたちをしている。
興味深いことは山とあるが、今は遺跡の攻略のほうが優先だ。それに、遺跡さえどうにかなれば、海は後からでもゆっくり眺められるだろう。
太陽を反射して煌めく水面の道を通り抜け、砂浜から渇いた赤土の丘へ登る。ひび割れた大地を踏みしめてさらに真っ直ぐ進んでいくと、やがて目的の場所が見えてきた。
「ここが、遺跡……」
眼下に、赤土の中から飛び出た、角ばった鋼鉄が確認できる。
足元は大きく穴が開いたように崩れているが、下には崩れた土がそのまま積もってなだらかな坂道ができており、きちんと下りられるようになっている。
「大昔の人間の街、第七メインランドよ。妖精との戦争のための大型要塞。軍事基地? 千年以上前に建造されたって話だけど、今はだいぶ土に埋まっちゃってんの」
「そのわりには、思ったより綺麗に形が残っている……といいますか……」
入口――と言っても良いのだろうか。本来は屋上であったのだろうそこには、きちんと扉がついている。あまり錆びた様子もない。
「確かアレよ、自己修繕システムってのがあんのよ。それも大昔の戦争とか自然災害とかで結構壊れちゃってるけど――中には生きてる機械もあるみたい。鉄蛇だっているしね」
「無駄話をしている暇はない。行くぞ」
「はあいお兄さま~。さ、いくよアイリス」
「は、はいっ」
二人について、坂道を下り遺跡の入り口の前まで来る。だが、扉は固く閉ざされている――普段どうやって出入りしているのだろうと不思議に思ってバンクシアのほうを見ると、探索用の荷物入れから何か取り出した。
「これも前の探索で手にいれたの」
鈍い銀色のカードのようなもの。それをかざすと、閉まっていた扉が自動的に開く。どうやらこれが鍵らしい。
「その前まで扉は力尽くでぶち抜いてたからさあ、こういうのあると便利よね、便利。無駄な魔力使わなくて済むし」
言いながら、遺跡の中へ入っていく。通路はまだ壊れていない部分ということか、明かりもついている。修繕システムがあるためか、旧い遺跡だというのに、アイリスにはあまりカヒトたちの居住区と変わらないように思えた。
「気を引き締めていこう! つっても緊張しすぎてガチガチ! 動けない~ってのもよくないでしょ。このバンクシアおねいさんが遺跡ツアーガイドしてあげるね!」
「いつもそんな調子なのか」
「一人でも寂しいから喋ったり歌ったりするよー。テンション上げとかないとやってらんないって。お兄さまは見張りのときやんないの?」
「やらん」
「そっかー。お兄さまはオトナだねー。でもアタシは自重しなーい。今日は聞いてくれる人が二人もいるんだもの、喋らなくてどうするのよってね。それに、改めて情報共有もしときたいでしょ。ね・ん・の・た・め!」
バンクシアがただ喋りたいだけかもしれないが、彼の言うとおり、情報の確認はあったほうがいい。特にアイリスは、遺跡に入るのは初めてだ。記憶違いで失敗するわけにはいかない。
「アタシが手に入れた地図では、この遺跡は元々いくつかこの辺に建ってた基地のひとつらしいの。建物自体は五階建て、ってことになってるんだけど、それがまた広くって広くって」
「バンクシアさんは何度か探索に来ていますよね。そのときは……」
「一番上の五階と、その下の四階は大体見たのよ。でも、深く潜れた時でも三階の途中までしか確認できてないわ。遺跡の中は鉄蛇がたくさんいるし。前にゲットした地図を見る限りだと、もっと下のほうに基地の設備管理用のマシンルーム? みたい? のがあるっぽいんだけど……」
「鉄蛇が動いているのは、基地としての機能がまだ生きているからだな。壊れても修繕される――なら、修繕システムを潰すしかない。ひとまずそのマシンルームとやらを探すか」
イキシオリリオンの方針に異存はない。いつ鉄蛇が現れるかわからないということもある――慎重に進まなければ。
◆◆◆
アイリスたちが遺跡の攻略へ向かった後には、非戦闘員たちが残された。そうして、大して役には立たないとは思いつつも、壁の修繕を続けている。他にすることがないともいう。
今回は人手がいなくなったということもあり、医者のナデシコも面子として数えられていた。とはいえ、それもバンクシアのように魔力で強化できる肉体があるわけでもなければ、イキシオリリオンのように熱を操ることもできないので、ないよりはまし程度の添え物にしかなっていない。カヒトにとって、設計に求められていない仕事は基本的に得意にはなれないものである。
黙々と、真剣にやっても気の遠くなるような修繕作業に追われながら溜息をつくナデシコのもとへ、一人のカヒトが近づいていく。
「アイリスが心配かい?」
「ガーベラ……」
頭から橙色の花を咲かせた、カヒトのリーダーである。ナデシコにとっては、あまり得意ではない相手だ。自分より長く生きていて、自分より言葉をよく知っていて、何より――容赦というものがない。
「やっぱりアレかな、ナッちゃん的には好きな子が連れてきた可愛い子供と思うと、気になってしょうがないってやつ?」
「ナデシコさんと呼べ。そしてお前さんはデリカシーというものを学んでくれないか。迅速に」
オダマキのほうがまだましだ、とナデシコが吐き捨てるように言うと、ガーベラはやれやれと肩をすくめた。
「大事なアイリスは、昔と同じように大事?」
「……わかっているんだ。今のアイリスが、前のアイリスとは違うってことは」
言われずとも、理解はしている。先代のアイリスは、自分の腕の中で絶えたのだ。それを看取った。そして、子供を託された。
成長するにつれて徐々に彼は先代と生き写しのように似ていく。顔も仕草も体格も、自分を呼ぶ声色さえも。
「本当にそっくりだ。でも……あの子は、ボクの大切な友だったアイリスじゃない。死んだアイリスがボクに託した、新しいアイリスだ」
そう――いくら似ていても、どれほど同じに見えたとしても、決定的に彼は先代とは違っていた。ナデシコが手を差し伸べなければいけない子供だった。親と子なんて文献でしか知らないような関係の真似事をしなければならないほど、新しい子供は弱い存在だったのだ。
「ナッちゃんは立派に親ってやつをやってたと思うよ、私はね」
「……どうかな。ボクにとっちゃ何もかも初めてのことばかりだったから、上手くできたことなんか一回だってなかった気がするよ」
「でもアイリスはちゃんと育ったじゃあないか」
そのとおりだ。先代のアイリスに頼まれたから、ナデシコなりにアイリスの世話をした。そうして気がつけば何年も時が過ぎていて、彼は他のカヒトと遜色ないほど成長した。ナデシコは、亡き友の忘れ形見を死なせずにやれたのだ。
「……エーテルツリーを使わずに生まれてきた子供。前のアイリスはどこかで失われた過去の知識を得たんだ。ボクがアイリスを育てたのは……そういう、打算もある。あの子は替えの効かない研究対象だ」
「でも、それだけじゃあるまいよ。見ていればわかる」
「わかっていてあの子をボクから取り上げるような真似をする」
「遅かれ早かれこのままではカヒトは滅ぶ。であればカヒトの代表役としては、可能性に賭けるほうを選ぶさ。使えるものを使うのが私の仕事、私の仕様だからね。盛大に恨んでくれていいよ」
ガーベラはにこやかに唇の端を釣り上げて、目を細めて笑ってみせた。ナデシコはあからさまに眉を顰めて、盛大に舌打ちをした。
「ガーベラのその笑い方、本当に嫌いだ。ブス」
「シンプルな罵倒!!」
陰口じゃないだけマシだけどストレートなのも傷つくわア、としなを作るガーベラの足を、ナデシコは無遠慮に蹴った。全くダメージにはなっていなさそうだった。
壁の修繕は、終わる気配がない。




