君と世界も甚だ過ち
夕方にピアノが聞こえてくるんだ。
──ああ、長かった。
──ようやく終われる。
「なんでわからないの!」
「おいクソガキ。酒取ってこい」
「そうじゃないでしょ?! どうして?!」
「なんだゴミクズ。その眼はなんだ」
「もういい加減にしてよ!」
「痣はちゃんと隠せって言っただろうがよ!」
「あんたなんか産むんじゃなかった!!」
「なんだお前、まだ家にいたのか」
「▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲──」
「■■■■■■■■■■■■──」
母親はとても教育熱心だった。偏執的、確執的とも言えるかもしれない。もはや強迫による教育だった。テレビで見るような天才を育てた教育というのは、幼い少年にとっては無理難題ばかりだった。そんな少年を母親は激しく責め立てた。そして、躾としてアイロンを押し当てたり、ペンチで爪を剥がしたりした。
父親は仕事熱心だった。しかし、その仕事で溜まった鬱憤や憂さを少年への暴力で晴らしていた。気付けば少年の体には多くの痣や傷が刻まれていた。
幼い頃から母親にも父親にも愛されたことはなかった。自分の心をズタズタに切り裂く母親からのヒステリックな叱責や、自分の体に消えない痣や痕を残す父親からの暴力を「愛情」と受け取るほど少年は壊れていなかった。いっそ壊れてしまっていれば良かったのかもしれない。そうすれば少年の人生は歪んでいたとしても、続いたかもしれない。いや、遅かれ早かれ、破綻は避けられなかったかもしれない。なんにせよ、たった十四年という人生で既に取り返しはつかないところまで来てしまっていた。
少年は常々「こんな両親さっさと死んでくれないかな。できれば惨たらしく」と思っていた。登下校の途中にある神社に「両親が早く死にますように」と願掛けまでした。しかし、結局、いつまで経っても両親は健在、ピンピンしていた。少年は、「神様ってやつは存在の割に役に立たないものだな」と、仕方ないから自分で両親を殺すことにした。
──ここまで育ててくれてありがとう。
──ソンナ感情ガ湧クハズナイダロウ。
──そうかな。
──ソウニ決マッテルダロ。
──そっか。
──ホラ、ヤルゾ。
──うん。
その日、少年は母親よりも早く起きた。少年に個人の部屋は割り当てられておらず、廊下で寝ることになっていた。
廊下から台所へ向かう。とはいえ朝食を食べるでも作るでもない。朝食といえば、少年にとっては一日の苦痛の始まりでしかなかった。バランスよく彩りよく作られる朝食は、普通に見れば食欲をそそるものであある。しかし、食卓も教育の場である。箸の持ち方、食べる順番、一度に掴む量、噛む回数、食べるペース、味の感想、など一つ一つを取ってみれば他愛のないもの、むしろ美徳である。しかし、細かく監視され管理されている中でのそれらは苦痛でしかない。そんな苦痛に耐えかね自分で勝手に朝食を作り一人で食べたことがあった。その時は、母に泣き叫びながら頬を何度も何度も叩かれた。
台所に着くとシンクの下の扉を開く。──勝手に朝食を作って以来、台所のあらゆる戸や扉に鍵が設けられたが、少年は既に開錠番号を盗み見て覚えていた。──そこから一本の包丁を取り出す。料理好きな母親は何本もの包丁やナイフを使い分け、丁寧に手入れしていた。少年が取り出した包丁は長年、母親が使っているものだが丁寧に砥がれている。
少年は台所を出ると、母親のいる寝室へ向かった。包丁をもつ少年の手は僅かばかり震えている。
──ドウシタ? 怖イノカ?
──うん。これは怖い。だって初めてのことだし、教わったこともない。
──ソレハソウダ。ダケド大丈夫ダ。俺ガ付イテイル。
──そうだね。ありがとう。
母親の寝室の前に着き、一息吐く。自分を落ち着ける。片手に包丁を握りしめたままドアノブを捻り、ゆっくりとドアを開ける。
当然、母親はベッドに横たり寝ている。静かに、平穏に、無事に──寝ている。
──ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。ムカつく。よくも。よくも、よくもよくもよくもよくもよくも! 僕をこんな目にあわせておいて! 僕を! 僕を! 僕を!!
──オイ、落チ着ケ。声ガ出ルゾ。コイツガ起キタラ厄介ダゾ。
──ああ、ごめん。つい……。
──落チ着イタカ?
──うん。
少年は持っていた包丁を頭上まで高々と振り上げ、目の前で眠る母親の心臓へ突き立てる。引き抜くと血が一気に吹き上がった。しかし少年は構わず、もう一度、心臓へ突き立てる。引き抜く。次は腹に、首に、顔に、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。刺された母親は短く呻き声を上げたが、そんなことは知ったことではないと、少年は実の母親に包丁を刺し続けた。辺りはすっかり真っ赤に染まっていた。
──モウ良イダロウ。
──そうだね。いくら刺しても気が晴れないし。
──ソウイウモノダロウ。
──うん。
──ジャア次ノ準備ダ。
──うん。
少年は寝室を出てシャワーを浴びに風呂場へと向かった。少年が適温のシャワーを浴びるのは久しぶりだった。日々の入浴は母親の教育方針──強い身体を作る──のために、季節を問わず冷水しか浴びることを許されなかった。もしくは、躾といって熱湯を浴びせられるかのどちらかだった。
鏡に映った少年の体には数えきれないほどの傷や痣があった。浅いものから古いもの、新しいものから古いもの。化膿し変色している部分まである。痛々しく、とても直視できるようなものではなかった。
──酷いよねこれ。
──酷イナ。
──許せないよね。
──許セナイナ。
シャワーを浴び終えて、血に塗れたパジャマからジャージに着替える。次は父親を殺す番だ。もうすぐ夜勤から帰ってくるだろう。それまでに準備を整えることにした。母親は寝ていたので、簡単に殺すことができた。しかし、父親はそうはいかない。
──次はどうしようか。
──アレハドウダ。
少年は玄関に立てかけられた金属バットを見つける。父親は地域の草野球チームに入っている。休日には朝早くから楽しそうに出掛けていく。
──良いね。そうしよう。
しばらくして父親が帰ってきた。寝室へと向かう父親を、階下に隠れていた少年は背後から襲う。ドガッと鈍い打撃音が弾けた。まずは後頭部へ思いっきりバットで殴りつけた。父親はよろめきながらも少年の方へ振り向いた。そこへ全身全霊のフルスイング。骨が粉砕、陥没、筋肉がちぎれる感触がバットを通じて伝わる。今のフルスイングで父親の顔はぐしゃぐしゃになっている。流石に耐えきれないようで床に倒れ込む。
──死んだ?
──ワカラン。
倒れた父親は呻きながら痙攣している。既にここで父親はこと切れていたが。少年にとっては僅かでも動くなら動かなくなるまで殺そうという意思しかなかった。
──生きてた。
──ソウダナ。続行ダ。
倒れた父親に向かってバットを振り下ろす。先ほど母親にしたのと同じように、何度も何度も。そこに一切の躊躇いはなかった。あるはずがなかった。バットえお振り下ろすたびに骨が砕け肉が裂ける。ぐしゃり、と。
しばらくすると固体を殴っている感触はしなくなっていた。少年は気持ち悪そうに見下ろす。
──今度は少し気分が良かったよ。
──ソレハ良カッタナ。
この日、少年は実の両親を自らの手で殺した。当然のことだ。少年の人生を奪い、虐げ、辱め、再起不能なまでに破壊した両親は殺されて当然だった。殺されるべくして殺された。むしろこの両親はなぜ殺されると思わずに日々を過ごしていたのだろうか。まさか自分の子供に殺さるなどとは思っていなかったのだろうか。思っていなかったのだろう、だから自分の子供にあんな非道なことができたのだ。
「そんなんだから僕に殺されるんだよ」
「僕に殺されるようなことをしたあんたらが悪い。僕は悪くない」
「あんたらとの十四年間、笑えない程には地獄だったよ」
玄関のドアを乱暴に閉めて学校に向かう。次に殺すのはクラスの奴らと教師だ。
死ね。キモい。ウザい。来るな。バカ。キモい。キモい。死ね。死ね。死ね。ウザい。死ね。死ね。死ね死ね死ね──。少年の机と椅子はそんなありふれた悪意で埋め尽くされていた。一部のクラスメイト達によって描かれたものである。教科書も同様に落書き帳のようにぐちゃぐちゃにされている。しかも何冊かは燃やされたり、食べさせられたりした。
そんなイジメを誰も止めることはしなかった。注意することで逆に自分がイジメのターゲットにされるのが怖かった──からではない。そう考える生徒もいたかもしれないが、ほとんどの生徒は単純に興味がなかった。それは担任の教師も同じだった。見て見ぬ振りをしていたわけではない。イジメを認識したうえで、日常の一コマとして気にせず処理していた。
少年はそういった日常的なイジメをただひたすらに耐えていた。誰にも相談せず、抵抗もせず。ただただひたすらに耐え続けた。そして、絶対に復讐することだけを考えていた。
少年は両親を殺した後に、制服に着換え、鞄を背負って──ハンドバックタイプの鞄をわざわざ背負うスタイルにして──学校に向かっていた。鞄の中に教科書や筆記用具は入っていない。代わりに数本の包丁やナイフ、殺意が入っている。
──今度はあいつらだ。
──ドウヤッテ殺ス?
──鞄の中の包丁で刺し殺す。
──ソレハ簡単ジャナイゾ。
──でも他に良い方法も思いつかないんだよね。
──不安ダ……。
今日は土曜日だが来週の体育祭の練習をするために、少年のクラスは休日登校することになっていた。他のクラスや学年の生徒たちも多少は登校しているだろうが、普段に比べれば圧倒的に登校する生徒の数は少ない。「普段より人が少ないし殺しやすいだろう」くらいにしか考えていない。両親を殺した時もそうだったが、「起きてくる前に殺そう」「帰ってきたところを殺そう」くらいにしか考えていなかった。殺意の割に計画が杜撰だった。しかし実際、それで二人とも殺すことができたのだから大したものだ。
とにかく今度もきっと上手くいくと少年は信じている。信じている、といより決めている。自分をイジメた奴らを絶対に殺す、と。少年が絶対に殺すと決めているのはイジメの主犯たちである五人の生徒とイジメを無視した担任である。本当は他のクラスメイトも全員殺したいところだが、時間的にも体力的にも無理だろう。だから、この六人だけは絶対に殺す。
歩いて約二十分ほど。学校に着いた。校門から下駄箱に向かう途中、ちらほらと生徒の姿を見かける。
下駄箱に着くと一人の生徒が靴を履き替えているところだった。殺したい五人の生徒のうちの一人──S木だった。その姿を確認した瞬間、少年は鞄から包丁を取り出し、S木がこっちを振り向き少年と目が合った時には既にS木の心臓に深々と包丁が突き立てられていた。
「こっ──」
何か喋ろうとしたのでもう一本ナイフを取り出し口の中、喉奥に刺し込んだ。S木は蹲るようにして倒れた。
「学校に着いて直ぐに一人目を殺せるとは幸先が良いな」と少年がそう思っていた矢先だった。
「おい、おせーよ。何してんだよ」
先に履き替えていたS木の友人が廊下から戻ってきた。この生徒も五人のうちの一人──A田だ。
「ってなんだよこれ……」
血を流し倒れているS木を見つけて動揺するA田。少年はその隙を突いてA田の喉元にナイフを刺し、横に引き裂いた。血が噴き出る。ゴポッと血の泡を吹き出す。喉を抑えながら少年の足元に倒れる。少年はそんなA田の頭を革靴で思いっきり踏む。
──一気に二人も殺せた。
──幸先ガ良イナ。
──この調子で全員殺せると良いなぁ。
──ソウダナ。
自分の下駄箱に戻り、革靴から上履きに履き替える。下駄箱の中からは大量の画鋲が流れるように出てきた。上履きを隠される、捨てられるなんてことはよくあったが、最近はこうして下駄箱に直接何かしてくるようになっていた。
──しかしこの画鋲の量……。
──嫌ワレ過ギダロウ。
──どっから持ってきたんだこんなに……。
──サアナ。
大量の画鋲をかき分け上履きを取り出し、中に入り込んだ画鋲を取り除いてから履き替える。その時、滴る血に気付く。先ほど殺した二人の生徒たちの返り血だ。学ランに染みた血は目立たないが顔についた血は目立つ。仕方ないので、床に倒れているA田のYシャツの汚れていない部分で拭った。
──取れたかな。
──取レタンジャナイカ。サテ次ダ。
──うん。
少年のクラスは三階にあり、職員室は下駄箱から出て、廊下を突き当りまで行った所にある。教室に上がる前に先に職員室で担任を殺していくことにした。
職員室に着き、ドアの窓ガラスから中を確認する。そこには担任のT中だけでなく三人目──F村もいた。T中とF村は何やら話している。今日の体育祭の練習の打ち合わせだろうか。
F村は少年のクラスの学級委員で人望も厚く、容姿も良い。クラスメイトからだけでなく教師からの人気も高い。そんなF村だが、少年へのイジメに加担していた。物を隠したり壊したり、机や持ち物に落書きしたり──するわけではなかった。F村は直接的に暴力を振るってくる。空手だか柔道だか知らないが、とにかく武術を習っているF村はそれをイジメに暴力として使ってくる。少年の体につけられた痣のうち三割はF村につけられたものだった。F村はことあるごとに暴力を振るってきた。それが父親を想起させとても不快だった。
──さて、どうやって殺そうか。
──ドウヤッテモ何モ、刃物シカナイゾ。
──あ、あれなんかどう?
──アア、机ノ上ノ花瓶カ。良いンジャナイカ。
職員室のドアを開け中に入る。ドアが開いた音にT中とF村が反応した。それだけだった。少年の方を一瞥するとまた直ぐに会話に戻る。少年が近付いても一切反応しない。
──相変わらず。
──ムカツクナ。
少年は両手に包丁を持ち、そのまま会話する両者の胸元に突き刺した。T中の方は上手いこと一撃で殺せたようだがF村の方は心臓ではなく肺に刺さったようだ。F村が腕を伸ばし、少年の首を絞めてくる。
「お前……何を……」
上手く呼吸ができないようで、掠れた声になっている。少年は首絞めに藻掻きつつ、机の上の花瓶を手に取り、F村に殴りかかる。ガラス製の重厚な花瓶だ。左目の上付近に花瓶が当たり、F村は首を絞めていた手を離し、床に倒れる。少年は入念に何度も、花瓶が割れるまでF村の頭を花瓶で殴った。
椅子にもたれるようにして胸から血を流し死んでいるT中の死体。床には胸部から血を流し、頭部がひしゃげたF村の死体。
──F村の奴、最期まで抵抗しやがって……。
──少シ危ナカッタナ。
──ともあれこれで、三人目と担任を殺した。
──残リ二人ダナ。
これまで殺して来た奴らはタイミングよく遭遇し、持ってるナイフで上手いこと殺せた。しかし、どう考えても行き当たりばったりの凶行である。それでも何故か殺すことができている。少年にとっては殺せればそれで良い。理由も理屈もどうでも良かった。
──とんとん拍子に進んで少し気分が良い。
──ソレハ良カッタ。
職員室を後にし、教室へと向かう階段の途中、二階から三階に上がる途中で四人目──Y本とすれ違った。そのすれ違いざまに少年はY本の背中を押した。Y本は勢いよく階段を転がり落ちていった。階段の十三段目から落ちたが死に至ってはいないようだ。
──流石にこれだけじゃ死なないか。
──楽ジャナイナ。
死ななかったとはいえそれなりの高さから落ちたダメージは受けているようだ。手足のどこか骨折でもしたのだろうか。動けなさそうだ。少年は倒れているY本の襟首を掴み持ち上げ、首にナイフを深く突き立てた。Y本はうなだれるように倒れ込みそのまま動かなくなった。
──簡単だったよ。
──ソウダナ。四人目だ。
──残るはあと一人、あいつだけだ。
『学校を好きだとおもっている人がいるとすれば、その人は学校を知らないか、あるいは学校しか知らないか、どちらかだ』という人がいた。少年はまさにその通りだと思った。そう言った人はこう続けている『どちらにしても好きな場所のある人は幸せです』と。少年は考えた。「未だに学校が世界の全てであり、幸せな場所などない自分はどうしたら良いのだろうか」と。
二年三組、それが少年のクラスだった。他のクラスメイトたちにとっては楽しい学校生活を送るための箱だったかもしれない。しかし少年にとっては牢獄であり地獄だった。しかし、それも今日で最後。この忌まわしい箱から解放される。
少年は入り口のドアを勢いよく蹴り飛ばす。教卓の下までドアが吹き飛ぶ。教卓に座り偉そうな態度でクラスメイトと話していたのは五人目──K崎だった。会話していた数人のクラスメイトは驚き、怖がり教室の後方へ避難していった。K崎は吹っ飛んできたドアに少し驚いた様子だったが、教室の入り口、少年を睨み付ける。
「なんのつもりだテメェ!」
かなり怒っている。クラスメイトとの一方的な上から目線で楽しんでいた会話を邪魔されたのが相当に不愉快だったようだ。
「お前を殺しに来た」
少年は包丁を取り出し、背負っていた鞄を床に投げ捨てる。既に鞄の中は空っぽのようだ。包丁の切っ先を、殺意をK崎に向ける。
「私を殺す?! お前が? っざけんなよゴミクズがよぉ!」
K崎は胸ポケットからカッターを取り出しカチカチカチカチと刃を剥き出しにする。
「お前ごときが私を殺せると思ってんのがムカつくなぁ!」
そう言い放つとカッターを振りかざして少年に飛びかかる。躊躇なく少年の顔を狙ってくる。躱せなかった少年は頬を切られる。
「その透かした顔ォ! ズタズタにしてやるよ!」
「……殺してやる」
ただただK崎を殺すことだけを考える少年。これまでは少年の存在を無視する奴らばかりだった。故に、殺すことは容易だった。しかし、K崎は少年と正面から対峙し、存在を認めている。殺すことは容易ではない。正真正銘の殺し合いだ。
K崎は天才だ。文字通り、意味通りに天才だった。百年に一度の天才だった。しかし、生まれる時代と場所を間違えたとしか言えなかった。このような田舎の公立中学校にいるような存在ではなかった。K崎は常に持て余していた。頭脳を、気力を、感情を。故に、苛立っていた。何事も満足できなかった。何をやっても空を掴むような感覚しか得られない。そんな虚脱感から来る苛立ち。
K崎は少年が嫌いだった。ムカついた。だから他のクラスメイトがそうしていたように少年をイジメていた。そんなことをしても何も意味がないことはわかっていた。意味のないことをしている自分にまた腹が立った。
なぜこんなにも少年が嫌いだったのか。K崎のように才能をもっているわけでもなく、ライバルと言えるような存在でもなかった。少年はごく平凡な中学生だった。劣悪な家庭環境や学校生活のことを考えれば平凡以下の存在といえるかもしれない。なぜそんな少年のっことがこんなにも嫌いで苛立ったのか。
ある日、K崎は気付いた。いつものようにイジメていた時だった。少年と目が合った。少年の世界を呪ったような目。自分はそんな少年の目を、顔を羨ましく思っていた。羨望からくる嫉妬。それが理由だった。自分はただ怒りを胸に秘めたまま死んだように生きていた。しかし、少年は無謀にも世界を呪っていた。そんな少年が羨ましくて、妬んだ、怨んだ──。
「××! 私はずっとお前をぶっ殺してやりたかったんだよ!」
「僕もだよ。K崎」
「その目! その目を刳り貫いて飲み込んでやる!」
「……殺す」
K崎はカッターを少年の目に向けて勢いよく突き出す。少年はそれを躱して脇腹に包丁を刺す。
「痛ってぇえええええええ!」
K崎は脇腹を抑えながら叫ぶ。しかし直ぐに少年を睨み付けカッターを突き出して来る。少年は躱さなかった。K崎のカッターは少年の右眼に深々と突き刺さる。
「はっはぁー! このまま抉ってぇ……」
少年の目を手に入れたとばかりに嬉しそうなK崎。しかし、そんなK崎の胸には少年の包丁とか刺さっていた。K崎は自分の胸に刺さった包丁を見た後、少年の顔を見つめる。
「××。──、──」
声が掠れて少年には聞こえなかった。K崎の最期の言葉はなんだったんだろうか。K崎は少年の右眼にカッターを突き刺したまま死んだ。
「K崎。お前は僕の憧れだったよ」
右眼に刺さったカッターを引き抜き床に投げ捨てる。右眼から血を流しながら、死んだK崎を見つめる。そのK崎が羨望した目で。
──五人目。これで全員殺した。
──ソウダナ。
──……。
──サァ、終ワリヲ迎エルゾ。
──うん。
二度と足を踏み入れることのない教室を出る。
廊下を進み、屋上へと向かう。その途中で音楽室の前を通る。夕方になるといつもここからピアノが聞こえた。誰が弾いてるのかも、曲名もわからなかった。しかし、今は何も聞こえない。少年は少し寂しく感じた。
屋上へのドアを壊す。開けると風が強く吹きつけてきた。
少年は血に塗れた学ランを脱ぎ捨てる。そして屋上の淵に立つ。
希薄な少年の身体を爽やかな風が包み込む。少年の澄み切った左眼から涙がこぼれ、頬をつたう。右眼からは血がつたう。
──まだ泣く涙が残ってたんだ。
──哀シイカラカナ。
──それはきっと……、そうなんだろうね。
──イケルカ?
──うん。こんなところまでありがとう。
世界を呪った少年は一歩を踏み出す。