6.伯爵の帰還
それからさらに二時間ほど田園風景を走り続けた頃だろうか、だんだんと空が茜色に染まりサスペンションもない馬車に乗ってる俺の尻が痛くなり出したころ城壁と思われる壁が視界に入った。
馬車が城門をくぐり、メラーラの街に入ると多くの市民が手を振って歓迎しているのが見えた。
どうやら領民からの信頼が厚いというのは本当のことのようだ。
しばらく両側に商店の建ち並ぶ大通りを進み、大きな広場に出たところで馬車は止まった。
メラーラ伯爵領主館、そこはメラーラの街の中心にある大きな広場に面した三階建ての建物だった。
目の前の広場は五角形状でそこから五本の道がきれいにまっすぐと各方面へ伸びていた。
そこまで見て取ったとき、馬車の扉が開いて執事であるカールが顔を覗かせた。
「伯爵、やはり記憶は戻られませんか。」
「うむ、やはり厳しいようだ。少しは思い出せるかと思ったのだが。」
「左様でございますか。仕方ありません。
それではこのメラーラの街について説明させていただきます。
ここ、メラーラは伯爵領最大の都市で領主館が置かれている街です。
人口はおよそ一〇万人。主な産業は農作物の取引を中心とした商業です。
都市は城壁に囲まれた五角形の形で、その各頂点に城門が設置されており、中央広場から市内を貫く大通りから直接外部に向かうことが可能です。
ここ、中央広場は五本の大通りが合流する交通の要所となっておりますが、最近では通行する馬車が増えたことによって周囲に渋滞が発生しています。
それでは領主館のほうへご案内いたします。」
そういって執事は目の前にある建物に入っていった。
執事に続いて建物に入った俺はいきなり領主館に対するイメージをぶち壊された。
領主館、とは言ってるものの建物の内部は役場のようになっており大勢の市民が役人相手に手続きを行っていたからだ。
「ここは二棟ある領主館の建物のうち伯爵官邸でございます。
一階は領民のための受付、二階に役所、そして三階に領主の部屋がございます。
伯爵の生活の場は隣にある伯爵公邸となっておりますが、先に領主室へご案内いたします。」
階段を上って三階の領主室の扉を開け放つと目の前にデスクとその背後に大きな窓があった。
周囲の建物のほとんどもこの官邸と同じ高さであるため見晴らし抜群とはいかないが、それでも窓から見える整備された大通りとそれに沿った街並みは俺の目を引きつけるには十分だった。
「この街は先代が自ら作成した都市計画に基づいてつくられました。
その計画的な街並みは我が帝国一とも言われ私たちが自慢とすることの一つです。」
「きれい街並みだ・・・。
この街並みをこれからも守るために早く記憶を取り戻さないとな。
それでは明日は領内視察を行おうと思うのだが、調整を行ってくれないか?
視察場所は・・・」
とそこまで言ったとき閉じた扉の前からメイドの声と男の罵声が聞こえてきた。
「無礼者!この私がワルター侯爵のお気に入りであるベルツと知っての狼藉か!その扉を開けて伯爵の顔を見せろ!」
「伯爵は現在病み上がりで面会謝絶となっております。ここを通すわけには・・・」
「ええい、知るか!そこをどけ!」
というやりとりが聞こえたかと思うと勢いよく扉が押し開かれ、ぶくぶくと太った醜い中年男が入ってきた。
ちなみに、ハゲである。
「ご無沙汰しておりますな、伯爵。どうやらお元気になられたようで非常に良かった。」
と心にも思っていないであろう憮然とした表情でその豚は言う。
「侯爵様が既に根回しを進めておられた伯爵領の獲得に向けた根回しを無駄にしてくれましたがね」
などと続けたベルツはこちらの返事も聞かずに
「それでは、病欠していたのに面会謝絶などといって仕事しない余裕がある伯爵と違って私は非常に予定が詰まって忙しいのでこのへんで失礼させてもらう。」
などと無茶苦茶な事を言ってのっしのっし、と去っていった。
「今の男はワルター侯爵から騎士団と一緒に派遣されてきているベルツでございます。
有事には騎士団の指揮を執ることになっている筈ですが、どうやら女に酒とずいぶんと羨ましい生活をなさっているようですな。」
と憎々しげにカールは言う。
「あの男はムカつくが、今はどうしようもあるまい。
さて、明日の領内視察の件だが領内の大手商会と農地、あと鍛冶工房を見てみたいのだができるかね?」
「かしこまりました。なんとか明日までに設定しておきましょう。
それでは伯爵、今日はもう遅いのでどうぞお休みくださいませ。」
「うむ、そうさせて貰おう」
そうして俺は痛む尻を庇いつつ公邸のベットになんとか潜り込むと同時に意識を手放したのだった。