「下等生物なんですね」
ああ――
今日も会社が始まってしまう。
花札は肩まである髪をロッカーの扉につく鏡を見ながらきつく一つに結ぶ。
その顔は一日が始まったばかりとは思えない程疲れ切っている。
「充電……がしたい」
虚ろな目でバックの中に手を突っ込み、栄養剤を掴むとそのまま口へ一気に流し込んだ。
この会社に勤めて早7年。
前は一週間に一度で済んでいた栄養剤に毎日お世話になるとはその頃は考えていなかっただろうに、今では毎日一本では足りないと感じる日が出てきていた。
「はぁ、行くか」
重いため息を一つ吐き出すと先程の疲れ果た花札の姿は鏡から消えて、秘書の顔へと変わる。
これが日課となりつつある花札の長い一日が今日も始まりを告げたのだった。
――――――――――――――――
「社長、何をしていらっしゃるんですか?」
社長室を開けた花札から出た言葉はこれだった。
呆れ顔が滲み出る花札の目の前にはニヤニヤと笑う、少しくせっ毛の美形男がナイスバディのお姉様を膝に乗っけて熱い口づけを繰り返していた。
――おいこら、万年発情期。
そのにやけ顔で返事になってるとでも?
というか、仕事場で何ヤろうとしてんですか。
家でヤれ。
頭の中、散々悪口を言ってから軽く微笑み二人を見る。
お姉様は花札に気づいてないのか、男に続きをねだる。
男は最初からこれを見せることが目的だったのか花札の行動を笑いながら眺めていた。
――殺していいかな?
リア充気取りか、貴様は。
私に相手がいないからこその嫌がらせかい?
そもそも、あんたのせいでこちとら恋人作る暇もないんだけど。
「社長、勤務の時間になります。どうぞ、続きはプライベートで行って下さい」
その言葉でお姉様は気づいたらしい。妖艶に光る唇をひと嘗めしてからゆっくりと男から離れた。
「悪いね、邪魔が入って」
「ん、ぅ…」
男はお姉様の頬を撫でると「続きはホテルで」と耳元で囁いた。
お姉様はキスだけでも随分と満足したような顔で「わかった」と一言遺し、まるで花札を空気とでもいうように全く見ずに社長室から出て行った。
――お姉様が可哀相だろ変態が。
花札はお姉様のふらつく後ろ姿を少し視界にいれ心中悪態をついた。
「……さて、社長。ここは何処でしょう」
花札はゆっくりと男に視線を移し、笑みを零しす。しかしその目は冷たく、見たものを凍らせてしまう勢いだが、そんな花札を社長呼ばれた男、藤堂は笑いながら応える。
「社長室だけどそれがなにか?」
飄々と応える藤堂に花札の口角は軽く痙攣を起こした。
「ああ、わかっていらしたんですか。てっきり発情した動物が繁殖場と間違えたのかと思いました」
負けじと言い返す花札に藤堂の瞳が鈍く光る。
「繁殖場か、悪くない。さて、君は私の為に何人産んでくれるのかな?」
じりじりと間を詰める藤堂に花札は舌打ちをする。
――冗談じゃない。こんな男の子供なんか一人たりとも産みたくないわ。
「馬鹿なんですか?貴方みたいな下等生物の遺伝子を私が受け止めるとでも?」
睨む花札に笑う藤堂。
社長室は今異空間へと化している。
「その顔いいね。好きでもない男の精を受け、嫌がる君も見てみたいよ」
「黙れ変態。調子に乗ってると殺しますよ」
中指を立て、「死ね」と呟く。
「殺してもいいよ。その前に君が死ぬ程苦しい思いすると思うけど」
笑いながら手を掴む藤堂に花札は逃げようと手を引き少し暴れたがびくともしない力に怒りを感じる。
「このままシようとしたらこの会社辞めますから」
最終手段、投下。
してやったり、と勝ち誇った笑みを花札は浮かべた。
「辞められるとでも思ってるの?」
ぴくり、小さく言葉に反応した藤堂は笑みが少し険しくなり、声が低くなる。
そして、掴まれていた手の力が強まる。
――痛い、赤くなったらどうすんのよ。
「その気になれば。会長にも転職先決めてもらえると了承を得てますし」
「親父が?ああ、そっか…君達は何かと息が合ってたからね。でも、残念。私からは逃げられないよ」
くつくつ喉で笑う藤堂に花札の顔は歪む。
――逃げられないって……私が捕まるとでも思ってるのかしら。
「はぁ、了解致しました。それより今日の仕事始めても宜しいでしょうか」
「ああ、君が解ればいいんだ」
柔らかく細められた藤堂の瞳に先程の黒さは残ってはいなかった。
「では、今日のご予約は―――…‥」
いつもと変わらない日常が始まり、花札はバレぬように小さなため息をついた。