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1 メタライナー

 『降下座標まで二十海里。潜航小隊はメタライナーを稼動状態に移行、待機してください』

 ヘッドフォンから、涼やかな女性SUC(Submarine Controller、サック、潜航管制員)の声。キリーは薄く瞼を開く。休止状態のメタライナー(Metal Deep-liner、潜航外骨格の愛称のかばん語的略称)は装着者の生命維持を除いてほとんどの機能を眠らせている。フルフェイスのヘッドガードと一体化した内部HMD(Head Mount Display)の機能はオフ。視界はゼロ。

 潜水航行外骨格科E小隊のメタライナー"タルシア"六機は、WIS機(Wing In Surface機、表面効果翼機)内の整備漕(多くの者は棺桶と呼ぶ。縁起の悪い、いけすかないあだ名だが)に横たわっており、イメージセンサ群の配列されたゴーグル・カメラが無機質な目線で棺桶の覗き窓から天井を見上げている。

 "学園"から彼らを搭載した機が飛び立ってから四十分程。どこまでも目印なく続く海上を、滑るように飛行している。


 「起きろ」

 <Good morning.>


 キリーの平坦な音声入力に反応してHMDが起動。同時にAIの返答が青緑色の文字列としてHMDゴーグル画面上に表示される。


 <System booting now. Wait a minute...

  System boot completed. This Operating System is "MOBY DICK version1.21">

<Machine condition checking now...>


潜航電子装備類(俗にサブマリニクス。SubmarineとErectronicsのかばん語。メタライナーの運用において潜水航行と水上航行に使用される電子機器類の総称)の動作確認。テスト信号の反応良好、異常なし。

 動力系チェック。主バッテリー量カンマ99、確認。副バッテリー量カンマ99、確認。主電力経路異常なし。副電力経路異常なし。

 駆動系チェック。珪素筋肉、破損個所なし。磨耗なし。潤滑液よし。テスト信号の反応良好。内装異常なし、

 装備系チェック。外骨格異常なし。イオンエンジン動作正常。腰部アンカーガン異常なし。魚雷発射筒、水中機関銃、ジットクユニット、正常に認識。


 <Condition check ok:All device Enabled. idoling now.

Image sencer on, Auto adjusting ok. "here's johnny?">


 外部イメージセンサが起動し、光感度が調整されてWIS機の格納庫が映し出される。整備員の冗句のつもりだろう最後の一文は後で削らせてやると心に決め、サーモグラフほか各種画像出力を確認していく。既にAIによる動作確認は終わっているのだが、何となく最後に自分でテストしなければ気が済まない。お粗末な自己診断機能しか搭載されていなかった一世代型のオンボロを、少し前まで使っていたからだろう。気兼ねなくAI任せに出来る第二世代メタライナーはまだ使い始めて日が浅く、慣れない。


 <Neuro connect, please choice level>


 「深度ニイゼロ・接続」


 <Level20 connected.>


 ぱり、という軽い電気しびれが手足に走る。次の瞬間から、メタライナーの装甲表面に配置されているセンサから皮膚感覚を受け取る。これは、末梢神経とメタライナーとの感覚を共有する事で、ヒトが皮膚および体毛で圧力や温度・湿度、空気の揺れを感じる機能を模倣し、計器類を確認せずとも感覚的に周囲の様子を捉えるための措置だ。メタライナーの内部にある実際の肉体とは別に、その外側に肉を着ているような、奇妙な感覚。潜航外骨格科の新人は、割り箸で大豆を移動させられるようになるまで実機を使ってこの違和感に慣れる為の訓練を行う。古く日本と言う国で行われていたと言うこの訓練は、現在に於いて有用性を見出され復活しているのだ。


 「通信・番号ゼロサン・開け」

 <Channel connected.>


 小隊内オープンチャンネルに接続した直後、キリーの耳を女の甲高い怒声が劈いた。HMD画面の端に表示されたチャンネル通話者のネームリスト内、"03"の表示が激しく明滅している。キリーが手動で動作確認をしている間、既に主要な面子は準備を完了していたらしい。


 『もう頭きた! アンタ帰ったら覚えときなさい! 社会的に抹殺してやるからね! 夜道ではケツに気をつけなさいよ、このサカリ野郎!』

 『だからその言葉遣いが汚えって言ってんだ。冗談のつもりだったんだが、本当についてんじゃねえのか、お前』


 きいきいとヒステリックに叫ぶ女も、低い声で返している男も、よく知った友人だ。キリーは寄った眉根をほぐして戻そうとしたが、未だ整備漕の中で手足が固定されているのでため息をつくに留めた。このやりとりはほぼ毎度の事で、対処に慣れてはいるが音量に慣れる事はない。

 キリーは誤操作を防ぐ為に音声入力機能を切る。


 『アンネ、ショーン。新人もいるんだから喧嘩はそれ位にね。こう、先輩の威厳だか何だかを思い知らせてやるって息巻いてたでしょ』

 『何で私も一緒に言われんの、キリー! この種馬野郎からあたしに卑猥な事言ってくるのよ? セクハラよセクハラ! 世が世ならあんたなんかナントカ団体から毎日毎日部屋に貼り紙食らってノイローゼで首吊りよ!』

 『はァーン? 俺は何がついてるとまでは言ってねえぜ。つまりセクハラ呼ばわりされる覚えはねえ。それとも何か卑猥な事でも想像しちゃったんですかねェ、レディ?』

 『かっ、このっ、きっ、ぎぎっ』


 罵声が込み上がり過ぎて人語にもならないらしい。キリーには顔を真っ赤に、眼を吊り上げて歯軋りする友人の姿が目に浮かぶようだった。きっともう一人の友人は貴公子然とした端正な顔に笑みを浮かべ、さも楽しそうにからかっているのだろう。


 『あっ、繋がった? 繋がりましたか? ヤッホー』


 新しい声が聞こえた。視界の隅、リストには"05"と表示されている。02がショーン、03がアンネ、04がキリーだ。それぞれ小隊内の機体ナンバリングに合わせてあり、ショーンが二番機、アンネは三番機、キリーが四番機となる。05と06は新人が配置されている。


 『05、リカルド・バッジオです。これ繋がってますよね、キリー先輩』

 『ヘイ、リック。何でそこで、最も年長者でハンサムで誰よりも強く頼れる俺様に確認しないのか、簡潔に頼むぜ』

 『年長って言ったって問題起こして留年してるだけらしいじゃないですか』

 『……容赦ねえな、一年坊』


 まだ少年の色を残す声でスパッと切って落とされ、テンションも一緒に落ちた。


 『06、マキ・ハヤセ。メタライナー起動しました』


 あどけないリカルドと対照的に、きっぱりとした女の声。マキ・ハヤセ。場の流れを止めるだけならば良いのだが、時折こちらの後輩はその場を凍りつかせる事がある。ある種の問題児、と言えば、そうだ。みんななかよしいーしょうたいを目指すキリーに取っては頭の痛い問題だった。真面目過ぎるのは考えもの、だ。


 『前もって言っておいたと思うけど、起動ログはテキストで保存してあるな? 二人とも僕達に提出してくれ――ハヤセ。君、仕事が速いな』

 『いえ』


 新人達の起動シークエンス時にHMDへ投影されたであろうシステムメッセージを片っ端から読んで行く。一見したところ問題はないように見受けられたが、アンネが唸った。


 『神経網の接続深度が二人とも高すぎね。今回はシミュレータじゃないんだからもっと下げたら? 海底には予測されてないデブリが海流で流されて来る事もあるから、カンマ5で接続なんかしたら、衝突時に痛い目に会うわよ』

 『わ、分かりました。深度を引き下げておきます』

 『私はこのままで構いません』

 『……あっそう。アンタがいいなら、いいんじゃない』

 『デブリに当たるのは、下手糞だけですから』

 『何だとコムスメェ!』


 アンネがまた爆発した、とキリーは渋面を作った。さらにショーンの追い討ちが続く。


 『ああ、アンネセンセイはケツにデブリが直撃した事があったよな』

 『そうそう。あの時ゃ本当に裂けたんじゃないかってくらい痛くてしばらくトイレに行くのが怖く』


 沈黙。


 『ショーン、殺す』

 『オーライ。マジな声を出さんでくれ。怖いから』


 仕事前に「何でもいいから雑談して緊張をほぐしておけ」と、毎年の新人が先達からそう教わる。潜行のコツの一つだ。ショーンやアンネは緊張感どころか雑談に耽溺するきらいがあるものの、おふざけ野郎と激昂娘のブレーキ役としてキリーが加わると、良いトリオである。


 『そう言えば小隊長は? そろそろ降下時刻だと思うんだけど』

 『クローズでSUCのお嬢さんとスウィート・トークの真っ最中。例の荷物が海流に乗って流されちまったらしくてな、デートコースを変更するらしい』

 『はん。企業の連中なんか金持ってるんだから、自分達でサルベージャーを雇えばいいのに、ケチくさいね。学生をタダでこき使おうってんだから、まったく』

 『まあそう言わないでアンネ。僕らの"タルシウス"だってダイテク製だろう。普段世話になってるから、"学園"も断りにくいのさ』


 それでもアンネは愚痴る。

 シー・サルベージャーは海底に沈んでしまった荷物の引き揚げや、海底資源の探査を生業としている。キリー達もそのサルベージャーの卵として"学園"でメタライナーの運用法を学んでいる訳だが、プロを使うには相当量の金が掛かる。だから度々、"学園"の潜航外骨格科に所属する学生達が駆り出され、事故によって失った積荷の回収等を依頼されるのだ。"学園"側としても強く断る訳にいかない。特にダイテク・インダストリーとは"学園"創設以来昵懇の仲である。

 チャンネル通話者に01の文字が現れた。学園の第七学年、つまり最高学年。潜航外骨格科、E小隊長だ。


 『01、ダリウスだ。予定との変更点を説明する』


 画面上に目的地周辺海底の俯瞰図が表示される。幾つかの光点。"E team""Target"、そして点在する"Debris"。


 『まず、降下ポイントを南にずらす事になった。今HMDに送る。このポイントに積荷が流された、と対深海レーダー様が仰せらしい。この海域には危険な深海生物こそいないが、高速の深海流が発生する事がある。沈没した船の破片が流れてくるかもしれんから、十分に注意しろ』


 拡大された図上の光点がツツと移動して停止した。海流の交差点になっている。気を引き締めて掛からないといけないな。キリーはそう思った。


 『幸い、荷物は軽いから三人でも上に揚げられるそうだ。小隊を二手に分けて引き揚げ作業を行う。俺と03、05が第一分隊として引き揚げを。02は04、06を第二分隊として指揮し周囲の警戒に当たれ。05、06は初潜航だ。面倒を見てやれ』

 『02了解』

 『03了解』

 『04了解』

 『ぜ、05了解しました』

 『06了解』


 即座に02が分隊通信チャンネルを構築。分隊への登録を受諾するが、アクティブになっていないのでパネルは小さく視界の隅に表示されているだけだ。


 『予定時刻が近いな。全員、無駄な会話は控えるように』


 01がそう発言した直後、小隊・分隊のタブとは別に、通信タブにSUCの名前が表示される。


 『修正した降下予定時刻の三分前です。小隊はカタパルトへ移動して下さい』

 『……だそうだ。第二分隊から先に降下しろ、全員整備漕開け!』


 ごぐん、と整備漕が口を開ける。その開閉はまさに棺桶だ。とするならば、機械音を鳴らしながら起き上がる自分達はさしずめリビングデッドかとキリーは含み笑った。イメージセンサが小隊のメタライナーを映し出し、"タルシア"の無骨なシルエットを見せる。首まで固定された上半身は、装甲や各種生命維持装置、更に背中にウォータージェットを背負っている事でひどく上部ばかり肥大化した外装をしている。下半身にも装甲が施され、潜航時に使うバラストタンクがふくらはぎと腿に突き出ているものの、やはり上と比べると頼りなげな細さだ。

 格納庫後部ハッチ前に並んだカタパルトへ、02が足を掛ける。横列二機。キリーもその隣のカタパルトへ足を掛けた。これによって、メタライナーは海上へ射出されるのだ。


 『おっと、04。お前さんは06が出た後だ。ケツをカバーしてやんな』

 『04了解。06、前へ』


 分隊チャンネルがアクティブになる。言われた通り、新人のカバーに入るべきだろう。カタパルトから足を外し、06を促す。ハヤセは少し危なげな足つきでカタパルトを足裏に装着する。同時、SUC。


 『降下座標です』


 ハッチが開く。時速200キロメートルで移動するWIS機が押し退ける大気が、波を荒立てている。メタライナーは完全閉鎖式なので匂いを感じる事はないが、キリーは大嫌いな海の香りがしたように感じて、顔をしかめた。


 『降下までカウント5』


 ――4。


 ――3。


 心臓が拍を増やした。


 ――2。


 ――1。


 ショーンの二番機がカタパルトで加速され、火花を散らしながら加速され、内部で笑っているであろう彼を運びながら加速した。終端。がぁん、と音を立ててメタライナーがWIS機から吐き出される。


 『イィィィヤッハァァーーー! アィィィィイイイイム・ペングィィィイィィイイン!』


 甲高く鬨を上げながら飛び出し、そのまま頭部を海面に向け、浅い角度で着水。海水を盛大に爆発させながら海の中へと潜って行く。


 『06、降下』


 対して六番機は静かに告げて海へと身を投げ出した。キリーは初期位置まで戻ってきたショーンのカタパルトへ足を掛けて大きく深呼吸。海面に目を向けた。


 『04、降下!』




 人類は失敗した。人類は地球外において生存権を得る事が出来なかった。それどころか、母なる地球からすら拒絶されてしまった。あるときを境にして、数年で地表の八割が海に沈む異変が起こり、二十一世紀に騒がれた海面上昇ではなく、世界単位での陸地の沈下。"地球の縮小化"だ。原因は未だもって不明。学界ではこれによる様々な異常気象の可能性や、公転軌道のズレなどが予測されたが、陸地が狭くなりつつあると言う以外には、不思議とさほど大きな変化はなかった。

 マスメディアは騒ぎ立て、衆愚は混乱し、政体が幾つも破壊され、そして勃興した。世界単位での戦国時代のようなものだった。混沌に満ちた時代だったが、しかし争い合うよりも目の前の状況に立ち向かう事が先決であると、そう判断した人も多くいた。


 実際のところ。


 一日でさっと沈んだ訳でもなく、恐慌は民間レベルでの涙ぐましい努力の結果として沈静化した。終末映画によくあるような世界大戦は起こらず、各地で嘘のように優れた指導者達が生まれ、これまでにない素早さで各地域が纏め上げられ、人種宗教経済摩擦を度外視した協力体制が築かれ、そして人類の今後に関する協議が行われた。

 人類には陸地が足りなくなりつつあった。これを解決する為、科学の粋を凝らしたフロート型集団住居によって陸地を補おうという計画が提出された。最初は小規模だったフロート型都市群はやはり人口が過密状態にあり、やがて更に大きな、いわゆるメガフロートと呼ばれる巨大浮航体を生み出し、その上に自分達の世界を作り上げた。今では地球上に千を越える海上都市が存在し、かつて陸地だった場所の上にプカプカと浮いているのだ。

 地球で得る事の出来る資源は数多いが、その多くがいまや海底にある。海中探査や、人間が深海へ直接降りる為の技術が発達するのは自然な成り行きだったと言える。

 水中用パワードスーツとして開発されたメタライナーもまた、その一つだった。


 深海。しん、と静まり返った暗黒には、僅かな水のうねりが相応しい。

 かつては見られた深海生物達はいつからか多くが姿を消し、既に生物の姿は植物など一部の系を除き、ほとんど見当たらなくなっていた。

 密かな生命の息遣いすらない、この闇。死の世界。


 E小隊第二分隊が海底に到達し、腰に付属した短い銃身から海底面へと自身を繋ぎ止める錨を打ち込む。気泡を撒き散らしながら柔らかい砂地に深く食い込み、炭素繊維がメタライナーを固定した。

 三機共に同一モデル、12.7ミリ水中用重機関銃を右脇に抱える。銃身を流線型の外装で包んだ大ぶりな火器で、深海を泳ぐ生物への対処としてメタライナーの装備としてはよく見られるものだ。

 外部の各種センサから得られた情報がコンピュータグラフィックスでHMDに投影される。自動調整された海底の画像が明度を増し、良好な視界を確保してくれる。


 『02、アンカーセット。気を付けろ、ここの海は浅いが潮の流れが速い。流されるなよ』

 『06、アンカーセット』

 『04、アンカーセット。おっと、小石が流れてきたぞ。SUCのレーダーに反応は?』

 『待ってろ、今申請した……上のお嬢さんからプレゼントだ。データリンク、来るぞ』


 HMDの視界の隅に同心円で距離を示した画像が配置される。20m刻みの円のずっと外側に幾つかのマーカーで一定以上の大きさのデブリが二つ示されている。


 『最寄のデブリまで600メートルか。結構近い位置にあるなァ、すぐに流れて来るんじゃないかコレ』

 『火器を忘れたってオチはねえだろうな、ボーイ?』

 『02、今まで何回潜行したと思ってるんだ』

 『こいつは失礼。それじゃあ04、06。520ミリを用意、射角25度、誘導はSUCに従え。目標は600メートル先の二点。左は04、右は06だ。タイミングは第一分隊がアンカー突っ込んでからだ。ちょっと待ってな』


 520ミリ高速魚雷"ハンター"は右前腕のラックに取り付けられた携帯魚雷発射筒に収められている。視線操作でFCSを魚雷発射モードへ切り替える。


 <Mode change:Torpedo>


 右腕部の角度を斜め上方に設定し、膝射姿勢を取る。準備完了の旨をSUCに信号で送信すると、外部操作で自動的に魚雷の誘導装置が目標を登録した。

 第一分隊のマーカーが、キリーと同一高度を示した。

 『第一分隊がアンカーを打ち込んだ。04、06、撃て!』

 『04、Fox1』

 『06、Fox1』

 HMDにも魚雷の射出を示す文字が点滅し、右腕部の魚雷管の口から低い唸りを上げて狩人が射出される。視界の隅のマップにはマーカーが表示され、初期加速で進行した魚雷が中間誘導の開始距離と共に爆発的に加速した。スーパーキャビテーションによって気泡を巻き起こしながら高速で目標へ向かう。


 <Target hit.>


 着弾。ヘッドフォンから僅かに爆音。海水が揺れた。

 SUCがマーカーを消した所を見ると、デブリが破壊出来たようだ。質量さえ削ってやれば、海流に流されても装甲を貫くような事はない。中途半端な大きさだと散弾銃のように襲い掛かって来る事もあるが、巨大な一枚鋼板に衝突するよりはマシというものだ。

 『両目標とも破壊成功、だそうだ。引き続き警戒を続けろ』

 06と共に了解と返し、キリーは膝射体勢を解いて巨大な機関銃を脇に抱え込んだ。


 <Mode change:Gun>


 そこから少し離れた場所。砂中に潜んでいた扁平な魚類が、騒がしくなった海底から慌てて逃げ出し海草が振動で揺れる中、第一分隊は2メートル四方の箱と向き合っていた。


 『第二分隊がデブリを処理しました。引き揚げ作業を行って下さい』

 『01了解。03、05。やるぞ』


 強化プラスチック製の物であるらしい。中身は不明だが、自分達が知る必要もないか、とダリウスは自分を納得させた。

 本来は牽引用のワイヤーで箱を縛る。三人分のメタライナーがバラストを捨て、浮力の助けを得ながら推力を全開にすれば何とか持ち上げる事が出来る程度の重量。05リカルドは緊張のせいか、腰部にあるワイヤーを取り出すのに四苦八苦している。


 『だ、出せました』

 『いいからさっさと縛れ、05』


 しゅんと肩を落として05が箱にワイヤーを掛ける。ダリウスが三人の中間でしっかりと固定されたのを確認し、海底からアンカーを抜いた。ワイヤーに中空の"浮き"を絡め、取れないように縛り付ける。


 『よし、第二分隊抜錨。バラストブロー。浮きを付けてあるから多少は軽くなっているはずだが、推力を高く維持しなければ持ち上がらんのには変わらん。』

 『03了解』

 『05了解しました』


 ぐん、と三人で箱を持ち上げる。水中である為、箱自体に浮力が加わるのもあるが、それ以上にメタライナーのパワーアシスト機能の存在が大きい。背のウォータージェットが稼動し、ノズルから水流を発生させる。足元から砂が巻き上がり、それらを後方に吹き飛ばしていく。


 『第一分隊、行くぞ』


 ぐん、と体が持ち上がる感覚がした。

 荷物を抱えた三機のメタライナーが、もうもうと立ち込める砂を抜け出す為にジェットの出力を高めた。


 『第一分隊、回収の為海面へ上昇を始めました。依頼の積荷は無事のようです。第二分隊は追従して下さい』

 『02了解、第二分隊抜錨。バラスト捨てて第一分隊の周囲5メートルに展開。周囲警戒だ。六人も使うまでも無かったんじゃねえかこれ』


 SUCの通信に答え、第二分隊員が抜錨する。

 引き抜かれた錨がウインチで腰の銃身に巻き戻された。キリーは強く海底を蹴り、ウォータージェットを作動させた。海流も第一分隊の方向から来ている。02、06共に流れに乗るようにして移動を始めたが、不意に。キリーは海流が弱まったのを感じた。ぴたり、と海水の流れが停止し、深海の時間までもが止まったような錯覚を起こす。


 『02、06! 海が止まった、強いのが来るぞ!』


 深海流とは、陸地の沈没が起きてから海底近くの深層で確認されるようになった海水の流れだ。多くは表層海流との関わりによって生まれる物と考えられているが、未だにその法則性は確実に解明されてはいない。どの仮説も根拠に乏しく、深海の巨大生物の鼻息と言う説まで飛び出るくらい、研究途上なのだ。深海流そのものは一定のルートを持って地球の海底を這っているためにどこに流れがあるかは把握されている。

 ただし、時折深海流が停止する事がある。この深海的凪の状態は、極めてアトランダムに、不明な原因によって発生する高速海流の呼び水として、深海に潜る者達に恐れられている。


 『ち。デブリ砕いておいて正解だったぜ、06、早く上がって来い! 下にいたら流されるぞ!』

 『ジェットの推力が安定しない!』


 メタライナーがふらふらと危なっかしい動きをする。エンジンの故障かとキリーは歯噛みした。


 『06、掴まれ!』


 腰のアンカーを射出する。掴んだ。キリーは速力を上げて引っ張り上げる。音波センサがノイズを拾い始めた。もう時間がない。アンカーを巻き上げながら上に進む。

 突如。ノイズが強くなった。

 雑多な塵と瓦礫と何かの破片の群体が、眼下を高速で駆け抜けて行く。砂塵が舞い上がる暇もなく連れ去られ、岩すらが抉り砕かれ、一緒くたに押し流される。あらゆる物が、例外なく海底からこそぎ取られていった。余波で大きく揺さぶられる。巻き込まれないように姿勢を制御するので精一杯だ。上下、左右の方向を構わずシェイクされた。だが、それもごく短時間の事だ。ローラーコースターよりも刺激的な高速深海流はすぐに収まる。


 『06、おいハヤセ。大丈夫か』


 02から声が掛けられる。キリーが視線を下ろすと、06のメタライナーがアンカーに掴まりながら弱弱しく銃を掲げていた。




 バラストタンクには、水が入り込まないよう圧搾空気が注入されて閉鎖弁で閉じられる。重量がある為、完全に浮くとまでは行かないが海面での活動は楽になるというものだ。

 六機のメタライナーが海から頭を出した。第一分隊は海上に着水待機していたWIS機が垂らしたフックに、先ほど荷物を縛ったワイヤーを引っ掛け、水から揚げられて重量が増したように感じる箱を四苦八苦しながらどうにか搬入した。


 『よし、第二分隊も搭乗』


 ダリウスからお許しが出ると、02と二人、キリーは安堵の息をついた。

 整備漕にメタライナーを横たえると、貨物ハッチがごん、と閉じた。


 <Unlock.>

 

 メタライナー前面の首から腕、足の装甲が割れ、ヘッドガードの拘束が緩んでせりあがる。数時間ぶりに外気に触れ、少しだけ肌が刺激を感じた。目を閉じて深く息を吸い込んだ。


 「オイオイ、まさか棺桶の中で寝る気か? さっさと来いよキリー。学園に着くまでアレやろうぜ。何て言ったっけ、お前さんの故郷のゲーム。ほら、ショ、ショーユ?」

 「将棋。ショーユは調味料だよ、ショーン」

 「ああ、それだそれ。ショーギ」


 ショーンの手を取って整備漕から出る。棺桶の蓋を閉めると、内部で自動的にメンテナンスが始まるようになっている。主に洗浄と磨耗部位のチェックだ。

 金髪の優男はもう頭の中で戦略を練っているらしい。ぶつぶつと呟きながら手をわきわきと動かし、貨物室の奥に設けられた乗員用の休憩室に移動する。簡易ベッドすらない、据付けの座席と簡素なテーブル。殺風景なものだ。元々中型以下のWIS機を降下に使用する場合はそう長距離の移動は行わない。日帰り故、仮眠室としての機能も不要と考えられている。

 中には既に二人以外の全員が揃っていた。皆、メタライナーの下に着る、体にフィットした黒いアンダースーツの姿で思い思いに学園到着までを待つようだ。女性陣は体のプロポーションがくっきりと出る為に最初こそこうやって男女共に過ごす事に難色を示すが、多くはすぐに慣れる。アンネは豊かな乳房を殊更誇る訳でもあるまいが、無防備に伸びなどしている。

 キリーとショーンが向かい合わせに座った。


 「俺は白い石な。なぜなら白は正義色だからだ」

 「石を置くのは囲碁です」


 どこから用意したか、将棋ではなくマグネットの碁盤を間に置いたショーンに、足を揉んでいたハヤセから冷静な突っ込みが入る。


 「……そ、そう。イゴ!」

 「全然違うじゃないか……」

 「頭空っぽだもの。仕方ないわよ、キリー」

 「なにおう! カンワイイ女の子の3サイズは全部頭に入ってるぜ!」

 「へェ、当ててみなよ」

 「すまん。ゴリラまではカバーしてねえんだ」


 靴が飛んできた。鉄板入りのソールがショーンの側頭部に直撃し、悶える。すぐに口喧嘩が始まった。これからしばらくは彼ら二人のじゃれあいが始まって遊ぶどころじゃないだろう、とキリーは自分の体をほぐし始める。メタライナーでの潜航は体に負担が掛かる。まめにマッサージするのが長く続けるコツ、とショーンは以前言っていたが、彼自身は実践しているとは言い難い。


 「ハヤセ、足どうかしたのか?」


 随分念入りに自らの足の調子を確かめる彼女に声を掛けた。視線だけキリーに向け「……デブリが当たって……無くなったかと思いました。まだ痺れているように感じます」と小さく呟いた。耳ざとくそれを聞きつけ、喧嘩を中断してアンネが胸を張った。


 「だから神経の接続深度は下げとけって言ったでしょう?」

 「ケツよりゃマシだがなー」


 再開。


 「キリー先輩。アンカー、ありがとうございました」

 「僕も前に同じ状況になってね。その時の先輩に同じ風に助けてもらったのさ」


 ごうん、と機内が低い音と共に揺れた。エンジンが始動し始めたのだろう。


 『皆さんお疲れ様です。当機は間も無く海上滑走を開始します。揺れますので離水の際にはご注意を。ショーンさんは体勢が崩れたふりをしてセクハラを働きませんよう』

 「何で俺だけ!」

 『前科がありますので』


 ダメダメだった。しかも双方向通信だった。


 「いつまでも戯れていないで、手すりにでも齧り付いてろショーン」


 ダリウスに注意され、ぶちぶちと文句を言いながら優男が金属製の棒にしがみついた。少年のような顔のリカルドは疲労しているのか、どこかうつらうつらとしたまま辛うじて起きている、といった状態のようだ。同じ新人でも、しっかりとしているハヤセとは偉い違いだ、とキリーは思った。


 『離水します』


 移動型メガフロートで世界の海を股に掛ける、回遊機動学園"オデュッセウス"帰還航路に乗るため、E小隊を乗せた水鳥が海水を払って飛び立った。

書き溜めはありません。続きはぼちぼち。

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