鬼封じ
月の見えない深夜。
漆黒のコートに身を包んだ男が白い息を吐きながら歩いている。
男は当てもなく彷徨い歩いているわけではない。きちんと目的の場所もあり、そこで仕事をしなければならないという理由もある。
では、何故男はこうものんびりと歩いているのだろう。
その問いは男自身に聞けばこう返ってくる。
『――何となく』
つまり、仕事はあるが別に急ぐ必要もなく、こうしてゆったりと人気のない道を悠然と歩いているだけなのだ。
では、この男の仕事とは一体なんだろうか。
もちろん、丑三つ時にやるような仕事なのだ。正規の仕事ではないことは確かだろう。
すると突然、それまで無言で歩いていた男の雰囲気が一変した。気配は鋭く尖り、何者も寄せ付けない殺気に似たものを纏う。
やがて目的の場所へ着いたのか、男は気配と足音を消し去る。
そこは施工の途中で建築が中止となった廃ビルがぽつりと立っているだけの何もない所だった。
男は躊躇いもなく中へ入っていくと、階段――そこだけはしっかりとした造りが完成している――を上っていく。
屋上にまでたどり着いた男は背を向けて立っている少女を見つける。
市立中学校の制服を着ている少女。明らかに夜の仕事には似合わない服装だ。
しかし、その雰囲気は――。
――氷。
それ以外に表現のしようが無いほど少女の気配は冷たく、鋭く研ぎ澄まされていた。
少女の目の前には若い女が倒れている。状況から言うと少女が若い女を倒したと考えるのが妥当だろう。
「・・・・・・さて、どうしよう。一応処理班の人が来てくれる手筈になってるけど。・・・一人で大人を抱えるのは無理があるかな」
誰に言うでもなく呟いた少女は女の側まで行くと手首に触れる。どうやら脈を測っているようだ。
「・・・おい」
男は少女に声をかけながら近づいていく。
少女自身はまるで最初から男がいたことを知っていたかのように、驚くことなく立ち上がって男を見つめる。
「あなたが後始末をしてくれる人ですか」
「そうだ。・・・で、モノは?」
端的に答える男に気分を害することなく、少女は男に白い結晶を渡す。
「・・・・・・これが?」
「そう。鬼を眠りに就かせる秘術”氷鬼”」
少女の言葉を聞いた男は初めてその無表情を驚きに崩した。
「では・・・お前が新しき氷月の当主か」
「正確には当主代行。氷月の家を存続させるための救済措置ですよ」
少女の言葉に男は心なしか機嫌か降下しているよう見える。おそらくそれは間違いではないだろう。
何故なら、男はこの仕事に子供が関わることを良しとしていない。男をよく知る人物は『敵は冷静に処理するが、それ以外では人の良い奴』と評価する。
「・・・・・・お前は何のためにこの世界に入った」
「自分のため」
少女は男の問いを思考する間もなく返した。その答えは普段は誰も答えないような言葉で簡潔に綴られた。そのことに男は、眉間に皺を寄せて少女を睨むように見る。
「先代の当主が後継と定めたのは私の妹です。けれど、物の道理も善悪の価値観も理解できない、わずか四歳の子供にこの仕事をさせるわけにはいかないでしょう。あの子が己の道を決めるときが来るまでその任を私が遂行する・・・それが先代と交わした約定です」
―――少女の語った内容。
人はそれを”相手のため”と言い、ある人はそれを『美しい姉妹愛』と呼び、ある人はそれを『自分勝手な偽善』と呼ぶ。
けれど少女は『自分のため』と言った。
一体何が少女の為になるのだろうか。
「・・・・・・お前は、それで良いのか」
「・・・私はあの子たちを守ると決めた。そのために全てを背負う」
何の感情も見えない声音。だが、そこには確かに少女の心に秘められた”何か”が込められていた。
「・・・そうか」
男は何も言わずに事後処理に取り掛かった。少女は後ろを振り返ることなく、屋上をあとにする。
―――それは偶然か、それとも必然か。
これは、後に期待の鬼封士と呼ばれる男と”化け物”と呼ばれる少女の最初の出会い。