【走るソラ】
空はいっそう暗さを増して、立ち込める雲からは細い雨が落ちていた。アスファルトは次第に黒く染まり、傘を開く通行人が目に止まり出していた。
車の窓ガラスに当たった水滴が、斜線を描いて流れていく。
「あのタクシー、まいたか」
右腕に包帯を巻いた男が言った。
「大丈夫っす。さっきの信号で捕まったみたいです」
運転しているのは相棒の方だ。
包帯の男は、左腕であおいを抱えるようにガッチリとその腕を掴んでいた。
「あなた……この前駅で……」
あおいが言った。
「へぇ、さすがだな。声だけで判るってわけだ」
「あたしをどうするんですか」
「俺は、お前のせいで危なく右手の指が無くなるところだったんだ。お前にも少しは痛い目にあってもらわねぇとな」
「そんなのおかしいです。あたし、何もしてません。勝手にバックを引っ手繰ったくせに」
「うるせぇ」
男は、あおいの腕を強く掴んだまま揺さぶって、怒鳴った。
「あ、兄貴……」
「なんだ」
「い、犬が走ってきます」
「なに?」
包帯の男が振り返って、後ろの窓を覗き込んだ。
それは、次第に強まる雨足を、まるで掻き分けるが如く走っている。踏み締めて蹴りつけるアスファルトから水飛沫が飛んでいた。
「あの犬だ……」
包帯の男はそう呟くと「その先を曲がれ。産業道路に出て、突き放すんだ」
運転する相棒に言った。
「兄貴……」
「今度はなんだ」
「タクシー。さっきのタクシーです」
「なに?」
包帯の男が、気を取られていた犬の後ろに視線を移すと、緩い勾配の向こうに、確かにタクシーの姿があった。
住宅街を抜けて、産業道路に出た男たちの車は
「もっと、スピードを出せ」
包帯の男の声で、相棒はアクセルを踏みなおした。
「兄貴……犬が離れねぇよ」
「くそ、なんだあの犬」
包帯の男はイライラした様子で「犬はいい。とにかくタクシーをまけ」
「まけって言っても兄貴。もう一本道だよ」
その時、正面の中央分離帯の影から、パトカーが現れて道を塞いだ。
「ちきしょう。警察に通報しやがったのか」
男たちの車は、パトカーをかわそうとしたが、路面が濡れていた為ハンドル操作を誤り、ガードレールにぶつかった。
「くそっ」
煙を上げて止まった車から、包帯の男はあおいを引っ張り出すと
「来い!」
あおいは拒んでみるが、男の力には叶わないし、その手から逃れても走って逃げる事もできない。
「止まれ!」
パトカーから出てきた警官が、制止を促すが
「来るな!来たら、この娘を殺す」
男はそう言って、あおいの身体にナイフを突き立てた。
「さっさと来い!」
男に半分引きずられながら、あおいは歩道の横の草むらに引き込まれた。濡れた雑草が彼女の素足を冷たく撫でまわす。
あおいは、デコボコの地面に足を取られて転びそうになってよろけた。
その時、何かが草むらから男に飛び掛った。物凄い勢いで茂みを切り裂くような音がした。
「ガルルル…」
と、微かにあおいには聞こえた気がした。




