【暗雲】
その日は重そうな灰色の雲が空一面を覆い尽くしていた。家を出てタクシーの待つ通りへ出たあおいは
「雨の匂いがする…」
「今日は夜まで降らないって言ってたけど、傘持っていく?」
あおいの言葉を聞いた母親が言った。あおいの「匂い」は当たる事を知っているのだ。
母親が玄関口へ戻って折り畳み傘を持って来たので、あおいはそれを受け取ってタクシーに乗り込んだ。
「放っておいたらどうです」
「いや、ダメだ。俺の気が収まらねぇ」
あおいがタクシーに乗る姿を、少し離れた路地の影から覗う二人の男の姿があった。
「でも、相手は目の不自由な娘ですよ」
「バカ野郎。俺のこの手を見ろ。あの女のせいなんだぞ」
片方の男の右手は肘の所まで包帯でぐるぐる巻きになっていた。
「あおい。いよいよだね。手術」
学校の教室で、圭子が声を掛けて来た。
翌日から入院して、三日後に角膜の移植手術が行われるのだ。
「うぅん……」
「なんだなんだ、浮かない顔して」
「だって、成功するとは限らないんだよ」
「それだったら、なおさらやってみなくちゃ判んないじゃん」
圭子はそう言って、あおいの背中をポンッと叩くと
「ねぇ、目が治ったら一緒に遊園地行こうね」
「えっ、遊園地?」
あおいは考えた事も無かった。自分が遊園地の乗り物やお化け屋敷で、今までには無かった人工の喜怒哀楽に溺れる楽しみ。
そんな事は自分には関係ない世界だと思っていた。
「うん。行く」
あおいは、少しだけ手術の不安が和らぐのを感じて明るく笑った。
放課後、校庭の端を横切って校門へ向かうあおいに、カズキが走り寄った。
「あおい、手術頑張れよ」
カズキは息を切らしながら言った。
「うん、ありがとう。でも、頑張るのはお医者さんだよ」
あおいはそう言って、笑って見せた。
白いステッキを左右に振りながら歩き去るあおいの姿を、カズキは肩で息をしながら見送った。
本当はもっと言いたい事があったのだが、カズキはそれを言い出せず、明日からしばらく会えない彼女の後ろ姿を名残惜しそうに見つめた。
あおいが校門を出たその時、彼女の前に一台の乗用車が滑り込んで来て止まった。
勢いよく後ろのドアが開くと、あおいはあっという間に車の中に引きずり込まれて、悲鳴を上げる暇も無かった。
「あおい!」
それを見たカズキは全力で校門まで走ったが、乗用車は勢いよく走り出して行った。
「ちきしょう!」
カズキは、舌打ちしながら地面を蹴っ飛ばした。
ふと見ると、直ぐ後ろにタクシーが止まっていた。あおいを乗せるはずだったタクシーだ。
カズキは何も考えずにそのタクシーに飛び乗ると
「今の車を追ってください」