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南十字星のいたずら

作者: チャーリー

周りの騒がしさで目が覚めた。

午前七時四十三分。僕の部屋の時計が指していた。僕にとっては未明といってもいい早朝だ。

ベッドから降りると、不機嫌に、寝癖のついた髪を掻きながら部屋のドアを開けた。

その部屋は玄関に一番近い。僕が部屋のドアを開けると同時に玄関の扉が開いた。

そして彼女は突然現れた。それは何の前触れもなく、その向こうにいる彼女と目が合った。


僕らは3ベッドルームのフラット(アパート)をシェアしている。このフラットの住人、一人は長身の美女と呼ぶべきか、免税店で働くTと、もう一人はその恋人で売れないジャズピアニストで僕の親友のBだ。そしてオックスフォードストリートのホテルでバーテンダーとして働いている僕の三人だ。


窓の外にはまるでプライベートビーチの様に白い砂浜が広がる、この縦長のフラットは古いながらも快適な場所だ。


彼女がこのフラットにやってくる事を知らなかったのは僕だけであった。TとBはかなり早起きをして彼女を空港まで迎えに行っていたらしい。

「ここに住むの?」

僕らはリビングのソファーに座り、Bの入れてくれた、いつもの薄いインスタントコーヒーを飲んだ。

「言わなかった? 」

TはBから大き目のコーヒーカップを受け取るとこう続けた。

「それに私の友達だし、一週間だけだから」

突然現れた彼女は、Tの高校時代の友人で、小柄な彼女のそのショートカットは知的な女性を感じさせ、自宅から十二時間かかるこのフラットまでの道程の疲れも見せず、その笑顔は幼かった。

僕は何も聞いていなかったが、反対する理由は何もなかった。

僕は気持ちとは裏腹の仕方ないという表情をした。


このフラットは一番手前が僕の部屋で、玄関の一番近く、日当たりが悪い。しかし湿気の少ないこの街には日当たりなど関係がなく、真夏でも窓を閉めて寝られるほどだ。

隣はTとBが同じ部屋に住んでいるが部屋の中の様子はわからない。その向こうに、バスタブの割れたバスルーム、換気扇のないキッチン、僕が百二十ドルで買った白いソファーのあるリビングと続き、ビーチの全貌が見渡せるバルコニーが続く一番明るい部屋がある。

一週間だけの、四人目のシェアメイトはビーチの見えるバルコニーつきの部屋の住人になった。

 

バーテンダーは太陽が出ている間は得にすることがない。だから昼の間は部屋で寝ているか、ビーチを眺めている。時々はBのセッションの、ローディーのような事もやっている。


Tは自分が仕事の間、そんな僕に彼女の観光案内役を押し付けてきた。

「観光客が行きそうなところ。分かるでしょう? 」迫るようにそう言った。

「そこへ連れて行ってあげて」Tは端から企んでいたに違いないと僕は思った

「あぁ」僕は迷惑そうに応えた。

Tは僕の性格をよく理解しているが、彼女は僕の態度を見て少し困ったような表情をした。それも言い出せないでいるらしかった。僕はその表情に戸惑った。

Tは空気の読める女だ。

「夜は結構よ。あなた仕事だし、一緒にしておくと彼女が危険だからね」

彼女は少し微笑んだ。Tはよく分かっている。Bは手をたたきながらよろこんだ。

「はいはい」そっけなく返事をした。でも、それは図星だった。彼女と目が合った。笑っていた。バルコニーの先の海を見た。

 

十時から仕事の始まるTが九時過ぎには出かけた。

「よろしくね」Tは玄関の扉を閉めかけ、顔だけフラットの中に入れ、リビングにいる僕に対していった。そして

「くれぐれも危険な目にあわせないように」

まるで命令するかの様に、そう言って玄関の扉を閉めた。

ぼくと彼女とBと三人で顔を見合わせ、彼女は小さく舌を出した。

午後からリハーサルのあるBに見送られ、Tの乗ったバスの次のバスに間に合うようにフラットを出た。別にTと同じバスでもよかったが、いろいろ言われるとやりにくくなるような気がしたので一本遅らせた。

バス停まで徒歩三分二十秒。歩きながらこのビーチのガイドをするが、夜行性の僕にとってここの直射日光はきつい。彼女は見慣れぬ街並がうれしそうだった。

「あそこが酒屋さんで、隣が雑貨屋さん。コインランドリーでここがニュースエージェンシー」

僕はこんな事が観光になるのか不思議だったが、彼女は楽しそうだった。

バスが来た。予想通り八分遅れである。ビーチはまだシーズン前で乗降客も少ない。彼女を左の窓側に案内し、隣へ座った。

バスはビーチを抜けるとやがて進路を西にとる。

「どこか行きたいところはある?」観光ガイドを引き受けてはみたが、実際、僕も観光らしい事はしたことなどなかった。

「ここと、ここと、ここ」バスに揺られながら、彼女は自分のひざの上に広げたガイドブックを指差した。小さな手だった。


さほど広くないこの街。昼を少し廻ったところで彼女の希望は叶った。

ランチは港のオープンカフェでとった。ガイドブックにも載っている、観光客ばかりのレストラン。彼女はここへ来てみたかったのだと言った。

フィッシュ&チップスを食べた。酢を掛けて食べるのに彼女は驚いていた。それと白ワインを少しだけ飲んだ。アルコールのあまり強くない彼女はすぐ赤くなってしまった。

そんな彼女が素適に可愛く見えた。

僕は手を伸ばし、テーブルの下で彼女の手を握った。少し赤くなった顔を驚きの表情に変えたがそれ以上はなかった。僕は視線をそらした。彼女を愛しく想えた。

そして僕たちの内緒の恋が始まった。


その日から彼女は僕の仕事が終わるのを待っていてくれた。バスが定刻に着いても午前二時二十三分だ。自分で考えた明日からの観光プランを僕に話す。僕は慣れない早起きとガイドをする決意をした。彼女は僕のあだ名(変名)に“さん”をつけて読んだ。「それはおかしいよ」と言ったのだが、それは最後まで直らなかった。


僕の仕事の時間まで毎日、僕の左手は彼女の右手と一緒にいた。

バスの中でも、地下鉄の中でも、美術館、マーケット、食事の最中でさえ離れなかった。観光よりもお互いの話をしている時間の方が長かったかもしれない。


しかし、1週間は早すぎた。


彼女の十二時間の旅が始まる前夜、僕は仕事を休んだ。彼女を独り占めする僕をTは良くは思っていない様だったが、何か気づいているのか、何も言わなかった。

最終の観光が終わったその日、バスを二つ手前のバス停で降り、僕は彼女とビーチの白い砂の上を歩いた。赤い夕日は西の空で、街並に吸い込まれるように小さくなっていく。

バス停の前のホテルで買った缶のヴィクトリア・ビターを2人で分け合いながら、二人、手をつないで歩いた。

星が出てきた。月が出ていないせいか近にくに見えた。波の音が響いていた


砂の上は歩きにくかった。僕は途中何度も靴を脱いで、中の砂をはらった。

話すきっかけが欲しかった。彼女の手を強く握った。彼女は僕の左側を、僕の歩幅に合わせるように、歩いた。風が暖かかった。


ビーチを二往復半過ぎたところで、彼女は突然立ち止まる。ビーチの外れ、岩の上に僕らのフラットが見えた。波の音。風の香り。彼女の右手。

彼女は言った。

「ねぇ」

「ん? 」

僕は足元を見つめていた。

「あのね」

彼女は囁くように言う。

空を見上げた顔が少し赤かったように見えた。

「南十字星って何処にあるの? 」

息が止まった。

僕は自分でも驚くくらい慌てて、闇の中、押し寄せてくる波の向こう、海の彼方先にある空を見上げた。指で探しながらひとつひとつ星を追いかける。ない。どうしても見つからない。見つからない筈である。それは東の方角だった。

彼女は僕の慌てぶりを喜んだ。左手を口に当て、彼女には珍しく大きく笑った。

その笑い方に僕は少し腹が立った。彼女はそれを見てまた笑った。

彼女は彼女の笑いが納まったところで「あれ」と言い、 彼女は僕の前から右の方に左手を挙げ指差した。僕は彼女の指す方向を見た。

「南十字星でしょう? 」

それはオリオン座や北斗七星を見慣れている僕らにとって、それは暗く、小さな星たちだった。

「意外に」彼女は僕の顔を見た「小さいんだよね。」彼女は微笑んだ。

僕は切なくなった。

彼女は南十字星を見上げている。

一番強くて、納得できる動機が僕の心の中に湧き上がった。

僕は彼女を抱きしめた。それ以外に僕は僕の気持ちを表現する方法を知らなかった。

風が優しくなった。


翌日、彼女はこのフラットから帰って行った。TとBは空港まで一緒に行った。

Bはしきりに僕を誘った。僕は仕事があると断ったがバス停までは送ることにした。

事実、仕事がある。別に休む事はできた。でも休まなかった。

バスを待っている間、会話を交わす事はなかった。

彼女はいつもの幼い笑顔だった。少し泣き出しそうにも見えた。よく分からなかった。僕は平気だった。平気な振りをした。

バスが来た。八分遅れであった。

「さよなら」ともお互いに言わない。結局何も会話をせず別れの時間を迎えた。

彼女は右手を振った。僕も右手を振った。左手はジーンズのポケットにしまっておいた。

「じゃあね」と彼女が言う。「バイバイ」だったかもしれないし、「またね」かもしれない。窓越しには聞き取れなかった。彼女の最後の言葉は何だっただろう。バスを見送った。


僕は仕事へ向かういつもの通り八分遅れのバスに乗っている。もうすぐ始まる夏にビーチは表情をそれらしく変えている。バスの窓ガラス越しに、僕は昨日の、二人の足跡を探す。この広いビーチ、見つかるはずがない。自分でもおかしかった。

バスはビーチを過ぎて、Cityへ向かう。いつもと変わらない街並は二人の出来事を知る由もなく時間だけが過ぎていく。少しだけ女性が薄着になったかな。いつもと同じ今日。


学生たちが帰宅のバスへ乗る。僕はいつも彼女が座っていた左側へ座席をつめる。もうすぐ星が出る頃だ。僕はバスの窓に顔をつけ、そのうす紫色とグレーが入り混じった空に星を探してみる。一つ、二つ星が輝き始めた。南十字星はまだ顔を見せていない。僕はその方向くらい知っていようと思う。

バスは西へと向かっている。だから南は左側だ。

僕は彼女のいない左手を見つめた。


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