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存在の果てに  作者: n原。
第一章─不条理と希望─
1/1

存在の果てに─不条理と希望─ #1

第一章 不条理と希望

アルベール・カミュ フランス・小説家

「人生に意味などない。しかし、意味がないからこそ生きるに値するのだ」

──20XX年以降、複数の大陸圏において正体不明の生体存在の同時多発的出現が確認された。

当該存在は生物学的・物理的いずれの分類体系にも適合せず、従来の知見では一切説明が不可能である。


これを受け、本組織においては当該生体群を統一的に《異形》と仮称・定義する。

この呼称は、観測・記録・排除・研究の各段階における便宜上のものであり、

対象の本質的理解を示すものではない。


20XX年██月██日、複数国家において異形による同時多発的侵攻が発生。

これを境に、約18ヶ月以内に世界人口はおよそ半数にまで減少した。


国際社会の機能は各地で断絶。

主要政府の多くが壊滅または潜伏状態に入り、独立した生存区域ごとの自衛活動へと移行していった。


この状況を受け、20XX年██月、各分断生存圏に点在していた科学者・軍人・宗教者・観測者などを統合し、

対異形対抗組織《████》が設立された。

以降、本組織は「異形の排除・研究・封印・記録・拡大抑制」を目的とした多機能部隊体制を構築し、

地表における「人類の領域の維持」を最終目的として活動している。


・・・・



[INTERN]

ファイル No. V0-1

発信元:Zentrale(本部)

対象:隊員基本契約・規律文書(Vertraulichkeits- und Dienstvertrag)

閲覧権限:Stufe 0 以上


第1条:任務の優先

すべての隊員は、自らの生存および情動を任務に優先させてはならない。

命令は絶対であり、例外は存在しない。


第2条:異形の定義と遭遇時行動

「異形」とは本部により定義される対象全般を指す。

異形を視認した場合、即座に記録・報告し、上位階級の指示に従うこと。

許可なき接触・同調・対話は一切禁止。


第3条:情報の扱い

任務・観測・内部記録等、すべての情報は組織に帰属する。

情報の私的記録、外部流出、無許可閲覧は禁止。違反は即時処分対象とする。


第4条:心理安定度と報告義務

隊員は定期的に行われる心理安定度スキャンを拒否してはならない。

異常の兆候が見られた場合、自己申告または上位階級の判断により隔離措置を取る。


第5条:所属変更と降格・除隊

任務遂行に支障があると判断された場合、所属部隊の変更、階級変更、または除隊が行われる。

降格・除隊は通知なく実行される場合がある。


第6条:隊員間の関係

隊員間での私的な交友、感情的依存は推奨されない。

不必要な接触や共謀が見られた場合、任務妨害と判断されることがある。


第7条:組織に対する忠誠

本契約をもって、隊員は自らの存在を《███》に預け、

その命令に対して一切の疑義なく従うことを誓約する。

必要に応じて、人格・記憶の修正措置を受け入れるものとする。


─────


※本規律に対する違反は即時の拘束、処理、または消去対象となることがあります。

※署名および精神安定度ログの記録をもって、正式な隊員登録と見なされます。


署名:Oliver_

記録ID:███████

記録担当:C部隊 / Hinterstruktur


・・・・


各異形対抗組織で働く隊員たちの拠点、及び宿舎に俺は連れてこられた。エントランスにある年季の入った鏡を覗き込む。そこには褪せたような淡褐色をした髪、灰色の瞳孔。憂鬱な色を顔に浮かべた男が映り込んでいた。


「私の財布何処いったか知ってる?」


後ろから気だるげな声がする。振り向くと背の高い女が立っていた。


「困ったなぁ、100ドルも入ってたんだよ。…なぁ10ドルでいいから貸してくんね?」


初めて会う人間に金をせびるとは。


「いや、持ってないです…お金。」


元々俺は行く当てもなく放浪していたところを組織に拾われたのだ。金銭に限らず、俺に私有物は一つも無かった。

「一銭も?嘘だろ!?」と女は混乱を見せた。それから少し考えて、何かを思い出したようにハッとしてみせた。


「あー、もしかしてうちの部隊に新しく入ったってやつ?」

「…はい。一応。」


俺の返答を聞くと、彼女は面倒臭そうに名前を問うた。


「オリバーです…」


「ふーん、よろしく。私は貴方の教育係を任せられてしまった人間です。君はこれから私の班で働いてもらいます。」


なんだその自己紹介は、と思ったが深く考えないことにした。


「この部隊についてはちゃんと聞いてきた?」

「えっと異形の観測?をするんですっけ…」


俺の返答を聞くと、彼女は舌打ちをした。


「はいはい、何も聞いてないんですね。ったく…うちの班に新人入れんなっつったのに。」


言葉にこそしてはいないものの、面倒臭いという感情を犇々と感じる。俺はきっと、かなり悪い教育係にあたってしまった。


「うちは第一調査部隊が見つけた異形の観測及び報告、収容されている異形の定期監査が主な仕事。まあ、うちにまわされる異形はD級が殆どだからそこの心配は要らない。」


それからこの第二宿舎の機能、使い方、間取りについて作業的に話された。

一通り終わると、自室の番号の書かれた鍵を渡された。


「…ありがとうございます」

「うん、仕事だから。ところでなんで金無いの?酒かギャンブルにでも溶かした?」


俺はそんなふうに見えるのだろうか。


「…仕方がないな。」


彼女はそういうと財布を取り出して俺に100ドル札を差し出す。財布あるじゃないか。


「無一文じゃいろいろと不便だろ。」


案外、面倒見の良い人かもしれない。


「あ、ありがとうございま…」

「倍にして返せ」


なんて人だ…


「じゃあ、明日からいきなり実戦入るけど、なんか質問ある?1個だけ答えてやる。なんでもいいぞ。」

「…なんでもですか?」

「なんでもだ。」


俺は少し考えて一つの問いを思い浮かべた。


「班長さんは、なんの為にここで働いてるんですか。」


俺の問いは少し的外れであったかもしれない。明日からの実戦について詳しく聞いておくべきだった。俺の問いに、彼女は誂うように「なんてくだらない質問だ」と笑って続ける。


「自分の存在に価値を与えるためだ」


俺はなんだか拍子抜けした。


「ここで異形に抗っても自己の存在の表明にはならないと思いますが、」

「そうか?我々がしている仕事は立派なものだぞ。人類を守る仕事だ。」


この異形の蔓延る世界では、人を何人救ったとてそれを上回る数が異形に殺される。いくら足掻こうと終焉からは逃れられない。それは彼女も理解しているはずだ。


「どうせ徒労に終わりますよ…」


俺の言葉に彼女の皺眉筋が小さく反応した。絶対に今の一言は言うべきで無かった。それから大きな溜息を吐く。


「お前はなんでうちの班に入ってきたんだ。」

「途方に暮れてたら連れてこられたんです」


嗚呼、そう考えると今の俺はとても情けない。死にそびれて荒廃した土地をなんの目的もなく放浪し続けた結果、たいそれた信念も何もなく人助け?のようなものをこれからさせられるようだ。正直俺は誰かを助けられるような精神状態に無いんだ。頼むから放っておいてくれ、そのへんで死体と同じように転がっていたいのだ。


「こんな未来も希望も無い世界に生きながらえたくなんてないです。この星ができたときから終わりが来ることは決まっていたんだ。この組織の行為は地球、引いては秩序そのものに対する冒涜だ…」


気がついたら俺の思考は言葉として零れ出ていた。班長は絶対に俺のことを嫌いになった。みんな俺のような情けないやつは嫌いなんだ。俺だって大嫌いだ。はやく死んでほしい。


「お前は何か思い違いをしている。何も知らないくせに語るな。それこそお前の発言は我々に対する冒涜だ。」

「はい…生きててすみません。」


空気感が肌に痛い。今すぐにでも100ドルを返して逃げ出したい。


「もういい、お前は自室へ戻れ。明日から仕事だ。遅刻するのことないように。」


俺は黙って頷いて自室へ戻った。


・・・・


太陽の日差しが強く差し込み、かすかに暑い。宿舎のエントランスには十人ほどの人が集まっていた。時計は朝の八時十分を指している

集合を予定していた時刻は八時丁度であった。にも関わらず、業務を開始できない理由。それは責任者である班長がまだここに居ないためである。


「新しくうちの班にきた人だよね」


途方に暮れていると、物腰の柔らかい隊員が声をかけてきた。


「よろしく、俺はトーマス。分からないことがあったらなんでも聞いて。」

「ありがとうございます、俺は、オリバーって言います。」


この男はまだ常識というものを持ち備えていそうだ。


「あの、トーマスさん。班長ってまだ…?っていうか、いつもこうなんですか…?」

「うん、ほんと困っちゃうよね。上がこれじゃ。」


俺がそう聞くと、男は悩ましげに答えた。

昨晩は雨が降っていたせいで、ここら全体が嫌な熱気に包まれている。この湿度の中、あとどのくらい俺は待たされるのだろうか…


数十分程経つと、班長はエントランスに姿を現した。


「ごめんごめん、寝坊したわ。へへ、すまん。」


全く悪びれた素振りもなく、口の端を緩めながら形式上、一応誤っているというように見えた。俺はやはり、この人が苦手かもしれない。

黒塗りの装甲バンがエントランス前に停まった。班員が全て揃ったことを確認して、俺たちは通報があった現場へ向かう。


「これから観測する異形は、D級っていうのに分類される。第一調査部隊が、基本的に攻撃性が無いと判断した異形だよ。」


隣に座ったトーマスが異形の分類について教えてくれた。異形は全部で四種類に分類され、最も危険度の高いA級に分類された異形は過去二体のみらしい。


「俺たちが扱うのは、だいたいD級だから安心して調査するとよい。」


C級やB級などの攻撃性の高い異形と前線に立って戦う前衛部隊の隊員たちは悲惨な死を遂げる場合が多いそうだ。どうやら俺は比較的安全な部隊へ配属されたらしい。


「着いたぞ。」


トーマスの声で、俺は異形の方へ目を向けた。十メートル程先に、人の形をかろうじて留めているが、顔の輪郭は溶け崩れたような異形が立っていた。口や眼窩からは黒い液体が溢れ出ている。


「あの異形、だいぶ人間に形近くないですか?」

「ああ、人間を模倣する異形もいるぞ。だが大抵の異形には知能が無いから騙されることは無い。人間の言葉を放つかもしれないが決して耳を傾けるなよ。」


彼は説明をしながら観測用の装置を用意した。


「あの、俺は何を…」

「観測を始めるから話しかけないでくれるかい?」


すみませんとだけ返し、俺はその場所を離れた。少し空気がピリついた様な気がした。俺は馬鹿だった。分からないことがあったら聞いてくれと言っていたが、タイミングというものがある。本当に俺は無能で愚図でどうしようもないやつだ。今すぐ舌を切って死んでやろうか。否、それも彼らの迷惑になる。俺はつくづく人に迷惑をかけてばかりだ。嫌になってしまう。


「モタモタしてんじゃねぇぞこの愚図っ!!」


怒鳴り声と同時に拳が飛んできた。頬骨に鉄塊を叩きつけられたみたいな衝撃に、思わずバランスを崩しそうになる。何故突然殴られなければならないのだ。思わず涙が溢れそうになる。


「あの、なんでそんな、」

「喋んなコラァ!」


今度は心窩部を蹴られた。横隔膜が一瞬止まったようなような気がした。


「ごめんなさいごめんなさい、ほんとに、」

「謝ってねぇで手動かせよカス」


なんて野蛮な男だ。血走った目でこちらを睨みつけてくる。嗚呼、いいなぁ、綺麗な金髪で。俺生まれたときから茶髪だし。親はどっちも金色の髪をしていたのに。きっと生まれたときから金髪青目で持て囃されていたんだ。神はこんなやつに味方する。俺が貴方に何かしましたか?なんでこんな、理不尽な暴行を受けなくてはならないのだ。だいたい俺はなんの説明も受けていないんだ。何をしたらいいのか知らないのにどうしろと言うんだ。

そんなことを考えていると目の前の野蛮な男は髪の毛を掴んできた。


「いだっ、やめてください。なんでこんなことするんですか」

「何泣いてんだよ気色わりぃ」


彼の言葉で、俺は目から涙を零してしまっていたことに気がついた。


「知らなぃんです、何やったらいいかとか。説明を受けてないんです。」

「は?班長が悪いって言うのかよ?」


嗚呼、此奴は話が通じない輩だ。災害か何かだと思おう。しかしこんな行為が横行しているというのに誰も助けてくれない。人類を守るなんてたいそれたことをしている組織の実態はこんなものなのだ。


俺は異形の観測が終わるまで黙って暴行を受け続けることにした。


「サージェ、隊員同士の暴行は黙認できない。そいつを離せ」


少し低めの女性の声がした。班長だ。


「…すみません。こいつが邪魔だったので」

「お前は異形が抵抗した際の要員だ。しっかりと異形を見張れ。」


この男、サージェは少し不満気に頷き、俺の胸ぐらから手を離した。


「お前の仕事は隊員の行動に対する異形の反応を記録することだ。おい、紙は?どうせ暇だし教えてやるよ。」


彼はそういって俺の頬を引っ張った。いちいち人を痛めつけないと気がすまない病気か何かなのだろうか。


その後俺はサージェに業務内容を事細かに教わり今回の仕事を終えた。彼の指導は口調こそ乱暴であったが、非常に丁寧で分かりやすいものだった。俺はサージェに礼を伝えて自室へ戻った。


・・・・


本を読み終え床に就こうかと椅子から立ち上がると、扉の方からノックをする音が聞こえた。


「オリバーくーん、酒買ってきたから一緒に飲もぉーよー」


時刻は午前一時を過ぎていた。本に熱中し過ぎたようだ。否、問題はそこでは無い。深夜に人の部屋の扉を叩いてくる人間が俺の上司だということだ。


「起きてるんでしょ、寝たふりとかしても無駄だよー。鍵持ってるんだから」

「はぁ!?」


最悪な事実が追加された。その上司が俺の部屋の鍵を保有しているということだ。これではプライバシーポリシーも糞もあったものではない。

そうこうしているうちに鍵穴からガチャガチャと音がして、扉が開いた。


「…あー本読んでたの?邪魔して悪かったね。」


悪かったねと言いながら、帰る素振りは全く無い。勝手にテーブルに酒肴とグラスを並べ始める。


寝たいので、帰ってもらえますか。


俺はこの一言を言い出せない。もしかしたら俺と酒を飲むためにわざわざ買ってきてくれたのかもしれないし、そうでなくても俺はこういうのを断ることができないのだ。言わなくて良いようなことはポロポロと零れ落ちる癖、伝えたいことは言い出せない気の弱さ。なんとも俺は惨めな人間だ。


「白酒買ってきた。珍しいだろ。私の故郷では割とメジャーな酒なんだけどね。」


班長は広口のショットグラスに白酒を注いで俺に差し出した。


「ありがとうございます、班長さんってアジア系ルーツなんですか?」

「うん、まあアジア地方行ったこと無いけど。生まれたときからこの組織にいるから。」


国という概念が無くなった今、ルーツと呼ばれる土地に一度も訪れたことが無い人も多い。


「あ、じゃあご両親もこの組織で…」

「知らない」


自分の不躾な質問で少し空気感が悪くなってしまった。いや、深夜に部屋に押し入ってきた時点で不躾なのは相手の方だ。


「あぁ、あと今日ごめんね。サージェの件、一応責任者だから謝っとくよ。」

「まぁ、はい。いえ、俺が悪いんで。」


俺はなんとなく気まずい雰囲気を紛らすため、ショットグラスの白酒を飲み干した。


「ゴフッ、なんだこれ!痛っ!」


喉から胃にかけてカッと熱くなるような感覚に襲われた。喉が焼けて、意識が朦朧としてくる。班長は、そんな俺を見て腹を抱えて笑っていた。なんたる性悪。


「こんな、ウォッカみたいなっ、酒なら先に言ってくださいよ…俺は最もワインみたいな、」

「あはは、初めて飲んだか。これは炭酸で割ると美味いんだ。」


班長はそういってショットグラスに少し白酒を入れ、炭酸を注いだ。泡立つような音がする。


「所で、オリバーくんって、何処ルーツなの?」


黙れ俺はそれどころではないのだ。なんて言えるわけも無く込み上げてくる吐き気を抑えながら答える。


「い、イングランドです。あの、みず、水ください。あと袋をっ」

「へー、イングランドか。サージェくんも確かそっち系だった気がするよ。欧米の何処か。仲良くなれるといいね。」


誰があんな野蛮人と仲良くなれるか。いいから水と袋を持ってきてくれ。あぁ、死んでしまう。

指先の感覚が麻痺し、指の重みが地球に吸い込まれるように感じられ、俺の意識は暗闇の底へ吸い込まれていった。




「存在の果てに─不条理と希望─」

今回の作品は、長年温めていたいた設定をもとに描いた物語です。ストーリーを作成する際の主題として、参考にしたのが不条理哲学。アルベール・カミュらの論理をもとに、不条理を認知した人間がどのような行動をとるかなどを考えました。不条理そのものであるような存在、異形、終焉などにどのように抗うのか。ある人は、不条理に絶望する。ある人は、不条理故の自由を認め、希望を自らの手で創造していく。第一章では、まさにその「不条理と希望」を主題に描いています。

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