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クロエ図書館  作者: 大山
名無しの図書館
17/21

斯くして椅子は投げられた

 己の無力さを呪ったところで、ヒトのサイクルを忠実に守る擬態は、リリアの絶望とは関係なしに段々と腹を減らしていた。

く~きゅるきゅるきゅる~

「…………」

 そうして程なく鳴ったのは、間違いなく朝食をせがむリリアの腹。

 実際、今がどの時間帯に当たるのかは判らないが、夜の睡眠時間並みにぐっすり眠ったのだから朝食で構わないだろう。

 兎にも角にも、誰もいないにも関わらず、鳴ってしまった腹の音に頬を染めたリリアは、椅子の背もたれに上半身を投げ出すと、赤いリボンが揺れる頭で何を食べようか考えていく。

(昨日は結局、お菓子とお茶しか口にしていませんし)

 忠実なサイクル同様、栄養バランスも考えなければいけないとなれば、昨日のような食事の済ませ方は極力避けた方が良い。

 何より、リリア自身が甘さ以外の食物を欲していた。

(う~ん。ここは無難に、サンドイッチとミルクにしましょうか)

 閉ざした視界の闇に浮かぶ、トマトとチーズとレタスを挟んだサンドイッチと瓶に入ったミルク。

 途端に嗅覚を刺激する、思い描いた通りの食べ物の匂いに目を開けたなら、それらは食器と共に円卓の上を飾っていた。

「……便利には便利、なのですが。味にしてもわたし好み、なのでしょうが」

 口に出してみれば贅沢な話、とは思うものの、これもまた、例外なく美味しいのだろうと想像がついてしまうのはいかがなものか。

 美味しいのは良い事だが、どれも同じではその内「美味しい」という感想に飽きてしまいそうだった。

 そんな思いに駆られつつ、手に取ったサンドイッチへパクついたリリア。

「…………」

 もぐもぐ咀嚼し、何も言わずにミルクを飲み込んでは、

「…………」

 やはり何も言わず、少しだけ不思議そうに眉根を寄せた。

(美味しくない、訳ではないのですが……何故でしょう? 美味しい、と簡単には言えないこの感じは)

 言ってしまえば、普通、だった。

 食べ慣れた、普通の味。

 何の変哲もないサンドイッチと、特に濃いも薄いもないミルク。

 しかし、だからこそリリアが今一番欲していた味でもある。

(もしかするとこうして創った食べ物は、わたしの味覚に左右されるのでしょうか? それとも、食べた人物がその時欲する味を再現してくれるのでしょうか? 前者だとするならば、昨日プリマさんに提供したような事は、今後、極力避けた方が良いでしょうけれども。後者ならば便利……ですが、人間離れし過ぎですね)

 視認できる見慣れたこの身体が擬態で、本体はリリアが望めばいつでも何処からでも取り出せる、一冊の分厚い本だという事は、既に理解している。

 それでもヒトの枠組みを離れられないリリアは、どちらにせよ人間離れしている行為の中に、自分の味覚という、ヒトとして積み上げてきた経験を取り入れる事で、前者の方がまだヒトらしいと判じていた。

 五十歩百歩、目くそ鼻くその世界である。

 勿論、リリアとて、そんな自身の考えが、悪あがきみたいなものだとは判っている。

 なので早々に、どちらにせよ、第三者がいなければ確かめられない事、と終わらせては溜息を一つ。

「エニグマ……は、まだ眠っているのでしょうね。うーん、どうしましょうか? これを食べ終わっても、余る時間はほぼ無限。彼が起きたなら、色々お話も出来るのでしょうけど。……はあ。不思議なものですね。元々の世界ではわたし、暇があれば本だけを読んでいて、人間関係なんて全く構築してこなかったのに。こんな、本しかない世界に来てしまったのなら、読書よりも誰かとの会話を望んでいる」

(しかもこんな、長々とひとり言まで。誰が聞いている訳でもありませんから、恥ずかしいということもないのですが)

 何ともなしに、ヒトは一方が満ち足りていると、満ち足りていないもう一方を求める、という話を思い出す。

 このサンドイッチにしても、もっと美味しい物になっただろうに、リリアはそれを望まなかった。

(……我が侭、贅沢ですね)

 何口食べても普通の味。

 何度飲んでも普通の味。

(もしも、もしも仮に、不味い物が食べたい、などと無意識に思ってしまったら……)

「考えたくない、ですね。ヘタをすると、嫌いな物のオンパレードになってしまいそうですし」

 特に好き嫌いはないものの、料理未満の見るからに不味そうな物体たちがリリアの脳裏を過ぎり、柳眉が顰められてしまう。

 これを解すように、サンドイッチの普通の味を咀嚼していたリリアは、ふと視線を、窓の白い光がふつりと途絶えた、橙のランプで等間隔に照らされている本棚の暗闇へと向けた。

 食事を終えて、本を読むとして。

「一人であそこへ行くのは……やはりまだ少し、怖い、かもしれません」

 ログハウスからここまでの道程は、エニグマの歌の破壊力で、何も感じられなかったものの。

 改めて見やれば浮かぶ恐怖心。

 思い出すのは、彼女にとっては昨日、実際には遥かな昔に遭遇した化け物の事。

 そういえば結局あれは何だったのか、まだ教えて貰っていない事に気がついたリリアは、エニグマが起きたら早速聞いてみようと思い、かけ。

「……えっ?」

 見つめていた暗がりに動きを認めたなら、食べかけのサンドイッチを皿に置いて、席を立って身構えた。

 セレストブルーの瞳が油断なく動きの正体を探るのとは裏腹に、スカートと同じ赤いチェックのスカーフの下で大きく跳ねる心音。

 擬態である以上、本当に心臓がある訳ではないだろうが、エニグマ曰く、魔道書(グリモア)の創り出した擬態は完璧であるがゆえに、傷を負えば同程度のダメージを精神(リリア)にもたらしてしまう、らしい。

 だからこそ高鳴るのか、胸の上を無意識に押さえたリリアは、相手が何であれ迎え撃てるように、もう一方の手を椅子の背に添えた。

 ――瞬間。

「あーっ! ほら刹那! 僕の言った通り――」

『御主人、前方要注意』

「へ?――――がっ!?」

 本棚の陰からひょいと、何かが姿を見せたなら、反射的に投げられた椅子がそれを見事に撃沈させた。

 投げたのは勿論、極度の緊張に追い込まれたリリアだ。

 が、しかし、彼女が想定していた標的は、記憶の中にある化け物の姿であり。

「あ、あれ?……ああっ!? す、すみません! 大丈夫ですか!?」

 椅子を投げつけた相手が異形ではあっても、化け物ではなかったと知ったなら、顔を青褪めさせたリリアは大慌てで、伸した相手へと走り寄っていった。







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