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8 癖

吉良朝葵:大学三年生

久万桐人:大学四年生、朝葵と同じ学部・ゼミの先輩

望月叶:大学三年生、朝葵の親友、朝葵と同じ学部・ゼミ

佐々山暁人:大学四年生、朝葵たちと同じ大学の医学部、桐人の従兄

日高悠一郞:朝葵たちと同じ民宿に泊まっていた客

「ちょっと、佐々山先輩。あれ、責任取ってくれるんですよね」


 叶は暁人に詰め寄りながら、端の席に座る桐人を指さす。桐人は船に乗って席に着くなり、足を組み、微動だにしなくなってしまった。

 これは、桐人の"癖"である。考え込むと、結論が出るまで一切動かなくなってしまうのだ。

 それでも学校などの公的な場では、本人なりに気をつけているらしく、声をかければ反応することもある。だが、そうではない場合は厄介で、下手に手を出そうものなら痛い目を見る。実際、この黙考の最中に話しかけた猛者もいたらしいが、いずれも青ざめて恐怖のうちに退散したという。


 船は港を離れ、島の東の岩礁を大きく迂回していた。黒々とした岩が波間から顔を出し、近づくことを拒むかのように白波を散らしている。そこを抜ければ、船は本土へと向きを変えるはずだ。


「先輩が、変なこと言うからですよ。港についても動かなかったらどうするんですか。久万先輩は大きいから、私たちじゃ運べませんからね」

「ごめん、ごめんって……。でも吉良ちゃんがいるし、あいつだって船くらいは自分で下りてくれるんじゃないかな……はは」

「朝葵頼りやめてください。せめて、向こうに着いてからでもよかったでしょうに。先輩がいきなり爆弾ぶっこむからですよ。責任取ってくださいよ」

「だって……びっくりしたんだもん」


 暁人は叶に叱られ、たじたじとなりながらも、その顔は決して嫌そうには見えなかった。実際のところ、叶もまた、本気で怒っているわけではない。このやり取りを、二人ともどこか楽しんでいるのだ。

 朝葵は窓へ視線を移す。船はまだ、岩礁をかすめるあたりを進んでいた。

 

 本土まで一時間半――それまでに、桐人の思考はまとまるのだろうか。


 朝葵は船室の扉を開け、甲板に出た。さすがに、走る船の上は風が強い。風圧に煽られてよろめきながらも、舳先へと歩を進める。

 

 視界の先には、足下に岩礁を従えた岩壁がそびえ立っていた。岩壁は波に削られ、内側に大きな窪みを抱えている。――日高が命を落とした、潮だまりだ。

 あの日、日高は岩の上にうつ伏せに倒れ、頭だけを潮だまりに突っ込んでいた。さほど高い波は届かないのか、夜の間にその身体が海に流されることはなかったようだ。日高は昨日のうちに引き上げられ、警察とともに本土に運ばれたと聞いた。

 日高の頭部は、彼の姉のように失われてはいなかったが――崩れてはいたという。そのむごい有様を見ないですんだだけ、まだよかったのかもしれない。


 ――あれ?


 上から見たときはわからなかったが、窪みの奥には、さらなる暗がりがあった。洞穴だ。今は海に漬かっているが、干潮になれば、人ひとりを呑み込むほどの大きさになるだろう。

 

 そのとき、海から顔を出す岩のひとつが、ぐらりと揺れた気がした。


 ――え?


 波が砕けただけかと思い、目を凝らす。だが次の瞬間、岩肌がうねり、黒光りする鱗が水面に浮かび上がった。


「……!」


 あのとき、日高が見たものは、黒くぬらぬらと濡れた鱗がびっしりと並んだ――


 人魚。

 

 岩と見えた()()は身をくねらせ、だんだんとこちらに近づいてくる。押し寄せる恐怖に、朝葵は足がすくみ、息ができなくなる。

 そのとき、誰かが朝葵の肩を掴んだ。


「あぶないぞ」


 耳元で声がして、はっと我に返る。振り返ると桐人が立っていて、心配そうに朝葵を見つめていた。

 気づけば、朝葵は柵から半身を乗り出し、いまにも落ちそうになっている。朝葵は慌てて身体を戻し、柵から離れた。


「先輩」

「……何か、見えたのか」

「人魚が……いえ」


 朝葵は海に目をやった。岩礁はもう遠ざかり、波間には、ただ白い飛沫が散るばかりだった。船は軌道を変え、まっすぐに本土へと向かっていく。


「もう、いません」





「ほら、やっぱり吉良ちゃんがいるから大丈夫だったじゃん」

「佐々山先輩、反省してないですね」

「吉良、悪かったな」

「いえいえ、私何もしてませんから」


 本当に、何もしていない。

 桐人は甲板から朝葵を連れ戻すと、また席に座り、黙考に入ってしまった。しかし、港に着いてから朝葵が声をかけると、何事もなかったように立ち上がり、船を下りたのだ。暁人は喜び、叶は目を丸くしていた。


 港に降り立つと、暁人が「みんなで昼飯にしよう」と言い出した。島の食事も美味しかったが、今は日常のものが食べたいと言う。その言葉に、全員が小さく頷いた。

 居酒屋が昼営業をしていたのでそこに入り、半個室の座敷に通された。畳に腰を下ろした瞬間、誰かが大きく息を吐いた。そこでようやく、張り詰めていた糸が緩んだ気がした。


 暁人がメニュー表を持ち、片方の手で『お願い』のポーズを作って言った。


「ごめん、僕もう酒飲んでいい? 正直、疲れた」

「いいですよ。私も付き合います。ちょっと、やってられないですよね」


 叶が笑う。朝葵もどうかと誘われたが、今は飲む気になれなかった。


「私はいいや。叶は飲んでいいよ。酔っ払っても、ちゃんと連れて帰ったげるから」

「やだあ、朝葵ありがと」


 桐人も、今は飲まないでおくと言った。

 

「お前は連れて帰らないからな。ほどほどにしろよ」

「やだあ」


 暁人が身をくねらせ、叶と朝葵が笑う。その笑いはまだ少しぎこちないが、重苦しい空気をゆっくりと溶かしていった。


 頼んだ料理がすべて運ばれてくると、みんなで「お疲れさまです」と乾杯を交わし、食事を始めた。

 最初のうちは、明日からの予定やアルバイトのことなど、とりとめもない話で時間が過ぎていった。だが、やがてぽつりぽつりと島のことが口にのぼると、酒の入った暁人と叶を中心に、話は止まらなくなっていった。


「佐々山先輩、骨の話、詳しく教えてくださいよ」


 叶が、レモンサワーを飲みながら暁人に言った。暁人はビールを手酌で注ぎ、ほんのり赤い顔で答える。

 

「ああ、あれ? 僕がそう思っただけだからさ、間違ってるかもしれないよ。僕、人間以外の骨は知らないもん」

「まあ、そうですよね。他の動物の可能性もありますし」

「人間の骨に似ているものがあった、ってことですか?」


 朝葵が尋ねると、暁人はうなずいた。


「うん。ひとつは人間の仙骨……腰の下の方の骨なんだけどね。それに似てた。仙骨って、五つくらいの骨がくっついてて、三角形みたいな形をしているんだよ。解剖の先生が言ってたんだけど、ヒトは二足歩行だから、猿とかに比べて幅広になってるらしいんだよね」

「その骨が、あったんですか」

「うん。でもね、それだけじゃなくてさ」


 暁人は、コップのビールを一気に飲み干した。。

 

「首の骨も似てるのがあった。頸椎の一番目と二番目……環椎と軸椎っていうんだけど、形が独特だから、すぐに目についた」


 暁人は、口をとがらせて続ける。

 

「そりゃ、なんか動物のものかもしれないけどさ。『ご神体』とか言って出されたものに、人間の骨そっくりのものが混ざってたら、不気味じゃないか」

「確かに……」

「百歩譲って、人間のものだったとしてもまあいいよ。誰だかわからない水死体を神様にするのも、大事に祀るのも勝手にしたらいいさ。でも、こういっちゃなんだけど、あの宮司さん、なんか変じゃなかった? コレクション見せるみたいでさあ。なんか、やな感じだったんだよね」


 暁人は、早口で一気にまくし立てた。よほど、社務所でのできごとが引っかかっていたのだろう。朝葵たちにとっては研究対象でも、医学生である暁人にとっては、骨はご遺体の一部であり、見世物めいた扱いが不快だったのかもしれない。


 朝葵は、ちらりと隣に視線を移した。そこに座る桐人は、先程から一言も発していない。


 ――もしかして。


 桐人は腕を組んだまま真剣な顔で、ぴくりとも動かない。桐人の"癖"が、また発動しているようだった。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。なんとか頑張ります。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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