11 潮騒
吉良朝葵:大学三年生
久万桐人:大学四年生、朝葵と同じ学部・ゼミの先輩
望月叶:大学三年生、朝葵の親友、朝葵と同じ学部・ゼミ
佐々山暁人:大学四年生、朝葵たちと同じ大学の医学部、桐人の従兄
日高悠一郞:朝葵たちと同じ民宿に泊まっていた客
身体が軽かった。痩せてしまった脚が、思うより動かないのがもどかしい。
――早く、あそこに行って確かめたい。
心が躍動し、はやる気持ちにせき立てられる。この感覚を味わうのはいつぶりだろう。後悔に苛まれ、どう生きればいいのかわからなくて、ただ毎日が重たかった。けれど、今は違う。ようやっと、前を向いて過ごせそうだ。
あの学生さんたちのおかげだ。彼らに話して、やっと手がかりを見つけることができたのだ。
黒く塗りつぶされた世界が、失っていた色を取り戻していく。人と話すことも、今なら苦痛じゃない。そう、先ほどの彼女との会話でもそうだった。あんなふうに自然に人と話せたのは、いつ以来だっただろう。
砂浜の端まで歩き、岩をよじ登って下を覗く。そこが、目的の場所だ。
――ああ、やっぱりだ。
干潮の潮だまりには、流木や外国の瓶など、いくつもの漂着物が打ち寄せられていた。そばの岩壁には、歩いて入れそうな洞穴が口を開けている。その入り口には、海に戻れず干涸らびたクラゲや海藻などが張りついているのが見えた。
姉さんは、ここにいたんだ。本当は、ここに流れ着いたんだ。だから、姉さんの人魚もここに……。
いくら砂浜を探しても、姉さんの顔は見つからなかった。けれど、ここにならあるかもしれない。
何でもいい。骨でも髪でもピアスでも――姉さんの顔がここにあったという、なごりのひとつでもあればいい。
下へ降りられないかと首を伸ばし、潮だまりの奥を覗き込む。洞穴も探してみる価値はありそうだ――
――悠ちゃん、だめ、来ないで――
「……姉さん?」
そう口にした瞬間、日高の身体は大きく揺れ――そこで、永遠に意識が途切れた。
◆
ぱしゃん。
桐人が話し終えた直後、鋭い水音が店中に響いた。四人ともが息を呑み、沈黙が場を支配する。次いで、濃い潮の香りが漂ってきた。生臭いほどの匂いが、朝葵たちの鼻をつく。
厨房からは、軽やかな包丁の音が途切れずに響いていた。どうやら、魚の下処理の最中らしい。
叶が、ほうとため息をついた。
「水音、ちょっとびっくりしましたね」
朝葵が言うと、暁人が大げさに頭を抱えた。
「あーあ。当分、魚料理は遠慮したいかな」
「まったくだ」
桐人は苦笑した。叶には悪いが、しばらくあの島に足を運ぶ気にはなれそうにない。
警察官の中村は、後日、改めて警察署で話を聞かせてもらうことになるだろうと言った。だが、何度尋ねられようとも、朝葵の答えは変わらない。
――あの人は、死ぬようには見えなかった。
ならば、なぜ日高は死んだのか。人魚は、なぜ慟哭したのか。そこにはやはり、何者かの存在が潜んでいたのではないか。
「そろそろ出るぞ」
気がつけば、みんな帰り支度を済ませていた。朝葵も慌てて荷物を手にし、靴を履く。もともと自分たちが送って帰るはずだったのが、飲んだ二人が意気投合し、先に連れだって店を出てしまっていた。
朝葵は、桐人とともに店を出た。叶と暁人の背中を見守りつつ、二人で駅までの道を歩く。
「今日は下宿に帰るのか」
「はい。明日はバイトなんで」
「大変だな」
また少し、二人は黙った。昼下がりの太陽はまだまだ高く、路面を白く灼いている。しばらく二人ともが、背の違うふたつの影を見ながら歩いていた。
先に口を開いたのは、朝葵だった。
「……先輩、今日はいろいろと話していただいて、ありがとうございます」
「あんまり本気にとるなよ。吉良は吉良の考えでいいんだからな。ただ……用心はしておいたほうがいい」
「私、日高さんが自分で……その、どうにかしたとは思えないんです」
「そうだろうな」
「警察は教えてくれるんでしょうか。」
「さあ……」
中村の名刺はもらっている。いずれ公表できる程度の情報なら、少しは知らせてくれるかもしれない。
「ほんと、わからないことだらけですね」
朝葵がそう言うと、桐人はどこか遠い目をしてつぶやいた。
「……人魚は、すべて知っているんだろうな。なんなら直接、聞いてみたいくらいだ」
朝葵はぎくりとし、思わず桐人の腕を掴んだ。桐人は足を止め、驚いたように朝葵を見た。
「だめです。先輩、だめ」
真剣な表情の朝葵に、桐人がたじろぐ。腕を掴む手には、ぎりぎりと力が入った。桐人が次第に、叱られた子どものような顔になる。
「わ、わかった、わかった」
桐人にはいつも助けられているが、彼にも危ういところがある。興味のあることに没頭してしまうこと。考え込むと動かなくなってしまう癖。
朝葵は手をほどき、桐人をじっと見つめた。どうしてか、じわりと目の奥が熱くなる。事件のせいで、まだ気持ちが動揺しやすいのだ。きっとそうだ。
「先輩、勝手にどっか、行っちゃわないでくださいね」
「子どもじゃないんだが」
「……すみません。私、不安で」
桐人は、ふっと優しく笑った。穏やかな目で、朝葵を見返す。
「……俺にできることがあるかわからないが、心配なときは、連絡してくれていい」
「はい」
「いつものように、遠慮なくすればいいじゃないか」
「ふふ……はい」
朝葵は微笑んだ。目が潤んでいるかもしれないが、構わない。どうせ私は、この人に隠し事なんてできないし、したくもないのだ。
叶たちが先のほうで手を振り、朝葵たちを呼んでいる。背後からは潮騒が絶えず響いていたが、朝葵は振り返らなかった。
ただ、桐人と並んで、静かに道を進んでいった。
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