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四天王のお仕事事情

翌朝、魔王城の東の塔では、今日もまた「事故」が起こっていた。


「みなさ〜ん、おはようございま〜す! 今日も『リュシアの炎炎クッキング』始まりま〜す♪」


配信ルームに響くリュシアの明るい声。しかし、その背景には昨日の火事の痕跡が生々しく残っていた。壁の一部は焦げており、新しい消火設備が増設されている。


視聴者数は昨日より増えて約6000人。「また火事るんじゃないか」という期待(?)を込めた観客が増えているようだった。


『リュシア様おはようございます!』

『今日は何を燃やす予定ですか?』

『消防署の皆さんお疲れ様です』

『昨日の録画見ました、厨房が溶鉱炉になってましたね』


「もう、みなさん意地悪〜」


リュシアは頬を膨らませながら、今日の食材を紹介していく。


「今日はですね〜、特別に『炎の魔法陣改良版』を使ってみたいと思います〜。昨日の反省を活かして、火力をもっと細かく調整できるようにしたんですよ〜」


彼女は手元に複雑な魔法陣の設計図を広げた。昨夜、配信終了後に徹夜で研究した成果だった。


実は、リュシアにとって料理配信は単なる趣味ではなかった。戦闘魔法しか知らなかった彼女が、全く新しい分野に挑戦するという、真剣な取り組みだった。


「えーっと、火力調整の魔法式をここに組み込んで…温度制御の術式をここに…」


リュシアは慎重に魔法陣を描いていく。その集中した表情には、かつて戦場で敵と対峙していた時の真剣さがあった。


『リュシア様、今日は慎重ですね』

『昨日のトラウマが効いてる?』

『でも細かい作業は得意じゃなさそう』


「失礼な〜、私だって繊細な作業くらいできますよ〜」


だが、その時だった。


リュシアが魔法陣の最後の線を引こうとした瞬間、手が滑った。


ほんの数ミリ、線がずれただけだった。


しかし、それは致命的なミスだった。


「あ…」


リュシアの顔が青ざめる。


ボォォォォォン!


魔法陣から立ち上がった炎は、もはや料理の火というレベルではなかった。厨房全体を包み込む巨大な炎の竜巻が出現した。


『やっぱりかよ!』

『今日も火事だ!』

『リュシア様の配信に安定はない』


「あわわわわ〜、止まって〜!」


リュシアは慌てて消火魔法を詠唱するが、自分の炎魔法が強すぎて制御しきれない。


その時、厨房の扉が勢いよく開かれた。


「リュシア様、また火事ですか」


現れたのは、黒い全身鎧に身を包んだグリムだった。彼の手には巨大な水桶が握られている。


「グリム〜、助けて〜」


「仕方ありませんね」


グリムは慣れた様子で、特製の消火魔法を発動した。死霊術の応用で、炎の魔力を吸収して無力化する技術だった。


瞬く間に炎は消え、厨房には静寂が戻った。


『グリム様お疲れ様です』

『もはや名コンビ』

『グリム様の消火技術も配信の名物』


「ありがとうグリム〜。でも恥ずかしい〜」


リュシアは濡れた髪を拭きながら苦笑いを浮かべる。


「昔はこの程度の火加減で城一つ燃やしてたのに〜、料理になると全然うまくいかない〜」


その時、グリムが興味深いことを言った。


「リュシア様、戦闘魔法と料理魔法は、実は正反対の技術なのです」


「え?」


「戦闘では最大出力で敵を破壊することが目的ですが、料理では適切な出力で食材を活かすことが目的です。真逆のアプローチが必要なのです」


グリムの説明に、視聴者たちも興味を示した。


『なるほど、理論的だ』

『グリム様の農業知識は料理にも応用できそう』

『魔法の学術的な話も面白い』


「そうなんです〜」リュシアは目を輝かせた。「戦いの時は『いかに強く燃やすか』しか考えてなかったから、『いかに優しく燃やすか』が全然分からないんです〜」


実際、これは多くの元戦闘職が抱える問題だった。平和な時代に適応するため、戦闘技術を民間技術に転用しようとする者は多いが、その根本的な思考パターンの違いに苦労することが多い。


「では、私が農業で培った『生命を育む技術』をお教えしましょう」


「本当〜?」


こうして、思いがけず四天王同士のコラボ配信が始まった。グリムの理論的な解説と、リュシアの実践的な挑戦。二人の専門知識が組み合わさることで、配信は予想以上に充実したものになった。


『これは貴重な配信だ』

『四天王コラボ!』

『グリム様の農業理論×リュシア様の炎魔法』


「まず、魔力の出力を10分の1に抑えてください」


「10分の1? そんなの、魔力を使ってる意味が…」


「それが『優しさ』なのです。料理は食材に対する愛情表現でもあります」


グリムの言葉に、リュシアは考え込んだ。


確かに、戦闘では「愛情」など必要なかった。敵を倒すことだけが目的だった。


しかし、料理は違う。食べる人のことを考え、食材の特性を理解し、最適な調理法を選択する。それは確かに「愛情」に近い感情だった。


「愛情…か」


リュシアは小さく呟いた。


「そういえば、戦争の時は『愛情』なんて考えたことなかったなぁ」


彼女の脳裏に、過去の戦場の記憶が蘇る。


敵の城を燃やし、敵の軍勢を火の海に沈める。その時の彼女は確かに強く、恐れられ、尊敬されていた。


でも、果たして充実していたのだろうか。


『愛情』を込めて何かを作り上げるという経験は、戦争では決して味わえなかった。


「うん、やってみる〜」


リュシアは再び魔法陣に向かった。今度は、グリムの助言を参考に、出力を極限まで抑えて。


そして、食べてくれる人のことを考えながら。


結果として、その日のリュシアの料理は、初めて「食べられるもの」として完成した。


『おお、ついに成功!』

『感動的だ』

『グリム様ありがとう』


「やった〜! できた〜!」


リュシアは飛び上がって喜んだ。単純な成功だったが、彼女にとってはとても大きな一歩だった。


配信終了後、二人は厨房で向き合っていた。


「グリム、ありがとう。今日は本当に助かった」


「いえ、私も勉強になりました」


グリムは鎧の奥で微笑んでいるようだった。


「でも、なんか不思議だな〜」リュシアは頭を掻いた。「戦争の時より、今の方が難しいかも」


「難しさの種類が違うのです」グリムは哲学的に答えた。「戦争は『破壊』でしたが、今は『創造』ですから」


「創造…」


その言葉に、リュシアは深く頷いた。


確かに、今の彼女がやっていることは『創造』だった。何もないところから、美味しい料理を作り出す。人を喜ばせるコンテンツを生み出す。


それは戦争では決して味わえない、新しい種類の充実感だった。


「でも時々思うんだよね〜」リュシアは窓の外を見た。「戦争も、それはそれで…」


「懐かしいですね」グリムも同意した。「あの頃は確かに、目的が明確でした」


「そうそう! 敵を倒す、城を守る、魔王様のために戦う。すごくシンプルで分かりやすかった」


「今は選択肢が多すぎて、時々迷います」


二人の会話には、平和な時代の複雑さが表れていた。


戦争は確かに悲惨だった。でも、同時に単純でもあった。やるべきことが明確で、迷う余地が少なかった。


平和は素晴らしい。でも、同時に複雑でもある。選択肢が多すぎて、何が正しいのか分からなくなることがある。


「でも、今はこっちの方が楽しいんだよね〜」


リュシアは微笑んだ。でも、その笑顔には微かな影があった。


本当に今の方が楽しいのか、それとも楽しいと思い込もうとしているのか。彼女自身にも、よく分からなかった。


「私も同感です」グリムも答えた。「農業は、戦争よりもずっと建設的です」


でも、彼の声にも同じような複雑さが込められていていた。


二人は窓の外の平和な風景を眺めながら、それぞれの想いに浸っていた。



その頃、魔王城の最上階では、全く違う種類の「戦い」が繰り広げられていた。


ゼレフの部屋──通称「情報戦の司令塔」──は、今日もまた複数のモニターの光で照らされていた。彼は相変わらず複数のチャットルームとオンライン掲示板を同時に管理し、世界平和論を展開していた。


しかし、今日の彼はいつもとは少し違っていた。


「興味深いデータです」


ゼレフは独り言のように呟きながら、収集した情報を分析していた。


昨夜から今朝にかけて、ネット上で奇妙な動きが観測されていた。普段は見かけない匿名アカウントが、同時期に複数の掲示板で活動を始めていたのだ。


『最近、平和すぎてつまらなくない?』


『何か大きな変化が欲しい』


『魔王軍と王国軍、一度ガチでやり合ってみてほしい』


これらの書き込みは、一見すると一般市民の何気ないつぶやきに見える。しかし、ゼレフの分析眼は、その背後にある組織的な動きを察知していた。


「書き込みのタイミング、文体の特徴、使用される語彙の傾向…全てに共通点があります」


ゼレフは複数のモニターにデータを表示し、詳細な分析を行った。


「これは偶然ではありません。組織的な世論操作です」


彼の推論は正確だった。これらの書き込みは、ギアス教団が仕掛けた情報戦の一環だった。


ゼレフは即座に魔王アークに報告すべきかどうか迷った。しかし、まだ確証が不十分だった。より詳細な調査が必要だった。


「魔王様への報告は、もう少しデータが揃ってからにしましょう」


ゼレフは、さらなる調査を開始した。


彼の本領は、まさにこういう情報戦にあった。表面的には見えない水面下の動きを察知し、敵の意図を読み取り、対策を講じる。


戦場での派手な戦闘とは対照的な、静かで地道な戦い。しかし、その重要性は戦闘に劣らなかった。


「久しぶりに、頭脳戦の相手が現れましたね」


ゼレフの声には、微かな興奮が含まれていた。


長い間、彼にとって知的な挑戦相手は存在しなかった。ネット上の議論は、ほとんどが感情論や思い込みに基づくものばかりで、真剣な頭脳戦の相手になるような存在はいなかった。


しかし、今回の敵は違う。組織的で、計画的で、明確な目的を持っている。


「面白い…」


ゼレフは複数のキーボードを同時に操作しながら、敵の正体を探る作業を続けた。


彼にとって、これは久しぶりの「本気の仕事」だった。


『ZeRo_EmotioN、最近の世論の変化についてどう思う?』


チャットで質問が飛んできた。これは一般ユーザーからの質問のように見えるが、ゼレフは即座にその背後の意図を読み取った。


「敵側の情報収集ですね」


ゼレフは慎重に返答した。


「世論の変化? 具体的にはどのような?」


『なんか最近、平和に飽きてる人が増えてる気がするんだよね』


「統計的な根拠はありますか? 感情論では議論になりません」


『まあ、感覚的な話だけど…でも君も感じない? この世界、ちょっと退屈すぎない?』


これは明らかに誘導質問だった。ゼレフの個人的な意見を探ろうとしている。


「退屈かどうかは主観的な判断です。客観的には、現在の世界は史上最も安定した状態にあります」


『でも安定しすぎて、人間的な成長が止まってるって考え方もあるよね』


「興味深い観点ですね。詳しく聞かせてください」


ゼレフは相手の論理を引き出そうとした。敵の思考パターンを理解することで、その正体に近づけるかもしれない。


『戦いがないと、人間は強くなれない。困難がないと、成長できない。そういう考え方があるんだ』


「なるほど。それは『逆境が人を育てる』という古典的な人間観ですね」


『そう! まさにそれ! だから、時には意図的に困難を作り出すことも必要なんじゃないかって』


この発言で、ゼレフは確信した。この相手は間違いなく、先ほど分析した組織的世論操作の関係者だった。


「意図的に困難を作り出す、ですか。具体的にはどのような?」


『例えば…魔王軍と王国軍の間で、小競り合いを起こすとか』


「それは戦争の火種になりかねません。多くの犠牲者が出る可能性があります」


『でも、それで人々が目覚めるかもしれない。今のぬるま湯状態から脱却できるかもしれない』


ゼレフは相手の論理の危険性を感じ取った。この思想は、確実に平和を脅かすものだった。


「あなたは、平和よりも刺激を重視するのですね」


『平和は大切だよ。でも、停滞はもっと危険だと思う』


「停滞と平和は同義ではありません。平和な状態でも、技術進歩や文化発展は可能です」


『理論的にはそうだけど、実際のところどうかな? この300年間で、本当に意味のある進歩ってあった?』


この質問は、ゼレフにとって痛いところを突いていた。


確かに、300年間の技術的・文化的進歩は、それ以前の戦争の時代と比べて緩やかだった。危機感がないことで、革新への動機が薄れていた面もある。


「…一理あります」


ゼレフは認めざるを得なかった。


『でしょ? だから、時には刺激も必要なんだよ』


「しかし、その刺激のために多くの人命が失われることは正当化できません」


『でも、停滞によって失われる可能性もあるよね。人間性とか、成長の機会とか』


この議論は、ゼレフにとって予想以上に刺激的だった。相手の論理は危険だが、同時に一定の説得力も持っていた。


久しぶりに、本気で考えさせられる相手に出会った。


「面白い議論でした。また機会があれば続けましょう」


『こちらこそ。君とはもっと話してみたい』


チャットが終了した後、ゼレフはしばらく考え込んでいた。


相手の正体は掴めなかったが、その思想の危険性は十分に理解できた。そして同時に、その思想が一定の説得力を持っていることも認めざるを得なかった。


「戦争は非効率だ。しかし、平和な停滞も…問題かもしれません」


ゼレフは自分の世界観が、微かに揺らいでいることに気づいていた。


これまで彼は、平和こそが最適解だと確信していた。しかし、今日の議論で、平和にも欠点があることを再認識させられた。


「魔王様も…退屈そうですしね」


モニターの一つに映された監視カメラの映像では、アークが城の屋上で物思いにふけっている姿が映っていた。


毎日同じ時間に、同じ場所で、同じような表情を浮かべている。


データ上も、アークの「退屈指数」「虚無感指数」は過去最高値を記録し続けている。


「もしかすると、敵の言っていることにも一理あるのかもしれません」


ゼレフは小さく呟いた。


でも、それを認めることは、自分のこれまでの信念を否定することでもあった。


複雑な感情を抱えながら、ゼレフは再び情報収集作業に戻った。


敵の正体を突き止め、その計画を阻止する。それが今の彼にとっての使命だった。


しかし、同時に心の奥では、小さな疑問が芽生え始めていた。


本当に現在の平和が最適なのだろうか。


本当に変化は必要ないのだろうか。


その疑問は、まだ彼自身も整理できていない、曖昧で複雑なものだった。



一方、魔王城の地下訓練場では、今日も筋肉への愛が爆発していた。


「はい! 腕立て伏せ、あと20回〜! 筋肉は正直よ〜!」


ビビ・バンゴーラの大きな声が地下に響く。今日の筋トレ教室は、いつもより参加者が多かった。


「ビビ先生〜、もう限界です〜」


「何言ってるの〜! 限界を超えた先に、真の筋肉があるのよ〜!」


ビビは相変わらず元気いっぱいだった。片手で2トンのダンベルを持ち上げながら、生徒たちを指導している。


その光景は、もはや人間の域を超えた超常現象だったが、参加者たちはすっかり慣れていた。


「ビビ先生、質問があります」


筋トレの合間に、生徒の一人が手を上げた。街の鍛冶屋で働く中年男性だった。


「なあに〜?」


「最近、街で変な噂を聞くんです」


「変な噂?」


「魔王軍と王国軍が、近いうちに戦うかもしれないって」


その発言に、訓練場の空気が微妙に変わった。他の参加者たちも興味深そうに聞き耳を立てている。


「え〜、そんな噂があるの〜?」


ビビは首を傾げた。彼女は普段、政治的な話題にはあまり関心がない。筋肉以外のことはよく分からない、というのが正直なところだった。


「ええ。街の酒場で、そんな話をしてる人たちがいるんです」


「でも、300年間戦争なんてなかったじゃない〜」


「それがかえって不自然だって言う人もいるんです。いつかは必ず衝突が起こるって」


この会話は、実はギアス教団が仕掛けた世論操作の一環だった。一般市民を装った教団員が、各地で同様の「噂」を流していた。


しかし、ビビはそんな複雑な事情を理解できていない。


「う〜ん、よく分からないなぁ〜。でも、もし戦いがあるなら…」


ビビの目が輝いた。


「筋肉で解決できるかも〜!」


『またか』という顔をする参加者たち。ビビの「筋肉で解決」理論は、もはや教室の名物だった。


「ビビ先生、戦争は筋肉だけじゃ解決できませんよ」


「そうかなぁ〜?」ビビは真剣に考えた。「だって、みんなで筋トレして、みんなで汗を流せば、仲良くなれるじゃない〜」


「それは…確かにそうかもしれませんが」


実際、ビビの筋トレ教室では、様々な職業、年齢、出身地の人々が一緒に汗を流している。最初は互いに警戒していた人たちも、共に筋肉を鍛える過程で自然と打ち解けていった。


「そうよ〜! 筋肉は言葉の壁も、身分の差も、全部超越するの〜!」


ビビの筋肉理論は極論だが、ある意味で真理を突いていた。


共通の目標に向かって努力することで、人は結束する。汗を流し、困難を分かち合うことで、真の絆が生まれる。


「だから、もし魔王軍と王国軍が戦うことになったら、みんなで一緒に筋トレ大会をすればいいのよ〜」


「筋トレ大会?」


「そう! 誰が一番強い筋肉を持ってるか、正々堂々と競い合うの〜。そうすれば、誰も死なないし、みんな仲良くなれる〜」


参加者たちは顔を見合わせた。ビビの提案は突飛だが、確かに理想的な解決法でもあった。


「でも、それで本当に解決するでしょうか?」


「分からないけど〜、やってみる価値はあるわよ〜。筋肉は嘘をつかないからね〜」


筋トレ教室が終わった後、ビビは一人で訓練場に残った。


「戦争の噂、かぁ〜」


彼女なりに、その話について考えていた。


確かに、最近街の雰囲気が微妙に変わってきているのは感じていた。人々の間で、何となく不安そうな空気が漂っている。


「魔王様は、どう思ってるのかなぁ〜」


ビビは天井を見上げた。その向こうには、アークがいる。


実は、ビビは四天王の中で最もアークのことを心配していた。


他の三人は、それぞれ自分なりの充実した生活を送っている。しかし、アークだけは明らかに退屈そうで、虚しそうで、何かを求めているように見えた。


「魔王様も、本当は戦いたいのかなぁ〜」


ビビの純粋な心は、アークの本音を敏感に察知していた。


「でも、戦争って怖いよね〜。みんな傷ついちゃうし〜」


彼女は複雑な気持ちだった。


一方で、アークが退屈している姿を見るのは辛い。魔王として、もっと活躍できる場があれば良いのにと思う。


しかし、他方で、戦争によって多くの人が苦しむことも想像できる。自分の生徒たちが戦場に駆り出されることは、絶対に避けたい。


「なあ魔王様、そろそろ『筋肉で解決するイベント』来ねえかな〜?」


ビビは天井に向かって呟いた。


それは彼女なりの、精一杯の願いだった。


戦争ではなく、筋肉で。


暴力ではなく、競技で。


憎しみではなく、友情で。


すべての問題を解決できたら、どんなに素晴らしいだろう。


ビビの願いは単純だったが、それだけに純粋で、美しかった。


しかし、世界はそれほど単純ではない。


様々な思惑が複雑に絡み合い、大きな変化が迫っている。


ビビの純粋な願いが届くかどうか、それはまだ誰にも分からない。



夕方、魔王城の謁見の間に四天王が集合した。


久しぶりの召集だった。前回の四天王会議から三ヶ月が経過している。


「皆、集まってくれてありがとう」


玉座に座るアークは、いつもより真剣な表情を浮かべていた。


「魔王様〜、どうしたんですか〜? 急に会議なんて〜」


リュシアは相変わらず明るい調子だったが、その表情には微かな緊張があった。


「私に報告があります」


ゼレフが口を開いた。


「最近、ネット上で組織的な世論操作が行われています。魔王軍と王国軍の対立を煽るような書き込みが、計画的に投稿されている状況です」


「世論操作?」


アークは興味を示した。久しぶりに、政治的な意味を持つ問題だった。


「はい。単発的なものではなく、明らかに組織が背後にいます。目的は、現在の平和状態に対する不満を煽り、何らかの変化を求める空気を作り出すことと推測されます」


ゼレフの報告は正確で詳細だった。彼の情報収集能力は、平和な時代でも全く衰えていなかった。


「興味深いな」アークは顎に手を当てた。「300年ぶりに、俺たちに敵対する勢力が現れたということか」


「そうです。ただし、まだ相手の正体や具体的な計画は不明です」


「グリム、街の様子はどうだ?」


「はい」グリムが答えた。「最近、農作物の出荷先である街で、不穏な噂が流れているという報告を受けています。『そろそろ戦争が起こる』といった内容です」


「ビビはどうだ?」


「え〜っと〜」ビビは頭を掻いた。「筋トレ教室の生徒さんたちも、そんな話をしてました〜。でも、みんなで筋トレすれば解決するって言ったんですけど〜」


アークは苦笑した。ビビらしい発想だった。


「つまり、敵は情報戦を仕掛けてきているということだな」


「そのようです」ゼレフが頷いた。「直接的な攻撃ではなく、人々の心理に働きかけることで、状況を変化させようとしています」


アークは立ち上がり、窓辺に向かった。


城下町では、いつものように平和な夕暮れの風景が広がっている。しかし、その平和の下で、密かに何かが動いているのだ。


「300年ぶりに、少し面白くなってきたな」


アークの声には、微かな興奮が含まれていた。


四天王たちは、その変化に気づいていた。


「魔王様…まさか」リュシアが心配そうに言った。「戦争を望んでいるんですか〜?」


「いや」アークは振り返った。「戦争を望んでいるわけではない。ただ…」


彼は言葉を選んだ。


「この平和が、少し退屈すぎただけだ」


正直な感想だった。


最強の力を持ちながら、それを使う機会がない。魔王として君臨しながら、その存在意義を実感できない。


そんな日々に、ついに変化の兆しが現れた。


「でも、多くの人が犠牲になります」グリムが懸念を示した。「戦争は、我々が思っている以上に悲惨なものです」


「分かっている」アークは頷いた。「俺だって、無意味な戦争を望んでいるわけではない」


「じゃあ〜、どうするんですか〜?」


ビビの質問に、アークは考え込んだ。


確かに、戦争は避けたい。しかし、この停滞した状況も好ましくない。


何らかの第三の道はないのだろうか。


「とりあえず、情報収集を続けよう」アークは決断した。「敵の正体と目的を突き止めてから、対策を考える」


「承知いたしました」


四天王たちが一斉に頭を下げる。


久しぶりに、魔王軍らしい会議だった。


「それぞれ、自分の持ち場で注意深く観察してくれ。何か変化があれば、すぐに報告を」


「はい」


会議が終わった後、四天王たちはそれぞれの部屋に戻っていった。


しかし、全員が同じことを考えていた。


ついに、何かが動き始めた。


300年間続いた平和な日常に、変化の波が押し寄せようとしている。


それが良い変化なのか、悪い変化なのか、まだ誰にも分からない。


でも、確実に言えることは、もう後戻りはできないということだった。


アークは一人、玉座の間に残った。


「ついに来たか…」


彼の心境は複雑だった。


期待と不安が入り混じっている。


長い間求めていた変化が、ついに現れようとしている。


しかし、その変化がもたらす結果は、予測できない。


「俺は…本当は何を望んでいるんだ?」


自分自身への問いかけだった。


戦いを望んでいるのか。


平和を守りたいのか。


それとも、全く別の何かを求めているのか。


アークにも、まだ答えは分からなかった。


ただ一つ確実なのは、この退屈な日々に終止符が打たれようとしているということだった。


そして、それは魔王である彼にとって、避けることのできない運命でもあった。


城の外では、夜が静かに更けていく。


平和な夜。


しかし、それは嵐の前の静けさでもあった。


明日は何が起こるのか。


一週間後は?


一ヶ月後は?


誰にも予想できない未来が、そこまで迫っていた。



その夜、アルフェン王国の神殿では、アルマが最後の祈りを捧げていた。


「イデア様…明日で72時間になります」


時間は確実に過ぎていく。


イデアが予告した「正式な神託」まで、残り約20時間。


「準備は…整いました」


アルマは決意を固めていた。


イデアの意志に従い、世界に大きな変化をもたらす。


それが神官としての使命だった。


たとえ、多くの人を巻き込むことになったとしても。


「でも…これで本当に良いのでしょうか」


最後の迷いが、彼女の心を揺らした。


300年間続いた平和を終わらせることの重大さ。


多くの人々の幸せな日常を壊すことの罪深さ。


それらを考えると、胸が痛んだ。


しかし、イデアの論理も理解できる。


停滞は確実に問題だった。人々の成長は止まり、社会の活力は失われつつある。


「変化が必要…なのですね」


アルマは自分に言い聞かせた。


神の意志は絶対だった。


人間の感情や願いよりも、システム全体の最適化が優先される。


それが、この世界の根本的な仕組みだった。


「明日の夜には…全てが変わっているでしょう」


アルマは祭壇の前で深く頭を下げた。


最後の静寂な夜を、彼女は祈りの中で過ごした。


明日、世界は大きく変わる。


魔王討伐イベントが再起動される。


300年間の平和が終わりを告げる。


そして、新たな時代が始まる。


混乱と希望に満ちた、予測不可能な時代が。


しかし、それがこの世界にとって本当に良いことなのか、それはまだ誰にも分からない。


ただ一つ確実なのは、明日の夜には、誰もが全く違う世界に生きているということだった。


そして、その変化の中で、新たな物語が始まることになる。


魔王アークと王女シエルの物語が。


四天王たちと元冒険者たちの物語が。


平和を愛する人々と、変化を求める人々の物語が。


全ての運命が交錯し、新たな歴史が刻まれる。


それは、誰も予想できない壮大な物語の始まりだった。


だが、今夜はまだ平和な夜。


最後の静寂。


嵐の前の、穏やかな夜だった。


【第3話 完】

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