悪い夢4
「浅見さん!」
「おぉ、颯太。」
玄関へと向かう浅見に颯太が駆け寄ってきた。その瞳は相変わらずキラキラしていて眩しささえ感じる。
「どちらかへお出かけですか?」
「いや、今手が空いているから庭にでも出ようかと思ってね。颯太も行くか?」
浅見が笑いかける。
「はい!」
颯太がとても嬉しそうに返事をする。
浅見と颯太は庭を歩きながらたわいもない話をした。
「颯太、お前は執事になりたいんだって?」
「はい!そうなんです!執事ってかっこいいですよね!」
颯太の瞳には希望と未来があった、それは見ている浅見までもが希望を抱けるほどだった。
「そうか、ならここのお屋敷は良いだろうな。きっとどこに行っても恥じないような執事になれるよ。」
「浅見さん、すごくかっこいいです。お嬢様に対してもお客様に対してもとてもエスコートが上手で、お客様たちとのお話だってすごくかっこいいです。」
「まさかぁ、柏木さんや渡辺や真田の方が上手だろ。俺はまだここのお屋敷にいらっしゃるお客様の好みや性格を何も把握できていない、手探りだよ。」
「そんな事はありません!何ていうか、浅見さんはお客様慣れしている感じがするんです。」
大正解だと浅見が思って笑う。客慣れ、それは蓮池邸の来賓の数が尋常じゃなかったからだった。あれは『来客』ではなく『ご機嫌伺い』だと浅見は思っている。
浅見は颯太に答える。
「柏木さんは別格だからあえて言う事もないし渡辺もあの人当たりの良さだからね、これもあえて何かを言うほどでもないと思う。でも俺は真田がすごいと思うよ、あいつは本当に完璧だ。動揺もなければ特別もない。これは執事では一番大切な事だ。」
「真田さんもかっこいいです。でも僕はあまり親しくできていなくて・・・」
颯太が困った顔をした。
「それは奴の性格の問題だ、仕方がないさ。」
浅見が笑って颯太の頭を二回ほどたたいた。
「俺なんてしょっちゅう怒られてるよ。」
浅見が肩をすぼめて見せる。
「柏木さんは問答無用で尊敬に値するよ、俺はこの仕事を続ける以上柏木さんに一生付いて行きたいと思ってる。彼にとって執事は天職だと思う。渡辺も優しくて思いやりがあってとてもいい執事だ。ただ渡辺の場合、追い詰められるとすぐ顔に出ちゃうんだよな。」
浅見が渡辺の顔真似をして、颯太が笑った。
「俺と真田が言い合いする横でいっつもオロオロしてるよ。」
颯太がとても楽しげに笑った。
「ここには良い見本がいるじゃないか、執事を目指すなら徹底的に見て聞いて覚えるんだな。」
「浅見さんって、何ていうか、お父さんとお母さんを両方持っている感じですね!」
「はぁ!?」
浅見は思わず目を丸くして足を止めた。
「あっ、いえ・・・」
颯太はなんだか少し照れたように顔を俯ける。
「僕、生まれた時から両親がいないんで、その、何ていうか、お父さんやお母さんがいるのって、ちょっと憧れみたいなのがあって・・・その、変な事言いました。」
颯太は赤い顔して笑った。
「そうか、颯太もここに身請けしてもらったんだったな。」
「はい。旦那様にも大旦那様にもとっても感謝してます!浅見さんのご両親はどちらにお住まいなのですか?」
その質問に浅見は何やら考え込んだ。
「・・・あぁ、両親ね。数年前に事故で死んだよ。だから今はお前と一緒。」
「そうだったんですか・・・すみません。」
颯太が急に悲しげな顔になってうつむいた。
「そんな顔すんなよ、そう言えば絵里花様もだったな。」
「はい、そううかがってます。」
親なしばかりがうまい事そろったものだと浅見は思う、だからこそ自分は絵里花と颯太に気持ちが傾くのかもしれないと思った。どんな理由であれ一人で生きなけらばならないと言う枷は周りが思うより、本人が思っているより重いということを浅見は知っている。
「・・・そうだ颯太!」
浅見が何かいい事を思いついたと言わんばかりの顔をして手をたたいた。
颯太はその音に顔を上げて浅見を見る。浅見の表情は悪戯っぽく笑っていた。浅見はおもむろに颯太の前に屈んでその両腕を掴んで顔を見上げた。
「もし、もしお前が良ければ俺達親子にならないか?」
「えっ、親子・・・ですか?」
颯太がぽかんとしている。
「そう、俺の養子にならないか?」
「浅見さんの養子・・・!?」
「あぁそうだ、俺が誰かと結婚した時に、お前を俺の息子として迎える。そうなれば法的に親子だ。俺が執事としての全てをお前に教える事もできる、どうだ?」
「浅見さんがお父さんですか・・・?」
その言葉に浅見は一瞬止まる、そしてそうだったと思った。そればかりは期待に応えたれないかもしれないと思ったが、今この場で種明かしすることもできず肯定も否定もしない方向を選んだ。
「嫌か?」
浅見が笑う。
「いいんですか・・・僕で・・・」
「あぁ、もちろん。」
すると颯太は今まで見た事もないような輝いた笑顔を浅見に向けた。
「ぜひ!!」
浅見は颯太の笑顔が嬉しかった。
「でもいいか、この事は絶対に秘密だ。うかつに口にすればせっかくお身請けしてくれた旦那様たちのお顔を潰すことになる。執事は秘密を守る事も必要だ。わかるな?」
「はい!!」
「良し。お前は良い執事になれるよ。」
浅見は颯太の頭を雑に撫でた。
「ただー・・・俺、結婚できるかな?」
浅見が空を見上げて苦笑した。
「どなたか外にいるんですか?」
絵里花は窓から外を見ている真田に背後から声をかけた。
「あっ、いえ・・・失礼いたしました。」
真田は一歩下がり絵里花に窓を受け渡す。
真田は外の光景に目を奪われていて絵里花が背後にいる事に気が付かなかった。
「あっ、浅見さんと颯太君ね。」
絵里花が眼下の二人をのぞき込んだ、浅見と颯太はとても楽しそうに笑っている。そんな二人をのぞき込んでいる絵里花のその瞳は、自分もそこに行きたいと言っているように真田には感じた。
「お庭に行かれますか?」
真田が声をかけた。
「行きたいけれど今はいいわ、宿題もしないとだから。」
絵里花が残念そうな顔をする。そんな絵里花の表情に、少しだけ真田の心が動いた。
「浅見さんはどう?もう慣れたのかしら。」
「はい・・・慣れ過ぎな程に。」
真田がふっと小さくため息をついて、それを見た絵里花が笑う。
「その感じじゃ手を焼いているのね。」
「・・・執事としては完璧です、浅見は尊敬に値します。」
真田は窓から再び浅見を見た。颯太の前に屈んで頭を撫でて、互いが笑顔であることが容易に想像できる。浅見がコミュニケーションを非常に大事にしている事はこの数日で知った。それは渡辺とはちょっと違うものであると感じていた。
「やはり以前のお屋敷がとても厳しかったからなの?」
絵里花は浅見に非常に興味があった。少しでも浅見を知りたいという思いから普段は自分からあまり話しかけることをしない真田に対しても声をかける。
真田は絵里花の問いに視線を絵里花に戻し答える。
「それもあると思います、作法やマナーは当然ながら完璧で躾は行き届いております。しかしそれよりも、浅見の相手に尽くすと言う対応はとても教わって身につけただけのもではないと私は思います。元々の物でございましょう。」
絵里花はふと初日に一緒に学校へ行ったことを思い出した。
「そうね、浅見さんはとてもよく相手を見ていると思う。私も初日にズバリ言われちゃった・・・」
「何か失礼な事でも?」
真田が怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「違うわ、そうじゃないの。」
絵里花が笑う。
「背伸びしなくてもいいんじゃないかって、言ってくれたのよ。」
「・・・・・?」
真田は目を丸くした。
「初日の朝、朝食を食べている私の姿を見て思ったんですって。一生懸命にならなくていいって。拒否権は私にあるのだからと言ってくれたわ。」
真田はぽかんとしてしまった。
「ちょっとね、救われた気がしたの。学校でもね、お嬢様にならなきゃってめいっぱい背伸びしていたから。」
「そうでしたか・・・」
真田はとても驚いていた。
誠一が美咲と結婚して一年に満たず、そんな美咲と一緒にこの家にやって来た絵里花が立華家のお嬢様として恥ずかしくないようにと教育を受けているのは知っていた。そしてそのおかげで少しずつ良家の令嬢としての生活スタイルやマナーを身に着け、立派になって来たと思っていた矢先だった。
しかし浅見はそれを背伸びだと払ってのけた。
たった一日わずか数時間程度見ただけで絵里花らしくないと言ったのだ。
確かにそうだと真田は痛感した。この家のルールに無理に絵里花を填め込んでいると言う事に真田はたった今気が付かされる。
「・・・確かに、拒否権はお嬢様にございます。」
「・・・え?」
絵里花は真田を見上げた。
「立華家では英国式のスタイルを取らせていただいておりますので一日に数度、お茶を楽しむ時間を設けております。時間を優雅に使うのは良家にのみ許される贅沢でございます。今まで私共はお嬢様にできるだけ早く立華家の作法に慣れていただくべく、旦那様や大旦那様と同じ時間で同じスタイルを取らせていただいておりました。ですが、お嬢様はもとよりそのような習慣をお持ちではございません。浅見の言う通りです。プライベートなお時間がほしい時はぜひ一声おかけください。お時間をずらすなり、省くなり、必要ならばお外でお茶にするのもよろしいかと思います。」
真田の言葉に絵里花は驚いた。
どちらかというと厳格な講師的イメージで真田を見ていた絵里花は、まさかそんな言葉を聞くことになると思わず、目を見開いて身を乗り出して真田を見つめた。
「・・・なんで、しょう?」
真田もそんな絵里花の視線に驚いて思わず言葉を発する。
「いえ、まさか真田さんからそんな言葉をいただけるとは思っていなかったものだから、驚いて。」
絵里花が笑って、真田が目を丸くした。
「執事の皆さんが私を早くこの家に慣らそうと気を使って下さっていたのはわかっています、とっても感謝しているの。おかげで私は学校でも一人前の立ち振る舞いが出来てこのお家の名を汚さないで済んでいるのだから。」
「・・・・・」
「だけど私は姉と違ってマナーとか作法とかとは全く無縁だったし、元々ここの人間じゃないから窮屈に感じる時もあったわ。でも、真田さんがそう言ってくれて助かった。それって、少しはわがままを言ってもいいって事よね?」
「もちろんでございます。」
真田が優しく微笑む。そんな真田の表情が動いたのを絵里花は初めて見た。
「ならば次からは少しわがままを言わせてもらおうかな。その時はお願いしますと皆さんに伝えてくださいね。」
「かしこまりました。」
真田が頭を下げる。絵里花は再び眼下の浅見と颯太のじゃれ合いに目を落とした。楽しそうに笑っている二人を見て、自分も同じように自由に笑いたいと思ってしまっていた。
「浅見さんって、女性みたいな細やかさがあるわよね。」
「ご冗談を、あれは非常に荒い生き物ですよ?」
「じゃ、真田さんとは合いそうにないわね。」
絵里花が笑った。