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悪い夢3

翌朝5時には浅見は食堂へと来ていた。

さすがに早いのか食堂には数人しかいない。この時間に起きるのは浅見にとって何でもない事だった。

自分を見てくる者がいれば挨拶をした。そして窓側に腰を掛けクロワッサンと紅茶、それに少しの果物を乗せて極めて簡単な朝食を終えた。

部屋に戻り7時までまだ時間があることを確認して再びベッドに仰向けになった。

そしてぼーっと制服を見つめた。

「浅見、おはよう。」

先に控室にいた浅見に、ライトブラウンの制服を着た渡辺がやって来た。

「なかなか似合っているな。」

渡辺が笑う。

白いブラウスに臙脂の配色されたベスト、束ねられたサラサラの黒い長い髪が非常に似合っていた。

「もう少し身長があればもっと似合うだろうよ。」

浅見が笑う。

「これはお前用か?」

テーブルの上に置かれている丸いガラスのボックスを見て渡辺が言う、その中には小さめに作られたクッキーやフィナンシェが美しく置かれていた。

「だろーなぁ。」

浅見は昨日の会話を思い出し笑った。

「おはようございます。」

すぐに真田が入ってくる、渡辺と浅見が真田を見てあいさつを返した。

「・・・・・」

真田が浅見を二度見した。昨日までのラフな感じとは違い正装して背筋も伸びていて、見た目は完全にこの屋敷の執事だった。

「形になるものだな。」

真田がそういうとポットに紅茶専用の水を入れて湯を沸かす。

「お前、今二度見したろ。他の言い方はねーのかよ、なぁ。」

浅見が渡辺にふる、渡辺が笑った。

「おはようございます、みんな揃っていますね。」

柏木がやって来た、渡辺と真田が柏木に向き頭を下げる。それを見て浅見も同じように頭を下げた。

「浅見、似合っていますね。今日からよろしくお願いしますよ。」

「ご指導よろしくお願いいたします。」

浅見は片手を胸に当てて頭を下げた。

「では本日の予定を。」

柏木が今日一日の誠一、美咲、絵里花の予定を告げどの時間に誰が付くかを指示した。

柏木は基本的に誠一の専属なので誠一が仕事に行けばそれに同行する。美咲は誠一の子会社の一般職員、同僚の手前もあるので執事は付けてほしくないと希望している。

なので美咲に関しては往復の送り迎えのみ運転手を向かわせることになっていた。

「では浅見、私と一緒にご朝食の準備へ向かいましょう。」

「はい。」

柏木は浅見を連れて出た。

歩きながらも柏木は常に浅見を気にする。そして常に声をかけていた。

「執事は使用人の中でも最も高位になります、食事の準備だけをする者、掃除だけをする者、巧真たちの様に庭仕事だけをする者様々です。主人より直接ご用命を受ける事が出来るのは我々執事のみ、我々に憧れを持ち執事になり御奉公することを夢に見る者もとても多い。尊厳を持ち常に視線を感じながら行動をしなさい。」

「承知いたしました。」

「特に颯太は執事になりたいようですね。」

柏木が優しく笑った。

辿り着いた食堂ではせわしなく使用人たちが動いていた。みな柏木を見て頭を下げる、そしてその後ろに立っている浅見を見て皆が不思議そうな顔をした。

「こちらは浅見荊さんです、本日より執事としてお勤めしますので皆さんよろしくお願いします。」

柏木が言う通り確かにその視線は憧れに近かいもので、浅見は照れすら感じる。

美人顔の浅見はメイドたちから輝いた視線を受ける、浅見はそんな視線を優雅な笑みで受け答えた。

煌びやかな大量の銀食器は曇り一つない、これらを毎日磨くのはさぞ大変だろうと浅見は思った。

「・・・いいですね。」

食堂を見ていた浅見が目を細めてつぶやき、柏木が浅見に顔を向ける。

「どうかしましたか?」

柏木が微笑む。

「みなさんとても楽しそうにお仕事をされています、自分たちの仕事に責任と誇りを持っていらっしゃる。先邸では・・・考えられない光景です。」

浅見は数週間前まで自分がいた屋敷を思い、今目の前の光景に胸が詰まるような感動さえ覚えていた。

「あなたがいた場所が特別だったのだと思いますよ、これが普通なんです。」

柏木が微笑みながら、同じく働く使用人たちを見つめた。

「さぞ、御苦労なさったのでしょうね・・・もう大丈夫ですよ?」

柏木は浅見を見つめて微笑んだ。

柏木の優しい言葉が浅見の胸を打つ、柏木はまるですべてを見抜いているようだった。

浅見はこの時、この人に尽くそうと心に決めた。

「あら、あなたが新しい執事さんね。」

美咲が浅見を見て声をかけた。

渡辺と真田にエスコートされて誠一・美咲・絵里花がやって来る。

浅見はきちんと挨拶をした、それはもちろん完璧な態度で誠一もその態度に柏木を見てうなずいた。

「絵里花様、先日は職務中ではなかったとは言えきちんとご挨拶もせず大変失礼をいたしました。」

浅見は絵里花の横に膝を付き、手を胸に添え頭を下げた。

「えっと、いいえ、気にしないでください。」

「ありがとうございます。」

浅見が顔を上げ絵里花に微笑む。

昨日とはまるで別人のような浅見に絵里花は少々面食らった。

浅見は食事を済ませた絵里花に付き添い部屋へと向かう、絵里花の部屋に入り制服にきちんとブラシをかけ準備しバッグと靴を手早く確認し磨いた。

「浅見さん、すごくお似合いですね。昨日と別人みたいで驚きました。」

絵里花がまだ少し戸惑ったような笑顔で笑った。

「えぇ、今は執事ですから。公私は別です。」

「・・・そうよね、」

妙に寂しそうな絵里花の声に浅見は振り返る。その寂しげな声色に浅見は何となく絵里花を不憫に思った。

「でも中身は全く変わらないですよ?」

浅見はそんな絵里花に歯を見せて笑う。

絵里花はその言葉に昨日東屋で出会った浅見を垣間見た気がして、何故かほっとした。

「今日は私がお嬢様のお世話を申し付かっております、何か不備がありましたら遠慮なくおっしゃってください。それが私のためでもありますから。」

「私の方が注意されることは多いと思います、何たって私、お姉さんについてきただけのにわかお嬢様ですから。」

絵里花が苦笑した。

「大丈夫ですよ、お嬢様。この私が執事と言う職に付けているのですからお嬢様に何かが出来ないなんてことありません。私でよければ何でもお力になりますし、どんなことでもお答えいたします。どうぞ使ってやってください。」

浅見は終始笑った。

絵里花のバッグを持ち車へエスコートする、玄関に颯太が立っていて大きなドアを開けた。

颯太は浅見を見上げた。

昨日とはまるで違う美しく品のある浅見を見て颯太の執事へのあこがれはますます強くなる。

車へのエスコートももちろん完璧。

「お嬢様、もう学校には慣れましたか?」

絵里花と美咲は早く両親を亡くし年の離れた美咲が絵里花の面倒を見て来ていた。絵里花は美咲がこの立華家に嫁いだ時に誠一の好意で屋敷へと入り、その際に学校もお嬢様学校へ転校、それは半年ほど前の出来事だった。

「なんとかって感じかな・・・」

絵里花が苦笑する。

そんな絵里花を見て浅見は本日もうすでに幾度目か、絵里花を不憫に感じた。

「私は一般の大学に行っていましたから、お嬢様が通われるような学校へは伺ったことございませんが・・・あまり背伸びをなさらなくても大丈夫だと思われますよ?」

「えっ、」

絵里花がバックミラー越しに浅見を見上げた。浅見は当然ながら絵里花の今日までのすべてを把握している、学校にいまいち慣れていないと言うことも当然ながら柏木から聞いていた。

「昨日お庭で巧真と話していらっしゃった時の絵里花様の方が可愛らしくてステキでした。」

目を細めて笑う浅見に絵里花は思わず真っ赤になった。

「朝食のお姿を拝見させていただき思いましたが、お屋敷でもそう固くならずもっと自由で構わないと思います。一生懸命になる必要はございません。もちろん私どもはお嬢様のお世話をさせていただきますが、我々の手が不要でしたらそうおっしゃって良いのですよ?拒否権はお嬢様にあるのですから。」

相変わらず目を細めて優しい笑みを浮かべている浅見、たった一日、いや数時間で絵里花は自分の全てを見抜かれた気がした。そして絵里花はそれを救いの手だと感じ嬉しく思い、浅見を慕いたいと思った。

浅見には絵里花があまりに無理をしているように見えていた。大人社会で右も左もわからない中、執事たちに教えられたことを必死に行っている、こんなんじゃ食事の味さえもわからないんじゃないかと、浅見には思えていた。自分ならストレスで吐きそうだとさえ思う。

浅見が自分を見つめている絵里花に気が付く、そしてふと自分が今日初日であることを思いだした。

「申し訳ありません、少々口が過ぎました、御気分を害されましたでしょうか?」

ミラー越しの浅見の顔を見て絵里花がすぐに否定した。

「いえっ!全くそんな風には思っていません。むしろ浅見さんに言っていただいて少し安心しました。ありがとうございます。」

「そう言っていただけますと、こちらとしましても心強いですね。ありがとうございます。」

浅見は再び微笑んだ。

浅見はそのままスマートに絵里花を校門まで送る。

「では15時半頃にお迎えに上がりますが時間の変更等がございましたらご連絡下さい。」

「はい、行ってきます。」

「・・・あぁ、絵里花様、」

「・・・はい?」

呼ばれて絵里花が浅見を見上げた。浅見はきょろきょろと左右を気にしながら絵里花の耳元にそっと顔を近づける。

「負けないでくださいね!」

浅見はすでに姿勢を正し笑っている、そして周囲から見えないように親指を立ててわざとらしくそっぽを向いていた。

「任せて!」

絵里花が笑って門をくぐって行った。


数日が経過し浅見もだいぶ立華家の流れに慣れてきた。

相変わらず食が細く周囲が驚くほど食べる事に無頓着だが、控室に置いてある菓子類が減っているのを見て三人はふと安堵する。時が経過するにつれて互いの信頼度は増すものの問題も出てきた、それは特に渡辺の頭を悩ませる問題だった。

「浅見、崩し過ぎだ。制服の時は仕事中だぞ。」

「いいじゃねーか、控室なんだから。」

「そういうものではない、もし万が一お客様がこの場に入ってきたらどうする。」

「一体どんなお客様がここに入ってくんだよ。」

「・・・まぁまぁ二人とも、」

浅見と真田の言い合いが増えた事、それは比較的おっとりしている渡辺を困らせる。

「お前は蓮池邸にいたのだろう、あのお屋敷はそんな態度が許される場所ではないはずだ。」

「あのねぇ、24時間ずっと執事でいられるわけないだろ?抜くときは抜かないと死んじまうよ。」

浅見が両手を腰に当てて食らいつかんとばかりに真田に向かって立っている、渡辺がそんな二人を見て不意に会話に割って入った。

「蓮池邸、噂には聞くけどどれだけなんだろうな。俺も一週間ぐらい勉強に行ってみた方が良いのかな?」

その言葉を聞いて浅見は手を下ろし椅子に荒く腰を下ろした、一瞬椅子の足が浮き音を鳴らす。それを真田は不快に思い再び眉間にしわを寄せた。

「やめときな、渡辺さんはまずもたない。もしあそこで執事としてって言うなら柏木さん以外の人間はまず無理だ。真田、お前はたぶん人格が崩壊するよ。」

浅見がケラケラと笑い渡辺が唖然とした顔でそんな浅見を見た。

真田は執事としてのプライドに傷をつけられた気がしてメガネ越しに冷ややかな目で浅見を見ている。浅見はそんな真田の視線に自分の視線をぶつけ口調を強めた。

「甘く見るな、あそこは地獄だ。辞める事すら許されない。だからこそ皆働いているに過ぎねぇんだよ。」

「・・・・・」

真田は浅見から視線を逸らさなかった。

「でも浅見、ならばお前はどうやって辞めたんだ?」

渡辺が当然の疑問を問いかける。

「だから言ったろ?一身上の都合だよん。」

浅見は相変わらずケラケラと笑った。

二人には浅見の笑っている理由がわからない。

「お前らは恵まれているよ、旦那様も大旦那様も本当に良い方だ・・・俺はここに呼んでいただいて感謝してるよ。」

蓮池邸の噂、それは酷いものだった。

男尊女卑が強く使用人たちは奴隷同然、自己顕示欲の強い家主である蓮池には親族ですら何も言えず女性に至っては人権すら存在しないような扱いだと噂で聞いている。

なぜ噂でしか知らないかと言うと使用人たちが誰も口外しないからだ。

客人として蓮池邸へ招かれた者達は口々に『あそこの使用人はすばらしい』と執事やその他の使用人たちをこれでもかというほどに褒め称える。一歩外に出た蓮池もまた強欲な態度を取ることもなくどこにでもいる羽振りのいい金持ちだ、だからあくまでも屋敷内の事は噂であり、だれも本当の所を知らない。

渡辺や真田はもちろん、柏木も誠一も実際の話を誰も知らない。

全てを知っているのは浅見だけ。

そんな浅見も決して多くは語ろうとせず、具体的な事は何一つ口にせず、沈黙を貫いている。

自分が辞めた理由すら口にしようとはしなかった。

「俺、ちょっと庭に行ってきま~す。」

そう言うと浅見はスッと背筋を正し、たった今とは別人のような姿で出て行った。

「浅見は一体何を見てきたんだろうな・・・?」

「さぁな、」

真田は紅茶を準備する。

「あの男の性格だ、話たくない事は旦那様や大旦那様がどんなに問われても拒否するだろう。」

「だろうな・・・」

渡辺が悩ましい顔をする。

「お嬢様の所へ行って参ります。」

そう言うと真田も部屋を出て行った。

「あいつら、何とかならないのかなぁ・・・」

そう思いながらも笑ってしまう自分がいることに渡辺は気付いている。真田があんなに感情を表に出すとは思っていなかった、それは浅見が来てから知った事。

遊戯室でビリヤードを一人でやっているという目撃情報がある事は知っていたが、誰かとゲームをするわけでもなく誘ったとしても乗ってくるわけでもない。みんなで仲良く的な渡辺は今まであまりつかめなかった真田がつかめるきっかけになるかもしれないと言う淡い期待を抱いていた。

そしてそれが面白くてたまらなかった。

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