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真神の社 一の節

 車を降りると、目の前には、長い石段がそびえていた。頂上の二の鳥居が、白く霞んで見えるほどだ。

 圧倒されて、あんぐりしたまま眺める。隣に立った父の気配に、ようやく口を閉める。

「ここは、天津神(あまつかみ)(くだ)られる尊き地。――東宮よ。幼いそなたには、登るに苦しかろうが、化身などするでないぞ」

「はい、主上(おかみ)

 太古の昔、この豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に降り立った天津神。

 まだ、ただの狼だった先祖は、その姿に(まこと)の威容を感じ、高天原(たかまのはら)の軍に加勢して、国津神(くにつかみ)を討った。

 こうして、照日大御神(てるひのおおみかみ)は、勇敢な(つわもの)達の功績を讃え、神々の似姿を与えてくださったのだ。だから、いくら大変でも、獣の姿で石段を駆け上がるなんて、とんでもないことだった。

(……でも、一体どこまでつづくのだろう……)

 四つ足であれば、こんな急な階段も、楽々登れるのに。

 しかし、この豊葦原を統べる帝の皇子(みこ)として、不格好な姿は見せられない。背筋をしっかり正しながら、なんとか二本の脚を動かす。

 ようやく登りきって、ほっと息をつく。そして、次の瞬間には、疲れは吹き飛んでいた。

 一点の曇りもない、白木の社殿。朝日を浴びて、無垢な光を放つ様は、まさに天と地を繋ぐにふさわしかった。

 到着を知らせに走った雄童(おのわらわ)が、雌童(めのわらわ)を連れて、戻ってくる。

 巫子(みこ)見習いである斎子(いむこ)装束。雌童は、愛らしい顔に淡く微笑みを湛え、丁重に礼をした。

「お待ち申し上げておりました。ご案内いたします」

 父が応えて、歩き出したあとに続く。

 小さな背中で揺れる、金色(こんじき)の長い髪。

 宮中にも、可愛らしい雌子(めのこ)は数多いるが、これほど美しい者は、見たことがなかった。不敬と承知していても、いささかもったいないと、感じてしまう。

 しかし、この真神(まかみ)の社に仕える者達は、化身ができない。目も耳も鼻も、全ての感覚が劣る。代わりに、神々に最も近く、その尊い声を聴くことができた。

 今朝訪れたのも、無事に七歳まで生きられたことを報告し、政の是非を問うためだ。

 託宣によっては、父は、進めている施策を転換しなければならない。折り目ごとの訪れは、帝にとって、何よりも重要な務めだった。

 本殿の扉が、おもむろに開く。

 父が挨拶を述べると、大御巫(おおみこ)の重々しい声が応じた。

 顔を上げれば、しわの浮いた(おもて)があった。どんなに美しい者でも、老いには勝てないようだ。

 それでも、祈りを捧げ、託宣を告げる姿には、えも言われぬ凄みがあった。高みの極致という点では、これもまた、美しさなのだろう。

 おおむね宜しい、との評価を得て、長い祭祀が終わる。宿所に案内されると、厠と称して、抜け出した。

「すぐに、戻ってくるのだぞ」

 と、父は釘を刺したが、初めての外なのだ。

 しかも、雄子(おのこ)は、帝と東宮、そして雄童以外は、足を踏み入れられない至上の神域である。せっかく周囲の目がない絶好の機会なのに、見物せずにいられるはずがない。

 地面に膝をついて、意識を集中させる。

 肉と骨が軋む感覚。痛くはないけれど、妙な気分になる。

 衣が皮膚に貼りつき、髪が伸びて、全身を覆う。取りまく感覚が、急速に鋭敏になっていく。

 似姿よりも、ずっと低い視点。しかし、それを補って余りある情報に、満たされる。

 頭をひとつ振ると、意気揚々と駆け出した。


 森の中をひた走る。小鳥や鼠などのおやつがあるかと思ったのに、しんと静まり返って、梢の音しかしない。

 さすがに、本殿を横切るわけにはいかなかったから、社をぐるりと囲む森を行くことにした。ついでに小腹も満たせたら万々歳と、にんまりしていたけれど、神域では、そう都合よくはいかないらしい。

 父も斎子も、敷地の北は立入禁止だと、話していた。本殿は西、宿所は南、出入りの門は東にある。とすれば、考えられる建物は、限られてくる。

 少しだけ、垣間見られればいいのだ。神々に仕える暮らしというものを――化身と引き換えに、美しさと神宿りの力を得た、巫子達の姿を。

 ふと、いい匂いが漂ってきて、立ち止まる。鼻を高く掲げ、大きく深呼吸すれば、なんとも言えない心地がした。誘われるように、微かな道筋をたどる。

 急な眩しさに、眼を細める。

 森が途切れて、竹垣がそびえていた。芳香は、その向こうからだ。出入口がないかと、垣に沿って、歩を進める。

 ほどなくして、小さな板戸があった。身を震わせ、似姿に戻る。

 思いきり伸びをすると、様子を窺いつつ、押し開けた。

 嗅覚は、いささか落ちていたものの、もはや苦労しなかった。源が、そこにいたからだ。

 息を呑んで、立ち尽くす。

 簀子縁で座す、雌童。(のき)の濃い影の下で、真っ白に映えている。髪も肌も、何もかもが、純白だった。

 その清らかさに、これ以上ないほど似つかわしい、可憐な横顔。血の色が透けた、丸い頬と豊かな唇。よくよく見れば――瞳も真朱だった。

 白と赤だけの景色。胸が締めつけられて苦しい。触れてみたい、という思いが湧き立って、気づけば、足が動いていた。

 白い面立ちが、はっとこちらを向く。どの角度も美しいのだと、妙な高揚を覚える。

 しかし、装束の袖で顔を隠し、腰を上げたのを認めた途端、我に返った。

「――まって! 行かないで!」

 必死さが伝わったのか、ぴたりと止まる。か細い声が、囁いた。

「……どなた……? どうして、こちらに……」

 改めて問われて、逡巡する。

 きっと、正直に名乗れば、宮中の者達と同じ態度になる。せっかくここまで来たのに、そんな窮屈なことはしたくなかった。

「東宮さまのご用をおおせつかって、もどろうとしたら……まよってしまいまして」

「まあ――それは、たいへんでございましたね」

 袖が下がる。心から、気遣う表情。見惚れかけて、はっと気を引き締める。

「あなたは斎子ですよね。ということは、こちらは、外院でしょうか?」

「いいえ。こちらは――」

 はたと、鈴のような声が止まる。少し困ったように首を傾げて、言葉が継がれる。

「かなり、おくまったところにございます。だれかに見つかりましたら、さわぎになりますから……どうぞ、お早く。そちらの板戸から出て、竹がきを東に行きましたら、門に着きます」

 急な態度の変化に戸惑う。いつもなら、他者の心など、手に取るようにわかるのに、この斎子は、全く読めなかった。

 もう少し話したいと、話題をひねり出す。

「あの、せめて名を。ご親切にしていただいたのに、何も知らないでは、恩知らずになってしまいます」

 途端、繊細な白い眉が寄り、赤い瞳が伏せられた。気まずい沈黙が流れる。

 この顔で微笑めば、大抵のことは叶う。世辞ではない崇敬の眼差しで、皆、喜んで応えるのに、どうしたことだろう。だからといって、せっかくの好機を逃したくなかった。

 さやさやと、囁き声。聞き返すと、ためらいまじりに告げられた。

「……白梅(しらうめ)……と、申します……」

 優美で繊細な、初春の花。感動に打ち震える。

「あなたのためにこそある、よい名ですね。――せっかくのご縁です。今少し、語らいませんか?」

 勢いをつけ、簀子縁のふちに腰かける。しかし、白梅は、なめらかに下がると、深く礼をして言った。

「……どうか、おゆるしくださいませ。この身体のために、わたくしは、長く日に当たれないのでございます――そろそろ、中にもどりませんと……」

 そんな憐れなことがあるだろうか。これほどに光輝く者など、この豊葦原を探しても、きっといないというのに。

 しかし、そういう事情なら、無理をさせるわけにもいかない。潔く地面に下りる。

「わたしは、しばらくとどまりますので――また、お目にかかりましょう」

 白梅は、(こうべ)を垂れたまま、答えなかった。

 進んで承諾できないとわかっていたから、とりあえずはよしとして、宿所へと帰っていった。


(……どうしよう……)

 大変なことになってしまった。まさか、東宮が、内院まで巡ってくるなんて。当人は、雄童だと名乗っていたが、聴こえてきた声は、偽りだと告げていた。

 満ち溢れた自信。戯れたいという疼き。機会を惜しむ、もどかしさ。

 ただの雄童が感じるには、あまりにも尊大だ。そして、隣合った時に、はっきりと見えた、その姿。

 (はなだ)(いろ)の瞳と白銀の髪。帝に連なる、最も高貴な毛色。

 眩しかったのは、昼間だったからだけではなかったのだ。

 照日大御神の象徴である陽光をたっぷりと浴びて、皇子は燦然と輝いていた。朧気に見えていたのに、どうしてすぐに奥へと下がらなかったのだろう。

 とくとくと鳴る、胸を押さえる。本当に、困ったことになってしまった。

 真っ直ぐな好意。高揚。玲瓏な声。ただの雌子なら、夢心地で喜べただろう。しかし、この身は、神々に捧げられた供犠だった。

(……しっかり、しなきゃ……そうでなければ――)

 故郷(さと)の家族が謗られる。

 生まれは、辺境の寒村だと聞く。社を穢したとなれば、必ずや追い出される。

 そして、受け取った金子(きんす)は、決して返せる額ではない。記憶はないが、生んでくれた両親に、不孝なことはしたくなかった。

 暗がりの中、南西の方角を向く。(こうべ)を垂れ、本殿に祀られた、照日大御神に祈る。

 夕べ見た、恐ろしい夢。

 覆い被さる影は、確かに東宮だった。見目麗しく成長し、美丈夫となった、一の皇子。主上と呼んでいたから、帝となったあとだろう。

 ただ、その顔は、凄まじい形相だった。怒りと悲しみ――それから、知らない感情。理由はわからないが、泣き叫んで、拒んでいた。

 畏怖ではない、純度の高い恐怖。必死に抵抗していた、あの場面は、一体何だったのだろう。

(……ただの、ゆめでありますように……どうか、どうか――)


 静かに座し、書を読む父の傍らに、腰を下ろす。視線は落としたまま、父が口を開いた。

「随分、長い厠であったな」

「とちゅう、道にまよってしまいましたので」

 ふんと、父が鼻を鳴らす。高々と上がる、白銀の尾。針のように逆立った、鋭利な毛。思わず、尾が下がる。

「偽りを申すか。神力(しんりき)まで漂わせて――実によい心がけであるな、東宮よ」

 ぎょっとする。念のため、少し離れた場所で化身したのに、察知してしまうとは。

 尾を完全に床につけて、腰に添わせる。威儀を正し、(こうべ)を垂れた。

「まことにもうしわけございません、主上」

 刺さる視線が痛い。おもむろに、耳が伏せっていく。

 父が、隅に控える雄童を呼びつける。そして、進み出て礼をした姿に、冷たく命じた。

「朕の世話はよい。逗留中、東宮から目を離さぬように」

「――承知つかまつりましてございます」

 雄童が、恭しく低頭する。面倒なことになったと苦る。

 あと九日、ただただ座して過ごすなんて。こんなことであれば、都の方が、よほど刺激的だ。遊び相手に事欠かないし、講義だの稽古だのと、何かと予定が巡ってくる。

 控えの位置に戻った雄童を、ちらりと見遣る。

 濃い梔子色(くちなしいろ)の瞳と目が合い――憚りながらも、監視は緩まなかった。父が、数多いる雄童から選んで、連れてきただけはある。

(……うーん、だめそう……)

 心中で溜め息をついて、ひとまずその場を丁重に辞した。

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