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8 心の整理

「アルベルトはずっと、取り付かれたようにお前を探していた」


 兄は静かに、まるで独り言でもつぶやくように語り始めた。



 五年前のあの日。

 己のエスコートで自室に行ったきり、なかなか戻らないアデルを心配したアルベルトは、再び彼女の部屋を訪ねた。少しだけ開いていたドアに僅かな違和感を覚えたが、ノックをし、そのまま待つ。

 普段なら彼女付きのメイドがすぐにドアを開けてくれるはずなのに、その気配はない。アルベルトはもう一度声をかけ、失礼を承知で部屋に入った。


 途端に感じた異臭に、アルベルトは思わず鼻を覆った。

 生臭いような鉄さびのような、でもどこかで嗅いだことのあるいやな匂い。

 急いで窓を開け、アデルを呼ぶ。返事はなかった。シンと静まり返った室内に、人の気配はまるで感じられない。高まる鼓動を抑えつつ、更に大声で彼女の名を叫ぶ。


 トルソーには順番を待つミモザ色のドレス。その周囲にはおよそこの部屋に似つかわしくない点在する大きな足跡。そして、その傍らに落ちていたラベンダー色のリボン。


 アルベルトの背筋がゾワリと粟立つ。


 踏みつけられ、変わり果てた様子ではあったが、間違いなくそれは、さっきまでアデルが身に着けていたドレスの、自分が贈ったドレスの一部だ。

 震える手で拾い上げようと屈んだ時、部屋の隅に折り重なるように積まれているモノに気づいた。

 床に広がる赤黒いシミ。その上の一つが、口から血を流し、うつろな目でこちらを見ている。


「……!」


 それらは、先ほどまでアデルの身支度を整えていたメイドだった。

 その日、アデルは忽然と姿を消してしまった。





 以降、アルベルトは必死になってアデルを追った。昼夜を問わず、寝食も忘れ、周囲の忠告に耳を傾ける事もなくアデルを探し続けた。

 当初こそ同情的だった周囲も、病的ともいえるその様に一人、また一人と離れていった。次第に孤立していったアルベルトは、遂に幼い頃から憧れ、最年少で勝ち取った近衛の職務をも放棄するようになり、半年も経たず騎士団を除名されてしまった。

 職にもつかず、家門の仕事も放りだし、一心不乱にアデルを探す日々。そんな息子の愚行は、ついに父であるマクミラン公爵の怒りをかった。婚約を解消し嫡子としての責任を果たすか、全てを放棄し家を出るか。その二択を迫られたアルベルトは迷わず後者を選んだ。マクミラン家にとってアルベルトは唯一の跡継ぎ。これにはさすがのマクミラン公爵も頭を抱えた。話し合いの末、アルベルトは東の国境警備隊への配属と引き換えに三年間の自由を手に入れる。


 それから三年。


 アデルの捜索と並行して任務に従事していたアルベルトは、その意に反して隊の中で頭角を現していった。最年少で近衛に抜擢された実力はさすがというべきか。ただの新兵から士官に、そして尉官へ。昇進を続けたアルベルトはたった三年で部隊を統率する将官へと昇進していた。約束の期間が過ぎ、王都に戻ったアルベルトは、その手腕を買われ、王都中心部の治安を守る第二騎士団の隊長として任命され現在に至る。


 王都に戻っても直、アルベルトはアデルの行方を追った。

 時間と共に風化する情報と足取りを細々と追うも、時間だけがいたずらに過ぎ去る。己の無力さ痛感する日々。

 そんな中、アルベルトは新しい出会いを得た。偶然町で、酒の入った男たちに絡まれているところを助けた令嬢、それがセシリア=オルコットだった。


 既に美談として世間に語られるほど、「アルベルト公子の愛」は有名であり、セシリアはそれを理解した上で、応援し力になった。二人は良き友人として多くの時間を過ごした。ただそれだけだった。そんな二人の関係が崩れたのはおよそ三か月前のこと。


 王国北西部の森の奥深くで発見された、とある遺物。


 それを見つけたのは近くに住む猟師だった。

 元の状態が想像できないほど薄汚れ、引きちぎられたボロボロの布キレ。

 それは、よく見れば手触りのよい上質な生地であったと推測された。張り付いた部分を剥がすと、元は淡い紫色。行き倒れの遺品だと思い拾い上げ、周囲を見渡す。落ち葉や枯れ枝の中に点在するモノの正体に気づき、猟師はそっと胸に手を当てた。大きさからして成人前の子どものものだろう。やるせない気持ちを抑えつつ、できうる限り拾い集めた。小さな小山にもならないそれらを前に猟師は帽子を取り黙とうを捧げた。


 遺物は他にもあった。かかとの低い靴、変色し、黄色くくすんだ真珠玉、銀色のリング。リングには赤い石となにかの模様が刻まれていた。


 リングの持ち主は早々に見つかった。


 模様は侯爵家門のロウェル家の紋章、持ち主は当家門の子女アデル。

 失踪したあの日、アデルが指に嵌めていたもので間違いないと証言された。




 アルベルトは小さな棺の前、ボロボロの布切れを手に呆然と立ち尽くした。

 これが、あの日のために自分が贈ったドレスだとはどうしても信じられなかった。



 アデルが死んだ。



 突き付けられた現実を、アルベルトはどうしても受け止める事が出来なかった。


 それからのアルベルトは、毎日を抜け殻のように過ごすようになる。

 昼間はただ漠然と、機械のように職務をこなし、夜は一人酒場へ向かう。そうでもしなければ夜眠る事さえできなかった。このまま死んでしまおうか。生きる目的を失ったアルベルトの心は既に限界を迎えていた。


 その日、アルベルトはいつものように酒場にいた。喧騒の中、いつものように強い酒を煽る。テーブルには既に空のボトルが数本、転がっている。

深酒に酩酊するアルベルトの隣には、セシリアの姿があった。



 そして、

 二人はその日、一線を越えた。




 三か月後、セシリアの妊娠が明らかになった。

 アルベルトは己の愚かさ、浅はかさに吐き気がした。酔っていたとはいえ、そんな愚行に及んだ自分が信じられなかった。何より自分の欲で傷つけてしまったセシリアにどう償えばいいのか。心の底から後悔した。


 アルベルトは誠心誠意、セシリアに謝罪した。

 許されるとは思っていない。自分にできる事なら何でもする。そう彼女に償いの弁を述べた。

 膝をつき項垂れるアルベルト。そんな彼をセシリアが責める事はなかった。気にしなくていいと。あの日の事は自分にも責任があるのだからと。子どもは自分の責任で育てるから、アルベルトは一刻も早く心の傷を癒して欲しいと、セシリアはそう告げた。


 アルベルトは心を決めた。


 元々憎からず思っていた相手でもあり、アデルの死が現実のものとなった今、躊躇う理由はなかった。アルベルトはその日のうちにアデルとの婚約を解消し、改めてセシリアに婚約を申し込んだ。これからの人生はセシリアと歩むと、自分が必ず幸せにするとそう誓った。


 それはアデルが生還する、一週間前の出来事。




「……」





 淡々と語られる兄の話を、アデルはただ静かに聞いていた。

 アデルの頬に一筋の涙が伝う。


「大丈夫か?」


 兄の問いかけに小さく頷く。


「もっと早く話してやるべきだった。すまない」

「……ううん、お兄様がお忙しいのはわかってるから」


 手の甲で頬を拭うと、兄がそっとハンカチを差し出す。


「……最悪ね、私」


 受け取ったハンカチを握りしめアデルは小さく独り言ちる。


「……自分の事しか考えてなかった。アルベルトがどれだけ苦しんだかなんてちっとも考えてなかった。ホント、最低…」


 この五年、辛い思いをしていたのは自分だけじゃない。兄もアルベルトも、使用人たちも……。

 そんなこと少し考えればわかることなのに、アデルは自身の気持ちを押し付け更なる傷を彼に負わせてしまった。


 どれだけ辛かっただろう。

 どれだけ自分を責めたんだろう。

 一人、その感情と向き合い続けた彼はどれだけの苦しみを味わっていたんだろう。


 昨日までの悲しみに怒り、絶望といったどす黒い感情が、静かに色を失う。寄り添ってみれば、あふれる涙が止まらなかった。


 ようやく前を向いて歩き始めたアルベルトに放った言葉の数々。

 困惑した彼の顔を思い出し、自責の念にかられる。


「お兄様…」


 アデルは兄を見上げた。


「話してくれてありがとう。もう、大丈夫。アルベルトが幸せなら…もういい。責めるようなことを言ってごめんなさい」



 アルベルトは傷つき過ぎた。他でもないアデルのせいで。

 それならばもう解放してあげよう。自分という呪縛から。

 これからは家門を背負い、父親になる彼の幸せを心から祈ろう。


 自分の気持ちは自分で折り合いをつけるしかない。どれだけ時間がかかろうとも、それは自分で乗り越えて行くしか道はないのだ。アルベルトはそうした。それならアデルもそうするべきだろう。


(ごめんね。アルベルト…どうか幸せになってね)



 アデルの初恋はこうして静かに幕を下ろした。



お読みいただきありがとうございました。

次話投稿は本日19:00頃の予定です。

よろしくお願いします

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