【完結】エピローグ 罪と罰
「ごめんなさい、アルベルト! またうちの子たちが勝手に……っ」
そう言ってアデルは申し訳なさそうに、頭を下げた。
「気にしなくていいよ。テレジアもアルバートもコンサバトリーで遊んでるらしい。随分とあそこが気に入ったようだね」
「もう、あの子たちったら……」
ドレスの裾を持ち上げ早足で向かうアデルを、後ろからアルベルトが慌てて追いかける。
「アデル……っ そんなに慌てなくても大丈夫だから! もしお腹の子に何かあったら、僕がテオドール様に殺される……っ!」
「やだ、大げさね。テオはそんな人じゃないわよ」
「……そんな人なんだよ。あの人は」
小さく呟いたぼやきは、アデルの耳には届かない。
二度の出産を経て、三人の子どもの母となったアデルは、現在四人目を身籠っている。妊娠四ヶ月。安定期に入るまでは大人しくしていてもらいたいところだが、いくら言ってもこの幼馴染みは、一向に聞き入れてはくれない。
アルベルトは大きくため息を漏らすと、アデルの後ろに大人しく従った。
アデルたちがコンサバトリーを覗くと、子どもたちはスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
「全くもう……この子たちは人の家で……っ」
「ああ、気持ちよさそうに眠ってるね。二人ともかわいい寝顔だ」
アデルはふと周囲を見まわし、その内装に首を傾げた。
「ねえ、アルベルト? ここなんか変わった? 前に見た時はもっと可愛らしいピンクに溢れてたと思ったんだけど……」
最後に見たのはセシリアと対面したあの日だ。あれ以来、ここには一度も訪れていない。
「うん。二人がここを気に入ったみたいだから、好みを聞いて最近改装したんだ」
「えっ!? ちょっと、何やってるのよ! あなたまで甘やかさないで頂戴!! わがままに育ったらどうするのよ!」
タダでさえ甘々な父親に甘やかされているというのに、叔父のような存在でもあるアルベルトにまで甘やかされては、将来どんな子になるのか分かったもんじゃない。
アデルの怒声に、アルベルトはシーッと口元に指を立てた。
「子どもたちが起きちゃうから、静かに、ね? いいんだ、彼女がここを使う事はもうないから」
アルベルトは、チェストをそっと撫でるとそう言って、微笑んだ。
「アルベルト。セシリアさんは……」
「うん、今回もまただめだった」
「そう……」
アデルが神妙な顔で項垂れる。
あれから十年という月日が流れた。
セシリアの罰則の一つであった幽閉は、先日のグレイシアの婚礼に際して恩赦が認められ、特赦された。が、壊れてしまった彼女の心が完全に回復する事はなかった。狂乱し、暴れる事はなくなったが、一人自室に閉じ籠り、アデルとタルジュという幸福の幻想に包まれながら、今も尚、夢の世界を生きているらしい。
この十年、アルベルトはずっと、献身的に彼女に接し続けていた。使用人の手は一切借りず、食事の介助から排泄の始末まで、すべてを一人で熟していた。その徹底ぶりは使用人のみならず、噂を聞き及んだ貴族、市民からも『アルベルト公爵の真心の愛』と称賛されている。
「君がそんな顔をする必要はないよ。子どもは天からの授かりものだからこればかりは仕方がない。それに、実は彼女も今、四カ月目に入ってる」
「まあ…そうだったの!? ごめんなさい、私なんにも知らなくて……」
「最近はお互い忙しくて中々会えなかったからね。話すタイミングがなかった」
「そうね。今度は……無事に生まれる事を願ってるわ」
「うん。ありがとう、アデル」
その時、どこからともなく微かな歌声が聞こえてきた。
「ああ……彼女が呼んでるみたいだ。もう行かなきゃ」
「長居しちゃってごめんなさい。ほらっ、二人とも起きなさい」
「ああ、無理に起こしたら可哀そうだ。子どもたちはこのまま使用人に運ばせよう。少し待ってて」
「……ねえ、アルベルト。あなた……大丈夫?」
アルベルトの様子が少しおかしい気がして、アデルはそう尋ねた。
「ああ、問題ないよ。それじゃ、またね」
アデルと別れ、アルベルトはセシリアの部屋に向かった。
鍵を開け入室すると、再び内側から鍵をかける。
カーテンが閉じられた薄暗い室内で、セシリアはいつものように、大きな姿見の前に左側のみ映して座っていた。右側には黒いレースのベール。あの日抜け落ちた針はセシリアの本来の顔をも奪った。ボコボコと腫れあがった赤ら顔は、本人すら思わず目を背けるほど醜悪だった。気休めではあったが、ないよりはマシだった。
「ああ、アル。聞こえた? 私、この歌大好き。ねぇ、アデル様。もっと歌って」
セシリアの中には今、二人の人格が混在している。『セシリア』とセシリアの理想で塗り固められた『アデル』。二人は日がな一日、楽しそうに会話を交わしている。
時折、自我を取り戻したセシリアが逃げ出そうとする事もあったが、手足の鎖がそれを阻む。自ら命を絶とうとする事もあるため、やむを得ない処置ではあったが、この異常な光景を使用人たちの目に触れさせる訳にはいかなかった。
アルベルトは近くの椅子に腰を下ろすと、鏡に映る『アデル』を無言で見つめた。
『アデル』はセシリアのおねだりに答える様に、再び歌い始めた。
穏やかな笑みを浮かべて歌うのは、昔良く彼女が妹たちに歌って聴かせていた子守唄。
その歌声に耳を傾けながら、近くのボトルからワインを注ぐ。
この十年、ずっと一緒に過ごした『アデル』。
二度と手の届かない本物の代替品ではあるけれど、今の彼にはもう、この紛い物の『アデル』しか残されていなかった。
彼だけの『アデル』。
彼だけの愛しい人。
「『アデル』。体調はどうだい?」
そう尋ねたアルベルトに、彼女は歌うのをやめ、鏡越しに微笑んだ。
「ええ順調よ、アルベルト。きっともうすぐ、あなたによく似た子が生まれるわ」
アデルの口調を真似たセシリアが、そっとお腹を撫でる。妊娠四カ月のお腹はまだ全然目立たず、そこに子が宿っているとはとても思えない。
アルベルトは立ち上がると、彼女の前に跪き、そっと腹部に顔を寄せた。
「今度は期待してるよ。これまでの子は全然だめだったからね」
セシリアはこれまでに二度、子どもを出産した。一人目は、セシリアによく似た髪色に菫色の瞳の男の子、二人目はアルベルトと同じ金髪に菫色の瞳の女の子だった。
「君は僕とアデルの子を産まなきゃいけない。分かるよね?」
「もちろんわかってるわ。あの子たちは元気?」
「……」
アルベルトは『アデル』にそっと口づけると穏やかにほほ笑んだ。
「心配しなくても大丈夫。彼らは元気さ。……きっとね」
子どもたちは生まれて早々、里子に出した。自分とアデルの特徴を持たない子など必要なかった。その後の報告は受けていない。どうなったかなんて知る由もない。
「ねぇ、セシリア。僕はね、十年前アデルに言ったんだ。彼女の誘拐に関わった奴らは全員等しく神の罰を受けるべきだって。アデルは優しいから、とっくに君の事を許しているみたいだけど、僕は違う。僕だけは君を許さない。何があっても絶対に……」
あんな事件さえ起きなければ、アデルの隣にいたのは自分だった。あの時セシリアを選ばなければ、そもそもこの女に騙されなければ……彼女の瞳に映るのは自分だけのはずだった。
悔やんでも悔やみきれない十年だった。
罰する権利を他人に委ねるなど、絶対に許せなかった。
「簡単に死ねるなんて、思わない方がいい」
不意に、甘い香りがアルベルトの鼻腔をくすぐった。それは今朝、アルベルトが生けた沈丁花の香りだった。
「ああ、沈丁花のいい香りがする。これはね、アデルが大好きな花なんだ。いい香りだね、『アデル』……」
〜完〜
完結です。
本当はラウルの話とか、ベルノルトの話とか書きたかったのですが、蛇足になりそうなので割愛しました。
感想、評価等頂けたらうれしいです。
次回作に活かせればと思っています。
次回作も期待して頂けるようでしたら、是非お気に入りユーザー登録をお願いします。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。




