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74 姫と騎士②

 翌朝。


 テオは重い体を引きずるように、寝室を出た。

 前日受けた暴行の傷も癒えぬまま、メイドが用意していった朝食を取る。一口食べて味のおかしいものは吐き出し、食べられるものだけを食べた。ここには常駐の使用人がいないため、シンと静まりかえった離宮に人の気配はない。外には逃亡防止のため騎士が数人配置されているが、彼らが中に入ってくる事はなく、テオはいつも一人だった。


 指定された時間にはまだ余裕があったが、念のため早めに身支度を整えようと衣装部屋に向かったテオは、ある違和感に、小さく舌打ちをした。

 用意してあった華やかなコートもブリーチズも、なぜかそこから消えていた。代わりに置かれていたのは一揃いの見習い従僕(ペイジボーイ)のお仕着せ。その瞬間、浮かんだのは義兄の顔。テオは小さく息を吐くと大人しくそのお仕着せに着替え、離宮を出た。



 王宮の庭園を飾り立て、茶会は間もなく始まろうとしていた。

 派手に着飾った貴婦人とその身内と思われる子女子息が行儀よく座る会場に、テオは自分の席を探す。が、案の定、そんなものは用意されていなかった。一番大きなメインテーブルに着座した王妃が、無言でテオを一瞥する。ニヤニヤと笑う義兄たちを横目に、テオは自分と同じお仕着せに身を包んだ少年たちの隣に、黙って立ち並んだ。


 こんな嫌がらせは日常茶飯事で、特には気にならなくなっていた。甲斐甲斐しく働くテオを見て楽しむのもまた、彼らの意趣返しなのだろう。そんなテオを、誰も第二王子だとは思わない。それでよかった。こんな奴らと同じ血が流れているなんて死んでも思われたくなかった。



 溜まった皿を厨房に運ぶよう、従僕(フットマン)に指示され、会場を離れた。

 厨房でトレーに並べられたグラスを持たされ、慎重に会場に戻る。その途中、テオは不意に何かに躓き地面に倒れ込んだ。途端に周囲から聞こえる笑い声。


「おい、ペイジ。何やってるんだ? それは王妃殿下が今日のために選んだ特注のシャンパングラスだぞ」


 見上げると、そこには既に顔を覚えた義兄の取り巻きが笑いながらテオを見下ろしていた。義兄の姿は……どこにも見当たらなかった。


「どうするんだよ、ペイジ。お前ごときが弁償できる代物じゃないぞ?」

「……」

「おい。聞いてんのか!?」


 先のとがった靴が、テオの脇腹に突き刺さる。


「……うっ!」

「あれ~? よく見ればあなた様はもしかして、テオドール殿下ではありませんかぁ?」


 ワザとらしくそう聞かれ、テオはその少年を睨みつけた。


「どうなさったんですかぁ? こんなところでペイジの真似事なんて。社会勉強ならこれまでに随分なさってこられたでしょうに」


 連中が嘲笑う。


「バカだな、チェスター。第二王子殿下だなんて、そんな訳ないだろ? どこからどう見てもこいつはただのペイジじゃないか。おいお前、生意気に睨んでんじゃないぞ!」


 そう言ってテオの顔に砂を蹴り上げたのは、取り巻きの中で一番大きな少年。名前は確かパーシバル。


「ごほっ……ごほっ」

「おい、いつまで這いつくばってるんだ。お前のせいで俺の靴が汚れただろ? 拭けよ、早く!」


 髪を掴まれ、眼前につき出された靴。テオはその靴にペッと唾を吐きかけた。


「うわっ! こいつ……っ 何するんだ! これはフレデリック様から頂いた靴なんだぞ……っ」


 怒りのままパーシバルがその足でテオを蹴りつける。他の少年たちも加わり、暴行は一斉に始まった。


(はっ……ざまあみろ……)


そう心で呟いた、その時だった。


「いて……っ! おい! なんだお前! 何するんだ!」


 一人の少年がそう叫んだ。

 うっすらと目を開けると、ふわふわとしたオレンジ色のドレスと白いタイツが視界に入った。


「あなたたち、よってたかって何してるの!」


 そう叫んだ少女の手には、太い木の棒が握られている。


「生意気だな、女のくせに。俺たちにかなうと思ってるのか!?」

「かんけいないわ! その子から離れなさい!!」


 少女は持っていた棒を騎士のように振りかぶると、一人の少年に向かって真っすぐに振り下ろした。


「いったっ!! こいつ……っ」


 避けきれず、棒に当たった少年の手が、少女の髪を掴む。少女はその手を爪で引っ搔くと、少年の脛に思い切り木の棒を打ち込んだ。


「いたいっ! おい、お前! いい加減にしろよ……っ!」

「うるさい! あなたたちこそ、いいかげんにしなさい!」


 唯一の武器を振り回し、暴れまくる少女の剣幕に押され、取り巻きたちはたじろぐ。やられる事に慣れていないのか、中にはベソをかいてるヤツもいた。やがて少年たちは、捨て台詞を残し、その場から走って逃げて行った。



 呆気に取られるテオの視線の先で、少女がハアハアと荒い息を繰り返す。木の棒は彼らの姿が見えなくなるまで構えたまま、視線も一切外さない。その姿は毛を逆立てた子猫のようにも見えたし、いっぱしの騎士のようにも見えた。


 彼らの姿が見えなくなると、少女はようやくその場にへたり込んだ。よく見れば震える手の平から血が滲んでいる。テオは慌てて起き上がると少女に駆け寄った。


「大丈夫か!?」

「大丈夫。それよりあなたは? いたいとこない?」


 体中が痛い、とは言えなかった。それは勇敢な幼い少女に対する、小さなプライドだった。


「これくらい、どうってことない。それよりお前、なんであんな無茶したんだ! 怪我でもしたらどうするんだよ!?」


 下手をしたら、この子も自分のようになっていたかもしれない。そう思うと怒りに口調が荒くなる。


「弱いものを守るのは、騎士のほこりだって。うちの騎士団長が言ってたわ」

「騎士の誇り……」


 それは母が生きていた頃、よく言っていた言葉だった。


「お前騎士なのか? こんなに小さいのに?」


 この国ではそんな制度があるのかと真剣に聞いた。


「まだよ。まだだけど……。大きくなったら近衛になって、グレイシア様をお守りするのが私の夢なの」


 グレイシアは義兄と同じく、テオと半分だけ血が繋がった義妹の名だった。彼女を知っていて、この茶会に招待されているのであれば、高位貴族の令嬢に間違いないだろう。


「騎士になるなら、もっと強くならないとな」


 そう言ってテオはポケットからハンカチを取り出すと、少女の手に巻いてやった。


「笑わないの?」


 少女が驚いたような顔でテオを見る。


「笑わない。だってお前は強いから。自分より体の大きい奴らに向かっていくなんて、そう簡単にできる事じゃない。俺とは……違う。お前はきっといい騎士になれるよ」

「……」


 テオは少女のドレスの埃を払ってやると、久しぶりに笑顔を浮かべた。


「さあ、もう行けよ。母さんと来てるんだろ? きっと心配してる」


 少女は唇を震わせ、ぎゅっと拳を握りしめる。


「どうした?」

「あなたも強いわ!!」

「え?」


 少女はなぜか、泣きそうな顔でそう叫んだ。


「あんなにひどい事されてるのに、じっとたえるなんて私にはできない。きっと私とあなたの強さはちがう。でもきっと、あなたも強い人よ!」

「はは……っ」


 テオの口から、何年ぶりかの笑い声が飛び出した。

同時に鼻の奥がツンと痛くなり、目頭が熱を帯びる。


 自分にそんな言葉をかけてくれる人はもうどこにもいないと思っていた。これからずっと、死ぬまであの離宮で一人で暮らしていくんだと決めつけていた。でも……。


「……そうだよな。強くならなきゃいけないんだよな。こんな所でクサってたって何も変わらないんだから……」


 ここに来てから無為に過ごした二年が、ひどく無駄なものに思えた。

 生きる場所は選べなくても、生き方は自分で決める事ができる。幸い自分には望めば学びを得る方法はいくらでもあった。これまでは単に、父親に頼リたくないという子どもっぽい反発心から、全ての事に背を向け、ただ逃げていただけだった。


 テオは少女を見つめた。

 まだあどけない少女のヘーゼルの瞳もまた、テオを見つめる。


 かわいいなと、素直に思った。

 村にも同じ年頃の女子はいたけれど、こんなふうに思った事は一度もなかった。


「ありがとな。お前、名前は……?」


 そう尋ねたテオの耳に、少女を探しに来たであろう人物の声が届いた。


「あ、アルベルトだ」

「兄貴か?」


 遠目だが、年はテオと変わらないように見えた。


「ううん、ちがう。アルベルトは私のこんやくしゃよ」


 その瞬間、なぜか胸にチクリと痛みが走った。


 少女は小さなポシェットからハンカチを取り出すとテオにそっと差し出した。


「あなたのハンカチ、ダメにしちゃったから。じゃあ私、もう行くね。バイバイ」


 笑顔で手を振り少女が駆け出す。その後ろ姿を目で追いながら、テオはハンカチを強く握りしめた。そして彼が呼んでいた少女の名を小さく呟いた。



アデルの幼い頃の夢は騎士になる事でした。

次回終話です。

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